「フォトギャラリー 石仏と野鳥」 新版  2018年12月
 
11月 1月

 
2018.12.31         磨崖仏100選(13)   笠置寺虚空蔵石磨崖仏
京都府相楽郡笠置町笠置笠置山  「平安時代後期」
  笠置寺はの巨大な弥勒仏を本尊とする寺で、平安時代以降、弥勒信仰の聖地として栄えた。鎌倉幕府打倒を企てた後醍醐天皇が笠置山に篭って挙兵した元弘の乱の時に、兵火で笠置寺は炎上し、弥勒磨崖仏も火を浴びて石の表面が剥離してしまった。他にも薬師石、文殊石などの磨崖仏があったが、虚空蔵菩薩像が刻まれたとする虚空蔵石磨崖仏のみが当初の姿をとどめている。

 虚空蔵石磨崖仏は花崗岩の壁面を二重光背式にほりさげて、内部を平らにし、そこに太い彫線で彫刻した石仏である。宝相華文を刻む宝冠をいだき、瓔珞を胸に飾り、右手を上げて指頭を捻じ、左手を膝上にのべる結跏趺坐の像、寺伝では虚空蔵菩薩像というが、如来のように持物を持たず、宝冠・瓔珞を加えて菩薩形にしている点から、弥勒菩薩と思われる。造立年代については本尊と同じ奈良時代説もあるが、現在の所、平安後期説が有力である。 


 
2018.12.30         磨崖仏100選(12)   狛坂寺跡磨崖仏
滋賀県栗東市荒張 金勝山  「平安時代初期」
 近江アルプスとよばれる金勝連峰は、花崗岩の巨岩が露出した独特の風景を見せ、絶好のハイキングコースとなっている。その金勝連峰には東大寺の良弁僧正がが開いたといわれる金勝寺があり、その金勝寺の西部の山中に狛坂寺跡がある。狛坂寺跡には、現在、この磨崖仏とともに、石垣の跡が残るのみである。狛坂寺は平安初期に興福寺の僧、願安が伽藍を建てたといわれているが、詳細は不明である。

 狛坂寺跡磨崖仏は、寺跡の南側の、北面する巨大な花崗岩石に刻まれている。高さ、約6m幅6mの岩肌に像高約3mの如来座像と像高約2.3mの菩薩立像2体を彫る。
 格狭間入りの基壇の上の須弥座に結跏趺坐する弥勒菩薩と思われる中尊は、たくましい体躯で、威厳があり堂々としている。脇侍はやや腰をひねって、如来側の手を胸に、外側は下げる立像である。三尊とも半肉彫りであるが、立体感のある重厚な像である。この三尊の上部に2組の小さな三尊像と3体の小さな菩薩形立像を浮き彫りする。また、この磨崖仏の向かって左には別石の三尊像もある。
 作風は朝鮮の新羅時代の南山の七仏庵磨崖仏とよく似ていて、花崗岩という硬い岩を加工する技術から考えて、渡来人系の石工の作と考えられている。
 この磨崖仏を初めて見たのは30数年前のことであるが、何回訪れても、大きな感動を与えてくれる磨崖仏である。量感や迫力においては、熊野磨崖仏などに劣るが、威厳と優美さにおいてはこの磨崖仏に匹敵する磨崖仏は日本には見あたらない。 

2018.12.29撮影                   ヨシガモ             近くのため池にてにて
2ヶ所のため池でヨシガモを撮影しました。ヨシガモの雄の頭部の色は光の当たり具合や個別差で様々な色あいになります

2018.12.29撮影              ルリビタキ・シロハラ             古民家のある公園にて
 一週間ぶりに古民家のある公園に行きました。前の時見たルリビタキがいました。ここのルリビタキは風切りや耳羽の褐色の部分が目立ち、それほど鮮やかな青色ではありませんが、それでも幸せを運ぶという青い鳥ルリビタキを見つけるとうれしくなります。
今まであまり見られなかったシロハラも、年の暮れになってようやくいつもの年と同じく、よく見かけるようになりました。

