薩摩の田の神さあ3
(薩摩川内市 入来町2・祁答院町・樋脇町)
 薩摩川内市入来町には、入来地方石碑型以外では女子像型としてよく知られている「下手の田の神」や県指定有形民俗文化財の地蔵型の田の神の「仲組の田の神」、大きな笠状のシキを被った「池頭の田の神」などがよく知られた田の神である。

 入来町の東の薩摩川内市祁答院町の田の神として見事に化粧(彩色)された田の神「菊池田の田の神」・「轟の田の神」・「真頃尾の田の神」などを紹介する。入来町の西の薩摩川内市樋脇町の田の神として入来町の「池頭の田の神」とそっくりの「祢地山の田ノ神」と鎧甲を着けた武人の田の神の「本庵の田の神」を紹介する。



下手の田の神
鹿児島県薩摩川内市入来町副田下手
 薩摩川内市入来町副田の「下手の田の神」は立像丸彫りの女人像の田の神で、元禄袖の長衣を着流し、頭巾風に垂らしてシキをかぶっている。右手で手鏡のようにメシゲを持ち、左の袖から可愛い手が少し見える。たおやかな若い女性を表した女人像の田の神の秀作である。別石の台石には「大正15(1926)年」と刻むがこれは新しく石台をつくったときのものと思われ、もっと古いものではないだろうか。



中組の田の神
鹿児島県薩摩川内市入来町副田 「宝永八年(1711)」
 最も古い紀年銘を持つ田の神は「宝永2(1705)年」の「紫尾の田の神」である。それに次ぐのが「宝永8(1711)年」の紀年銘のあるこの「中組の田の神」である。ともに仏像型の田の神である。

 「中組の田の神」は、背中を曲げた立像で、地蔵のような姿の田の神像である。僧侶の衣装をつけた立像で,頭巾(ずきん)を肩までかぶいる。地蔵を表す梵字のカが「田神大明神」などと共に台石に刻まれていて、地蔵を本地として田の神にしたもので、仏像型田の神の典型である。紫尾の田の神もこれに似た田の神像であるが頭部が欠けている。県の有形民俗文化財に指定されている。



池頭の田の神(竹原田の田の神)
鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名 池頭 
 「池頭の田の神」は異常に大きな笠状のシキを被った田の神で、水田の中の小さな丘に立つ。袖のついた上衣に裁着け袴で、右足を一歩、前に踏み出して歩く姿を表している。右手にメシゲを下にして持ち、左手は腰に当てている。村々をまわる僧をモデルにした僧型立像の田の神と思われ縷々。頬が膨れた庶民的な顔や大きな笠状のシキ、前へ振りかざすような大きなメシゲなど誇張された表現がこの田の神の魅力である。2回目に訪れた時は「竹原田(たこいだ)の田の神」の案内板が立っていた。



松下田の田の神
鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名 松下田  「元文2年(1737)」」
 「松下田の田の神」は元文2年(1737)の作で、大きなドーム状のシキをかぶり、裁着け袴をはき右手で軍配のようなメシゲをかかげ、左手を腰に置いている。支え石があり、横から見るとと腰掛けているように見える。シキの前の部分か欠けていて日差しがまぶしそうである。
 横に立つ案内板には「(前略)シキをかぶり、袴の裾を引きしぼり、メシゲを持つという型の田の神像としては、入来で最初に現れたものです。これを後から見てください。男茎型ですが、これは生殖と増産とが結びついた古代以来の信仰を現わしているのです。」と書かれていた。



轟の田の神
鹿児島県薩摩川内市祁答院町下手 「寛政三(1791)年」
 「轟の田の神」は川内市祁答院町下手の轟地区コミュニティセンターの西の久富木川沿いの水田地帯の農道の傍にある。頭の光背のように被るシキはそのままに背石となっていて背面を厚く覆い、丸彫りに近い半浮き彫りの田の神像である。大きな袖の上衣と裁着け袴で腰掛けるている。右手でメシゲを持ち、左手は指で輪を作っていたとのことですが訪れた時は左手の先は欠損していた。

