「フォトギャラリー 石仏と野鳥」 新版  2019年1月
 
12月 2月

2019.1.31撮影                  楓(ふう)の実とアトリ            丘陵地帯の小さな公園にて
 この公園には楓(ふう)<モミジバフウ(アメリカフウ)>の木が20本ほど植えられていてその実を食べに毎年、アトリやカワラヒワがやってきます。今シーズンもトゲのある球状の集合した実をつけた11月頃から、アトリの群れが来ています。今にも雨の降りそうなこの日も50羽ほどのアトリがモミジバフウの木にとまっていました。モミジバフウの葉はすべて散ってしまって、実だけが残っていて、厚い雲に覆われた空を背景にした撮影になりました。

 
2019.1.31                磨崖仏100選(29)   富川磨崖仏
滋賀県大津市大石富川町    「鎌倉時代」
阿弥陀三尊
 信楽川沿いの山腹の40mを越える大岩壁に刻まれた阿弥陀三尊磨崖仏である。像高6.3mで線刻彫りの大野寺や笠置寺の磨崖仏を除くと近畿では最大の磨崖仏である。

 一見線彫りのように見えるが、中尊の阿弥陀如来は、像の周りをやや深く彫り沈め、板彫風に線や面を薄肉彫りした陽刻である。そのために、口や目などの表現が不自然になっている。観音と勢至の脇持は普通の手法の薄肉彫りである。

 九州の磨崖仏のほとんどは厚肉彫りか半肉彫り・薄肉彫りで、線刻の像は少ない。中には臼杵磨崖仏や菅尾・元町磨崖仏のように丸彫りに近い磨崖仏もある。それに対して、近畿の磨崖仏は線刻彫りや薄肉彫りの像が多い。それは、技術の違いというよりは素材の違いである。つまり、近畿地方の岩のほとんどが硬質の花崗岩であるのに対して、九州は加工しやすい柔らかい凝灰岩であることが、この違いを作り出したといえる。

 特に、この富川磨崖仏のような大規模な磨崖仏となると、花崗岩の岩に半肉彫りをすることは非常に困難なことと思われる。そのため、笠置寺虚空蔵磨崖仏(像高約9m)や大野寺弥勒磨崖仏(像高約11.5m)は線刻彫りである。笠置寺虚空蔵磨崖仏や大野寺弥勒磨崖仏は近畿を代表する磨崖仏として知られているが、私はあまり魅力を感じられない。確かに、線は美しく優美であるが、表現は絵画的で岩の雄大さ、力強さを生かしていないように思える。

 富川磨崖仏は、笠置寺虚空蔵磨崖仏や大野寺弥勒磨崖仏のような優美な表現でないが、薄肉彫りや陽刻の線彫りといった方法で、岩の厳しさに正面から取り組んでいて、大岩壁をうまく生かした力強い表現で、忘れがたい磨崖仏である。

 富川磨崖仏は、右耳の脇から山水がしみ出るので、「耳だれ不動」とよばれ、耳病の人の信仰を集めている。阿弥陀如来の向かって左側には線刻の絵画的な表現の不動磨崖仏がある。
この不動磨崖仏も阿弥陀三尊磨崖仏と同じく鎌倉時代の作である。



2019.1.30撮影                     ノスリ・オカヨシガモ               近くの山にて
5日前にノスリを見た山へ行きました。ノスリはいたのですが、遠い空の上を飛んでいました。
ノスリを見た後、山を下り近くの川へ行って、オカヨシガモを撮りました。
逆さになって顔を水面につけているのは雌です。

2019.1.29撮影               シメ・弁慶ヤマガラ          古墳のある公園にて
 今日は昼から古墳のある公園へ行きました。いつも訪れる午前中に比べると野鳥は少ないような気がします。ベニマシコやルリビタキなどの目的の鳥は見られませんでした。結局、シメとジョウビタキ・カシラダカ・アオジ・ヤマガラなどの撮影になりました。シメはこの頃、下に降りてきて採食することが多くなりました。
 弁慶ヤマガラが初めて姿を見せた9月頃は、ヤマガラはエゴノキの実を求めて素早く動いていて、撮影は一苦労でしたが、今は、地面に下りて採食しているので簡単に撮影できます。弁慶ヤマガラもよく姿を見せます。弁慶ヤマガラの頭部の褐色は9月頃に比べると薄くなりました。

