「フォトギャラリー 石仏と野鳥」 新版  2019年2月
 
1月 3月

2019.2.27撮影                       オオジュリン           大阪の大きな川の河川敷にて
1月17日にクイナやタシギを撮影した水たまりの周りの葦には数羽のオオジュリンがいました。
時々、水辺に下りてきます。
手前の1羽は夏羽のなごりなのか、頭部に黒い羽が残っています。

2019.2.27撮影                       ベニマシコ           大阪の大きな川の河川敷にて
ツリスガラとともに撮影したかったベニマシコは河川敷のあちこちにいて簡単に撮ることができました。。
ツリスガラの撮影ポイントとなっている大橋近くの葦原のそばで撮ったきれいなベニマシコです。
ナンキンハゼの木では5羽のベニマシコが実を食べていました。
嘴のまわりや腹部の一部が赤いので雄の若鳥と思われます。
雌のベニマシコです。

2019.2.27撮影                       ツリスガラ           大阪の大きな川の河川敷にて
1月17日に行ったときには見ることができなかった、ツリスガラを撮影することができました。
前の時クイナを撮影した場所から、1qほど遡った所の葦原で撮影しました。ツリスガラは初めてです。
なかなか葦の上に出てくれず、雄のツリガラスは葦の葉がかぶってしまい、うまく撮れませんでした。
雌のツリスガラです。葦の葉鞘を嘴ではがしています。
葉鞘の中にいるカイガラムシを採食しているところです。葉鞘の白い部分はカイガラムシの跡です。
口を開けて舌を見せています。

2019.2.26撮影      ハシビロガモ・ヨシガモ・ルリビタキ♀など  近くのため池と古民家のある公園にて
ミコアイサの群れがいた池からミコアイサはいなくなりました。代わりにいたのがハシビロガモとヨシガモです。
 よく訪れる2つの公園は毎年、冬になれば当たり前のようにルリビタキが見られ、楽しませてくれていました。しかし、今年は両公園で12月に何回かルリビタキを撮影して以来これらの公園ではルリビタキを見ていません。今年になってこの公園で初めてルリビタキの雌を見ました。ジョウビタキはいつものように近くで撮影できました。

2019.2.25撮影                  ミヤマホオジロ・アトリ          地元の山の上の桜園にて
一週間ぶりのミヤマホオジロです。桜園の南の端にいました。逆光で露出補正して撮りました。
ミヤマホオジロは4羽見かけたのですか1羽は雌でした。
アトリ♀がナンキンハゼの木にとまっていました。頭部がきれいな黒の雄もいたのですが、枝に邪魔されて撮影できませんでした。

2019.2.24撮影               チョウゲンボウ                近くの河川にて
昨日アップしたチョウゲンボウの続きです。飛び立ったチョウゲンボウの雄はこの後、河川敷の方へ飛んでいきました。
 すぐ戻って来て、目の前の草むらに降り立ちました。5mほどの距離でした。目に焦点を合わせて撮ると尾の先の部分は撮せませんでした。そこで、縦にトリミングして載せました。(レンズは100-400mm F4.5-5.6のズームレンズで、1.4倍のテレコンバーターをつけていました。)
ズームを調整してどうにか全身を撮しました。
再び飛び立ち、近くの川の水門の施設の窓にとまりました。
その間、雌は建物の屋上に同じ体勢でとまっていました。
この後、雄は高く飛び上がって上空を舞っていました。遠くの電柱を見るともう1羽チョウゲンボウの雄がいました。

2019.2.24撮影               チョウゲンボウ                近くの河川にて
 5日にチョウゲンボウを撮影して以降、何回かチョウゲンボウの巣があると思われる建物に行きましたが、チョウゲンボウに会えませんでした。今日は建物から少し離れた河川敷で上空で飛ぶ2羽のチョウゲンボウを見つけました。撮影しようとしたのですか遠くて撮影できませんでした。

