| 大隅の田の神さあ2 (姶良市蒲生町 湧水町) |
|
![]() |
|
| 大隅の国の多くは大隅半島に位置するが、大隅半島以外では姶良市・霧島市・伊佐市・湧水町の姶良・伊佐地域が大隅の国にあたる。「大隅の田の神さあ2」はその中で姶良市蒲生町と姶良郡湧水町の田の神を取り上げる。蒲生町には田の舞型の田の神としては最も古い「漆の田の神」(県指定有形民俗文化財)や自然石の前面を平らにし、舟形などに彫り窪みを作り、浮き彫りや半肉彫りにした田の神像である「下久徳の田の神」(県指定有形民俗文化財)・右手にメシゲを左手に宝珠を持ち、頭から肩にかけて長い総髪がなびかせている山伏を思わせる「畠田の田の神」など優れた個性的な田の神がある。 湧水町の田の神では衣冠束帯姿の神官型の田の神である「般若寺の田の神」(県指定有形民俗文化財)やメシゲを持ち裁着け袴をはいた、野良着姿の農夫をそのまま田の神にしたような素朴な「鶴丸の田の神」などを紹介する。湧水町は隣の宮崎県えびの市と同じく近代の田の神が多くあり、紹介する田の神の半分近くが近代の建立である。 |
| 漆の田の神 |
| 鹿児島県姶良市蒲生町漆 「享保3年(1718)」 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 「漆の田の神」は県指定の有形民俗文化財でメシゲを両手で捧げた田の神舞型の像である。享保3年(1718)の紀年銘を持ち、田の舞型の田の神としては最も古い。石材の半分は自然石で、前面に丸彫りに近い厚肉彫りで、両手でメシゲを斜めに持ち、左足を膝を立てるように踏み込み、田の舞をを踊る神職の姿を表している。シキの笠は大きく厚く、胸をはだけてタスキを掛け、長袴を着けている。顔はつぶれてわからないが神職と言うより田の神舞を踊る農民といった風情である。石の持つ量感を活かした重厚感のある田の神像である。県の有形民俗文化財に指定されている。 |
| 下久徳(しもぎゅうとく)の田の神 |
| 鹿児島県姶良市蒲生町下久徳三池原 「明和五年(1768)」 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 自然石の前面を平らにし、舟形などに彫り窪みを作り、浮き彫りや半肉彫りにした田の神像は薩摩地方北部から姶良市にかけてよく見られる。その中でも県の有形民俗文化財に指定されているのが「下久徳の田の神」である。シキを被り、袂のない上衣に裁着け袴を着た農作業姿の田の神である。顔がつぶれているのが惜しい。明和五年(1768)の作。 |
| 白男上の田の神 |
| 鹿児島県姶良市蒲生町白男上 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 「白男上の田の神」は県道211号線沿いの立派な覆屋にまつられている。たすき掛けで、右手にメシゲをかかげ左手に飯椀を持って田の神舞を踊る姿を表した像である。顔は白く、唇は赤く、タスキは朱色に化粧されていて、タスキの鮮やかな朱色が映える。 |
| 畠田の田の神 |
| 鹿児島県姶良市蒲生町久末畠田 「元文4(1739)年」 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 畠田の田の神はキノコ状に広がった笠のようなシキをかぶり、右手にメシゲを左手に宝珠を持った像で、切れ長の鋭い目で、頭から肩にかけて長い総髪がなびかせている。胸から腹まではだけた上衣に裁着け袴、背にはワラヅトを背負う。シキのらせん状の編み目や目鼻の大きい厳しい面容、着衣などの表現は荒々しく力強く、山で修行をする山伏を思わせる魅力ある像である。元文4(1739)年の作。 |
| 中福良の田の神 |
| 姶良市蒲生町白男中福良 「安永9年(1780)」 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 中福良の田の神は入来町によく見られる、自然石や四角の石材に舟形や四角形の彫りくぼみを作り、右手にメシゲ、左手に閉じた扇子を持ち裁着け袴の着た田の神を浮き彫りする石碑型の田の神像である。安永9年(1780)の作。 |
| 般若寺の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町般若寺 「明和九年(1772)」 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 「般若寺の田の神」は湧水町の北端、宮崎県えびの市と接している般若寺集落の日枝神社の階段横に祀られている。像高76pの神官型座像の田の神で県の有形民俗文化財に指定されている。衣冠束帯の座像で膝の上で合わせた両手に穴があるが、祀る時にそこに笏を持たせるためであると思われる。訪れたときは笏らしきものが穴にはめられていた。衣紋等の表現は直線的で写実性に欠けるが神官型の田の神の発祥地とされる隣の宮崎県や伊佐市菱川町ではよく見かける表現である。 |
| 鶴丸の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町鶴丸 「安政七年(1860)」 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 川内川をはさんで般若寺の対岸が鶴丸である。「鶴丸の田の神」はJR吉都線「鶴丸」駅の北の丘陵の端に水田地帯を見下ろすように立っている。右手にメシゲを持ち、左手に左手に枡or米櫃を持ち、裁着け袴(たっつけばかま)をはいた、野良着姿の農夫をそのまま田の神にしたような素朴な田の神像である。枡ではなく米櫃を持った田の神は珍しい。(町のHPや案内板では米櫃としている。)幕末の安政七年(1860)の造立である。案内板にはえびの市からオットテきた(盗んできた)ことが書かれていた。町の有形民俗文化財に指定されている。 |
| 鶴丸の神官型の田の神 |
| JR吉都線「鶴丸」駅の南側で2体の神官型の田の神を見つけました。一体は座像、もう一体は立像の田の神です。 |
| 原口後の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町鶴丸 原口後 |
![]() |
![]() |
| JR吉都線「鶴丸」駅の南200mほどの道沿いの覆堂の中に祀られていた。撮影したときにはなかったが、現在は「原口後の田の神」と書かれた立札が隣にたっている。「般若寺の田の神」に比べると小型で風化も進んでいた。膝の上の両手は短く、両手を結んでいない。両手を輪組にしたり、結んだ両手に穴をあけて笏を持たせるようにするのが一般的であるが、この像は左手の穴が開いていてそこに笏を持たせていのかもしれない。 |