2019.1.28             タシギ・オカヨシガモなど              近くの河川にて
水路にはタシギがいました。タシギはこの時期になればこの水路でよく見かけます。いつも水路の壁にひっつくようにしています。
ヒドリガモの群れの中にアメリカヒドリが混ざっていないか川面を見ていると、見慣れないかもがいました。オカヨシガモです。
オカヨシガモはそれほと攻めずらしい鴨ではないですが、この川で見たのは初めてです。
毎年見かけるホホアカを探していたのですが、カシラダカしかいませんでした。
タヒバリはこの川では冬になればいつも見かけます。

2019.1.28                チョウゲンボウ              近くの河川にて
 昨年よくチョウゲンボウを見た川沿いの建物に行くと、チョウゲンボウの雌がいました。月に2、3回のペースで訪れていたのですが、半年ほど見られずチョウゲンボウはもういないのかと諦めていました。
チョウゲンボウの雌は建物の屋上の角でじっとしていました。
 チョウゲンボウが飛び立つシヤッターチャンスを待って7分ほとカメラを構えていると、軽トラックが建物の敷地に入ってきて、人が建物に入りました。すると、建物の近くの木の茂みから、「キィキィキィキィ」と鋭い声が聞こえました。同時に雌のチョウゲンボウも鳴き声をあげて飛び立ち、離れた場所に移動しました。
木の茂みの声はチョウゲンボウの雄でした。雄は、すぐに茂みから飛び立ち、近くの民家のテレビアンテナにとまりました。
しばらくすると、雄は鳴き声をあげて、近くのブロックでつくった倉庫の上にとまりました。
雄は見張るように倉庫の上にいました。私は、そっとその場を離れました。

 
2019.1.27             磨崖仏100選(27)   花の木三尊磨崖仏
三重県伊賀市寺田中之瀬     「徳治元(1306)年 鎌倉時代」
 上野市大内の花の木小学校の校門を入ってすぐ、校庭の右側に廃道があり、その廃道沿いに巨大な岩塊が露出している。その南面に幅220p、高さ148pの長方形を彫りくぼめ、像高約1.2mの三体の立像を厚肉彫りする。
 向かって右から、釈迦・阿弥陀・地蔵で、釈迦は施無畏・与願印、阿弥陀は来迎相、地蔵は錫杖・宝珠を持つ。各尊の間には蓮花瓶を浮き彫りに配している。地蔵の上部に「徳治第一年九月日 願主沙弥六阿弥」の刻銘があるという。(摩耗していてるため、見た目ではわからない。)各尊とも、写実的で力強い秀作である。  


 
磨崖仏100選(28)   中村薬師堂磨崖仏
三重県伊賀市島ヶ原村中村    「鎌倉時代後期」
 JR関西線「島ヶ原」駅から東踏切を北へこえ、しばらく行くと、道の左手に大きな石に六地蔵を彫りつけた石仏がある。(慶長9(1604)年の刻銘)その石仏の前を右手に下りたところに薬師堂がある。薬師堂の扉の内すぐに岩面があり、薬師如来座像と、阿弥陀三尊が半肉彫りされている。

 堂でおおわれているため、保存状態は良く、光背と衲衣が朱と黒で彩色されている。鎌倉時代の石仏にしては力強さに欠けるが、やわらかい素朴な表現の磨崖仏である。
 この中村薬師堂の北には東大寺の二月堂の修二会(お水取り)とよく似た修正会が行われる正月堂(観菩提寺)がある。 


2019.1.25撮影                   トラツグミ・ミコアイサ       近くのため池と古民家のある公園にて
3日前にみたトラツグミのいる公園に行きました。この前と同じ林にいました。
落ち葉をつついてミミズを銜えました。
口を大きく開けてミミズを飲み込もうとした瞬間です。
その後ミミズを食べました。
 公園に行く前にミコアイサのいるため池に寄りました。多くのミコアイサがいるのですが、遠くてなかなか撮れません。しばらく待っていると1、2羽のミコアイサは近くまで来てくれ、何とか撮影できました。

2019.1.25撮影                          ノスリ             近くの山にて
 何時も行く桜園から、地元の山へ下りないで、工事中の道を別の方向へ下りました。途中、木の上にとまっているノスリを見つけました。距離があり、まともな写真は撮れませんでした。

