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| 大隅の田の神さあ8 (志布志市・大崎町・東串良町) |
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| 「大隅の田の神さあ8」は志布志湾岸に位置する志布志市・大崎町・東串良町の田の神を紹介する。志布志市にはメシゲとスリコギを持つ神職型座像の田の神の代表的な像が2体ある。1体は右膝を半ば立てた趺座の形で組む「豊原の田の神」県の有形民俗文化財に指定されている。もう一体は安座姿の神職型座像の大型の田の神の「森山の田の神」である。 大隅半島の特色ある田の神の一つてしてあげられるのが旅僧型である。シキを後に頭巾風に長く垂らして被り、胸に大きな頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを横にして持つ托鉢僧姿の田の神である。大崎町の「田中の田の神」はその旅僧型の田の神で、上衣の袖口やメシゲなどにベンガラで着色した跡が残る。旅僧型は鹿屋市や肝属郡を中心とした地域では最も多い田の神像で東串良町では「岩弘中の田の神」と「中園の田の神」が旅僧型である。 旅僧型とともに鹿屋市や肝属郡で特色ある田の神がシキを肩に垂らしてかぶり、藁苞を背負い、大きな袖のついた長衣を着たすらりとした端正な表情の僧型立像の田の神である。東串良町では「下伊倉の田の神」と「安留の田の神」がそれにあたる。「下伊倉の田の神」手にはメシゲと宝珠を持ち、帯にはヒョウタンと木の葉杯を下げている。「安留の田の神」は両手で鍬を持つ。 | |
| 豊原の田の神 |
| 鹿児島県志布志市有明町吉村豊原 「寛保3年(1743)」 |
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| 薩摩地方にはあまり見られず大隅半島に多く見られる田の神像として神職型座像の田の神が上げられる。頭には冠や烏帽子の代わりにシキをかぶり、手には笏ではなくメシゲとスリコギを持つ。 神職型座像の田の神の代表的な像が右膝を半ば立てた趺坐の形で組む志布志市有明町の豊原の田の神である。シキは頭巾風で編み目はない。「寛保3年(1743)」としては古い紀年銘を持ち、庶民的な顔であるが、重厚で安定した座像で、威厳のある像である。「野井倉の田の神」の名称でで県の有形民俗文化財に指定されている。 |
| 森山の田の神 |
| 鹿児島県志布志市志布志町内之倉森山 「弘化4年(1847)」 |
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| 志布志市志布志町の森山の田の神は高さ118pの安座姿の神職型座像の大型の田の神で、曽於市の広津田の田の神と同じくシキの笠を被り、スリコギとメシゲを持つた、単純明快な表現の田の神である。着衣は広津田の田の田の神の垂領(たりくび)<左右の襟を低くたれさげ、引き合わせに着用すること>の衣装に対して狩衣(かりぎぬ)姿である。「山裾の田の神」の名称で志布志市の指定文化財になっている。 |
| 蓬原(ふつはら)宇都の田の神 |
| 鹿児島県志布志市有明町蓬原 「大正10年(1921)」 |
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| 県道523号線、「宇都鼻」交差点の東約110mに開田と水路改修の記念碑があり、その近くの路傍に「蓬原宇都の田の神」が立っている。舟形の石材に背中まで垂らしたシキを被り右手にメシゲ、左手にスリコギ持って立つ素朴な農民風の姿を厚肉彫りした田の神である。背後に大正十年(1921)の刻銘がある。 |
| 蓬原中野の田の神2 |
| 鹿児島県志布志市有明町蓬原 中野 「宝暦3年(1753)」 |
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| 志布志市指定文化財のスリコギとメシゲを持つた神職型座像の「蓬原中野の田の神」を撮影しようと有明町蓬原中野を訪れたのですが見つけられず、撮影できたのは県道513号沿いの開田記念碑横にある田の神だけでした。そこで、この田の神を「蓬原中野の田の神2」として載せることにした。「蓬原中野の田の神2」も座像の田の神であるがスリコギとメシゲ持ちではなく、大きなメシゲを両手で抱えるように持っている。右膝を半ば立てた趺坐像である。顔が大きく破損しているが残念である。「宝暦三年(1753)」の紀年銘がある。 |
| 田中の田の神 |
| 鹿児島県曽於郡曽於郡大崎町田中 「文化11年(1814)」 |
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| 大崎町田中の水田地帯の道路脇に立派な椿の木があり、その椿の樹の横に田中の田の神は祀られている。シキを後に頭巾風に長く垂らして被り、胸に宝珠を描いた頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを斜めにして持つ旅僧型の田の神で、上衣の袖口やメシゲなどにベンガラで着色した跡が残る。顔も白く化粧した跡が残っている。支え石を使っていないため、やや股を開くように立っている。 稚拙に補修した鼻が気になるが、背後の水田や横の椿の樹・花生けの花瓶などとマッチして風情ある田の神像のある風景となっている。 |