2018.12.28         磨崖仏100選(11)   菩提寺山磨崖仏
山口県山陽小野田市有帆 菩提寺山 「奈良時代or昭和6年」
 美術史家久野健氏によって日本最古の磨崖仏として紹介された「菩提寺山磨崖仏」は熊野神社の裏山の菩提寺山の中腹の岩に彫られている。像高316cmの観音立像で、左手に水瓶を持ち、右手は下に下げて指で天衣をつまんでいる。衣紋の表現や二重の瓔珞・両耳の耳飾りは薬師寺聖観音像など天平彫刻に共通する。頭が大きく、4頭身に近い。このような表現は奈良時代の小さな金銅仏によく見かける。
 大きな花崗岩を半肉彫りで量感のある菩薩像を表現する点は韓国石窟庵の十一面観音や狛坂寺跡磨崖仏などに共通する。頭が大きく、4頭身に近い石仏は、慶州拝里三尊石仏や南山七仏庵磨崖仏など韓国(新羅時代)にも見られる。花崗岩という硬い岩を加工する技術から考えて、8世紀から9世紀にかけての新羅からの渡来人の石工によって彫られたものであろう。

 この磨崖仏については、昭和6年建立説がある。村田芳舟という修行僧が、この山の石を切り出していた石工の道具を借りて彫ったものだという説である。しかし、奈良時代の特徴を備えたこの磨崖仏は、私には昭和期に素人の修行僧がつくったものとは思えない。山陽小野田市が「有帆菩提寺山磨崖仏調査委員会」を発足させ、調査が行われたが結論はででいない。この石仏の発見者、山口歴史民俗資料館元館長の内田伸氏は、奈良時代の作とし、如来形の髪や百毫などが村田芳舟の稚拙な改刻としている。(「山口県の石造美術」 マツノ書店)

2018.12.27撮影                  カンムリカイツブリ              大きなため池にて
 今日は、古墳が多く集まった地域の大きなため池に行きました。いつもいるオシドリは3羽ほどしか見られませんでしたが、カンムリカイツブリが2羽いました。1羽は頬や首筋に夏羽の飾り羽の跡が残っていて一部薄茶色で、目の色がオレンジ色です。
ミコアイサの雌と一緒に泳いでいました。
もう1羽は首筋は白く、目が赤いカンムリカイツブリです。
潜った後、頭を低くして泳いでいました。

 
2018.12.26         磨崖仏100選(9)   宮迫東石仏
大分県豊後大野市緒方町久土知71  平安時代後期」
 豊肥本線緒方駅南約2.5q、徒歩30分。近くには豊後のナイアガラとよばれる原尻の滝がある。低い丘陵斜面の東南に彫られた石窟の奥壁に、大日如来と伝えられている如来形座像を中尊として右に不動明王立像、左に持国天像を厚肉彫りする。その左右の壁面に一体は破損しているが、仁王立像の半肉彫り像が刻まれている。
 中尊の如来像は臼杵のホキ阿弥陀像に比肩する巨像であるが、 ホキ阿弥陀如来のような森厳さはなく、茫洋としていて、親しみを覚える。大陸的な風貌で、どことなく東大寺三月堂の梵天像に雰囲気が似ている。 この像は、右手施無畏印、 左手与願印であるから、釈迦如来、または薬師如来か阿弥陀如来と考えられるが、豊後地方では如来形大日と伝えられるものがあり、熊野磨崖仏大日如来、 元町磨崖仏如来形像とともにこの本尊もその一つである。国指定史跡。

 
磨崖仏100選(10)   宮迫西石仏
大分県豊後大野市久士知38 「平安時代後期」
 宮迫東磨崖仏から100mほど離れた小高い丘の中腹の大きな石龕の中に釈迦・阿弥陀・薬師の三如来の丸彫りに近い厚肉彫りがある。いずれも基壇、台座、仏像の三段から構成されている。 いずれも彩色されており、 螺髪は方眼状に刻出されているところなど、やや形式的な作風が見られる。 保存状態は非常によく、仏身や光背に原初の色彩や文様が残っている。国指定史跡。

