| 大隅の田の神さあ9 (肝付町・鹿屋市吾平町) |
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| 「大隅の田の神さあ9」は東串良町の南にある肝付町と肝付町の西隣の旧五平町(あいらちょう)<鹿屋市吾平町>の田の神を掲載する。この地域の田の神も東串良町と同じくすっきりと端正な姿の僧型立像の田の神と托鉢僧姿の旅僧型の田の神が多い。 すっきりと端正な姿の僧型立像の田の神はシキを背後に長く垂らして被り、大きな袖のついた長衣を着ている。ワラヅトを背負い、両手を重ねて鍬の柄を杖を支えるように持った田の神(肝付町の「野崎の田の神1・2」・「西横間の田の神1」・鹿屋市吾平町の「中福良の田の神」) と、俵の上に立って手にはメシゲと宝珠を持ち帯にヒョウタンと木の葉杯を下げている田の神(「塚崎の田の神」)がある。これらの像は18世紀中旬から19世紀初めのもので、共に目鼻立ちが美しく女人風の田の神像である。 托鉢僧姿の旅僧型の田の神はこの地方では最もよく見かける田の神である。西日本新聞発行の「田の神サア百体」小野重郎著では高山町(肝付町)の「川北の田の神」が明和8(1771)年としているが「川北の田の神」を見つけることが出来なかった。私が見た中では鹿屋市吾平町「下名真角の田の神」が古く安永四年(1775)の刻銘があった。「下名真角の田の神」は19世紀初頭の作と思われる鹿屋市吾平町「大牟礼の田の神」や肝付町の「波見下の田の神」などはよく似ていて頭巾風のシキを肩から背にかけて垂らして被り、長い袖のある上衣と裁着け袴を着け、胸に宝珠を着けた角形の頭陀袋を首から下げている。右手に太く短いスリコギ、左手にメシゲを持つ。村々を巡る山伏の托鉢僧の様である。片足を少し持ち上げて歩く姿を表している。 着衣や頭陀袋、スリコギ、メシゲの位置、右足を持ち上げて歩く姿まで全く同一形の田の神が昭和時代まで次々と像立された。「下名真角の田の神」「大牟礼の田の神」「波見下の田の神」以外にこのページ「大隅の田の神さあ9」では肝付町の「花牟礼池の田の神」「宮下南の田の神」「宮下下の田の神」、鹿屋市吾平町の「苫野の田の神2」を載せた。 すっきりと端正な姿の僧型立像の田の神と旅僧型の田の神以外ではメシゲとスリコギを持って、渦巻き模様のシキをシキを光背のようにアミダにかぶった鹿屋市吾平町の「車田の田の神」がある。頭の上と胸元にも小さな仏像が付けてある珍しい田の神像である。 | |
| 野崎の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡肝付町野崎東大園 「明和8年(1771)」・「寛保2(1743)年」 |
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| 大隅半島の中部、鹿屋市や肝属郡のシキを肩に垂らしてかぶり、大きな袖のついた長衣を着たすらりとした女性的な表情の僧型立像の田の神が多くある。その多くが両手で鍬を体の正面で杖を支えるように持った田の神である。このような女性的な表情の鍬持ちの僧型立像の田の神の最の最も古い紀年銘を持つ像は肝属郡肝付町野崎東大園にある。2体並んだ田の神の向かって右にある像(野崎の田の神1)がそれで、寛保2(1743)年の刻銘がある。左側の像(野崎の田の神2)には明和8年(1771)の刻銘がある。この2体は女性的な表情の鍬持ちの僧型立像の田の神で唯一、県の有形民俗文化財に指定されている。リニューアル前は「東大園の田の神」としていたが、鹿児島県の指定文化財の名前に合わせて「野崎の田の神」とした。 |
| 野崎の田の神1 |
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| 寛保2(1743)年の刻銘がある向かって右の田の神像である。シキを肩に垂らしてかぶり大きな袖のついた長衣を着てワラヅトを背負い鍬を持つた田の神である。顔は大きく破損されて痛々しい。 |
| 野崎の田の神2 |
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| 左にある「野崎の田の神2」は鹿屋市吾平町の中福良の田の神と共にこの地方の鍬持ちの僧型立像の田の神の代表的な像である。黒い凝灰岩の丸彫り像で、克明な藁の編み目を刻んだ肩までたらしたシキや帯紐を前で大きく結んだ、袖の長い着流しの長衣などの精緻な表現と優しい眼差しが印象的な田の神像である。背後にワラヅトを斜めに負い、ツトの上にはメシゲがかざしてある。 |
