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大隅の田の神さあ7
(曽於市)
 「大隅の田の神さあ7」は曽於市の田の神を紹介する。曽於市は大隅半島の北部に位置し2005年、曽於郡の末吉町・財部町・大隅町が合併して誕生した市である。曽於市ではシキを被りメシゲと椀やすりこ木を持ち、裁着け袴をはいた農民風の田の神が多い。その中でも財部町の「大河原の田の神」や「刈原田の田の神」、末吉町の「富田の田の神」「池山の田の神」などは田の舞型の田の神で個性的で動きのある魅力的な田の神である。
 大隅半島の特色ある田の神として神職型座像の田の神ある。頭には冠や烏帽子の代わりにシキをかぶり、手には笏ではなくメシゲとスリコギまたは椀を持つ。大隅半島の神職型座像の田の神は右膝を半ば立てた趺座の形で組む像が多いが、安座する像も見られる。曽於市でも「広津田の田の神」や「仮屋の田の神1・2」・「新田の田の神」が神職型座像の田の神である。そのうち「広津田の田の神」と「仮屋の田の神2」・「新田の田の神」が安座像で「仮屋の田の神1」は右膝を半ば立てた趺座像である。「広津田の田の神」と「仮屋の田の神1」はメシゲとスリコギを持ち、「仮屋の田の神2」と「新田の田の神」はメシゲと椀を持つ。



刈原田の田の神
鹿児島県曽於市財部町北俣刈原田  「文化8(1811)年」
 刈原田の田の神は長袴を着て、両手でメシゲを持って田の神舞を踊る姿の田の神像で、口をひん曲げゆがめた顔に特徴がある。刈原田の田の神も西田の田の神や新中の田の神と同じく、田の神が厳粛な神から戯れ神に庶民化して、戯画的に表現したものである。この田の神像の前には前にはミニサイズの田の神像が置かれている。



大川原の田の神
鹿児島県曽於市財部町下財部大川原  「安永9年(1780)年」
 大川原の田の神も田の神舞型の田神である。宮内の田の神や富田の田の神などと同じく右手でメシゲをかかげ、左手に飯椀を持って、右足をやや前に出して田の神舞を舞う田の神像である。宮内や富田の田の神と比べると動きもなく、体躯は子供のような稚拙な表現になっている。しかし、味わい深い農民風の顔と、白・青・赤・茶をうまく使った彩色が、この像を引き立て魅力ある田の神像になっている。「安永9年(1780)年」の刻銘がある。



富田の田の神
鹿児島県曽於市末吉町南之郷富田 
 大隅半島の北部に位置する曽於市には神職座像型の田の神も見られるが、田の舞型の田の神像が多く、田の神像の様相は大隅半島の中部の鹿屋市や肝属郡とは違っている。
 曽於市の田の舞型の田の神像のなかでも味わい深いのが富田の田の神である。右手でメシゲをかかげ、左手で椀を持った田の神で、大きく膨らんだお腹と両膝の丸く膨れた裁着け袴が福耳を持ったにこやかな丸顔とマッチして、田の神舞を舞う素朴な農民と行った風情である。



池山の田の神
鹿児島県曽於市末吉町岩崎池山
 「池山の田の神」は池山公民館の前に水田に向かって立っている。シキを頭巾のようにかぶって左手にメシゲ、右手にスリコギをかかげて持って立つ田の神である。丸く膨れた裁着け袴をはいて田の神舞を踊る農民風の田の神である。鼻と口が破損しているのが惜しい。



 
宇都乃上の田の神
鹿児島県曽於市末吉町深川
 「宇都乃上の田の神」は末吉町深川の宇都乃上自治公民館の隣の、墓石が10基ほど収められた細長いコンクリート製の覆屋の隣に祀られている。シキを防災頭巾のようにかぶって裁着け袴を着けて、右手にメシゲ、左手に椀を下げて持ち、右足を一歩踏み出して田の神舞を踊ろうとしている農民風の田の神である。鼻は破損しているが幼顔が残る印象的な田の神である。


