| 大隅の田の神さあ11 (旧鹿屋市2・錦江町・南大隅町) |
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| 鹿屋市と肝属郡の特色ある田の神とし仏像型・僧型の流れでは、女性的な表現の僧型立像と旅僧型を、神像型・神職型流れではメシゲとスリコギを持つ神職座像の田の神を今まで取り上げてきたが、旧鹿島市にはまだこの地方独特の特色ある田の神がある。その一つが神像型・神職型流れの神舞神職型の田の神である。中腰で神舞(カンメといい神楽のこと)を舞う神職を表した田の神で高隈町付近にみられ、烏帽子を被り、袂の短い上衣に、長袴をつけて振り鈴を持った田の神である。ここではその中で最も古く優れている「上別府の田の神」と赤・黒・白で見事に彩色された「中津神社の田の神」、下の棚田や水田を見下ろしている絶好の被写体である「鶴の田の神」を紹介する。 旧鹿屋市の特色ある田の神のもう一つが神舞神職型とメシゲ持ち田の神と融合したシキを被り、右手にメシゲを持ち左手に振り鈴を持つた田の神舞を踊る田の神像(田の神舞神職型)である。野里町にある県の指定有形民俗文化財の「野里の田の神」と「芝原の田の神1」がそれである。「野里の田の神」の周りは美しい田んぼが広がっていて、田の神像のある風景の撮影には絶好の場所である。 「大隅の田の神さあ11」では他に両手でメシゲを持ち田の神舞を踊る農民風の田の神で田んぼの中の小さな丘の上に立つ鹿屋市の「祓川町川東の田の神」と農夫姿の田の神で右足にぞうり、左足に下駄を履いた珍しい像である錦江町の「半下石の田の神」を紹介する。そして大隅半島では最も古い紀年銘を持つ県の有形民俗文化財の南大隅町の「川北の田の神」で「大隅の田の神」ページの締めくくりとする。 | |
| 上別府の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市下高隈町上別府 「明和2年(1765)」 |
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| 鹿屋市の高隈町付近には中腰で神舞(カンメといい神楽のこと)を舞う神職を表した田の神像が、何体か見られる。その中で最も古く(「明和2年(1765)」)、優れているのが上別府の田の神である。 烏帽子をつけ、袂の短い上衣に、長袴をつけている。右は振り鈴を持っていたと考えられるが欠けてない。左手は輪を作って孔がある。弊などをさして持たしたと思われる。御幣を腰に2本さしている。顔は歯を出して笑っていて、調和のとれた整った舞姿の田の神像である。 |
| 中津神社の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市上高隈町高隈中央 |
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| 中津神社の参道の手前の石垣の上に祀られている神舞を舞う田の神像である。中腰で烏帽子をつけ、赤・黒・白で見事に彩色されている。デフォルメされた下膨れの顔である。白塗りの顔で頬とおちょぼ口は赤く塗られているため、おかめの面をかぶっているように見える。同じような顔の神舞神職型の田の神は高隈町谷田にもある。 |
| 鶴の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市上高隈町鶴 |
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| 鹿屋市の特色ある田の神像の一つは神職神舞型で、高隈地方に7体ほどある、烏帽子を被り、神舞を舞う神職を彫ったもので、手には振り鈴を持つ。鶴の田の神はその中の1体で、両手は欠けていて、振り鈴などは確認できないが、烏帽子を被り、やや前屈みで中腰で神舞(かんめ)を舞う姿を表した田の神である。鹿屋市の山中の小さな集落の外れの棚田の上の畑に祀られていて、下の棚田や水田を見下ろしている姿は絶好の被写体である。 |
| 野里の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市野里町山下 「寛永4年(1751)」 |
