| 大隅の田の神さあ1 (姶良市 旧姶良町) |
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| 大隅の国の多くは大隅半島に位置するが、大隅半島以外では姶良市・霧島市・伊佐市・湧水町の姶良・伊佐地域が大隅の国にあたる。「大隅の田の神さあ1」はその中で薩摩の国の鹿児島市と接する姶良市の旧姶良町の田の神を取り上げる。旧姶良町には「蝕田の田の神」や「西田の田の神」などメシゲと椀を持ったり両手でメシゲのみを持った田の舞型の田の神が多くある。田の舞型の田の神は神職や氏子が田の神となって祭りの時などに舞う、田の神舞の姿をモデルにしたものであ。微笑んだり、おどけた表情で腰を落として踊っている姿の田の神が多い。 メシゲと椀を持って舞う田の神像としては「蝕田の田の神」をはじめ「黒葛野の田の神」・「中川原の田の神」などがあげられる。メシゲのみを持った田の舞としては「西田の田の神」をはじめとして「福岡家の田の神」・「三拾町の田の神」などがあげられる。 田の舞型の田の神以外では衣冠束帯の神像型座像の田の神である「内山田の田の神」やシキを被り、右手にメシゲを持ち左手に振り鈴を持つた田の神舞を踊る田の神舞神職型の田の神「山之口の田の神」などがある。 |
| 福岡家の田の神 |
| 鹿児島県姶良市宮島町宮島町44-7 |
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| 「福岡家の田の神」は姶良市の市街地にある宮島わらべ保育園のとなりの造園やエクステリアの会社の玄関前の庭に置かれている。神職や氏子が田の神となって祭りの時などに舞う姿を表した田の舞型の田の神で、シキをかぶり、タスキ掛けで、一歩踏み出して、両手でメシゲを持ち、空を見上げるように田の神舞を踊る。タスキがベンガラ色に顔が白に彩色されている。 |
| 西田の田の神 |
| 〒899-5543 鹿児島県姶良市下名2733 「文化2(1805)年」 |
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| 田の神像で最もよく知られているのが、シキを被りメシゲや飯椀またはスリコギを持ち微笑んだり、ユーモラスな顔をした田の神である。これらは神職や氏子が田の神となって祭りの時などに舞う、田の神舞の姿をモデルにしたものである。 この西田の田の神は私が田の神石像に興味を持ったきっかけとなった田の神像である。県の文化財として指定されたものではないが、田の神像のおもしろさを表した田の神像として、江戸時代の庶民の息吹を感じさせる田の神像として、田の神サア100選の最初として取り上げた。自然石の前面を平らにして、舟形に彫り窪めて浮き彫りしたもので、下がり目と、大きな鼻・ふくれた頬などべそをかいたような滑稽な顔が印象的な田の神像である。 |
| 触田の田の神 |
| 鹿児島県姶良市平松1360-1 「元文2年(1737)」 |
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| 田の神舞を舞う神職の姿を表した田の神像で「享保3年(1718)」という最も古い刻銘を持つ像は姶良市蒲生町の「漆の田の神」である。「触田の田の神」も古く「元文二年(1737)」の紀年銘を持つ。幅のシキを被り、右手でメシゲをかかげ、左手で椀を持って田の神舞を踊る丸彫りの田の神で、大きな丸い顔と、垂れ目で少し笑った独特の面貌の田の神である。 西田の田の神と同じく赤くベンガラで彩色されている。稚拙ながらユーモアあふれる西田の田の神と比べると、カリカチュアライズされた表現ながら神職らしい威厳が感じられる田の神である。 |
| 黒葛野(つづらの)の田の神 |
| 鹿児島県姶良市寺師黒葛野 |
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| 「黒葛野(つづらの)の田の神」は畑の上の丘に下の田畑を見守るように祀られている。シキをかぶり、メシゲと椀を持って腰をかがめて触田や西田の田の神と同じように田の神舞を踊る姿を丸彫りで表したもので、触田や西田の田の神に比べると誇張された表現は少なく、衣装や顔は写実的な表現となっている。 |
| 大山東の田の神 |
| 鹿児島県姶良市大山大山東 「寛延4年(1751)」 |
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| 「大山東の田の神」は石仏のように舟形光背を背負った半肉彫りの田の神像である。田の神舞型の田の神によく見られるように右手でメシゲを持つが、へら部を下にして持っている。左手は欠けていて持ち物はわからない。腰には刀のようなものを差している。像の左に寛延4年(1751)の刻銘がある。逆光で撮影に苦労し、最初の1枚は露室補正をし、あとの2枚はストロボを焚いて撮影した写真である。 |
| 寺師の田の神 |
| 鹿児島県姶良市寺師 「安政5年(1858)」 |
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| 「寺師の田の神」は県道446号線沿いの民家の庭にまつられている。船型の大きい石材の一面を平らにし大きなメシゲを両手で抱えて、中腰で田の神舞を踊る姿を厚肉彫りしたものである。白く塗った顔は風化が進み目・鼻・口はほとんど残っていない。安政5年(1858)の刻銘が残る。 |
| 大山の田の神 |
| 鹿児島県姶良市大山 「天明元年(1781)」 |
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| 「大山の田の神」は大山公民館の近くの蘇鉄の木の横にまつられている。「寺師の田の神」と同じように大型の船型の石材いっぱいに大きなメシゲを持った田の神を厚肉彫りしたもので、この田の神も顔は風化が進んている。「寺師の田の神」よりも古く「天明元年(1781)」の刻銘が残る。 |
| 三拾町の田の神 |
| 鹿児島県姶良市三拾町 |
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| 三拾町の田の神1 「享和二(1802)年」 |
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| 三拾町の田の神2 |
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| 三拾町の水田の畦道に、作風が違うが、メシゲを両手で捧げた田の神像2体並んでいる。左の田の神は背後に「享和二(1802)年」の刻銘がある。右の田の神はやや小型で裁付袴をはく。 |
| 中川原の田の神 |
| 姶良市姶良町下名中川原 |
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| 中川原の田の神は舟形の石材を彫りくぼめ、右手にメシゲ、左手に椀を持ち、田の神舞をおどる姿を半肉彫りにしたもので、稚拙な表現の田の神であるが素朴な趣がある。 |
| 山之口の田の神 |
| 鹿児島県姶良市重富山之口 「安永4年(1775)」 |
| 山之口の田の神1(田の舞神職型田の神) |
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| 山之口の田の神2(神像座像型の田の神) |
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| 姶良市の重富公園の駐車場の一角に水神塔ともに2体の田の神がまつられている。向かって右の田の神は長い顔でメシゲと振り鈴を持ち、上衣の衿から胸にかけて可憐な飾りがついている田の神舞を踊る神職の田の神像である。このような田の舞神職型田の神は珍しく、鹿屋市の県指定民俗文化財の「野里の田の神」や「芝原の田の神」が知られているだけである。鹿屋市の2体の田の神と違う点は右手に振り鈴、左手にメシゲ持つこと(鹿屋市の像とは左右が逆)だけで、あとはそっくりである。安永4年(1775)の紀年銘がある。 右の神は両手を輪組にした神像座像型の田の神像であるが磨滅が激しい。 |
| 内山田の田の神 |
| 鹿児島県姶良市上名内山田 |
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| 内山田の田の神は旧姶良町では珍しい衣冠束帯の神像型座像の田の神で、左手は指で孔を作っている。御所人形のような穏やかな端正な顔の田の神像である。 |