薩摩の田の神さあ11
(鹿児島市2)
 「薩摩の田の神さあ11」は鹿児島市の田の神像のうち「入佐の田の神」「梶原迫の田の神」「山方の田の神」などの僧型立像の田の神・「山田の田の神」「滝ノ下の田の神」の円筒形につくられ頭巾風のシキをかぶった特異な姿の僧型立像の田の神・狩衣風の上衣をきた神職型の田の神「木ノ下の田の神」などを紹介する。



山方の田の神
鹿児島市直木町山方 「寛政4(1792)年」
 「山方の田の神」は東昌小学校の南の水田地帯の道路下で田んぼに向かって立っている。全面を削った自然石に、深く彫り窪みをつくり、薄肉彫りで、シキをかぶり、メシゲと大きな椀を持った田の神像を表したもので、寛政4(1792)の紀年銘を持つ。 目鼻はやや風化しているが、丸い庶民的な顔つきで、薩摩の僧型立像の田の神像であるが、ずんぐりとした農婦のような体つきで、個性豊かな造形の田の神である。像の右側に台座に「寛政4(1792)年」の刻銘がある。台座には「宝暦三年(1752)」紀年銘があるが盗難等で改めて造立したものと思われる。(リニューアルするにあたって小野重郎著『田の神サア百体』から「山陰の田の神」としていたのを現在の地名に従って「山方の田の神」とした。)

 

入佐の田の神
鹿児島市入佐町 「享保12年(1727年)」
 「入佐の田の神」は山の中の大きな岩の前に安置されている。笠のようなシキをかぶり、肩布のついた中袖の上衣に、長袴を着け、右手にメシゲ、左手にスリコギらしきものを持つた僧型立像の田の神である。白黄色の粗い凝灰岩で彫られていて顔の風化が進んでいるのが惜しい。県の民俗資料有形文化財で「享保12(1727)年」の紀年銘を刻む。



川口の田の神
鹿児島市五ヶ別府町川口 「安永10(1781)年」
 「川口の田の神」は五ヶ別府町川口の永田川沿いに土地改良記念碑と一緒に立っている。腰かけた姿で、コシキをかぶり右手にメシゲを持った僧型の田の神像である。左手は欠けていて持ち物はわからない。丸顔の顔面も大きく破損して目鼻がないが、像の斜め左から撮影した顔は優しそうな顔に見える。すぐ隣に『安永10(1781)年2月24日川口村中』と刻まれた石碑がある。県の民俗資料有形文化財に指定されている。



梶原迫の田の神
鹿児島市宇宿8丁目7-11 「寛政12(1800)年」
 「梶原迫の田の神」は鹿児島市宇宿8丁目にある中間公民館の敷地内にある。丸彫りの僧型の田の神像で袴姿でメシゲと椀を持った像である。かぶったシキが托鉢笠のように見え丸顔でいかにも僧といった趣である。袴の背後の裾の部分に「寛政拾二年申二月吉日」刻銘がある。県の民俗資料有形文化財に指定されている。



梅ヶ渕の田の神
鹿児島市伊敷7丁目 「近代?」
 事前調査をして撮影に回っているのですがこの田の神は偶然見つけた田の神です。梅ヶ渕観音摩崖仏を撮影した後、谷沿いの参道を下っていた時、ふと尾根側の石垣の上の民家の庭を見たとき、この田の神を見つけた。「梶原迫の田の神」と同じ托鉢笠のように見えるシキかぶり、メシゲと椀を持った僧型立像の田の神である。ただ素朴で清楚な趣の「梶原迫の田の神」と違って写実的で顔や腰の下に下げたメシゲや椀、僧衣などは写実的で、近代の造立と思われる。梅ヶ渕観音の近くなので「梅ヶ渕の田の神」と名付けて載せた。



中福良の田の神
鹿児島市小野4丁目8
 「中福良の田の神」は幸加木(こうかぎかわ)沿いの住宅地の角の三角地に祀られている。軽石を多く含んでいる凝灰岩の山川石の高さ約120pの自然石の半面に像を半肉彫りした田の神である。シキをかぶり



