薩摩の田の神さあ5
(薩摩川内市 川内市2)
 JR川内駅や市役所のある市の中心部から西の川内川右岸の水引小学校区は、陽成小学校区とともに一石双対浮き彫り像の「道祖神的並立型」の田の神像が集中している地域で14体確認されている。その中で最も古い像が水引町湯原の田の神像で寛保3(1743)の刻銘がある。他に大正時代の男女並立型浮き彫り田の神像が6体ある。「網津の田の神」「江ノ口の田の神」「月屋の田の神1」などがそれで湯島町の石工、江畑重助の作と伝えられている。水引小学校区の「井上の田の神」は一石双体の丸彫りの田の神像である。水引小学校区の隣の亀山小学校区の「宮内橋の田の神」も「道祖神的並立型」の田の神で文化14(1817)年の刻銘がある。

 「道祖神的並立型」の田の神以外では「川内歴史資料館の田の神」「中郷の田の神」「宮里の田の神」「小倉の田の神」などを紹介する。



宮内橋の田の神
鹿児島県薩摩川内市宮内町2003
 「宮内橋の田の神」は薩摩川内市の道祖神的並立型の田の神を代表する一つである。高さ95p、幅90pの四角形の石に四角形の彫り窪みをつくり、袴姿で大きなメシゲを捻るように持った像(右)と着物姿のメシゲとスリコギを持った像(左)を浮き彫りにしたものである。背面に「奉造立文化十四丁丑三月」の紀年銘がある。



井上の田の神
鹿児島県薩摩川内市網津町井上 「天保11年(1840)」
 網津町にある「井上の田の神」は台石でつながった一石双体の丸彫りの田の神である。シキを被って両手でメシゲを持った像(左像・女神)と袴姿でスリコギと椀を持った像(右像・男神)である。残念なことに男神の頭部は欠損している。天保11(1840)年の刻銘がある。



草道上の田の神
鹿児島県薩摩川内市水引町草道上
 「草道上の田の神」は水引小学校の北にある美容院の横の空き地の奥にある。大きな自然石の一面を平らにして矩形の枠をつくりその中を彫り込み並立する二神を半肉彫りしたもので、上の枠には、日と月が彫られている。向かって右の像は帽子をかぶり両手で杵を持ち、左の神はシキをかぶり両手でメシゲを持つ。両神とも袴をはいた道祖神的並立型の田の神である。



江ノ口の田の神
鹿児島県薩摩川内市港町江ノ口 「大正10(1921)年」
 『川内の田の神』(川内歴史資料館刊)では「岩下橋付近の田の神」としている田の神である。岩下橋から北170mも離れた場所にあるためこのあたりの地名をとって「江ノ口の田の神」とした。着物姿の像で、山形の石材に矩形のほりくぼみをつくり二神を板彫り風に浮き彫りにした道祖神的並立型の田の神である。右が陣笠のような帽子をかぶった両手キネ持ち像、左がシキを被りメシゲと握り飯を持った像である。側面に「下網津青年団建立」「大正十年旧十月丑日」の刻銘がある。湯島町の石工、江畑重助の作と伝えられている像である。



月屋の田の神1
鹿児島県薩摩川内市水引町月屋   「大正15(1926)年」
 月屋は月屋山の東の家屋が散在する谷沿いの水田地帯で2体の田の神があ。そのうちの1体の「月屋の田の神1」は「星のキッチン」というレストランの北東100mの水田地帯のはずれ藪の中にある。高さ73p、幅29p、奥行28pの石材に矩形の彫り窪みをつくり二神を浮き彫りにした道祖神的並立型の田の神である。右が笠のような帽子をかぶった両手キネ持ち像、左がシキを被りメシゲを両手で持った像である。「大正十五年旧十月」「西水引村月屋上組」の刻銘がある。この像も江畑重助の作と伝えられている。



 
月屋の田の神2
鹿児島県薩摩川内市水引町月屋
 「月屋の田の神2」はレストラン「星のキッチン」の入口付近の畑の中にある。(撮影したときはレストランはなく、現在、田の神の背後の林の中にレストランは立っている。)高さ65p、幅40p、奥行き20pの将棋の駒状の石材に、縦長の矩形の彫りくぼみを2つつくり、その中に男神・女神をそれぞれ浮き彫りにした田の神像である。向かって右の男神像は陣笠のようなものを被り、袴姿で両手でキネを持って俵の上に立つ。左の女神像はシキを被り、両手でメシゲを持ち、蓮台の上に立つ。刻銘はないが、「江ノ口の田の神」や「月屋の田の神1」とよく似た造形である。



網津(おうづ)の田の神
鹿児島県薩摩川内市網津町4397-1 「大正3(1914)年」
 網津集会所の盛土の一部を削りコンクリートで固めて、盛土の下にあったこの「網津の田の神」像と排水復旧記念碑を安置している。逆U字型に加工した石に枠を彫り窪みをつくり、陣笠のようなものを被った両手でキネを持った像(左)と陣笠のような形のシキor帽子をかぶったメシゲとお握りを持った像(右)を半肉彫りしたもので、こけしのような風情がある田の神である。大正3年の江畑重助の作いわれている。