| 塚崎の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡肝付町野崎塚崎 「延享2年(1745)」 |
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| 「塚崎の田の神はワラヅトを背負い鍬を持つた「東大園の田の神」などと同じように大きな袖のついた長衣を着たすらりとした女性的な表情の田の神である。鍬を持たず、2俵の俵の上にスラリと立って、手にはメシゲと宝珠を持ち、帯にはヒョウタンと木の葉杯を下げている。顔は女性的で「西横間の田の神」とならぶ美しい容貌である。「野崎の田の神」などから派生した亜型の僧型立像の田の神である。 「延享2年(1745)」の紀年銘があり、この亜型の僧型立像の田の神はメシゲ・宝珠持ちの像もワラヅトを背負い鍬を持つた像と同じ頃から造立が始まったと考えられる(ワラヅトを背負い鍬を持つた像の最も古い紀年銘は2体の東大園の田の神の1体の「寛保3年(1743)」)。他に東串良町新川西下の下伊倉の田の神もメシゲ・宝珠持ちのスラリとした田の神像である。 |
| 西横間の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡肝付町新富西横間 「天保七年(1836)」 |
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| 肝付町の「西横間の田の神1」は、ワラヅトを背負い鍬を持つ田の神像で天保八年(1836)の紀年銘を刻む。 傷みが少なく、目鼻立ちが美しい女人風の顔が素晴らしい。この田の神の横には、右手にスリコギ、左手にメシゲを持つ男性的な顔の田の神(「西横間の田の神2」)が、まるで夫婦のように並んでいる。 |
| 西横間の田の神1 |
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| この地方に産する本城石と呼ばれる赤黒い石材に刻んだ、ツト負い鍬持ちの僧型立像の田の神である。赤黒い石材と袖口・衿・唇などの赤いベンガラの彩色が、調和とれた姿態と端正な女人風の顔を引き立てている。背後に「天保七申年十一月吉日」の刻銘があり、大きな袖のついた長衣を着たすらりとした女性的な表情の僧型立像の田の神としては比較的新しいが「野崎の田の神2」「塚崎の田の神」と比べても遜色はない。 |
| 西横間の田の神2 |
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| 「西横間の田の神1」と同じく本城石と呼ばれる赤黒い石材に刻んだ田の神像である。この像も赤いベンガラの彩色が残っている。右手にスリコギを立てて持ち、左手にはメシゲを横にして持つ。旅僧型の田の神と考えられるが、被っているシキは頭巾風ではなく笠状である。修行を積んだ僧のような穏やかな顔つきで、「西横間の田の神1」と対照的である。 |
| 波見下の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡肝付町波見波見下 |
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| 旅僧型の田の神が急増するのは十九世紀初頭以降である。十九世紀初頭には鹿屋市の大牟礼田の田の神・大脇の田の神塚・芝原の田の神などの秀作もあるがそれ以降は形式化・画一化が進んで、上衣や裁着け袴(たっつけはかま)など着衣などのしわや衣紋を省略した、おおざっぱな表現のものが多くなる。 波見下の田の神は十九世紀初頭以降の作と思われ、着衣など形式化は見られるが、頭に被ったシキは編み目をしっかりと表現していて、全体に丁寧に彫られた秀作である。特に顔は西横間の田の神によく似た女性的な優しく引き締まった顔で印象深い。 側面から見ると台石に座っているように見えるが、座っている角石は背後の支え石と考えられる。下名真角の田の神など僧旅僧型の田の神の多くは台石と共石で踏み出そうとする像を支えるための支え石を置いている。 |
| 宮下南の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡肝付町宮下 「慶応4(1868)年」 |
