薩摩の田の神さあ10
(鹿児島市1)
 鹿児島市の田の神像のうち県と市の指定有形民俗文化財が20体ある。そのうち「山田の田の神」「入佐新村の田の神」「川上の田の神」の3体が県指定である。市指定の田の神は「東下の田の神」「茄子田の田の神」「木ノ下の田の神」「肥田の田の神」「梶原迫の田の神」「新村の田の神」「滝ノ下の田の神」などがある。
 「入佐新村の田の神」「梶原迫の田の神」などが僧型立像の田の神、「山田の田の神」「滝ノ下の田の神」なども僧型立像の田の神で円筒形につくられ頭巾風のシキをかぶった特異な姿の田の神、「川上の田の神」「東下の田の神」「茄子田の田の神」「肥田の田の神」「新村の田の神」などはメシゲやスリコギ・椀などを持って田の神舞を舞う神職や農民を表した田の舞型の田の神、「木ノ下の田の神」は狩衣風の上衣をきた神職型の田の神とバラエティーに富んだ優れた田の神が鹿児島市には見られる。
 この「薩摩の田の神さあ10」は田の神舞を舞う神職や農民を表した田の舞型の田の神と田の神の村々を托鉢して巡る僧の姿をあらわした旅僧型の田の神を掲載した。



東下の田の神
鹿児島市東佐多町東下
 姶良市の「触田の田の神」から1qほど離れた鹿児島市東佐多町東下の神社にある田の神で触田の田の神とそっくりな像である。シキを被り、右手でメシゲをかかげ、左手で椀を持って田の神舞を踊る像で像高は触田の像と同じく89pで、大きな丸い顔と、垂れ目で少し笑った独特の面貌は全く同じである。
 ここより1.2q離れた西下集会施設内にもこれらの像とそっくりな「鵜木の田の神」があり、添えられた碑には「享保21年(1736)」の紀年銘と前田喜八という作者名が刻まれていて、触田・東下・鵜木の田の神は前田喜八の作と考えられる。「東下の田の神」も触田・鵜木と同じ頃の作と思われる、顔は触田の田の神像と違って白く彩色されていて、触田の像より穏やかな顔に見える。鹿児島市の有形民俗文化財に指定されている。



茄子田(なすびた)の田の神
鹿児島市花尾町茄子田 「宝暦3年(1753)」
 鹿児島市花尾町の「茄子田の田の神」はメシゲとスリコギを持った田の神である。鼻の一部や中を中空に彫った口の一部が欠けているため、一見不気味に見えるが、よく見ると川上の田の神のように微笑んでいる。この像も裁着け袴(たっつけばかま)をつけていて、軽く左足を踏み込む。長袴をはいた西田や触田の田の神に比べるとより動的になっている。鹿児島市の有形民俗文化財に指定されている。



川上の田の神
鹿児島市川上町川上宮之前 「寛保元年(1741)」
 川上町の川上小学校近くにある「川上の田の神」は、大きなシキを笠の用にかぶり、右手にメシゲ、左手にスリコギを持って、田の神舞を踊る姿を表した田の神である。顔は西田や触田の田の神のような、カリカチュアライズされた表現ではく、慎ましげに微笑む。長袴ではなく、裁着け袴(たっつけばかま)をはき、左足を一歩上げて踏み出す。県の有形民俗文化財に指定されている。



新村の田の神
鹿児島市伊敷6丁目3 「安永7年(1778)」
 「新村の田の神」は高さ104センチの自然石の前面を平らにし、彫り窪みを作り、浮き彫りで表した田の神像である。シキの笠を大きくかぶり、メシゲと椀を持つて中腰で踊る像高62pの田の舞型の田の神である。安永8(1778)年の紀年銘を持つ。鹿児島市の有形民俗文化財に指定されている。



肥田の田の神
鹿児島市伊敷町肥田 「寛政12(1800)年」
 「肥田の田の神」は住宅の門前の高さ150pの一枚岩に深く舟形の彫り込みをいれ、その中に像高50pの田の神を半肉彫りしたものである。大きな麦わら帽子のようなシキをかぶりメシゲと椀を持ってしゃがみ込んでいる。像の左に「寛政十二年」、右に「奉寄進此村二才中」の刻銘がある。鹿児島市の有形民俗文化財に指定されている。



札下(ふだもと)の田の神
鹿児市山田町札下 「享保12(1727)年」
 「札下の田の神」は手や顔面などが破損し、風化が目立つ田の神であるが、動きのある像で持ち物はわからないが田の神舞を舞う姿を表したものである。頭巾のようなシキをかぶり、長袴をつけ左足をを少し前に出して足を開き、腰をややひねってすらっと立っている。2つ正方体と八角柱、雲竜紋が彫られた台座と4段の立派な基壇の上に乗っている。八角柱の基壇に「享保12(1727)年」の紀年銘がある。鹿児島市の有形民俗文化財に指定されている。



森園の田の神
鹿児島市春山町  「寛保3(1743)年」
 「森園の田の神」は旧松元町の春山町の寺脇公民館のそばにある。高さ83pのメシゲと飯椀を持った丸彫り像の田の舞型の田の神で、メシゲを掲げた右腕と胴体の間と股下をくり抜き、より立体的で動きのある表現となっている。大きく膨らんだ裁着け袴をはき、肩まで垂れたシキをかぶっている。「札下の田の神」と同じく八角台石、雲竜紋が彫られた台石など立派な台座である。八角台石に「寛保3(1743)年」の紀年銘がある。鹿児島市の有形民俗文化財に指定されている。



        
蕨野の田の神
鹿児島市星ヶ峯三丁目9(第三公園内) 「宝暦12(1762)年」
 蕨野の田の神は星ヶ峯ニュータウンの第三公園内にある。もと五ヶ別府町蕨野にあったものでニュータウン建設によって、現在地に移された。右手でメシゲを掲げ、左手で飯椀を持っていたので、農民が田の舞を踊る田の舞型の田の神と思いこんでいた。リニーュアルに当たって見直してみると、胸に頭陀袋を下げているのに気が付きました。これは明らかに村々を托鉢して巡る僧の姿をあらわした旅僧型の田の神である。頭陀袋を下げている旅僧型の田の神は鹿屋市など大隅半島によくみられるが持ち物はスリコギとメシゲなので、この像の頭陀袋を見落としていた。角台石に「宝暦十二壬午 十月吉日 奉寄進 □申二才中」の刻銘がある。□字は「庚」と考えられ、庚申供養碑として田の神が建てられたことがわかる。



        
中山町の田の神
鹿児島市中山町2225-4 「大正9年(1920)」
 「中山町の田の神」は 「自由が丘入り口」交差点にあるコンビニ(現在はデンタルクリニック)の駐車場の隅にまつられていた。シキを頭巾のようにかぶり左手に飯を盛った椀を持ち、左手でメシゲを掲げている。胸に頭陀袋を下げた旅僧型の田の神である。目鼻が欠けているため古い田の神と思ったが、背後に回ってみると「大正9年(1920)」の刻銘があった。



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