檍(あおき)の田の神
鹿児島県曽於市末吉町南乃郷 檍
 
参照 檍神社の安産子育地蔵
 「檍(あおき)の田の神」は末吉町南乃郷の檍(あおき)神社の一の鳥居から神社に向かう参道横の水田の畔にある。「宇都乃上の田の神」と同じようにシキを防災頭巾のようにかぶって裁着け袴を着けて、右手にメシゲ、左手に椀を下げて持った農民風の田の神である。ただ顔は「宇都乃上の田の神」が穏やかに笑う幼顔に対して、「檍の田の神」は目尻を下げて笑う好々爺の顔に見える。
 檍神社には「安産子育地蔵」があり、豊かな胸から水があふれるようになっていて、安産に聞くといわれている。この子育て地蔵の姿は通常の地蔵の姿ではなく頭巾を被っていて、頭巾がシキによく似ていて一見すると田の神にも見える。



 
広津田の田の神
鹿児島県曽於市大隅町月野広津田   「弘化4年(1847)」頃
 大隅半島に多く見られる田の神像として神職型座像の田の神が上げられる。頭には冠や烏帽子の代わりにシキをかぶり、手には笏ではなくメシゲとスリコギを持つ。大隅半島の神職型座像の田の神は豊原の田の神など右膝を半ば立てた趺座の形で組む像が多いが、安座する像も見られる。
 曽於市大隅町の広津田の田の神は安座姿の神職型座像の田の神としては最もよく知られている像である。高さ140pの大型の田の神で、単純明快な簡略な表現に特徴がある。案内板は造立年を「弘化4年(1847)」頃としている。


 
新田の田の神
鹿児島県曽於市財部町南俣新田  「昭和5(1930)年」
 「新田の田の神」は新田公民館近くの広い水田地帯の一画の小さな東屋のある広場に建立記念碑とともに置かれている。「広津田の田の神」と同じく座像の田の神であるが、スリコギではなく椀を持っている。台座の正面に米俵を3つ浮き彫りにして、俵の上に田の神像が乗っているかたちにしている。
 田の神像の横に建てられている案内柱に「この田之神は、開田を記念して、昭和五年四月十日に建立された。簑原新田は、大正十年九月二十七日着工して、昭和五年に区画整理を行いました。当時の総面積は、約九十八町一反六畝で、開田への取水口は八ヶ代で、飯野・川畑・七村を経て水が引かれている。」と書かれている。



       
仮屋の田の神
鹿児島県曽於市末吉町南之郷仮屋
 曽於市末吉町南乃郷仮屋の丘陵の端が小山になっていてその上に3体の田の神が祀られている。3体の田の神のうちの2体がメシゲ・スリコギ持ちの神職型座像の田の神である。東を向いた大型の田の神「仮屋の田の神1」は安座する神職型座像で、西を向いたやや小型の田の神「仮屋の田の神2」は片膝を立てた神職型座像ある。南東側斜面にある田の神「仮屋の田の神3」はメシゲ・椀持ちの農民風の立像である。

 小山は高い草が茂っていて、撮影した時はほとんどの草が刈り取られていて、3体ともすぐに見つけ撮影できた。リニューアルに当たって「Google Earth」で調べてみるとこの小山は雑木が生えて雑木林になっていた。3体の田の神はどうなっているのだろうか。
 
仮屋の田の神1
背後にあるのが「仮屋の田の神2」
 「仮屋の田の神1」は小山の頂上で東を向いて座す神職型座像の田の神である。自転車のヘルメットのようなシキをかぶり、右手にメシゲ、左手にスリコギを膝の上で掲げるように持っている。下がり眉毛の細い目で静かに微笑んだ顔が心に残る。志布志市有明町伊崎田鍋に同じ石工の作と思われるそっくりな田の神がある。
 
仮屋の田の神2
 「仮屋の田の神2」は小山の頂上付近で西を向いて座す神職型座像の田の神である。「仮屋の田の神1」に比べるると小型である。メシゲとスリコギを持ち膝を立てた趺座の形で座す。口や顔をゆがめた個性的な顔をした田の神で、鹿屋市串良町の「堂園の田の神」とよく似ている。このような表現の神職型趺座像の田の神は「堂園の田の神」をはじめとして鹿島市串良町の串良川流域にみられ、「仮屋の田の神2」はこれらの田の神と共通する石工の作と考えられる。
 
仮屋の田の神3
 「仮屋の田の神2」は南東側斜面にある。大きな重たそうなシキをかぶって左手にメシゲ、右手に椀を持った田の神立像で膝から下は土にうずまっている。顔やかぶったシキは大きく破損している。



大隅の田の神さあ6 大隅の田の神さあ8