| 原口前の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町鶴丸 原口前 |
![]() |
![]() |
![]() |
| JR吉都線「鶴丸」駅の南の原口温泉のある原口前の南東の小さな道沿いに神官型立像の田の神が立っている。正面から見ると帯のように見えたのは横から見ると結んだ両手でした。苔が生えていて傷みがひどい状態でした。 |
| 四ッ枝後の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町川西四ッ枝後 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 「四ッ枝後の田の神」は吉都線「吉松」駅の北0.7qの遮断機のない踏切近くに立っている。「鶴丸の田の神」と同じ農民型の田の神立像で、シキをかぶり右手でメシゲをかかげ、左手で飯を持った椀を持つている。無表情な「鶴丸の田の神」と違って顔は優しく微笑んでいて、伝統を引き継ぎながらも近代的な趣もある。「昭和六年三月十四日建之 四ツ枝後郷中 石工 宮田初」の刻銘がある。 |
| 松山の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町川西松山 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 「松山の田の神」は松山集落の西の四差路の角にある。「四ッ枝後の田の神」とそっくりな像で、シキをかぶり右手でメシゲをかかげ、左手で飯椀を持ち、優しく微笑んで立っている。像の後に「記念 昭和七年十一月建立 当年八十才 松井休太郎 当年七十一才 松井ケサ 石工 宮田初」と施主と造立者・石工名が刻まれている。石工は「四ッ枝後の田の神」と同じである。 |
| 山下の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町般若寺899 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 「山下の田の神」は湧水町般若寺の山下地区集会所の庭にある。シキをかぶり右手でメシゲをかかげ、左手で枡or米櫃を抱えた田の神である。丸い顔とシキは丁寧に彫られているがそれ以外はおおざっぱて、掲げたメシゲのヘラの下の彫られず、そのまま残されていて腕と一体になっている。両腕も胴とくっついた状態で着衣の彩色が残っていなければ体躯は石そのもののような趣である。重量感のある体躯に対して顔は小さく優しい顔が印象的である。 |
| 四ッ枝前の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町川西四ッ枝前 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 「四ッ枝前の田の神」は「吉松」駅の西にあるため池の護岸の竹林の前に立っていた(リニュアルに当たってGoogle Earthで確かめてみると像も案内柱もあったと思われる場所には見当たらなかった)。シキをかぶり、右手でメシゲを掲げ、左手で杵を持っている座像または中腰姿の農民型の田の神である。台石に「京町石工 春田浅吉 昭和五年三月」の刻銘がある。京町は湧水町の隣の京町温泉で知られるえびの市の京町で、春田浅吉はえびの市島内の「中浦の田の神」や現在、えびの市歴史民俗資料館にある「今田家の田の神」などの作者である。これらの像は「四ッ枝前の田の神」と同じくメシゲ・杵持ちの田の神である。 |
| 永山の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町川西永山 「平成14年(2002)」 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 「永山の田の神」は自然石の田の神の後ろに平成14年に建立されたものである。シキをかぶり、両手でメシゲを持って座る田の神像で、詳細を省いたおおざっぱで直線的な表現の田の神で、腕や手、持ったメシゲなどは立体感はなく板彫りである。鉈や小刀などで彫られた木彫仏である円空仏を思わせるユニークな田の神像である。台座に2名の建立者の名前と2002年3月と建立年月が刻まれている。ここまでは湧水町旧吉松町の田の神でしたが、次からは湧水町旧栗野町の田の神になります。 |
| 真中馬場(しんちゅうばば)の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町北方真中馬場 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 旧栗野町の「真中馬場の田の神」は湧水町HPの文化財案内では1700年代の作でお高祖頭巾をかぶった女人像の田の神であるとしている。女性的な美しい顔で、僧衣らしきものを着て、右手でメシゲを掲げ、左手に宝珠または握り飯らしきものを持って座す田の神像である。被っているものは確かにシキというより頭巾にみえる。お高祖頭巾というより僧侶の頭巾ではないだろうか。私には僧衣風の衣装から見て女人像とは思えないが、仮に女性像としたら頭巾はお高祖頭巾ではなく尼僧頭巾といえる。いずれにしても特色ある優れた田の神である。町の有形民俗文化財に指定されている。 |
| 水窪の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町木場水窪 「寛保4年(1744)」 |
![]() |
![]() |
| 「水窪の田の神」は九州自動車道「栗野」ICの南約5qにある水窪集落の南東の山の中の畑の中にある。道沿いに「中シ山「田ノ神」入口 五十メートル」の標識がある。右手にメシゲ、左手に杵を持つ田の神で、グリム童話に出てくるこびとのような雰囲気の持つ。背面に「寛保四年(1744)三月一日」の刻銘がある。町の有形民俗文化財に指定されている。 |
| 大牟礼の田の神 |
| 鹿児島県姶良郡湧水町幸田大牟礼 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 「大牟礼の田の神」は幸田地区(日本棚田百選に選ばれた幸田の棚田がで知られている)の大牟礼(伊佐市との市町境にある)の能動三叉路にある。メシゲと椀を持って腰をかがめて田の神舞を踊る姿を表したものである。目じりを下げて、口を大きくあけて笑う姿が印象的である。台座に「大正十二年」の紀年銘がある。 |