 すると、建物の方からチョウゲンボウの鳴き声が聞こえました。もう1羽、チョウゲンボウが建物の屋上にとまっていました。建物にいるチョウゲンボウを撮ろうと近づくと。飛んでいる2羽の内の1羽が建物にいるチョウゲンボウの上に下りてきていきなり交尾を始めました。あわてて、撮った写真が下の3つの画像です。

 昨年もこの建物の屋上で交尾するチョウゲンボウを撮影(h30.2.9に撮影したチョウゲンボウ)したのですが、もう二度と撮影できないと思っていました。残念ながら昨年と違って近くで撮影できず、ピンぼけ気味ですが、貴重なシーンを撮影することができました。
この後、2羽は並ぶように屋上でとまっていたので、近づいて撮影できました。
雄はしばらくすると警戒するように空を見ていて、その後、突然、飛び立ちました。

 
2019.2.23                 磨崖仏100選(47)   濡れ地蔵磨崖仏
奈良県宇陀市榛原山辺三  「鎌倉時代」
 国道165号線沿いの山辺三の集落の集落から近鉄大阪線の線路を越えた南に下った谷あいに濡れ地蔵磨崖仏がある。

 川の向こう岸の岩に、高さ184mの船型の彫り窪みをつくり、線刻の頭光背を負って蓮華座に立つ地蔵立像を半肉彫りしている。大きな頭の錫杖を直立して右手で持ち、左手を胸前に上げて宝珠をささげる。光背面の左右に三体ずつ、六地蔵立像が墨画で描かれていたという。また、光背の外側の左右に太山王と閻魔王が線刻されていて、地蔵十王の信仰が伺える。

 濡れ地蔵と呼ばれるのは、山から滴る水で常に濡れているところから名付けられたものである。この川は宇陀川の支流にあたり、宇陀川に作られた室生ダムのため、増水時はダム湖の一部となり、増水時は濡れ地蔵は水没してしまう。


 
磨崖仏100選(48)   切りつけ地蔵
奈良市田原南田原町  「元徳3年(1331) 鎌倉時代後期」
阿弥陀如来
 地元の人が「きりつけ地蔵」とよんでいる阿弥陀磨崖仏である。 花崗岩壁に高さ、約2mの長方形を深く彫り込み、蓮華座上に立つ来迎相の阿弥陀像を厚肉彫りする。

 像の両脇奥壁に、石大工行恒が彫刻したことを刻む。行恒は有名な伊派石工の一人で、 和歌山県地蔵峰寺地蔵石仏(重文)など鎌倉後期を代表する石仏を残している。 いずれも、木彫仏に劣らない、丁寧な技法の熟達した作品である。


 
磨崖仏100選(49)   桃尾滝不動三尊磨崖仏
奈良県天理市滝本町  「鎌倉時代後期」
  「下滝本」のバス停から坂道を登ると三方花崗岩にかこまれた正面に20mばかりの滝が音を立てて落ちている。桃尾滝不動三尊磨崖仏は、その滝の向かって左の岩壁にある。

 岩面を長方形に彫りくぼめ、不動明王を板彫り状に浮き出し、線彫りで面相や着衣を線彫りで表したもので、勇壮で力強い像である。脇持のコンガラ童子・セイタカ童子も板彫り式線刻である。火焔は枠の外まではみ出す。技法的にも類の見ない像で富川磨崖仏ほどの雄大さはないが同じように岩の厳しさに正面から取り組んでいて迫力がある。


2019.2.22撮影                          アトリ            地元の山の上の桜園にて
桜園の近くの草むらに3羽のアトリがいました。
アトリの雌です。

 
2019.2.22                 磨崖仏100選(44)   大野寺弥勒磨崖仏
奈良県宇陀市室生区大野 「承元3年(1209) 鎌倉時代初期」
  高さ約30mの岩に二重光背を彫りくぼめ、像高11.5mという巨大な弥勒立像を線彫りしている。大野寺の前、宇陀川の清流をはさんだ大岸壁に刻まれた大磨崖仏は周りの風光と相まって雄大で魅力的である。