       
2018.12.26撮影          ミヤマホオジロ♀・シロハラ      地元の山の上の桜園にて
久しぶりに山の上の桜園でミヤマホオジロを見ました。雌と雄がいたのですが、雌しか撮れませんでした。
この桜園でミヤマホオジロ雌を見たのは11月28日以来です。
 シロハラとツグミは冬になるとあちこちで当たり前のように見られる野鳥で撮影する気になれなかったのですが、今年は少なく、撮影する機会はあまりありません。ようやく撮影したシロハラです。

2018.12.25撮影    ムラサキシキブとベニマシコ♀・ジョウビタキ♀    県境近くの山の公園にて
ムラサキシキブの実があちこちに実っていました。その実をベニマシコやジョウビタキやメジロが採食していました。
ベニマシコは近づいても食事に夢中で何枚も撮ることができました。こんなに近くでベニマシコを撮影したのは初めてです。
ベニマシコは雌で雄はいませんでした。
ジョウビタキの雌も薄紫色のムラサキシキブの実を食べていました。

2018.12.24撮影             タヒバリ・イソシギなど               地元の川にて
 チョウゲンボウの撮影を目的で地元の川に行きました、去年まではよくチョウゲンボウを見かけたのですが、今年の秋から冬にかけてはまだ一度しか見かけていません。今日もチョウゲンボウに出会えず、いつもよく見かけるタヒバリなどを撮影しました。川のあちこちでタヒバリは見かけました。
夕方近くになって、陽が低い位置から当たり、タヒバリは赤茶けた色に写りました。
イソシギもこの川ではよく見かけます。
川岸で見かけたイタチです。よくイタチは見かけるのですが、正面から撮影したのは初めてです。

2018.12.23撮影                 オシドリ               地元の山の池にて
地元の山の池へ行きました。ここしばらくは姿を見せなかったオシドリがいました。
水浴びするオシドリ
水に潜った後、羽ばたきをするオシドリ

2018.12.21撮影             ルリビタキ・モズ・シメ         古民家のある公園と山の桜園にて
 古民家のある公園に行きました。野鳥の気配もあまりなく寂しい公園でした。帰ろうとしたときルリビタキの地鳴きが聞こえました。しばらくすると木の葉の間に姿を見せました。しかし、すぐに隠れてしまい、下には降りてきませんでした。
 その後、地元の山の桜園に行きました。ミヤマホオジロは最近は見ることができません、ここも野鳥は少なく、モズとシメを撮影しただけです。モズは若鳥の雌が、可愛い顔をしていました。

2018.12.19撮影                 ルリビタキ              古墳のある公園にて
この日も古墳の空堀にルリビタキは姿を見せました。

 
2018.12.20         磨崖仏100選(8)   菅尾石仏
大分県豊後大野市三重町浅瀬乙黒 「平安時代後期」
薬師如来
千手観音
 豊肥本線菅尾駅の北西1.5q、徒歩20分。小高い山の中腹に覆堂があり、向かって右から千手観音・薬師・阿弥陀・十一面観音と多聞天(これだけ半肉彫り)の五体の磨崖仏が刻まれている。 千手観音から十一面観音までの四像は丸彫りに近い厚肉彫りで、臼杵石仏とならぶ木彫的な藤原調の石仏として知られている。この磨崖仏は昔から「岩権現」といわれており、紀州熊野権現を勧請したもので、四像は熊野権現の本地仏である。国の史跡で重要文化財に指定されている。


2018.12.19撮影            オカヨシガモ・ジョウビタキ♀          古墳のある公園にて
 公園の池にはオカヨシガモが3羽いました。オカヨシガモはこの地方の池に渡ってきますが、数は少なくあまり見かけません。雌はマガモの雌に似ていて黄色い嘴です。
褐色の地味な色ですが、エレガントでシックな鴨です。
風切羽を上げると白と黒、赤褐色の羽がきれいです。
スイカズラの実を銜えたジョウビタキの雌です。