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| 19世紀後半になると旅僧型の田の神像は形式化が進んで、上衣や裁着け袴(たっつけばかま)など着衣などのしわや衣紋を省略した、おおざっぱな表現のものが多くなる。そのような田の神の一つが宮下南(みやげみなみ)の田の神である。 この田の神は写実的な表現という点では下名真角の田の神などと比べれば劣り、体躯は金属でできたロボットのようである。顔も素朴で、下名真角の田の神の托鉢僧らしい厳しさや、波見下の田の神のような女性的な優美さとはほど遠い。しかし、この抽象的で素朴な表現が、素朴で愛らしい顔が石の持つ素材の力を引き出し、この田の神の魅力となっていて、私のお気に入りの田の神の一つである。 「慶応4(1868)年」刻銘があり、江戸時代最後の年の作である(慶応4(1868)年ぱ9月から明治元年となる)。 |
| 花牟礼池の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡肝付町新富 花牟礼 「明治14年(1881)」 |
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| 「花牟礼池の田の神」は花牟礼池の北の道路沿いに頭部がない石仏と並んで立っている。シキを肩まで垂らして被り、頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを斜め横にして持つ旅僧型の田の神像である。丸顔の優しそうな顔の田の神である。「宮下南の田の神」に比べると着衣や頭陀袋などを細かいところまで表現しているが形式的である。下半身が破損していて破損した脚などが隣に置かれていて、一見すると座っているように見える。背後の支え石にいっぱいに「明治十四年」の刻銘がある。支え石も下の半分が破損されていて、壊れた石材のかけらなどを下に入れて倒れないようにしている。 |
| 下宮下の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡肝付町宮下 |
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| 「下宮下の田の神」は「下宮下」のバス停近くの道路際に水田に向かって立っている。撮影した時にはヒサカキ?が植えられていて、植木に挟まれて田の神は立っていて 一部陰になった写真しか撮れなかった。この像もシキを肩まで垂らして被り、頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを斜め横にして持つ旅僧型の田の神像である。破損したのか立つ脚が短い。面長の引き締まった顔が印象に残る。 |
| 中福良の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市吾平町上名中福良 |
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| 大隅半島の中部の肝付町(旧高山町)や東串良町・鹿屋市にはワラヅトを背負い鍬を持つた、シキを肩に垂らしてかぶり、大きな袖のついた長衣を着たすらりとした女性的な表情の僧型の田の神がある。これらは薩摩半島の僧型のメシゲ・鍬持ち・ワラヅト負いの形が、伝わって、変化して生まれたものと考えられる。 このような鍬持ち、ワラヅト負いの田の神の代表と言えるものの一つが「中福良の田の神」である。鍬は薩摩半島の僧型田の神と違い、両手を鍬の柄に置き、メシゲは背負ったワラヅトにさしている。近くの肝付町の東大園によく似た田の神があり、それには「明和8年(1771)」の紀年銘があることから、この像も同じ頃の作と思われる。八幡神社の境内にあり「八幡神社の田の神」として鹿屋市の 有形民俗文化財に指定されている。 |
| 下名真角の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市吾平町下名真角 「安永4(1775)年」 |
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| 長衣を着たすらりとした鍬持ちやメシゲ・宝珠持ちの田の神以外に大隅地方で特色ある僧型の田の神として、シキを後に頭巾風に長く垂らして被り、胸に大きな頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを横にして持つ托鉢僧姿の田の神がある(旅僧型)。鹿屋市や肝属郡を中心とした地域では最も多い田の神像であるため大隅型とも呼ばれる。 下名真角(しもみょうますみ)の田の神は旅僧型の田の神の代表作の一つである。右手にはスリコギ、左手にはメシゲ、この二つを直交する位置に持たせ、右足は左足より少々上げて台石にのせて、歩く姿を表している。シキの下には総髪姿のはえ際がくっきりしていて、山伏僧の風貌がうかがえる。この型の田の神の最も古いのは「明和8(1771)年」で、この田の神はそれとほぼ同じ頃の「安永4(1775)年」の作である。鹿屋市の有形民俗文化財に指定されている。 |