 興福寺の雅縁僧正が、笠置寺の大弥勒像を模して、宋人の石工二郎 ・三郎らに彫らして、 承元3年 (1209)に完成させたのがこの弥勒磨崖仏である。


 
磨崖仏100選(45)   滝山(下笠間)阿弥陀磨崖仏
奈良県宇陀市室生区下笠間 「永仁2年(1294) 鎌倉後期」
 笠間川対岸の岸壁に、二重光背式の彫りくぼめを作り、その中に連座上にたつ来迎相の阿弥陀像を半肉彫りする。 頭光には、 放射光が線彫りされている。優雅でおおらかな面相の磨崖仏で、鎌倉後期の磨崖仏の秀作である。

 絵画的な柔らかい表現で、 同じ時代のつちんど墓地の阿弥陀石仏とは違った魅力がある。


 
磨崖仏100選(46)   向淵三体地蔵磨崖仏
奈良県宇陀市室生区向淵 「建長6年(1254) 鎌倉時代」
集落の西はずれの畑の中に建つ堂に「穴薬師」と呼ばれるこの三体地蔵がある。凝灰岩の四隅を落とした正八角形の石材を利用して作られたもので、中央に蓮華座を設けて高さ150pの二重円光背の彫り窪みをつくり、像高130pの宝珠と錫杖を持つ地蔵立像を厚肉彫りする。その両側には同じく二重円光背の彫り窪みをつくり、中尊よりやや小さい像高90pの地蔵立像を厚肉彫りする。両脇持は共に、右手を下げて与願印を示し、右手で宝珠を持つ古式の地蔵である。

 充実感のある、鎌倉中期らしい写実的な表現の地蔵石仏で、三体地蔵形式では最も古い様式である。施主名と共に建長6年(1254)の紀年銘を像の間に刻む。


2019.2.21撮影              タシギ・キセキレイ・カシラダカ          近くの川にて
 チョウゲンボウ、ホオアカを目的に近くの川へ行きました。今日はチョウゲンボウは姿を見せませんでした。毎年この川でホオアカを撮影しているのですか今年はまだ見ていません。撮影したのはタシギ・キセキレイ・カシラダカ・イソシギなどです。
タシギはいつもいる水路にいました。水路の壁に押しつけるような体勢で、構えていました。
川岸でキセキレイを見ました。川面を飛んでは川岸に戻ることを繰り返して、採食していました。
葦原にはカシラダカが多数いました。ホオジロも混ざっていましたが、目的のホオアカはいませんでした。

 
2019.2.21                 磨崖仏100選(41)  ほうそう地蔵
奈良県奈良市柳生町 「元応元(1319)年 鎌倉時代後期」
徳政銘文

「正長元年ヨリ サキ者(は)カンヘ(神戸)四カン カウ(郷)ニヲ井メ(負いめ)アル ヘカラス」
 阪原町の南出より柳生までの旧柳生街道は急な山道である。その山道の峠を越えて、しばらく進むと、大きな花崗岩の南面に彫られたこのほうそう地蔵がある。(柳生からは柳生陣屋跡より旧柳生街道を1qほど南へ行ったところになる。)

 岩肌に高さ140p、幅約80pの方形の枠組みを彫りくぼめ、蓮華座に立つ錫杖を持つ通常型の地蔵を半肉彫りする。以前は面部が剥落していて、疱瘡にかかったように見えたため、ほうそう地蔵といわれていた。(私が高校生の時、初めて見たときは顔が剥落していた。) 昭和44年、すぐ下の土中より顔が見つかり修復された。顔は穏やかな童顔で印象深い。元応元(1319)年の銘がある。

 その左側に正長の土一揆の資料として中学社会科や高校日本史の教科書に載っている有名な徳政銘文がある。「正長元年以前の借金は神戸(かんべ)の四ケ郷(大柳生・小柳生・阪原・邑地)では帳消しにする。」という意味である。