 
2019.1.25         磨崖仏100選(25)   石山観音磨崖仏1
三重県津市芸濃町楠原     「鎌倉時代」
阿弥陀如来立像
地蔵菩薩立像
 昔の面影を残す白壁塗りの店舗や家屋の残る、「日本の道百選」に選ばれた、宿場町、関宿の南2qの丘陵に石山観音磨崖仏があるこのあたりの丘陵は安山岩や凝灰岩などの巨岩が露出していて、石山観音磨崖仏は高さ40mほどの岩肌に大小の磨崖仏が刻まれている。石山観音は、江戸時代に三十三ヶ所観音霊場の観音を彫ったところから名づけられた。

 その群像の中には、鎌倉時代の阿弥陀仏や地蔵菩薩も、彫られていて、もともとは阿弥陀仏を主尊とする寺院であったと思われる。

 第一番札所の石仏から少し上がった所に、像高3mを越える大きな地蔵磨崖仏がある。巨岩に二重光背を彫りくぼめ、右手で錫杖を持ち、左手に宝珠を捧げる地蔵立像で、穏やかな面相で、悠然とした風格のある鎌倉時代の作風の石仏である。(県指定文化財)

 阿弥陀磨崖仏は三十三ヶ所観音石仏巡拝コースの最後にあり、巡拝コース入り口付近から見上げた、岩山に彫られている。直立した岩肌に、二重光背を深く彫りくぼめ、蓮華座に立つ、像高352pの上品下生の来迎印の阿弥陀如を厚肉彫りしたものである。像の下には二面の格狭間を刻んだ須弥壇が設けられている。平行線に整えられた衣紋は美しくのびやかで、総高5mを越えるこの磨崖仏は迫力があり、下から見上げると、破壊されたアフガニスタンのパーミヤンの大仏を連想させる。格狭間の様式などから見て鎌倉後期の作と思われる。(県指定文化財)


 
磨崖仏100選(26)   中之瀬磨崖仏
三重県伊賀市寺田中之瀬     「鎌倉時代」
 伊賀上野から東へ、木津川の支流、服部川に沿って伊賀街道(国道163号線)が津に通じている。その川沿いの道の北側のそそり立つ岩壁に中之瀬阿弥陀三尊磨崖仏が彫られている。本尊は像高2.5mの巨像で来迎印の阿弥陀如来立像を薄く半肉彫りしたもので、鎌倉時代のおおらかで雄壮な磨崖仏である。

 放射光を刻んだ頭光背など、柳生のあたい地蔵と呼ばれる阿弥陀如来立像磨崖仏に表現は似るが、あたい地蔵に較べると、口元が大きく、素朴で力強い面相である。

 脇侍の観音菩薩と勢至菩薩は、線刻像で、後世の追刻である。他に、不鮮明であるが、阿弥陀三尊の左右に線刻の不動明王と地蔵菩薩立像が彫られている。


2019.1.23撮影                          イソヒヨドリ                県の北の歴史公園にて
 クイナ・オオジュリン・ホオアカなどいないかなと思って、この公園の葦原に来ました。しかし、蘆は刈られた後で、モズやアオジ・イソヒヨドリしか見られませんでした。イソヒヨドリは杭にとまっていて、近づいてもしばらく逃げませんでした。
草の実を銜えていました。

2019.1.22撮影                          トラツグミ                古民家のある公園にて
 何時も行く2ヶ所の公園には毎年トラツグミが入り楽しませてくれるのですが、この冬はトラツグミをなかなか見ることができません。1月も終わりになってようやトラツグミを撮影することができました。毎年、トラツグミがやって来る林で撮ることができました。
最初に撮したときは、遠かったので、待たずに公園の他の場所をまわりました。1時間ほどして戻ってくるとトラツグミは近くにいました。

2019.1.21撮影                          ベニマシコ                古墳のある公園にて
3日前と同じく、古墳の堀付近に生えているナンキンハゼの木にベニマシコはいて、実を食べていました。
ナンキンハゼの実を食べるベニマシコ雌です。
ナンキンハゼの木からブッシュになった空堀に雄・雌とも移りました。
雌は若鳥のようで鮮やかな赤ではありません。

2019.1.21撮影                          クロジ                古墳のある公園にて
 午前中1、2回、生け垣の茂みから採食のために姿を見せます。今までは来るのが遅く姿をチラッと見ただけで撮ることができませんでした。今日は1時間ほど待ってようやく撮影できました。
クロジは茂みから出てきてしばらく立ち上がるようにして周りを見ていました。
やがて草の実を突き始めました。
黒い実を銜えています。
白い実も食べていました。