2018.12.18撮影                 ルリビタキ              古墳のある公園にて
  ルリビタキが古墳の空堀付近にいます。今までなかなか現れなかったのですが、最近は頻繁に姿を見せます。今日も、枯れ木や枯れた笹や草の上にとまって楽しませてくれました。

2018.12.18撮影           弁慶ヤマガラ・ベニマシコ          古墳のある公園にて
 オーストンヤマガラに似た弁慶ヤマガラと呼称される赤いヤマガラはまだいます。ヤマガラが好んで食べていたエゴノミはなくなりましたが今でも他のヤマガラと一緒に過ごしていて時々見かけます。
ベニマシコは草むらの中にいてなかなか姿を現してくれませんでした。ようやく撮ったのが草の穂がかぶったこの写真です。

2018.12.17撮影             ニシオジロビタキ       県境近くの大きな池のある自然公園にて
 ニシオジロビタキとキクイタダキの撮影を目的に県境近くの自然公園に行きました。キクイタダキは見ることができませんでしたが、ニシオジロビタキは撮影することができました。
ニシオジロビタキは地面に降りたり、あちこちの木の枝にとまって楽しませてくれました。
陽が直接当たる場所では色合いが少し違いました。

 
2018.12.16         磨崖仏100選(6)   元町磨崖仏
大分県大分市元町2-25 「平安時代後期」
 大分市街の南東部、JR九大線近く、道路に面した通称薬師堂といわれる堂内に、元町磨崖仏がある。元町磨崖仏は三尊形の磨崖仏で、本尊は薬師如来と伝えられる像高が3mを越える如来形座像である。向かって右には多聞天立像、左には不動明王立像と矜羯羅童子とセイタカ童子が刻まれているが、共に首が欠落していて、共に昔の面影はない。
 臼杵石仏と同じく丸彫りといってよいほどの厚肉彫りである。向かって左の頬の下部が現在剥落し、両手首から先も欠失しているが、整った螺髪、伏目て締まった唇、円満相で豊かな頬、厚い胸など定朝形式の木彫仏を思わせる秀作である。若杉慧氏は「石佛のこころ」の中で「石佛の王者」と表現された。
 岩男順氏著「大分の磨崖仏」によれば、この磨崖仏は剥落した部分に鉄釘を打ち込んだ跡や右手首の付け根の鉄芯などから、地石の不足する部分を粘土や別石で仕上げた、塑造・木造・石造彫刻の技法が併用された豊後地方磨崖仏制作技術の自由さをを示す磨崖仏であるという。
 そのせいか、熊野磨崖仏や日石寺不動磨崖仏のように岩を生かし、岩と一体となった美しさに乏しく、私には「石佛の王者」という言葉がこの元町磨崖仏には不似合いなような気がする。しかし、本尊の迫力のある体躯とともに優しい眼差しは魅力的である。

 
磨崖仏100選(7)   高瀬石仏
大分県大分市高瀬910-1 「平安時代後期」
深沙大将
深沙大将・大威徳明王
 高瀬石仏は、霊山の山裾が、大分川の支流、七瀬川に接する丘陵にある石窟仏である。高さ1.8m、幅4.4m、 奥行き1.5mの石窟の奥壁に像高95〜139pの馬頭観音、如意輪観音、大日如来、大威徳明王、深沙大将の5像を厚肉彫りする。赤や青の彩色が鮮やかに残り、馬頭観音や大威徳明王の火炎光背や大日如来の光背の唐草文様などは印象的である。
 中尊は丸彫り近い厚肉彫りで、宝冠をいだいた、法界定印の退蔵界大日如来である。他の4体は半肉彫りで、如意輪観音像の動的な姿態や大威徳明王が乗る牛の体勢など立体的な絵画表現を巧みに行なった秀作である。
 高瀬石仏で最も知られているのが、左端の深沙大将である。赤い頭髪を逆立て、胸に9個の髑髏の首飾りをし、左手に身体に巻き付けた蛇の頭を握る異様な姿は、興味が尽きない。腹部には童女の顔が描かれている。深沙大将は葛城山の護法神で毘沙門天の化身とされ、馬頭観音、如意輪観音、大日如来、大威徳明王、深沙大将の配列は葛城山系の修験道との関連が考えられる。
 これらの諸像は神秘的であるが、表現は穏和で柔らかみがあり、平安時代後期の作と考えられる。