| 立小野の田の神 |
| 鹿児島県曽於郡大崎町野方立小野 「文化5年(1808)」 |
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| 立小野集落のはずれの分かれ道に開田記念碑があり、その奥に「立小野の田の神」がある。車のタイヤのようにも見える大きなシキをかぶり、右手で大きなメシゲを立てて持ち、左手でスリコギを持って、右膝を半ば立てて趺坐する。顔はうりざね顔ですっきりした体つきの田の神で座像の田の神では異質の像である。着衣から「豊原の田の神」などと違って神職ではなく僧太崎町の有形民俗文化財に指定されている。台座に昭和35年の刻銘があるがこの台座は造立時のものではないと思わる。紀年銘は確認できなかったが横に立てら横に立てられている案内板には「文化5年正月と記されている」としている。 |
| 中園の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡東串良町川東中園 「明治42(1909)年」 |
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| 田の神像が造られ広まった18世紀・19世紀初頭を中心に田の神像を取り上げてきたが、その後も多くの田の神像が造立された。明治以降、昭和まで田の神像は鹿児島県と宮崎県の旧薩摩領の各地で造立されている。鹿屋市・肝属郡でも明治以降の田の神が多くある。そして、その多くが旅僧型である。その一つが「明治42(1909)年」の紀年銘を持つこの中園の田の神である。 中園の田の神はシキを後に頭巾風に長く垂らして被り、胸に宝珠を描いた頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを横にして持つ托鉢僧姿の田の神である。今まで紹介した旅僧型の田の神と比べると迫力を感じられない。支え石を使わず表現した托鉢僧と思えない細い足や、華奢な体つき、面長の顔などが要因と思われる。しかし、決して上手と言えない彩色や、頼りなさそうな青年風の容貌などが、かえって庶民の信仰として今でも息づいていることを感じさせ、好感の持てる田の神像である。 |
| 岩弘中の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡東串良町岩弘 岩弘中 | ![]() |
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| 串良町岩弘の串良川沿いの水田地帯の水路のそばに水神祠3基と並んで立っている。「田中の田の神」や「中園の田の神」と同じ旅僧型の田の神で、胸に宝珠を描いた頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを斜め横にして持つ。旅僧型の田の神はシキを頭巾風に長く垂らしてかぶっているのが一般的であるが、この田の神はかぶっているシキは頭巾には見えず傘を阿弥陀にかぶっているように見える。 |
| 安留(やすどめ)の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡東串良町川東安留 |
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| この像もシキを肩に垂らしてかぶり、藁苞を背負い、大きな袖のついた長衣を着たすらりとした女性的な表情の僧型立像の田の神は旅僧型の田の神と共に鹿屋市・肝属郡のよく見かける田の神である。肝付町の「東大園の田の神」や鹿屋市吾平町「中福良の田の神」などがそれにあたる。この「安留の田の神」もシキを頭巾風にかぶり大きな袖のついた長衣を着た旅僧型の田の神で鍬を杖のように両手で体の正面に持っている。像高82pで背負った藁苞にメシゲを着けている。顔の損傷がひどいのが残念である。 |
| 下伊倉の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡東串良町新川西下伊倉 「文化4年(1807)」 |
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| この像も「安留の田の神」と同じくシキを肩に垂らしてかぶり、大きな袖のついた長衣を着たすらりとした女性的な表情の僧型立像である。田の神は安留の田の神」のようにワラヅトを背負い鍬を持つ像以外に、米俵にのりヒョウタンをさげメシゲと宝珠を持つ像がり、肝付町野崎の「塚崎の田の神」とこの「下伊倉の田の神」がそれである。 下伊倉の田の神は像高96p、台石の高さ60p(俵も含む)の大型の田の神で、右手にメシゲ、左手に宝珠を持ち、帯紐に大きなヒョウタンと木の葉の形の杯を下げている。正面から見ると塚崎の田の神と同じくすらっとした姿であるが、横から見ると量感がある。顔は端正であるが男性的な相貌である。「文化4年(1807)」の紀年銘があり、県の有形民俗文化財に指定されている。 |