2019.1.19撮影                         ミコアイサ                近くのため池にて
 3年間は改修のため、水が半分ほど抜かれて、鴨の数は極端に減り、コガモとカルガモ、ヨシガモが時々見られるくらいで、池は寂しい状態でした。しかし今年は水面は低いままなのですが、ミコアイサか雄雌合わせて30羽以上来ています。

2019.1.19撮影                 ベニマシコ             古墳のある公園にて
今年の冬、初めてまともにベニマシコの雄を撮影することができました。
ナンキンハゼにとまって実を食べていました。
雌と雄のツーショットはピントが雌にあえば雄に、雄にあえば雌にあわず、よい写真になりませんでした
ベニマシコの雌です。

2019.1.18撮影               ニシオジロビタキ      県境近くの大きな池のある自然公園にて
 前に来たときにまともに撮すことができなかったアカゲラとウソを求めてこの公園に来ました。アカゲラは見かけたのですか撮影できませんでした。そんな時、迎えてくれたのは今回も「チッチッチッチッ」とさかんに鳴いていたニシオジロビタキです。
ニシオジロビタキは切り株を舞台に、いろいろなポーズをとってくれました。

2019.1.17撮影                   オオジュリン・タシギ           大阪の大きな川の河川敷にて
 クイナを撮影していたとき、ふと目をそらし見上げると、ツグミがとまっている木にツグミより小さな鳥がとまっているのに気づきました。「ベニマシコかな?」と慌ててシヤッターを切りました。ベニマシコではなくオオジュリンでした。
喉が黒い斑紋で囲まれるいるので雄の冬羽と思われます。
クイナのいた葦原の水たまりにはタシギもいました。

2019.1.17撮影                          クイナ           大阪の大きな川の河川敷にて
河川敷の葦原にクイナがいました。初めは葦原の下で隠れるようにしていました。
しばらくすると葦原の水たまりに姿を現しました。
水の中に顔を繰り返し突っ込んでいました。
やがて葦原の中に入り込み姿を消しました。

 
2019.1.16             磨崖仏100選(23)   元箱根石仏群二十五菩薩
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根     「永仁元年(1293) 鎌倉時代」
西面 阿弥陀如来立像・地蔵菩薩立像
東面右端 地蔵菩薩立像
 精進池沿いの遊歩道に戻り、遊歩道を精進池に沿って進むと「火焚地蔵」と呼ばれる地蔵磨崖仏や宝篋印塔があり、さらに進むと三角状に突き出た高さ3mほどの大きな岩が見えてくる。

 この岩に阿弥陀如来と蓮台を捧げる供養菩薩と21体の地蔵菩薩が厚肉彫りされている。国道を挟んだ岩に彫られた3体の地蔵菩薩と合わせて26体(菩薩は25体)になり、「二十五菩薩」と呼ばれている。

 その中でも、優れているのが、阿弥陀如来や東面の向かって右端の地蔵菩薩やそれに続く東面の大型の地蔵菩薩である。ともに、木彫風の精巧で丁寧な彫りで、衣紋の表現も写実的で、見ごたえがある。岩に舟形を彫りくぼめてそこに厚肉彫りで彫られているため、岩の存在感、生命感が感じられ、磨崖仏としては六道地蔵よりは優れているように思える。

 東面の右から2番目の地蔵菩薩の横に二十人ほどの結縁衆の名前とともに、「永仁元年(1293)癸酉八月十八日 一結衆等敬白 右志者為各□聖霊法界衆生平等利益也」の記銘かあり、地蔵講結縁衆が、先祖の霊を供養し現世の利益を願って造像したものであることがわかる。


 
磨崖仏100選(24)   元箱根石仏群六地蔵
神奈川県足柄下郡箱根町芦之湯     「正安二(1300)年 鎌倉時代後期」
 箱根山中には多くの石仏があるが、特に知られているのが、芦の湯から元箱根に通じる国道1号線沿いの、精進池の周辺にある元箱根石仏群である。

 精進池周辺は厳しい気候と火山性の荒涼とした景観で、地獄の地として、また賽の河原として、昔から地獄信仰の霊場となっていた。その地に、地蔵講結縁の衆が救済や極楽浄土を願つて、鎌倉時代後期に石塔や地蔵磨崖仏がつきつぎとつくられていったのがこの元箱根石仏群である。