 
磨崖仏100選(42)  あたや地蔵
奈良市柳生下町 「鎌倉時代後期」
阿弥陀如来
 柳生から北(笠置方面)に1qほど行った、川の東の大きな岩壁にあたや地蔵がある。高さ2mほどの方形の枠組みを彫り、放射光を刻んだ頭光背を背負った、像高約150pの来迎印阿弥陀如来を薄く半肉彫りする。保存状態は良く、西日を受けた姿は美しい。左下には像高70pほどの追刻と思われる地蔵菩薩がある。

 あたい地蔵から県道を少し北に行くと、弥勒大磨崖仏や、虚空蔵石磨崖仏で知られた笠置山への東海道自然歩道が通じている。


 
磨崖仏100選(43)   上出阿弥陀磨崖仏
奈良市大柳生町上出 「鎌倉時代後期」
  誓多林から大柳生へ出る白砂川に沿った旧柳生街道に突き出た大岩の岩壁にこの阿弥陀磨崖仏は彫られている。誓多林から大柳生への旧柳生街道は東海道自然歩道に指定されていないため、ほとんどのハイカーは忍辱山へ向かう東海道自然歩道を通るので、この磨崖仏は人の目にふれることは少ない。

 岩肌に、高さ約110p、幅約60p、深さ15pの方形を彫りくぼめ、蓮華座上に像高約90pの来迎印の阿弥陀如来立像を半肉彫りする。頭部が大きく4〜5頭身ほどであるが、豊かな包容力のある力強い顔に魅力がある。


2019.2.20撮影                     カンムリカイツブリ          大きなため池にて
 県北の歴史公園近くの大きなため池へ行きました。今日は鴨の数もすくなく、オシドリもミコアイサ雄も見られず寂しいため池でした。諦めて帰ろうとしたときに1羽のカンムリカイツブリが姿を見せました。岸辺近くまで来てくれ、じっくりと撮影できました。

 
2019.2.19                 磨崖仏100選(38)  夕日観音
奈良市春日野町 滝坂道 「鎌倉時代」
弥勒如来
 能登川の渓流沿いの石畳の道・滝坂の道を2qほど歩くと、寝仏と呼ばれる転落した大日如来石仏がある。そこから北側の山手に急な道を20mほど登るとこの磨崖仏がある。夕陽に映える姿が美しいので、通称「夕陽観音」と呼ばれている。

 「夕陽観音」は、傾いた大きな三角形の花崗岩の巨岩に、二重光背を彫りくぼめ、右手を下にのばし、左手を上げた施無畏・与願印の立像(像高1.6m)を半肉彫りした磨崖仏で、観音ではなく如来形の弥勒仏である。滝坂の道の数ある磨崖仏の中では最も整った優美な石仏である。


 
磨崖仏100選(39)  朝日観音
奈良市春日野町 滝坂道 「文永2(1265)年 鎌倉時代」
地蔵・弥勒・地蔵
  夕陽観音から滝坂の道を500mほど進むと、東面した高い岩壁に、通称「朝日観音」と呼ばれる3体の磨崖仏が彫られている。夕陽観音と同じように観音ではなく中尊は約2.3mの弥勒如来立像である。左右に地蔵立像が彫られている。弥勒如来の左右の刻銘に「文永弐年乙丑十二月」の紀年があり、文永2(1265)年に造立されたことがわかる。

 夕陽観音とよく似た作風であるが、夕陽観音と比べるとやや彫りは浅く、浮き彫り風である。左の錫杖・宝珠を持つ地蔵も同じ作風を示す。右の舟形光背の地蔵は錫杖を持たず、春日本地仏の姿をしていて、後世の追刻である。


 
磨崖仏100選(40)  滝坂地蔵
奈良市春日野町 滝坂道 「鎌倉時代後期」
 夕陽観音に登る道の途中に、三体地蔵磨崖仏がある。 三体とも右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。摩滅風化が激しく、岩肌の模様が目立ち、かろうじて地蔵菩薩の面影をとどめている。

