| 大隅の田の神さあ10 (鹿屋市串良町・旧鹿屋市1) |
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| 「大隅の田の神さあ10」は東串良町の西、肝付町の北にある旧串良町(鹿屋市串良町)の田の神と合併前の平成の大合併前の鹿屋市の地域の田の神を紹介する。旧串良町にはメシゲとスリコギを持ち膝を立てた趺座の形で組む神職座像の田の神が見られ、それも口や顔をゆがめた個性的な顔をした田の神像であることを田の神の写真集などで確かめて訪れた。しかし見つけることが出来たのは串良川沿いの土手で口をゆがめて笑う「堂園の田の神」と市の有形民俗文化財の「中郷の田の神」と磨滅の進んだ「下中の田の神」の3体のみであった。旧串良町では他に旅僧型の「岡崎上の田の神」・「下小原の田の神」を載せた。 旧鹿屋市の田の神はこの「大隅の田の神さあ10」と「大隅の田の神さあ11」に分けて紹介する。「大隅の田の神さあ10」では旧鹿屋市1として大きな袖のついた長衣を着たすらりとした女性的な表情の僧型立像の田の神と托鉢僧姿の旅僧型の田の神を掲載している。 女性的な表情の僧型立像の田の神としてツト負い鍬持ちの「岡泉の田の神」と左手で稲穂を担ぐように持つ「永野田の田の神」を載せた。旅僧型の田の神では昭和31年に造られた作者の個性が出た現代の田の神像の秀作の「川東の田の神」と19世紀に像立されたオーソドックスな旅僧型の田の神「牟田畑の田の神」「獅子目入口の田の神」を載せた。 | |
| 中郷の田の神 |
| 鹿屋市串良町有里中郷 「天保5(1834)年」 |
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| メシゲとスリコギを持ち膝を立てた趺座の形で組む神職型座像型の田の神である。上衣、下衣は直衣、指貫風で、被っているシキは頭巾というより兜のように見える。右手でスリコギを膝の上で立てて持ち、左手でメシゲを斜めにして持つ。顔は口や目が少し破損しているためか、厳しい表情に見える。霧島市の隼人塚石造四天王を思わせる迫力のある田の神である。背後に「天保五甲午三月初丑奉建立串良有里村中方限」の刻銘がある。鹿屋市の有形民俗文化財に指定されている。 |
| 堂園の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市串良町細山田堂園 |
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| 大隅半島の神職型座像の田の神像は広津田の田の神や森山の田の神のように安座する像もあるが、メシゲとスリコギを持ち膝を立てた趺座の形で組む神職型座像が多く見られる。 特に鹿島市串良町の串良川流域の神職型座像の田の神は口や顔をゆがめた個性的な顔をした田の神像が多く。映画「望郷」(1993年・斎藤耕一監督)のロケ地となった串良川沿いの土手にある。神職というより田の神舞を踊る農民のように見え、口をゆがめて笑う庶民的でユーモラスな田の神である。 |
| 下中の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市串良町細山田下中 |
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| 「下中の田の神」は下中集会所の横の道路わきに六地蔵塔の横に安置されている。大きく風化した田の神で、目鼻口や衣紋などは磨滅してわからない。座像の田の神に見えるが、下半身は破損した部分も見られ何とも言えない。シキを被り、右手に小さなメシゲを横向けて持っていることはわかるが、左手の持ち物はわからない。一見した時は椀のように見えたが、左手は肘あたりから欠けていて椀と思えるぶぶんは下に繋がっていて立てた膝のようにも見える。風化磨滅していく姿に石の生命感が感じられような気がして載せた。向かって左の六地蔵塔も破損した石幢の六地蔵部分と頭部がなくなった石仏を組み合わせて建てたものである。 |
| 岡崎上の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市串良町岡崎 岡崎上 「文化2年(1805)」 |
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| 「岡崎神の田の神」は岡崎上公民館前の木の下にある。訪れた時は基壇は本来のものでなく軽量ブロックになっていた。シキを肩まで垂らして被り、頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを横にして持つ旅僧型の田の神像である。顔は磨滅しているのが惜しい。背後の支え石に「文化二年(1805)」の紀年銘がある。鹿屋市の有形民俗文化財に指定されている。 |
| 下小原の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市串良町下小原 |