 さつま町などに見られる僧型腰掛け型の田の神と思われるが庶民的な笑いを含んだ顔と胸をはだけ姿は僧と言うより農民そのものである。石の量感さを活かした重厚で力強い表現がこの田の神の魅力である。2回目に訪れたときは赤と白で鮮やかに化粧されていた。ただ、ゴールデンボンバーの樽美酒研二のような白塗りの顔はいただけない。



 
菊池田の田の神
鹿児島県薩摩川内市祁答院町下手 菊池田  
 「菊池田の田の神」も轟の田の神と同じ久富木川沿いの水田地帯の農道の傍にある。直方体の石材にシキを被り、メシゲと椀を持った田の神を表面いっぱいに半肉彫りした田の神で、屈んでいるor腰かけている下肢は小さく表していて逆三角形の体形になっている。赤と白の鮮やか彩色と田の神にまとまりついた高フ木と、周りの田んぼが見事に調和していて映える写真が撮れる。




 上仕明の田の神
鹿児島県薩摩川内市答院町下手 上仕明 
 「上仕明の田の神」は川内市祁答院町下手の轟地区コミュニティセンターの東の久富木川沿いの水田地帯の東端の道端にある。船型の自然石に船形の彫くぼみを作りその中に頭巾のようにも見えるシキを被った田の神像を半肉彫りする。摩滅が大きいが恵比寿or大黒天のようにふくらんだ頬に特徴がある。唇だけ赤く彩色していた。小槌を持たないか大黒天のようにも見える。



 真頃尾(まころべ)の田の神
鹿児島県薩摩川内市答院町下手 真頃尾
 地元の農産物や特産物の販売所「祁答院ロード51」の東50m、道沿いに南の田んぼに向かって「真頃尾の田の神」が立っている。矩形の石材に船形の深い彫くぼみをつくりシキを被り右手にメシゲを持ち、左手の指を輪組にして屈んで田の神舞を踊る田の神像を浮き彫りにしたもので、赤・白・紺色で鮮やかに化粧(彩色)されている。



 麓東の田の神
鹿児島県薩摩川内市祁答院町藺牟田 麓東
 「麓東の田の神」は藺牟田池の東北にある麓集落の東の藺牟田池神への入り口の道付近の藺牟田構造改善記念碑の礎石の上に石に挟まれるように置かれている田の神である。シキをフードのように被り、右手でメシゲをかかげ、左手で飯を山盛りにした椀を抱え込むように持った丸彫りの田の神である。屈むようにして田の神舞を踊る田の神像と思われるが、尻は下の石についていて、座り込んでいるようにしか見えない。



 袮地山(ねじやま)の田の神
鹿児島県薩摩川内市樋脇町塔之原 祢地山 「寛政二年(1790)」
 薩摩川内市樋脇町塔之原の町を流れる樋脇の北に広い水田地帯が広がっている、その水田地帯の北の端、祢地山集落の道路沿いに水田地帯を見下ろすように「袮地山の田の神」が立っている。入来町の「池頭の田の神」とよく似た大きな笠状のシキを被った袖のついた上衣に裁着け袴の田の神像である。右手にメシゲを掲げて持ち、左手に閉じた扇子を持つ。この点は「池頭の田の神」とは違っている。後姿は「松下田の田の神」などと同じように陽石になっている。市の民俗資料有形文化財に指定されていて、「寛政二年 戌四月八日」の紀年銘がある。



 本庵(もとあん)の田の神
鹿児島県薩摩川内市樋脇町塔之原 本庵 「正徳4年(1714)」
 「本庵の田の神」は薩摩川内市樋脇町塔之原本庵の樋脇川沿いの丘陵地にある明寶山玉渕寺跡にある。鎧甲を着けた武人の珍しい田の神である。持ち物は破損していてわからないが、左手に杖状のもの(鉾?)を持ち右手に宝棒のような物をもつ。右手の持ち物は見ようによればメシゲにも見え、メシゲとすればはじめから田の神として作られたものといえるが、おそらく寺院跡にあることから、もとは広目天や持国天などの天部像であったことが窺える。市の民俗資料有形文化財に指定されていて、正徳4年(1714)の紀年銘がある。



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