 三体地蔵磨崖仏の所から、夕陽観音と逆の右の方へ進み上方の岩を見上げるとそこに、滝坂地蔵と呼ばれる等身大の地蔵磨崖仏がある。上方の突き出た岩に二重光背を彫りくぼめ、錫杖と宝珠を持つ、地蔵菩薩立像を半肉彫りしたもので、鎌倉末期の様式を示し、滝坂の道の地蔵菩薩の中では最も整った石仏である。

 滝坂の道からは見えない位置にあるためにほとんどのハイカーはこの石仏にきづかずに通り過ぎていくが、晩秋の紅葉に映えた滝坂地蔵の姿は美しい。


2019.2.18撮影                  ミヤマホオジロ・アトリ          地元の山の上の桜園にて
ミヤマホオジロは4日前見かけた場所から200mほど離れた桜園にいました。
11月頃よくミヤマホオジロを撮影した所です。10羽以上いました。
ほとんどが雄でしたが雌も2、3羽いました。
アトリが道路添いのナンキンハゼの木にとまって実を食べていました。
アトリは4羽いて雌が3羽、雄が1羽でした。

2019.2.17撮影                 梅にジョウビタキ・シメ             古墳のある公園にてにて
 公園は野鳥があまり見られずヤマガラやシロハラ・シメ・アオジなどが目立つ程度です。梅園付近には11月頃からジョウビタキがいて楽しませてくれています。満開の梅にとまっているジョウビタキか撮せるかなと思って、梅園に向かいました。ジョウビタキは開花前の枝垂れ梅の柄だにとまって青虫を食べていました。
その後、満開の紅梅に長らくとまっていました。梅を撮しに来た人が近づいて撮影しても逃げません。
いつも見かけるシメの雌です。
最後にシメの雄を撮影して公園を出ました。

2019.2.15撮影              ウミアイサ・シロチドリ・ハマシギ             三重県の海岸にて
ホオジロガモと一緒に泳いでいたウミアイサです。かなり沖合にいました。
ウミアイサは雄1羽と雌3羽いました。
河口の川岸にはオナガガモ・マガモ・キンクロハジロが多数休んでいました。その中にウミアイサの雌も混ざっていました。
川面に飛び立ったウミアイサです。
最初に行った川の河口付近の干潟には多数のハマシギとシロチドリがいました。シロチドリの冬羽です。
夏羽のシロチドリもいました。
ハマシギは100羽以上波打ち際や砂浜にいました。砂浜のハマシギは顔を埋めて休んでいました。
冬羽のハマシギは腹は白です。

2019.2.15撮影                  ツクシガモ・ミヤコドリ             三重県の海岸にて
 波打ち際のマガモの群れの中に白く嘴が赤い鴨がいたのでレンズを向けました。遠く離れた場所で撮影していたのですが、気配を感じてか飛び立ちました。慌てて連写しました。ツクシガモの若鳥と思われます。
その後、カメラを右に振るとミヤコドリの群れがいました。この群れも飛び立ちました。

2019.2.15撮影                     ホオジロガモ             三重県の海岸にて
 今日は遠出し、三重県の河口付近の海岸に行きました。ウミアイサと一緒にホオジロガモが泳いでいました。ホオジロガモは初めて見ました。
雌は褐色で頬の丸い白斑はありません。

2019.2.14撮影                    ミヤマホオジロ          地元の山の上の桜園にて
 山の上の桜園で久しぶりにミヤマホオジロを撮影しました。見かけはしていたのですが、桜園ではなく藪の中にいるためなかなか撮影できませんでした。
ミヤマホオジロは5羽いました。
羽づくろいをするミヤマホオジロ

 
2019.2.13             磨崖仏100選(36)  鹿背山地蔵磨崖仏
京都府木津川市鹿背山大木谷 「鎌倉時代後期」
 R木津駅の東の丘陵地帯にあるゴルフ場の北、鹿背山の南の麓に鹿背山不動がある。像高45pの南北朝時代の不動磨崖仏が祀られていて昔から厚い信仰を集めている。