| 大牟礼の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市吾平町上名中大牟礼 |
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| 大隅地方で特色ある僧型の田の神として、シキを後に頭巾風に長く垂らして被り、胸に大きな頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを横にして持つ托鉢僧姿の田の神がある(旅僧型)。鹿屋市や肝属郡を中心とした地域では最も多い田の神像である。旅僧型の田の神は肝付町宮下川北の「明和8(1771)年」の像や「安永4(1775)年」の下名真角の田の神などが古く、多くは19世紀以降の作である。 大牟礼の田の神はその中でも比較的古く19世紀初頭の作と思われる。長衣を着たすらっとした僧型立像の田の神と同じくシキを後ろに長くたらして被るが、裁着け袴をはき、胸に宝珠描いた頭陀袋をさげ、スリコギを持つことや、頭が大きく4頭身の体形など僧型立像の田の神とはかなり違っている。右足は左足より少し上げて台座にのせて、托鉢する姿を表している。顔は一見、童顔風であるがよく見ると山伏僧らしい厳しさが感じられる風貌である。数多い旅僧型田の神の中では下名真角の田の神ととも優れた田の神像である。鹿屋市の有形民俗文化財に指定されている。 |
| 車田の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市吾平町上名車田 |
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| 車田の田の神は、岩を丸彫りにした像で、余った岩に山水と磨崖仏風の小さな浮き彫り像を刻み添えている。メシゲとスリコギを持つ像で、渦巻き模様のシキをアミダにかぶっていてるため、シキが光背のように見える。頭の上と胸元にも小さな仏像が付けてある珍しい田の神像である。 山水は修験道場としての山を示し、その山で修行する効験あらたかな僧を田の神としたのではないだろうか。穏やかな面相と端正な姿の僧型田の神像である。刻銘がないが、かなり古い時代のものと考えられる。鹿屋市の有形民俗文化財に指定されている。 |
| 苫野の田の神 |
| 鹿屋市吾平町上名苫野 |
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| 上名の下苫野の県道沿いの森の前に2体の田の神が灯篭と石祠(水神?)とともに並んでいる。2体とも左手にメシゲと右手にスリコギを持った田の神であるが、向かって左の像(苫野の田の神1)は「車田の田の神」と似た田ノ神でメシゲとスリコギを斜めに立てて持ち、左の田の神(苫野の田の神2)は旅僧型の田の神でスリコギを立てて持ちメシゲを横にして持つ。鹿屋市の有形民俗文化財に指定されている。 |
| 苫野の田の神1 |
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| 左の像「苫野の田の神1」は「車田の田の神」とそっくりな田の神である。メシゲとスリコギを持つ像で、シキをアミダにかぶっていてるため、シキが光背のように見える。頭の上と胸元にも小さな仏像が刻まれている。「車田の田の神」の頭上の小さな仏像は頭の上に載せているように見えるが、この像の頭上の小さな仏像は頭には載せず仏像の光背の月輪のようにかぶったシキの内側の上に刻まれている。 |
| 苫野の田の神2 |
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| 右の像「苫野の田の神1」は旅僧型の田の神である。シキを頭巾のようにかぶり、右手でスリコギを立てて持ち左手でメシゲを横にして持つ。長い袖のある上衣と裁着け袴を着けて、右足を半歩踏み出している。「大牟礼の田の神」などと比べると小さくおおざっぱな表現の像であるが渋い顔つきが印象に残る。 |