 
2018.12.15         磨崖仏100選(5)   臼杵磨崖仏山王山石仏
大分県臼杵市深田 「平安時代後期」
釈迦如来座像
薬師如来座像
 堂が迫石仏の向かいの山が山王山である。遊歩道は堂が迫石仏からカーブして山王山の山裾を通る。この山裾に通称「隠れ地蔵」と呼ばれる山王山石仏がある。地蔵ではなく一光三尊形式の三体如来像である。中尊は像高約270pで、釈迦如来と伝えられている。(印相は施無畏与願印と思われるので釈迦如来であろう。)丸顔で額は狭く、頸が短く、目鼻口が小さい童顔で、ホキの阿弥陀三尊や堂が迫の第2龕の如来座像の厳しい顔とは対照的である。
 脇侍は向かって右が薬師、左が阿弥陀と称されているが、中尊と同じような印相で区別はつけがたい。薬師像は破損が激しかったが修復された。脇侍の2尊もおだやかな親しみのもてる顔である。


2018.12.15撮影              ジョウビタキ♀・エナガ         古民家のある公園にて

2018.12.14撮影                 ルリビタキ            古墳のある公園にて
  この公園では11月からルリビタキが古墳の空堀付近にいるのですかなかなか姿を見せず、待ちくたびれて今まで撮影したことがありません。今日はポイントへ行くとすぐにあらわれました。しばらく、あちこち移動して、枯れ木や草の上にとまって楽しませてくれました。

 
2018.12.13         磨崖仏100選(4)   臼杵磨崖仏ホキ石仏第一群
大分県臼杵市深田 「平安時代後期〜鎌倉時代」
釈迦如来座像・阿弥陀如来座像・薬師如来座像(第2龕)
地蔵菩薩半跏椅像・十王座像(第4龕)
 ホキ石仏第二群に続いて、ホキ石仏第一群(堂が迫石仏)がある。4つの龕に分かれていて、最初の龕(第4龕)は地蔵十王像を厚肉彫りする。中央の地蔵菩薩は右手は施無畏印、左手に宝珠を持つ古様で、石仏では珍しい右脚を折り曲げ、左足を垂らして座る半跏椅像である。左右に五体づつの十王像は鮮やかな色彩が残っている衣冠束帯の道服の姿で、個性的な怪異な顔が魅力的である。鎌倉時代以降の制作と考えられ。
 次の龕(第3龕)は金剛界大日如来を中心とした龕で、やや硬いいが引き締まった彫りである。
 続く第2龕は堂が迫石仏の中心となる龕で、像高も一番高く、等身大より大きい(釈迦如来座像は2m、他の如来は173〜178p)。制作年代も堂が迫石仏ではもっとも古く、ホキの阿弥陀三尊、古園石仏につく゜。重厚感のある体躯と引き締まった威厳に満ちた顔は貞観仏を彷彿させる。よく見ると、ホキの阿弥陀三尊のような鑿跡の冴えはなく、衣紋は平行状に刻まれていて形式化が目立ち、やや鈍重な印象である。
 一番奥の第1龕も第2龕と同様に阿弥陀・釈迦・薬師の3如来を中心とした石仏群である。


2018.12.10、13撮影                 ヨシガモ           近くのため池にて
 11日行った、ヨシガモがいるため池に行きました。今日は晴れていて、ヨシガモの頭部の緑色は11日の時よりも輝いていました。
ヨシガモの雄の頭部は光が当たる角度によって色彩が変化する玉虫色です。上は雌です。
ヨシガモの雄の頭部の色は光の当たり具合や個別差で様々な色あいになります。