  鹿背山不動の境内から急坂を登って裏山山頂に出ると大きな岩石が突き立っていて、そこに地蔵磨崖仏が彫られている。岩いっぱいに船型の彫り窪みをつくり、そこに錫杖と宝珠を持つ像高128pの地蔵立像を半肉彫りしたもので、引き締まった写実的な顔の磨崖仏である。「しょんべんたれ地蔵」と呼ばれていて、お参りを続けるとこの地蔵が子供の寝小便の代わりをしてくれると言われている。


 
磨崖仏100選(37)  谷山不動磨崖仏
京都府木津川市山城町平尾峰山 「鎌倉時代」
 JR京都線「棚倉」駅の東北東、約1.5q。木津川の支流不動川の谷沿いの山腹にある。谷沿いの道から石段を百数十段、登ったところの岩にさしかけるようにお堂がつくられ、その中に不動磨崖仏がある。

  内部の岩肌に瑟々座を刻み、その上に船型の彫り窪みをつくって、蓮華をのせ両眼を見開いて垂髪を左に下げ、右手に剣を構え、左手に索を持った不動明王座像を半肉彫りしたもので、鎌倉中期の作と思われる。温和な中にも迫力がある不動磨崖仏である。


 
2019.2.12撮影                        ミコアイサ                  近くのため池にて
公園でトラツグミを撮影した帰りに、ミコアイサのいる小さなため池に寄りました。
2羽の雄と6羽の雌がいました。陽の当たり具合もよく、周りが黒いためなかなか撮せなかった目もきれいに撮せました。

 
2019.2.12撮影                        トラツグミ                  古民家のある公園にて
 一週間ほど前に訪れたときには姿を見せなかったトラツグミがいました。カサカサ枯れ葉を掻き出すような音がしたので振り返って見るとトラツグミでした。
1時間ほど他の場所をまわってトラツグミのいる林に戻ると、トラツグミは木にとまっていました。

2019.2.10撮影                    ルリビタキ♀          地元の山の上の桜園にて
山の上の桜園ではルリビタキの雌が桜の枝に長い間とまっていて、近くでゆっくりと撮影できました。

 
2019.2.11             磨崖仏100選(34)   藪の中三尊磨崖仏
京都府木津川市加茂町東小 「弘長2年(1262) 鎌倉時代」
阿弥陀・地蔵・十一面観音
東小高庭の集落の南、府道を隔てた樹林の中に「藪の中地蔵」または「やぶの地蔵」と呼ばれる磨崖仏がある。露出する二つの岩面にそれぞれ船型の彫り窪みをつくり、向かって左から阿弥陀・地蔵・十一面観音の各像を厚肉彫りしたものである。中尊の地蔵菩薩は像高153pで、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ引き締まったおおらかな面相の重厚感のある秀作である。

 右の岩に彫られた像高111pの定印阿弥陀座像は東小会所阿弥陀石仏によく似た硬い表現の磨崖仏である。像高113pの十一面観音は右手に錫杖を持つ長谷寺型の観音像で穏やかな女性的な顔である。「弘長二年」の紀年銘や願主とともに「大工橘安繩 小工平貞末」と石工名の刻銘があり、尾の在銘石仏としては東小会所阿弥陀石仏とともにもっとも古い。


 
磨崖仏100選(35)   岩船寺三体地蔵磨崖仏
京都府木津川市加茂町岩船 「鎌倉時代後期」
「みろくの辻磨崖仏」の府道を隔てた向かいに細い山道がある。この山道を進むと岩船寺に出られる。その山道を200mほど行った右手の高い岩壁に、三体地蔵磨崖仏が彫られている。