 現在、元箱根石仏群周辺は史跡公園として整備され、六道地蔵の地蔵堂も復元された。駐車場の近くには、立体映像や迫力あるサウンドを駆使し、絵やジオラマで地獄や地蔵の救済を再現する展示施設である僧坊風の木造建築物石仏・石塔群保存整備記念館(ガイダンス棟)もたてられた。

 ガイダンス棟から精進池のまわりの遊歩道におり、国道下のトンネルをくぐり、10mほど上った山裾に、六道地蔵(六地蔵)と呼ばれる元箱根石仏群、最大の地蔵磨崖仏がある。高さ3m余りの蓮華座上に結跏趺座する巨像で、左手に宝珠、候補の右手には鉄で作られた錫杖を持つ(右手と錫杖は地蔵堂とともに鎌倉時代風に作り替えられた)。向かって左の岩面に「奉造立六地蔵本地仏」・「正安二(1300)年八月八日」などの文字が刻まれている。

 厚肉彫りというより丸彫りに近い磨崖仏で、引き締まった端正な表情、薄ものの質感を巧みにとらえた衣紋の襞、胸の華やかな瓔珞など、写実的な表現で木彫仏を思わせる。熊野磨崖仏のような岩の存在感、生命感があまり感じられず、巨像の割に迫力を欠くように思える。



 
2019.1.15             磨崖仏100選(21)   舘ヶ岡阿弥陀磨崖仏
福島県須賀川市舘ヶ岡向山     「鎌倉時代」
 東滑川の南岸、中世須田氏の居城であった向山丘陵の西崖面にある。この地方の中世の磨崖仏の中では最も風化が少なく、後でつけられたと思われるが赤い彩色も残る。 硬い安山岩に彫ってあるため螺髪を省略した大まかな像容であるが、硬いシャープな線のフォルムが魅力的である。像高2.15mの体躯も量感に富み、頼もしい体つきで東北を代表する磨崖仏の1つである。  


 
磨崖仏100選(22)   住吉磨崖仏
福島県いわき市小名浜住吉町     「鎌倉時代」
 小名浜住吉町の遍照院金剛寺の裏山墓地の、第三期砂岩層に彫られた石龕の中に像高190pの厚肉彫りの阿弥陀如来座像がある。地層と像が重なり合って、独特の彫刻美を見せる。近くに阿弥陀座像、20mほど離れたところには阿弥陀三尊像もある。 


2019.1.14撮影      アオバト・弁慶ヤマガラ・ベニマシコ          古墳のある公園にて
 約一年ぶりにこの公園でアオバトを見ました。去年最初にアオバトを見た木と同じ木にアオバトはいました。2羽いたのですが、あまり動かず、同じ枝にとまっていました。枝と木の葉がかぶってなかなかいいアングルが見つかりません。
何とか、全身が撮れる場所を見つけて撮影することができました。
弁慶ヤマガラは撮す人も少なくなり、ポイントに行けばすぐに姿を見せます。
ベニマシコは雄も見たのですか撮影できたのは雌のみです。

2019.1.12・13撮影                      ミコアイサ             近くのため池にて
 1月12日、久しぶりに近くの大きなため池に行きました。この池は3年前までは冬場はマガモを初めとしてヨシガモやオナガガモ、オカヨシガモ、ミコアイサなど数多くの鴨やカンムリカイツブリなどがいてよく来たものです。しかし、3年ほど前から池の改修が始まり、池の水が半分ほど抜かれて、ほとんど鴨は見られなくなり、たまにしか来ていません。

 今日はいつも数羽ほどいるヨシガモでも撮ろうと訪れたところ、思いがけずミコアイサの群れがいました。雄雌合わせて30羽以上いるようです。10羽ほどのミコアイサはこの地方の池ではたまに見かけるのですが、これほどの数のミコアイサを見たのは初めてです。

 残念なことに雨の降りそうな曇り空で天気が悪く、なかなか近づいてくれないのであまりよい写真は撮れませんでした。
 翌日13日、リベンジしようと、同じ池に行ってみると、数は少なくなりましたが、ミコアイサはいました。陽の当たった明るい池で撮影でき、それほど近づいてくれませんでしたが、前日には撮せなかった目も撮すことができました。
上の1羽はエクリプスから第1回夏羽に変わろうとしている雄です
羽ばたく雌です