2018.12.12撮影             ミヤマホオジロ・アトリ・エナガ         県境近くの山の公園にて
 ベニマシコとマヒワを目的に県境近くの山の公園に行きました。しかし、どちらも見ることはできませんでした。撮影したのはこの頃地元でよく撮っているミヤマホオジロとアトリ・エナガです。
ミヤマホオジロの雌です。アトリの群れに交ざっていました。
誰かが餌をまいたようで、定期的に多くのアトリが降りてきて餌を啄みます。
エナガ・シジュウカラ・メジロ・コガラの混群を見かけました。その中のエナガです。

2018.12.10、11撮影            ヨシガモ・ミコアイサ           近くのため池にて
 11日の午後、毎年ヨシガモが来るため池に行きました。一週間前は全く鳥の気配のなかった池に、雄雌合わせて12羽ほどのヨシガモがいました。
曇り空のためヨシガモは光沢のある緑色ではなくしぶい緑色です。
 ヨシガモを撮影した後、雌タイプのミコアイサがいるため池に行きました。4日の日は1羽だったミコアイサは10羽に増えています。残念ながらすべて雌タイプです。
 10日も同じ池にミコアイサを写しに行ったのですが、今にも雨が降りそうな天気で暗かったです。上の2枚は10日の撮影です。飛び立つシーンを撮ったのですか、シャッタースピードが遅くぶれた写真になりました。

2018.12.10撮影              ルリビタキ・ジョウビタキ         古民家のある公園にて
この冬初めてルリビタキを撮影できました。
近くにはジョウビタキもいました。

2018.12.9撮影             ミヤマホオジロ・カシラダカ        地元の山の上の桜園にて
 一ヶ月ほど前から、ミヤマホオジロがこの桜園にいます。ただ、11月中は雄雌合わせて3羽から8羽ほど見かけてのですが、12月に入ってからは雄1羽しか見ていません。
集めた枯れ枝の中にミヤマホオジロはいました。
桜園の隣の公園の中にはカシラダカがいました。ヨウコウザクラの木にとまっていました。

 
2018.12.8         磨崖仏100選(3)   臼杵磨崖仏ホキ石仏第二群
大分県臼杵市深田 「平安時代後期」
阿弥陀三尊  
 ホキ石仏第二群は2つの龕に分かれていて、最初の龕は(第2龕)は九品の阿弥陀像である。中心となる第1龕に、古園石仏の大日如来とともに臼杵石仏を代表する「阿弥陀三尊像」がある。2つの龕とも末法思想の流行とともに、来世に阿弥陀の浄土に生まれることを願って像像されたものである。
 第1龕の阿弥陀三尊の阿弥陀如来像は像高3m近い、丈六仏で、臼杵石仏の中では最も大きい像である。丸彫りに近いほど厚肉に彫り出され、衣紋や目鼻など、冴えた鑿あとを残し、木彫仏のような鮮やかさをたたえている。丸顔に、伏目という、いわゆる定朝様式の阿弥陀像で、制作年代は11世紀〜12世紀とされているが、肩から胸にかけて逞しく量感があり、厳しい表情とともに平安前期の様式も残す。脇持の観音・勢至菩薩も2mを越える巨像で苦渋を秘めた強い表情が印象的である。
 下は保存修復工事前の覆堂ができる前の写真で、光が入り、陰影がついて、鑿あとの鋭さがよくわかる。


2018.12.7撮影              イカル・シメ・アトリ    古墳のある公園と丘陵地帯の小さな公園にて
先日シメの群れがいた場所ににイカルがいました。
同じ木にシメもとまって、木の実を食べていました。
丘陵地帯の小さな公園にはフウの木の実を食べにアトリが来ています。