  四角形の彫り窪みをつくり、像高90p程の三体の地蔵を半肉彫りしたもので、三尊とも右手に短い錫杖を斜めに持ち、左手で宝珠を胸の前で持った地蔵立像で中尊は少し大きい。三体とも穏やかな顔の優れた容姿の地蔵菩薩である。


2019.2.9撮影                  ルリビタキ♀・イソヒヨドリ        地元の山の上の桜園と近くの川にて
 山の上の桜園では毎年2月になるとウソが桜の芽を食べに来るのですが、今年はまだ見かけません。野鳥の姿もあまり見られずルリビタキの雌を撮影したのみです。
桜園の帰りに近くの川によりイソヒヨドリを撮影しました。

 
2019.2.3          磨崖仏100選(32)   さんたい阿弥陀三尊磨崖仏(笑い仏)
京都府木津川市加茂町岩船 「永仁7年(1299) 鎌倉時代後期」
 大門仏谷磨崖仏とともに、当尾の里を代表する石仏である。岩船寺から西南500mの山裾に露出する大きな花崗岩の岩に、 舟形に彫りくぼめをつくり、 蓮座に座した定印の阿弥陀像と蓮台を持つ観音像と、合掌する勢至菩薩像を半肉彫りにしている。

 「永仁七年(1299)二月十五日、願主岩船寺住僧‥‥‥大工末行」と3行にわたる刻銘があり、宋から渡来した石大工伊派の一人、伊末行の作とわかる。花崗岩の岩肌を生かして柔らかい丸みのある表現になっていて、 「笑い仏」 という愛称もつけられている。


 
磨崖仏100選(33)   岩船不動磨崖仏(一願不動)
京都府木津川市加茂町岩船 「弘安10年(1287) 鎌倉時代」
 「唐臼の壺磨崖仏」から岩船寺へ向かうハイキングコースをしばらくすすむと、三差路に出るその辻を右に数メートル行くと「笑い仏」があり、左の山道を進むと岩船寺に出る。その山道を数メートル進んだところから下りた谷間の藪の中に露出した大きな岩面に薄肉彫りさた岩船不動磨崖仏がある。やや斜め向きの顔は両眼を見開き、眉をつり上げた憤怒相で、剣を右手にかまえ、索を左手に持った不動明王立像である。風化が少なく、午後になると木漏れ日があたり、憤怒相であるがどこか穏やかな顔が浮かび上がり、印象的である。

 像の向かって右下方に「弘安十年丁亥 三月廿八日 於岩船寺僧□□令造立」の刻銘がある。


2019.2.7・8撮影                 イカル・シメ         山の上の桜園と少し遠い大きなため池にて
7日は山の桜園に行ってイカルとシメを撮影しました。高い木や竹に留まっていて、大きくトリミングした画像になりました。
 8日は北の古墳の多くある丘陵地帯の大きなため池に行きました。オシドリなどは大きな池の対岸にいて遠くてまともな写真は撮れませんでした。畑のネットに留まったシメとミコアイサなどを撮影しました。
シメは飛び立つ場面が撮れました。

2019.2.6撮影                 ミコアイサ              近くの大きなため池にて
 キセキレイを撮った後ミコアイサのいる大きなため池に行きました。しかし、ため池には多いときで50羽以上いたミコアイサが見当たりません。よく見ると、大きなため池の真ん中に雄1羽と雌2羽がいました。ただ、遠くて撮影にはなりません。そこで、この池から300mほど離れた前にミコアイサを見た小さな池に行きました。
小さな池に行ってみると、ミコアイサが雄だけで20羽いました。
先日この池でミコアイサを見たときは雄2羽雌5羽ほどだったので、おそらく大きな池から移ってきたものと思われます。
エクリプスから第1回夏羽に移行中の雄も2羽いました。
小さな池なので近くで撮すことができました。

2019.2.6撮影                 キセキレイ              大きなため池の近くの集落にて
ミコアイサのいる大きなため池に行くため村の中の道を歩いていると、水路の近くでキセキレイがミミズを採食していました。
ミミズを銜えたまま民家の屋根に留まりました。
ミミズを飲み込みその後、隣の家の鬼瓦の上に留まりました。
鬼瓦の上でのんびりと羽づくろいをしていました。