 
2019.1.12             磨崖仏100選(19)   達谷窟大日如来磨崖仏
岩手県西磐井郡平泉町達谷(西光寺境内)   「鎌倉時代?」
  平泉の西南約6キロ、美しい渓谷美を誇る厳美渓(名勝天然記念物)に至る道路の途中に、達谷窟毘沙門堂(西光寺)がある。

 達谷窟毘沙門堂は坂上田村麻呂が蝦夷平定の際、京の鞍馬寺を模して毘沙門堂を建立し、108体の多門天(毘沙門天)を安置したのが始まりとされてい.る。現在、毘沙門堂は崩れて浅くなった窟の壁面に半ば食い込む形で建てられている。昔は深い大きな窟で、蝦夷の王、悪路王(アテルイ?)や赤頭らがたてこもったともいわれる。

 毘沙門堂の横、高さ40mほどの大岸壁にこの大日如来磨崖仏がある。現在は顔面と肩の線を残すのみであるが、その大きさは十分うかがえる。九州の熊野磨崖仏や普光寺磨崖仏に匹敵する巨像で、日本最北の磨崖仏といわれている。

 顔は下ぶくれの角顔で三角形の大きな鼻と厚い唇の大きな口が特徴である。大まかで上作とは言いがたいが、切り立った岩壁の迫力と無骨な東北人を思わせる顔が印象に残る磨崖仏である。髪は螺髪のようなので、阿弥陀如来であるという説もある。

 永承6(1051)年、源頼義が、安倍貞任を成敗したときの戦死者の供養のため、弓弭で図像を岩面に描いたのを、彫り出したのがこの大日如来であると言い伝えられている。


 
磨崖仏100選(20)   富沢阿弥陀磨崖仏
宮城県柴田郡柴田町富沢岩崎山     「嘉元4(1306)年 鎌倉時代後期」
 東北本線槻木駅の北約3qの柴田町富沢の小さな丘、岩崎山の西面する山裾に通称「富沢大仏」と呼ばれる阿弥陀磨崖仏がある。丘陵端の凝灰岩の岩層を利用して作られた磨崖仏で、堂内に保存されていたため保存状態はよい。

 岩面を1mばかり彫りくぼめ、像高240pの定印の阿弥陀如来座像を厚肉彫りする。ほとんど丸彫りに近く彫られた角張った大きな顔と大粒の螺髪が、「富沢大仏」という通称にふさわしく雄大である。大きな鼻と厚ぼったい唇など達谷窟大日如来磨崖仏と共通する表現で、いかにも東北らしい鈍重であるが素朴な力強さを感じる磨崖仏である。

 像に向かって右壁面に「嘉元4(1306)年」の年とともに恵一坊藤五良なるものが父の供養のために刻んだ旨がかかれた銘文があり、東北地方唯一の在銘磨崖仏として資料的価値も高い。



2019.1.11撮影             アオゲラ・キクイタダキなど         地元の山にて
 久しぶりにアオゲラとキクイタダキを見ました。アオゲラは逆光で枝かぶり、キクイタダキはピンぼけで、まともな写真ではありませんが、この冬初めてなので証拠写真としてアップしました。

2019.1.11撮影                 ミコアイサ          少し遠い場所にあるため池にて
ホシハジロやコガモに混じって5羽のミコアイサがいました。1羽は雌です。
潜った後、羽ばたきをしました。
北の岸から撮影しているため、なかなか目を撮ることができません。

2019.1.10撮影             赤いヤマガラ・アオジなど         古墳のある公園にて
弁慶ヤマガラなどと呼ばれている赤いヤマガラが下に降りてきてくれました。
ヤマガラの近くにはアオジがいました。近づいても逃げません。
いつも梅園付近にくにいるジョウビタキです。
池の畔にはジョウビタキ雌がいました。
この公園ではシメをよく見かけます。

2019.1.9撮影             オシドリ・キンクロハジロ         地元の山の池にて
今日は人が少なく、オシドリやキンクロハジロが近くまで来てくれました。
高い橋の上からの撮影なので、近づくと上から見下ろした姿になります。
なるべく見下ろした姿にならないようにやや離れた位置から撮したオシドリです。大きくトリミングしました。
キンクロハジロを上から撮影すると丸くふくよかに見え、印象が変わります。