山田の田の神
鹿児島市山田町一丁田 「享保8(1723)年」 
 田の神石像は初め、神像及び仏像として出発したと思われる。神像の田の神は神像型→神職型→田の神舞型・神舞型という流れで変化していったが、もう一つの仏像の田の神の流れは仏像型→僧型→旅僧型のという変化である。
 僧型の最も古いものは、円筒形につくられた特異な姿の頭巾風のシキをかぶった僧型立像の田の神像である。享保年間につくられたものが多く、最も古い紀年銘を持つのが日置市の「中田尻の田の神」(享保2<1717>年)である。他に鹿児島市の「永田の田の神」(享保6<1721>年)、南さつま市金峰町の「宮崎の田の神」(享保17<1732>年)などがあげられる。残念なことに、これらの像は摩滅欠損が目立つ。
 その中で、最も保存状態がよいのが、この「山田の田の神」(享保8<1723>年)で、像高約60pで美しくよく整った像である。右手にメシゲ、左手に棒先がカギ状になった鍬のようなものを持っている。県の民俗資料有形文化財に指定されている。



永田の田の神
鹿児島市東谷山五丁目 島の森公園 「享保6(1721)年」
 「永田の田の神」はJR指宿枕崎線の「谷山」駅の近くの島の森公園の角に道に向かって立っている。「山田の田の神」と同じ円筒形につくられた特異な姿の頭巾風のシキをかぶった僧型立像の田の神像で、右手にメシゲ、左手に棒のようなもの(鍬?)を持っている。破損が大きく目鼻は全くなく、顔の真ん中に穴が開いている。廃仏毀釈やいたずらなどで人為的に破損されたものではないだろうか。台座に「享保六年(1721)」の紀年銘がある。市内では最も古い紀年銘のある田の神である。



        
入来の田の神
鹿児島市東谷山七丁目入来 「享保21(1736)年」
 「入来の田の神」は「山田の田の神」や「永田の田の神」と同じ頭巾風のシキかぶった、僧型立像の田の神である。「山田の田の神」と同じ雲竜紋の立派な台座に乗っていて、左手にスリコギ、右手にメシゲを持つ。「永田の田の神」と同じく廃仏毀釈のためか顔の部分が大きく壊されている。裏側に「享保21(1736)年」の紀年銘がある。市の民俗資料有形文化財に指定されている。



           
滝の下の田の神
鹿児島県鹿児島市中山町21-3
 中山町は永田川水田地帯であったが宅地化がすすみ、道路沿いのほとんどは住宅になっている。「滝の下の田の神」を撮影した時は中山町滝の下はまだ水田が多く残っていて「滝の下の田の神」は水田を背景に立っていた(現在は住宅の前にたっている)。雲竜紋の台石など4段の立派な台座の上に立っている像高96pの頭巾風のシキかぶった、僧型立像の田の神である。4段の台座は95pの高さで、像と合わせると高さは2m近くあり、田の神像では最も高い。シキの前部や顔は風化と損傷がすすみ、顔の表情は全く見られないが、シキの藁の網目や二段にひだのついた裳状の長袴など克明に彫られている。右手に小さなメシゲを持ち、左手に棒のようなもの(鍬?)を持っている。市の民俗資料有形文化財に指定されている。



        
木之下の田の神
鹿児島市上福町木之下 「宝暦6(1756)年」
 「木之下の田の神」は笠状のシキをかぶり、右手にメシゲ・左手に椀を持った田の神で狩衣風の上衣をきた神職型の田の神で、石工の腕のさえが感じられる田の神像である。背部に「宝暦六子天二月吉日 奉供養田之上」と刻む。直衣または狩衣姿でメシゲを持った神職型立像の田の神としては、山崎麓の田の神とならぶ秀作である。山崎麓の田の神の端正な顔に対して、この田の神は庶民的で味わいのある顔である。市の民俗資料有形文化財に指定されている。 



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