2019.2.5撮影                 イソヒヨドリ                近くの河川にて
チョウゲンボウのよくいる建物の屋上のフェンス近くにイソヒヨドリがいました。
チイソヒヨドリはクモを銜えていました。
先ほどの建物から500mほど離れた水門の施設の屋根にもイソヒヨドリがいました。
イソヒヨドリはよく見かける野鳥で駅前のビルの上でもよく鳴いています。

2019.2.5撮影                 チョウゲンボウ                近くの河川にて
 1月28日にチョウゲンボウを撮影した場所に行きました。巣が近くにあるようで雄と雌が警戒するように鉄筋コンクリートの建物や民家のテレビアンテナに留まっていました。飛ぶ姿をとりたかったのですかが、警戒の鳴き声をあげたので営巣の邪魔をしないように早々に引き上げました。

2019.2.4撮影                        ミコアイサ              近くのため池にて
 トラツグミとルリビタキを撮りに何時も行く公園に行ったのですかが、どちらも姿を見せず、諦めてミコアイサのいるため池に行きました。最初にヨシガモがよくいる小さなため池に行きました。ヨシガモはいませんでしたがミコアイサがいました。毎年この池で雌は見るのですが、雄をこの池で見たのは初めてです。5羽の雌と3羽の雄がいました。
そっと撮影したつもりだったのですか、この後すぐ、小さい池なので気配を感じたのか雄は飛び去ってしまいました。
その後、大きな池に行きました。以前より少なくなりましたが、まだ20羽ほどのミコアイサがいました。
第1回夏羽に移行中です。
羽ばたくミコアイサの雌。後は第1回夏羽に移行中の雄です。
水浴びするミコアイサ

 
2019.2.3                磨崖仏100選(30)   妙光寺山地蔵磨崖仏
滋賀県野洲市小篠原 「元亨4年(1324年) 鎌倉時代後期」
 近江富士と称される三上山の北の尾根づたいの峰が妙光寺山とよばれる山で、その山の北斜面にこの地蔵磨崖仏がある。野洲中学校方面から入るとわかりやすい。現在、案内板がきちんと整備されていて、登山口さえわかれば、迷わずにたどり着ける。

 妙光寺山の北面中腹に露出する岩壁に長方形の彫り込みをつくり、像高約1.6mの地蔵菩薩立像を半肉彫りする。地蔵は柄の短い錫杖と宝珠を持ち、木ぐつをはいている。「元享四(1324)年」の造立銘があり、近江を代表する地蔵磨崖仏である。六頭身から七頭身のすらっとした体躯であるため、力強さはあまり感じられないが、整った写実性豊かな優れた磨崖仏である。


 
磨崖仏100選(31)   妙感寺地蔵磨崖仏
滋賀県湖南市三雲妙感寺 「鎌倉時代後期」
 妙感寺は臨済宗妙心寺派の禅寺で建武の中興で活躍した万里小路藤房(妙心寺二世授翁宗弼和上)が開基し晩年を過ごした寺という。この、妙感寺の裏山に「山の地蔵磨崖仏」とよばれるこの地蔵磨崖仏がある。

 大きな花崗岩の岩壁に、舟形光背を彫りくぼめ、約170pの地蔵菩薩立像を半肉彫りする。錫杖は妙光山地蔵磨崖仏のような短い柄ではなく通常の長さである。地蔵の左右に像高約40pの二童子が脇侍として彫られている。鎌倉後期のすぐれた地蔵石仏である。


2019.2.2撮影                      ルリビタキ♀            地元の山の上の桜園にて
 ようやく撮影したルリビタキの雌です。このシーズンはあまりルリビタキの雌を見ません。いつも行く公園などで雄以上によく見かけたのですが、このシーズンは数回見ただけでまともに撮影したことがありませんでした。

1月 3月