 
2018.12.7         磨崖仏100選(2)   臼杵磨崖仏古園石仏
大分県臼杵市深田 「平安時代後期」
大日如来  
 質・量・規模ともわが国を代表する石仏、「臼杵石仏」は大分県臼杵市深田の丘陵の山裾の谷間の露出した凝灰岩に刻まれた磨崖仏群である。平安後期から鎌倉時代にかけて次々と彫られたもので、谷をめぐって「ホキ石仏第2群」「ホキ石仏第1群」「山王山石仏」「古園石仏」の4カ所にわかれている。とんどが丸彫りに近い厚肉彫りで、鋭い鑿のあとを残す。現在61体の石仏が国宝指定を受けている。  その中でも特に優れているのが、古園石仏の大日如来像とホキ石仏第2群の阿弥陀三尊像である。阿弥陀三尊像は丸顔に、伏目という、いわゆる定朝様式の阿弥陀像で、堂々とした量感あふれる磨崖仏である。古園石仏の大日如来は、「臼杵石仏」の象徴といってよい石仏で、1993年まで転落した頭部が前の石壇に置かれていた。力強く厳しい、気品のある顔が印象的である。
 臼杵石仏の制作者については、真名長者小五郎(炭焼小五郎)が、敏達天皇の時代に、中国から蓮城法師を招いて造顕したという伝説が残っている。もちろん史実とは言い難いが、この伝説のように、この地方に有力豪族が住み、その保護の下、すぐれた僧侶が石仏や寺院を造営したことはまちがいないだろう。
 制作年代については、様々な説があるが、ホキ石仏の阿弥陀三尊像や古園石仏群(古園十三仏)などの様式や堂が迫石仏の上の台地にある、2基の五輪塔の嘉応2年(1170)・承安2年(1172)の紀年銘などから、12世紀頃から制作が始まったと考えられている。
 1980年から1994年までの14年間、保存修復工事が行われ、各磨崖仏群に覆屋も設置された。古園石仏の大日如来も仏頭が元の位置に戻され、造顕当時の荘厳さをうかがわせるようになった。1995年、59体の磨崖仏が石仏としてはわが国ではじめて「国宝」の指定を受けた。(2体の金剛力士立像が国宝に追加され現在は国宝は61体)

 山王山石仏から山腹に沿ってしばらく下るから山腹に沿ってしばらく下ると、日吉神社の参道に出る、その参道を横切り、右手にすすむと、臼杵石仏の白眉といえる古園石仏がある。
 「古園十三仏」と呼ばれるように、像高3m近い金剛界大日如来を中心にして左右に各六体の如来・菩薩・明王・天部像の計十三体を、浅く彫りくぼめた龕の中に、厚肉彫りしたものである。もろい凝灰岩に丸彫りに近く彫りだしたため、甚だしく風化・破損して、下半身はほとんどの石仏が下半身を剥落していて、大日如来をはじめとして如来はすべて首が落ちていた。(現在は修復され、仏頭は元に戻された。)
 臼杵石仏のシンボル的存在である大日如来の頭部は、彩色が残り、新月形の長い眉、ややつり上がった眼、引き締まった口など、端正で威厳に満ちた表情で、豊かな頬から顎にかけての肉取りとともに、見るわれわれを圧倒する。宝冠を欠損するが一部を残した宝髪と冠紐の鮮やかな色が全体を引き締めている。
 修復された大日如来は、頭部が下に置かれていた時と比べると、下から見上げるせいか、貞観仏を思わせる厳しさはやや薄まり、藤原仏らしい優雅を見せていてる。


2018.12.5撮影                  オシドリ              大きなため池にて
 今日は、古墳が多く集まった地域の大きなため池に行きました。池の奥の木や草の茂った岸にいつもオシドリがいるのですが、今日はマガモやオナガガモなどがいて賑やかでした。
オシドリの羽ばたきを撮ろうとしていたのですが、マガモしか羽ばたいてくれませんでした。