2019.1.8撮影               ミコアイサ・シメなど    他府県の大きなため池のある公園にて
ようやくミコアイサの雄を撮るることができました。時々、岸に近づいてくれるのですが、1羽づづで群れを撮ることはできませんでした。
近づくと白と黒のコントラストが鮮やかで、可愛い目をしています。
シメの群れが草むらでクサの実を食べていました。
サザンカの花の蜜を食べるメジロです。赤い花の反射光なのか、花の花粉がついたのか首筋が赤く染まっています。
クロガネモチの木にシロハラやツグミが赤い実を食べに来ています。

2019.1.8撮影               ニシオジロビタキ      県境近くの大きな池のある自然公園にて
ニシオジロビタキは1ヶ月以上この公園にいます。
撮影するために餌付けが行われていて、下まで降りてきていました。
餌付けのためか、12月の中頃に撮影したときに比べて太ったようです。
1時間後、まだ、同じ場所にいてさかんに鳴いていました。

 
2019.1.7         磨崖仏100選(18)   大悲山薬師堂磨崖仏
福島県南相馬市小高区泉沢  「平安時代後期」
 泉沢の大悲山には丘陵地の岩層を利用して開いた石窟が3か所現存する。その中で、最も保存状態がいいのが、この薬師堂磨崖仏である。中央に3mを超える高さの如来三尊座像[釈迦・弥勒(薬師)・弥勒(阿弥陀)]と菩薩立像などを厚肉彫りする。側面には如来(薬師)像がある。中央の釈迦如来は蓮台を含めれば5mを越え力強いフォルムである。 覆い堂がかかっているが、岩質がもろく、 相当崩れていて、痛ましいが量感や迫力は少しも失っていない。    


               
2019.1.6撮影               ジョウビタキ・エナガ         古民家のある公園などにて
公園の葦原にいつもよく見る可愛いジョウビダキが葦原の側の通路に降り立ちました。
小さなムカデを捕まえました。
しばらくムカデと悪戦苦闘していました。
葦原のエナガです。

 
2019.1.5         磨崖仏100選(17)   日石寺不動磨崖仏
富山県中新川郡上市町大岩  「平安時代後期」
 不動石仏の中で最も優れ、古いのが、富山県の日石寺不動磨崖仏である。日石寺不動磨崖仏(平安時代後期・重要文化財)は、山から露出する大岩面に半肉彫りされた像高3mの不動明王座像で、頭上に蓮華をのせ両眼を見開いて垂髪を左に下げ、右手に剣、左手に羂索を持ち、両牙は下唇をかむ大憤怒相の力強く豪快な磨崖仏である。本尊の不動明王以外に脇持の矜羯羅童子像・制咤迦童子像、阿弥陀如来像、僧形像が刻まれていて、僧形像(行基菩薩像)は後刻と思われる。


                   
2019.1.5撮影                ジョウビタキ         古墳のある公園などにて
 ベニマシコ・ルリビタキ・イカルを目的で公園に行ったのですが、ツグミとヒヨドリが木々に競うように多数とまっているのと池のオオバンがやたらに目立つだけで、それ以外の野鳥はあまりいませんでした。結局撮影したのはジョウビタキとヨシガモでした。ジョウビタキの雄は公園の柵にとまっていて、あまり動かず、じっくりと撮ることができました。
雌も近くにいました。
ヨシガモは、頭部の光沢ある緑色と褐色が陽の当たり具合で様々に変化していました。
 古墳のある公園に行く前に、丘陵地帯の小さな公園に行ったのですが、ここも野鳥は見当たらず、いつもアトリとカワラヒワがいるモミジバフウ(アメリカフウ)の木にも野鳥はいませんでした。アトリはこの公園から数百メートル離れた古墳の近くのナンキンハゼノキに群がって実を食べていました。
アトリの雌です。

 
2019.1.4         磨崖仏100選(16)   春日石窟仏
奈良市春日野町 春日奥山  「平安時代後期」
東窟(六地蔵)  
西窟(多聞天・阿弥陀座像)  
 奈良奥山ドライブウェーは高円山ドライブウェーと新若草山ドライブウェーにつながっているが、一方通行で高円山ドライブウェー側からは車は入れない。したがって、奈良奥山ドライブウェーの出口が高円山ドライブウェーの終点となる。その終点の場所から南側へ登る細い道があり、その道を50mほど歩くと穴仏と呼ばれる春日石窟仏がある。その穴仏の少し下に旧柳生街道の石畳の道が通っている。

