薩摩の田の神さあ4
(薩摩川内市 川内市1)
 薩摩川内市は、平成16年、川内市と薩摩郡の樋脇町、東郷町、入来町、祁答院町などの1市4町4村が合併して誕生した。「薩摩の田の神さあ4と5」は平成の大合併前の川内市の田の神のページとなる。川内市の田の神では、旧川内市は道祖神のように男女二神を並立して一石の前面を枠を作り浮き彫りにした男女並立型浮き彫り像の田の神像(道祖神的並立型)が多くある。

 この道祖神的並立型の田の神は川内市と隣の串木野市に限られていてこの地方独自のものである。両市で44基確認されている(川内歴史資料館「川内の田の神」参照)。一石双対浮き彫り像の道祖神的並立型の田の神像は烏帽子被り袴着けが男像、シキ被り着流しが女像が一般的であるが、持ち物は杵・メシゲ・扇子・おにぎり・振り鈴などいろいろあり、複雑な変化が見られる。「薩摩の田の神さあ4」では旧川内市の北部の薩摩川内市陽成町などの道祖神的並立型の田の神と旧川内市の東部の田の神像と大黒天を融合させた大黒天型を中心に紹介する。



本川白谷の田の神
鹿児島県薩摩川内市陽成町本川
 薩摩川内市陽成町は川内川の支流麦之浦川の谷沿いの南北約8qにわたる細長い地域で、谷沿いの小さな集落や道沿いに一石双対浮き彫り像(道祖神的並立型の田の神像)が多くみられる。

 陽成町の一番南にある一石双対浮き彫り像の田の神は「本川白谷の田の神」で高さ94p、幅90p、奥行き53pの石材に上をドーム状にした方形の彫り窪みをつくって、男女の神を半肉彫りした田の神像である。向かって左の男像は烏帽子・裃袴姿で扇子と椀を持ち、向かって右の女像はシキを被り着物姿で両手でメシゲを持つ。明治の初期頃、盗んできた田の神像ということである。



柿田橋の田の神
鹿児島県薩摩川内市陽成町本川
 本川のもう一体の一石双対浮き彫り像の田の神は麦之浦川にかかる柿田橋付近にある「柿田橋の田の神」である。一條殿の田の神などの陽成町の一石双体像の田の神と比べればやや小型で、高さ63p、幅90p、奥行き53pの方形の石材に枠を設けて、2神を浮き彫りにする。向かって左の女像は笠状のシキを被り、着物を着て両手でメシゲを持つ。右の男像は烏帽子をかぶり裃・袴姿で、右手に扇子、左手に握り飯を持つ。像の上部に日と月が彫られている。

 この一石双対浮き彫り像の横には杵と握り飯を持った田の神が置かれている。持ち回りの田の神だったもので「嘉永五年(1852)」の紀年銘がある。



一条殿(いちじょうでん)の田の神
鹿児島県薩摩川内市陽成町一条殿 「天保12年(1841)」
 一石双体の男女並立の田の神像の最も古い作例は、薩摩川内市水引町の「湯原の田の神」で寛保3(1743)の紀年銘がある。それ以外で18世紀の作例は見られない。私の見た一石双体田の神像では文化141817)年の「宮内橋の田の神」が次に古い作例である。天保年間の田の神はかなり見られ、薩摩川内市陽成町には天保12年(1841)の刻銘を持つよく似た表現の一石双体田の神像が3体ある。この「一条殿の田の神」と「宮田橋の田の神」・「中麦の田の神」である。

 「一条殿の田の神」は先を三角形にした高さ118p横101pの五角形の板状の石材に窪みをつくり、その中に右に陣笠のようなものを被り、裃・袴姿で右手にスリコギを持つ男神とシキをかぶり右手でメシゲを持つ女神を浮き彫りしたものである。深い窪みに浮き出すような彫りであるが、「本川白谷の田の神」のような立体感はなく絵画的な表現に特色があり、絵馬のように見える。



