| 薩摩の田の神さあ1 (さつま町) |
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| 鹿児島県の中北部に位置するさつま町には、あまり知られていないがシキを被りメシゲを持った田の神の中でありながら端正な姿で静かに立つ「山崎麓の田の神」や美しく気品ある顔や姿の女子像型の田の神の「下狩宿の田の神」など優れた田の神像がある。また、「下狩宿の田の神」以外にも「大角の田の神」などの女子像型の田の神や角髪(みずら)のような髪型をしていて、古事記などに登場する神か、仙人を思わせる田の神像の「時吉の田の神」などユニークで珍しい田の神があり、是非とも田の神探訪に訪れてほしい場所の1つである。 |
| 山崎麓の田の神 |
| 鹿児島県薩摩郡さつま町山崎上 「寛政5(1793)」 |
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| さつま町山崎上は「地頭仮屋跡」などがあり、麓集落の名残が残る。「山崎麓の田の神」は「地頭仮屋跡」から200mほど離れた、石垣で囲まれた家の前にある。 シキを被りメシゲを持った田の神の中には、端正な姿で静かに立つ、神職をモデルにした田の神が薩摩地方に何体かある。その代表といえるのがこの「山崎麓の田の神」である。着衣は上級公卿の日常着の直衣で、衣冠束帯の神官型立像の田の神が、シキをかぶりメシゲを持ち田の神舞を踊る神官の田の神に変化していった典型的な例である。着衣の袖や裾など膨らみのある写実的な曲線で端正な顔と共に柔和な表現となっている。鹿児島の田の神を代表する像の一つである。背面に「寛政五年(1793)三月吉日」の紀年銘がある。 |
| 大角の田の神 |
| 鹿児島県薩摩郡さつま町虎居大角 「文化二年(1805)」 |
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| 薩摩川内市やさつま町には並立型田の神像から派生したと思われる女子像の田の神が10体以上見られる。女子像型の田の神の分布は並立型の田の神とほぼ一致していて、並立型で明らかに女子像を意識して彫ることが始まり、その女子像型だけが独立してつくられたと考えられる。 女子像の田の神でよく知られてる田の神の一つがさつま町虎居にある「大角の田の神」である。自然石の前面を平らにして、舟形に彫り窪めて半肉彫りしたもので、髷を結い、その頭部に櫛をさしている。右手に小さなメシゲをたらして持つている。「下狩宿の田の神」と同じように長い袖での着物であるが袴は裁着け袴のように見え、華やかさはなく農作業姿のように見える。 |
| 下狩宿の田の神 |
| 鹿児島県薩摩郡さつま町求名下狩宿 |
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| 薩摩川内市やさつま町には並立型田の神像から派生したと思われる女子像の田の神が10体以上見られる。女子像型の田の神の分布は並立型の田の神とほぼ一致していて、並立型で明らかに女子像を意識して彫ることが始まり、その女子像型だけが独立してつくられたと考えられる。並立型田の神像の最も古いものは湯原の田の神で寛保3年(1743)、女子像型田の神の最も古いものは出水市の「平岩田の田の神」(さつま町の宮之城方面からオットッタ<盗んできた>という伝承あり)で「天明4年(1784)」でその説に矛盾はしない。 「下狩宿の田の神」は女人像の田の神像の中でも特に美しい田の神である。さつま町求名の下狩宿(しもかりじゅく)の比叡神社境内にあり、船型の石材に船型の彫り窪みをつくり、髷を結い長い袖での着物で袴をはき、手鏡のような小さなメシゲを持ってすらっと立つ女子像を半肉彫りしたものである。美しく気品ある顔や姿は印象に残る。 |
| 柊野下の田の神 |
| 鹿児島県薩摩郡さつま町柊野柊野下 |
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| 「柊野下の田の神」は「下狩宿の田の神」と同じく髷を結い長い袖での着物で袴をはき、手鏡のような小さなメシゲを持った女子像型の田の神像である。「下狩宿の田の神」のようなすらっとした姿ではなく4頭身で庶民的な雰囲気の田の神像である。 |
| 時吉の田の神 |
| 鹿児島県薩摩郡さつま時吉 「寛政11(1799)年」 |
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| 「時吉の田の神」は左手に大きなメシゲを持ち、矛のようなものを右手に持つた田の神像で、大きな舟形の石に薄肉彫りしたものである。シキを被らず、角髪(みずら)のような髪型をしていて、古事記などに登場する神か、仙人を思わせる珍しい田の神像である。 |
| 上狩宿の田の神 |
| 鹿児島県薩摩郡さつま町求名上狩宿 「寛政11(1799)年」 |
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| 「上狩宿の田の神」はしわ寄せた顔がユニークな丸坊主の僧風の田の神で、右手にメシゲを持ち、左手を輪組または拳にする。被るシキを宝珠光背のように線彫りで表現している。 |
| 別野の田の神 |
| 鹿児島県薩摩郡さつま町中津川別野 「昭和54年(1979)」 |
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| 「別野の田の神」は「別野」のバス停の北、訳50mの水田のあぜ道に祀られている。あごが大きく面長で垂れ目の顔に特徴のある田の神で、右手にメシゲ、左手にスリコギのようなものを持つ。頭部はシキを被っているように見えず、おかっぱか丸髷の髪のように見える。丸髷だとすると女子像型の田の神となるが? 背面に「昭和五十四年(1979)」の紀年銘がある。 |
| 内小川田の田の神 |
| 鹿児島県薩摩郡さつま町広瀬内小川田 「文化十三年(1816)」 |
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| 「内小川田の田の神」は左手にメシゲを持った、大きな耳で頬を彩色したふくよかな顔の田の神である。訪れた時は大きな藁苞をかけていた。背面に施主名とともに「文化十三年(1816)」の刻銘がある。 |
| 広橋の田の神 |
| 鹿児島県薩摩郡さつま町求名 広橋 |
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| さつま町求名広橋の国道504号線沿いに圃場整備記念碑とともに2体の田の神が並んでいる。向かって左の田の神は狩衣姿の立像の田の神で左手は指を輪組にし、左手は肩まで上げて何か(メシゲ?)を掲げている。被ったシキや左手の持ち物などが欠け顔も傷んでいるが、端正な顔立ちが残っていて優れた田の神像である。 右の田の神は舟型の光背のようなものを背負った僧風の座像の像で地蔵菩薩のように見える。手の部分は傷みがひどく持ち物などがわからず、舟型の光背のようなものはシキには見えないため一見して田の神とは思えない。藁苞がかけられていたので田の神として信仰されていることがわかるが。 |
| 吉川の田の神 |
| 鹿児島県薩摩郡さつま町永野吉川 |
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| 永野集落の南の廃止された宮之城線の永野駅の跡地が永野鉄道記念公園として整備されていて、駅舎(記念館)とともにスイッチバック式のレール敷や車掌車両等が残されている。線路跡に沿って桜並木があり、その桜並木の西端の南に広い水田地帯を見渡すように「吉川の田の神」が立っている。大きな笠のようなシキを被ったきれいな彩色が施された小さな田の神で、右手にメシゲ、左手にスリコギを持ち3段の立派な基壇にのっている。 |
| 中組の田の神 |
| 鹿児島県薩摩郡さつま町求名下手中組 |
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| 「中組の田の神」はさつま町求名の集落の西端の国道267号線沿いの道沿いの竹やぶの前に祀られている。「中組の田の神」はかがみ込むようにして、田の神舞を踊る田の神舞型の田の神である。両手首は破損しているがメシゲと椀を持っていたと思われる。 |