薩摩の田の神さあ2
(薩摩川内市入来町1)
 入来町には自然石または石碑状の加工石に舟形や四角形の彫りくぼみを作り、右手にメシゲ、左手に閉じた扇子を持つ裁着け袴をはいた農民風の田の神を浮き彫りする田の神像が集中してみられる(入来地方石碑型)。このうち、年代の古いのは「栗下の田の神」で明和6年(1769)で明和7年(1770)の「鹿子田の田の神」がそれに続く。ここではこの2体とともに「山口の田の神」など計7体の入来地方石碑型を紹介します。



栗下の田の神
鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名 栗下 「明和6年(1769)」
 「栗下の田の神」は高さ1mを超える上部を斜めにした大きな板状の石材に、深い枠窓をつくり、右手にメシゲ、左手に閉じた扇子を持つ農民風の田の神を半肉彫りしたもので、「鹿子田の田の神」より古い「明和6年(1769)」紀年銘を持つ。「鹿子田の田の神」より摩滅がすすんでいるが、化粧(彩色)されていて摩滅していることがわからない。おじさん風の軽妙な化粧で、化粧した人のセンスが光る像である。



 
鹿子田の田の神
鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名鹿子田   「明和8(1771)年」
 薩摩川内市の入来町には自然石または石碑状の加工石に舟形や四角形の彫りくぼみを作り、右手にメシゲ、左手に閉じた扇子を持つ農民風の田の神を浮き彫りする田の神像が集中してみられる(入来地方石碑型)。「鹿子田の田の神」は、それらの田の神像の中でも二番目に古い「明和8(1771)年」の紀年銘を持つ。入来町浦之名鹿子田の集落のはずれにある墓地のはずれに、水田に向かって立っている。山形の自然石の表面を平らにして上部を角を丸みをつけた凸形にした矩形の彫くぼみを作って、その中に帽子風のシキをかぶり、袖のない仕事着に、裁着け袴をはく素朴な趣の田の神である。



中須の田の神
薩摩川内市入来町浦之名日ノ丸   「明治2(1869)年」
  「中須の田の神」は国道328号線の「日ノ丸」交差点の東150mの石垣で固められた水田の石垣に安置されている。「中須の田の神」は「鹿子田の田の神」と類似した像で、鹿子田の田の神を参照して造立されたものと思われる。明治2(1869)年の紀年銘がある。矩形の自然石の表面を平らにして上部を角を丸みをつけた凸形にした矩形の彫くぼみを作って、その中に「鹿子田の田の神」と同じ右手にメシゲ、左手に閉じた扇子を持ち、袖のない仕事着に、裁着け袴をはく農民風の像を浮き彫りした田の神像である。ただ、「鹿子田の田の神」と比べると立体感に乏しく、迫力を欠く。



堂園の田の神
鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名堂園「天保七年(1836)」
 堂園の田の神も、右手にメシゲ、左手に閉じた扇子を持つ農民風の入来地方石碑型田の神である。他の入来地方石碑型田の神と違って陣笠のようなシキをかぶった細長い顔の田の神像である。



山口の田の神
鹿児島県薩摩川内市入来町副田山口
 薩摩川内市入来町には自然石に舟形や四角形の彫りくぼみを作り、右手にメシゲ、左手に閉じた扇子を持つ農民風の像を浮き彫りする田の神が多くある(入来地方石碑型)。「鹿子田の田の神」や「栗下の田の神」などが入来地方石碑型の典型で1771年と17769年の明和年間の作である。「山口の田の神」も入来地方石碑型の田の神で、被っているシキがおかっぱ頭のようになっていて、かわいい女の子に見える秀作である。



 
市野々の田の神
薩摩川内市入来町浦之名市野々
 市野々の田の神は他の2体と100mほど東に離れた民家の石垣にある田の神像(「市野々の田の神T」)と、県道沿いにある2体の田の神のうち左側の田の神が(市野々の田の神V)が古く、共に文化五年(1808)の紀年銘を持つ。「市野々の田の神V」は摩滅がひどく、顔の表情はわかりにくい。右側の田の神(「市野々の田の神U」)は大正八年(1919)に新しく作られたもので、団子鼻で土偶のようなプリミティブな表現の田の神である。「市野々の田の神T」に表現がよく似ている。
 
市野々の田の神T
「文化五年(1808)」
 
市野々の田の神U
「文化五年(1808)」 
 
市野々の田の神V
「大正八年(1919)」 



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