中麦の田の神
鹿児島県薩摩川内市陽成町中麦 「天保12年(1841)」
 「中麦の田の神」は「一条殿の田の神」とよく似た男女二神並立の田の神像である。高さ105cm、幅87cm、幅42cmの駒形にした石材に駒形の彫くぼみを作り、左にシキを被っ被り着物てメシゲを持った女神と陣笠を被ったきねを持った袴姿の男神を板状に浮き彫りにしたものである。像の脇にイボタノキが植えられていて、近所の人が娘の良縁を願って植えたという。



宮田橋の田の神
鹿児島県薩摩川内市陽成町中麦 「天保12年(1841)」
 石材は四角形であるが、一条殿の田の神とほぼよく似た表現の男女並立型浮き彫り像である。



 
春花(はるけ)橋付近の田の神
鹿児島県薩摩川内市陽成町春花  
 「春花橋付近の田の神」は春花橋付近の民家へ続く道の近くの斜面に祀られている。高さ60pほどの丸彫りの女子像型の田の神像で、椅子のようなものに腰掛けている。日本髪姿で着物を着て、右手にメシゲを持っている。おでこが広く小さな目でおちょぼ口の可愛い姿の田の神像である。



春花田の田の神
鹿児島県薩摩川内市城上町上塚
 薩摩川内市城上町上塚の交差点近くには周辺にあった田の神が多数集められている。そのうちの一つの「春花田の田の神」は高さ1m近い自然石に彫り窪みをつくり、そこにメシゲと握り飯、スリコギと握り飯を持った2体の像を並立して浮き彫りしたもので、シキを笠状と円形光背状に組み合わせた独特の表現となっている。



       
小川路の田の神
鹿児島県薩摩川内市城上町上塚
 「小川路の田の神」の2体は「春花田の田の神」と同じく薩摩川内市城上町上塚の交差点近くに集められた田の神である。この2体の田の神は持ち回りの田の神で2体並立で祀られていたものである。
 
小川路の田の神T
 大黒天像そのものを田の神としたものである。大黒天は音韻や容姿の類似から大国主命と重ねて受け入れられるとともに、農村では豊作の神として信仰を深めていく、そのため田の神信仰は西日本では大黒天と結びついていった。田の神像の中にも、田の神像と大黒天を融合させた像が生まれていく。それらの像は小槌の代わりにメシゲを持ったり、袋の代わりに稲穂を背負ったりしていて、大黒天そのものを田の神像としているのは珍しい。像高は23pの小型の像で大国頭巾をかぶり小槌を持ち袋を担いで米俵ににのる典型的な大国天像である。
 
小川路の田の神U
 「小川路の田の神T」より像高は高い34pで四角い帽子のようなものをかぶり、右手にメシゲを左手にスリコギを持つて袴姿で基壇の上に立つ。



楠元下の田の神
鹿児島県薩摩川内市楠元町  「万延元年(1860)」
 川内市楠元町の県道394号線の道沿いにある大きな耕地整理記念碑の近くに阿弥陀石仏とともにまつられている。大黒天融合型の田の神であるが、大黒天の面影はない。大黒天との共通点は俵に乗ることと小槌を持ている点だけである。高さ190pの角柱に上部を花頭窓にした深い彫り窪みをつくり、ナポレオン帽のような帽子をかぶり右手にメシゲを左手に小槌を持ち米俵の上に立つ他の神像を半肉彫りしたもので、見事に化粧されている。像の左右に「萬延元年庚申十月廿六日献元之」の銘がある。



中村神社の田の神
鹿児島県薩摩川内市中村町飯母
 中村町飯母の中村神社は山の麓にある小さな神社で、赤い鳥居が道沿いに立っている。その鳥居から少し離れた道沿いの斜面に「中村神社の田の神」がある。「楠元下の田の神」と同じ大黒天融合型の田の神である。像高55pの丸彫り像でシキをかぶり右手で小槌を左手でメシゲを顔の横に掲げ、横に並べた4個の米俵の上に立つ。



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