 春日石窟仏は東西2窟から成り立っていて、凝灰岩層を深く削りくぼめて、つくられた石窟で、全面はかなり崩壊していて、造立当初の様子は知ることはできないが、平安時代後期の保元二年(1157)の墨書銘が残る、わが国では珍しい本格的な石窟仏である。

 東窟は中央に層塔としてつくられたと思われる石柱があり、塔身にあたる部分には、四仏が彫られている。東窟の西壁には、頭光背を背負った厚肉彫りの像高90pほどの地蔵立像が4体残っている(もとは六地蔵だと思われる)。左端の一体は右手は与願印で、左手に宝珠を持つ。残りの三体は両手を胸前に上げ、何かを捧げる形であらわしている。一体一体、表情は異なるが顔は引き締まった中に穏やかさをみせている。東窟には、他に観音菩薩と思われる像が3体(もとは六観音)、天部像が2体残っているが破損が大きく痛ましい姿となっている。

 西窟は金剛界の五智如来座像が彫られていて、左端の阿弥陀如来と思われる一体と多聞天のみがほぼ完全な姿で残っている。阿弥陀如来は像高94pで、穏やかな満月相で、なだらかな丸みを持った肩や流麗な衣紋など典型的な藤原様式となっている。 多聞天は顔の部分は痛んでいるが、火焔光背を背負い邪鬼を踏み、右手に矛、左手に宝塔を捧げ持つ姿が鮮やかに残っている。 


       
2019.1.3撮影                ミヤマホオジロ         地元の山の上の桜園にて
 地元の山の麓から少し険しい山道を30分ほど歩いて山の上の桜園に行きました。途中の展望台付近ではルリビタキを見たのですが撮影できませんでした。ウソが目的だったのですが、いませんでした。結局、今年最初に撮影したのはミヤマホオジロです。ミヤマホオジロが10羽ほど群がっていたのですが、桜園の隣の林の中にいてなかなかうまく撮影できませんでした。
どうにか撮影したヤマホオジロです。

 
2019.1.3         磨崖仏100選(14)   大門仏谷磨崖仏
京都府木津川市加茂町北大門  「平安時代後期」
  他の当尾石仏群から一体だけ離れているため、訪れる人も少なく、「笑い仏」とくらべるとあまり知られていない。 しかし、当尾石仏中、最古最大の磨崖仏であり、堂々たる体躯や幅のある丸い厳しい顔の表情など、近畿地方を代表する磨崖仏の一つである。

 二重光背形を浅く彫り、 その中をさらに彫りくぼめて、裳懸座に座る如来形を半肉彫りしている。 手の部分の一部が不明瞭で印相がわからず、 像名は阿弥陀・釈迦・弥勒など諸説がある。造立年代については奈良時代後期・鎌倉時代など諸説があるが、幅広い丸顔や豊満な仏身の表現から平安後期造立説が有力である。


 
磨崖仏100選(15)   地獄谷聖人窟
奈良市白毫寺町 地獄谷  「奈良時代〜鎌倉時代」
 首切り地蔵の分かれ道を左に行くと、地獄谷に通じる。地獄谷の名は、昔この付近に屍をすてたところからでた地名とも、春日山中の地中に地獄があると考えられたところから生まれた地名ともいわれる。その地獄谷の山中の凝灰岩層の露出した岩場に石窟が彫られていて、壁面に数体の線刻像が刻まれ彩色されている。それが、通称聖人窟と呼ばれる、線刻の磨崖仏の傑作である。

 現在、はっきりと残っているのが3体で、奥壁の中央には、座高1mあまりの施無畏・与願印の如来像が彫られている。胸には卍が刻まれているとのことであるが、金網で保護されていて近づけないので確認できなかった。尊名は弥勒・釈迦・盧遮那仏など諸説がある。のびのびとした流麗な線で衣紋を描き、顔は東大寺大仏の蓮弁に刻まれた如来像によく似ていて、豊かな気品のある顔である。造立年代は天平から鎌倉まで諸説がある。

 如来像の向かって左側には、二重円光背を背負った施無畏・与願印の如来立像(吉祥薬師像という説がある。)が、右側には同じく二重円光背を背負った十一面観音が彫られている。中尊に比べると線は伸びやかさに欠け時代は下ると思われる。東壁面には妙見菩薩が刻まれているとのことであるが金網の外からは確認できなかった。 


12月 2月