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| 串良町下小原はシラス台地の笠之原台地の南端にあり下小原集落の東と北は広い畑作地帯で西は串良川沿いの水田地帯である。 下小原集落の集落の西の県道沿いに赤い小さな鳥居がポツンとあり、鳥居をくぐると記念碑と水神などの石祠があり神々が祀られている。「下小原の田の神」はそれらの横に置かれていて、鳥居のほうではなく水田に向かって立っている。典型的な旅僧型の田の神像でシキを肩まで垂らして被り、頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを斜め横にして持つている。顔は一部破損しているが穏やかな顔つきに見える。 |
| 岡泉の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市野里町岡泉 「享和3年(1803)」 |
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| 「岡泉の田の神」は野里町の岡泉公民館の前に広がる水田地帯にある。肝付町(旧高山町)などによく見られる大きな袖のついた長衣を着たすらりとした姿の田の神である。両手で杖のように鍬を持ち、背後には斜めに大きなワラヅトを負い、ワラヅトにはメシゲがさしてある。肝付町(旧高山町)の「西横間の田の神」と同じ本城石の赤みがかった黒石で刻まれていて袖口・衿などに赤いベンガラの彩色の後が残る。台座に「享和三乙(癸?)亥年 奉建立田ノ御神 三月吉日」の刻銘がある。顔面は摩滅しているが、田んぼの中に祀られていて風情がある。 |
| 永野田の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市永野田 |
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| 永野田の田の神も大きな袖のついた長衣を着たすらっとした僧型立像の田の神である。他の僧型立像の田の神と違って左手で稲穂を担ぐように持つ、稲穂を担ぐように持つ田の神像はあまり見られないが、19世紀になってあらわれる大黒天像と融合した大黒天型の田の神像には金嚢(袋)のかわりに稲穂を背負う像が見られる。下伊倉の田の神などよりも新しい時代のものと思われる。 |
| 川東町堂の下の田の神 |
| 鹿児島鹿屋市川東町 「昭和31(1956)年」 |
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| 「川東町堂の下の田の神」は川東町簡易郵便局の南200mの水路脇の大きな木の下にある昭和31年に像立された旅僧型の田の神である。裁着け袴をはき、胸に宝珠描いた頭陀袋をさげ、メシゲとスリコギを持つことや、頭が大きく4頭身の体形など旅僧型の田の神の特徴を備える。ただ、シキは肩までたらした頭巾風のシキではなく、スリコギを左の手に持ち、メシゲを右手で立てて持つことなどは違っている。 メシゲやスリコギを持っ手はカニの足のようで写実性に乏しいが、顔の表情や内股で右足を半歩進める姿勢は独特のものがあり、作者の個性が出た現代の田の神像の秀作である。 |
| 獅子目入口の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市獅子目町 |
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| 獅子目町集落の入り口にある「獅子目入口の田の神」も旅僧型の田の神である。シキをかぶり頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを横にして持つ托鉢僧姿の田の神であるが、旧吾平町や東串良町の田の神と比べるとボリューム感のある造形でどっしりとした田の神である。 |
| 牟田畑の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市南町牟田畑 「嘉永2年(1849)」 |
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| 「牟田畑の田の神」は鹿屋市南町の鹿屋市立南小学校の西北西約0.4qの県道近くに石祠と並んで祀られている。(Google Earthで確かめてみると「南小田んぼ入口」の案内板のすぐ近くである)。この田の神も旅僧型の田の神で鹿屋市吾平町の「下名真角の田の神」「大牟田の田の神」とよく似た優れた田の神である。他の旅僧型の田の神と違って踏み出そうとする右足より左足が前にある。背面に「嘉永二年(1849年)」の刻銘があり「下名真角の田の神」などから半世紀後に像立されたものである。 田の神像の近くにに建てられている案内柱に「ここの田の神は、嘉永二年(1849年)に建立され、農作業の安全・五穀豊穣・婚礼の縁起神として、先祖代々から地域の人々の心のよりどころとなっている。当初は、現在地の東方約十メートル前方にあったが、田んぼの造成工事に伴い平成19年8月30日に移動願ったものである。」と書かれていた。 |