小倉の田の神
鹿児島県薩摩川内市小倉町小倉
 「小倉の田の神」は小倉町の南端、川内川沿いにある消防局の機材倉庫の近くの三差路の横に耕地整理記念碑とともに置かれている。高さ128pの丸彫り像で右手でメシゲ、左手で椀を持ち長袖の着物を着た農民型の田の神である。藁苞が3つ掛けられていて全身を写せなかった。



川底中の田の神
鹿児島県薩摩川内市小倉町川底
 薩摩川内市小倉町は川内川に流れ込む小倉川に沿って南北に6qつづく細長い地域である。その中ほどの水田地帯の小倉町川底の道路沿いに自然石文字彫りの田の神と並んで「川底中の田の神」がある。矩形の石材に田の神像を厚肉で彫り出している。シキをかぶった3頭身の像で右手に持つメシゲは体躯と同じ大きさで、左手に持つお握りはソフトボールのような大きさであ。3頭身のため子供のようにも見えるが、女性像型の田の神のようである。



               
宮里の田の神
鹿児島県薩摩川内市宮里町808
 宮里体育館の東の畑作地に4体の田の神がある。明治末期の耕地整理の際に周辺の「堀ノ内」「川畑」「植松」の3つの集落の田の神像が集められたもので、薩摩川内市指定文化財になっている。
 
宮里の田の神T
「文化13年(1816)」
 4体の田の神像の中で最も優れて個性的な田の神が向かって右端にある像である。高さ128p、幅56pの丸彫りの田の神像で、背後に支え石が彫り残され補強されている。笠orシキは陣笠状で顎紐を結んでいる。右手に大きなメシゲを立てて持ち、左手に椀を持ち、袖の長い上衣に裁着け袴を着た農民型の立像の田の神である。大きな笠orシキとメシゲ、細長い体など形態の面白さが魅力である。訪れた時には口元が赤く彩色されていた。堀ノ内所有の田の神。台石に「文化十三年 奉造立 申寅三月吉日」の刻銘がある。
 
宮里の田の神2
 右から二つ目の田の神は彫り像でもとは川畑所有の田の神である。高さ137p、幅70pの山形の自然石の前面の下半分に彫り窪みをつくりシキをかぶり両手でメシゲを持った像とシキを被った持ち物不明の像を浮き彫りにした田の神像である。訪れた時は顔は白塗り、目は黒点、口は赤く化粧されていた。
 
宮里の田の神3
 右から三つ目の田の神は、上に突起のある高さ120p、幅53pの自然石の前面に上部をシキとして残し、メシゲらしきものと椀を持った農民風の像を厚肉彫りした田の神像である。メシゲを持っていると思われる右手は破損しいる。もとは植松所有の田の神である。訪れた時は口元が赤く彩色されていた。
 
宮里の田の神4
「文化13年(1816)」
 左端にある田の神ももとは植松所有の田の神である。高さ65p、35pの丸彫り像の田の神で大きなシキ(前面は破損)をかぶり右手にメシゲ、左手にスリコギを持った膝を立てた中腰の田の神像である。訪れた時は顔は白塗り、目は黒点、口は赤く化粧されていた。



           
川内歴史資料館の田の神
鹿児島県薩摩川内市中郷2-2-6
 薩摩川内市立川内歴史資料館の庭には3体の田の神像が並んで展示されている。これらの像は薩摩川内市平佐町の中ノ原地区から寄贈されたものである。かっては中ノ原公民館の中庭に安置されいた。
 
川内歴史資料館の田の神T
「文化2年(1805)」
 中央の一体は船型石材に深い船型の彫り窪みをつくって、神官(神職)型立像を厚肉彫りした田の神像である。
 着物を着て、右手にメシゲを持って、冠をかぶった神官型立像という珍しい田の神像で、神像というより神職像と言える庶民的な雰囲気の像である。冠をとめる簪が大きく表現されているため、頭に十字架をつけているように見える。「文化二年 丑 十月十日」の刻銘がある。 
 
川内歴史資料館の田の神2
 向かって左の田の神像で像高46pの丸彫り像の田の神である。大きなシキをかぶり右手にメシゲ(左手の持ち物は不明)を持って中腰で立つ、袴をはいた農民型の田の神像である。袴の下から小さな足が見える。
 
川内歴史資料館の田の神3
 向かって右の田の神像も丸彫りの農民型の田の神で像高は66pでシキをかぶり、両手でメシゲを持った田の神である。左の田の神と同じく素朴な表現の像であるが、顔も衣装も平板で弱弱しい感じがする。



中郷の田の神
鹿児島県薩摩川内市中郷2丁目14  「昭和4年(1929)」
 火扇公園にある「中郷の田の神」は高さ140p、幅100p、奥行き130pの大きな自然石に舟形の彫り窪みをつくり、その中にかがみ込むようにして右手にメシゲをかかげ、椀を左手に持った像を半肉彫りした像である。やや稚拙であるが白、赤、黒、黄色で化粧されている。『川内の田の神』(川内歴史資料館刊)では女性像型としている。



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