 
2018.12.5         磨崖仏100選(1)   熊野磨崖仏
大分県豊後高田市平野 「平安時代後期」
大日如来 
 鬼が一晩で造ったという、大小不揃いの石が積まれた急な階段を、息を切らして登ぼり切り、そそり立つ崖に、熊野磨崖仏を見た時の感動は今も忘れられない。有終の彼方を見つめるような厳しい凄みを感じさせる目つきの大日如来がまるで岩そのもののであるかのように、迫ってくるのである。ここでは、岩は仏をあらわすための素材ではない。岩そのもののが仏であり、岩に対する信仰がそのまま仏に対する信仰なのである。
 奈良の寺院の天平彫刻や鎌倉彫刻をを見慣れていた私は、「臼杵磨崖仏や大谷寺磨崖仏などか石仏の傑作である。」と思っていた。そして、日本の石仏は、木彫仏や銅像、塑像、乾漆像に比べれば造形美としては一段劣ったものであると認識していた。しかし、この熊野磨崖仏を見たとき、私のそのような認識はどこかに吹き飛んでしまった。
 天平彫刻や飛鳥彫刻のフォルムの素晴らしさと深い精神性は比類ないものであろう。しかし、熊野磨崖仏に代表される、岩(石)の持つ美しさ・厳しさと人々の信仰心が結びついた、磨崖仏・石仏の造形美も、見直す必要があるのではないだろうか。
 私が石仏(特に磨崖仏)に興味を持ち、全国の石仏まわり、写真を撮るようになったのは、40年ほど前に、この熊野磨崖仏を見て以降である。そこで、この熊野磨崖仏を最初に、今まで全国を回り、撮影してきた磨崖仏を100体選んでアップロードすることにした。岩の持つ美しさ・厳しさと人々の信仰心が結びついた、磨崖仏の造形美をお楽しみください。

 熊野磨崖仏大日如来像はわが国の第一級の巨像で、顔は大きく、鮮明な半肉彫りである。腹部以下は刻み出されていない。(崩れてなくなったという説もある。)大日如来は通常の大日如来に見られない螺髪である。有終の彼方を見つめるような厳しい目つきで、凄みを感じさせる磨崖仏である。岩と一体となった表現は臼杵磨崖仏とはまた、違った意味で日本を代表する磨崖仏といえる。
 大日如来の頭上に、両界種子曼陀羅が刻まれていて、この曼陀羅と不動明王で、熊野山・金峯寺・大峰山を表し、熊野三山信仰を具体的に彫像で表現したものである。
 大日如来像は像高約約7mで像高8mの不動明王像とともに熊野磨崖仏として国の史跡及び重要文化財に指定されている。

不動明王 
 大小不揃いの石が積まれた急な階段を登り切った所でまず目に入るのがこの不動明王像である。高さ8m、厚肉彫りの磨崖仏としては我が国最大のもので、思わず息をのむほど大きい。円く頭髪を結び、編んだ髪を左肩に垂らし、両頬がふくれ、球形に目が飛び出した顔で、右手に剣を構えた姿はおおらかで悠然たる姿の磨崖仏である。

2018.12.4撮影           ミコアイサ・キンクロハジロ        近くのため池にて
ミコアイサの雌タイプがいる近くのため池に行きました。
頭を掻くミコアイサ雌タイプです。
潜ったり、羽づくろいをしたりいろいろな動作をしました。羽づくろいの後は大きく羽ばたきました。
手前はキンクロハジロです。

2018.12.2・3撮影            シメ・ミヤマホオジロ      古墳のある公園と地元の山の上の桜園にて
 12月2日は古墳のある公園に行きました。ルリビタキの雄と雌、弁慶ヤマガラを見たのですが、証拠写真も撮れませんでした。結局、撮ったのはシメ・アオジなどです。
今は、シメは群れで行動しています。今日見たのは5羽ほどの小群でした。
3日は山の上の桜園に行きました。桜園にもシメの群れが来ていました。20羽ほどの大きな群れです。
シメの群れは高い桜の枝にとまりました。
1羽しか見られませんでしたが、5日ぶりのミヤマホオジロです。

11月 1月