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| 大隅地方の特色ある田の神像として、神像型・神職型流れでは神職型座像と神舞神職型を、仏像型・僧型の流れでは、女性的な表現の僧型立像と旅僧型を取り上げてきたが、もう一つ、この地方特色ある田の神像がある。神舞神職型とメシゲ持ち田の神と融合したもので、シキを被り、右手にメシゲを持ち左手に振り鈴を持つた田の神舞を踊る田の神像である。上衣の衿から胸にかけて可憐な飾りがついていた野里の田の神はこの型の田の神の代表的な作である。「寛永4年(1751)」の作で県の民俗有形文化財に指定されている。 野里の田の神の周りは美しい田んぼが広がっていて、田の神像のある風景の撮影には絶好の場所である。3回目に訪れたときは桃色の田の神像が美しいさば雲が広がる空に映えていた。桃色の凝灰岩でつくられたこの型の田の神像は1qほど離れた上野町芝原の田の神などこのあたりに数点見られる。 |
| 芝原の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市上野町芝原 |
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| 鹿屋市立野里小学校の西側の高須川の谷沿いは水田地帯になっていて、その水田地帯の水路脇に2体の田の神が並んで立っている。向かって左の田の神(芝原の田の神1)はメシゲと鈴を持った田の舞型の田の神で、右の田の神(芝原の田の神2)は旅僧型の田の神である。 |
| 芝原の田の神1 「文政12年(1829)」 |
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| 鹿屋市の特色ある田の神像の一つは、メシゲと振り鈴を持ち、上衣の衿から胸にかけて可憐な飾りがついている田の神舞を踊る田の神像である。その代表的な像が「野里の田の神」(県指定民俗資料有形文化財)とこの「芝原の田の神1」である。共に八角柱台石の上の角台石の上に立つ赤い凝灰岩に彫られた田の神像である。大きなシキを肩にたらし、襟元に波形の飾りのついた上衣で、腹を大きく膨らましている。大きく膨れた裁着け袴を着け、メシゲを右手でたらして持ち、左手に振り鈴を持っている。 像高は野里の田の神よりやや小さい65pで、顔つきは野里の田の神より庶民的で、「野里の田の神」のような伸びやかさにやや欠ける。「野里の田の神」より78年新しい「文政12年(1829)」の建立である。野里の田の神の撮影時と同じく背後の空にはさば雲が広がっていた。 |
| 芝原の田の神2 「享和年間(1801〜1804)」 |
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| 「芝原の田の神2」の旅僧型の田の神は石材は赤い凝灰岩ではなく「西横間の田の神」と同じ黒赤色の本城石で、東串良町の「岩弘中の田の神」とよく似た田の神である。被ったシキは肩まで垂れているが頭巾風ではない。頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを横にして持ち右足を半歩出している。これは托鉢して巡る修験者の僧を表したものである。像の背後に「享□□□ 五月吉日」 「鹿屋下名 田崎」などの刻銘があり、享和年間(1801〜1804)の像立でもとは現在の鹿屋市田崎町にあったものと考えられる。 |
| 祓川町川東の田の神 |
| 鹿児島県鹿屋市祓川町川東 「安永9(1780)年」 |
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| 祓川小学校の南東の田んぼの中に土を盛り上げて作った円墳のような小さな丘がありその上に「祓川町川東の田の神」が立っている。頭巾風のシキをかぶり顔を傾けて両田の神舞を踊る農民風の田の神である。両手の先は破損していて持物はわからないが、残った手の向きなどから両手でメシゲを持っていたのではないかと思われる。被ったシキの背面に「安永九年」(1780年)の紀年銘があり、18世紀後半の作であることがわかる。背後の山々を背景にした丘の上の田の神の姿は忘れられない。(Google mapのストリートビューで確かめてみると、現在は土の丘はなくなりコンクリートで固められた低い台形の土地の上に立っている。) |
| 半下石の田の神 |
| 鹿児島県肝属郡錦江町馬場半ヶ石 「昭和3年(1928)」 |
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| 錦江町の内陸部の半ヶ石集落の中にある農夫姿の田の神の田の神である。右手にメシゲ、左手にスリコギを立てて持ち右足にぞうり、左足に下駄を履いた珍しい像である。像の後ろの案内板には「この田之神像は、昭和3年福原矢吉氏の作によるもので、頭にシキをかぶり、右手にしゃもじ、左手にすりこぎを持っている。また、右足に草履、左足に下駄をはいているのが特徴で、県下でも珍しい。半下石地区一帯の水田を守り、豊作をもたら神様として大切にされている。」と書かれていた。 |
| 川北の田の神神 |
| 鹿児島県肝属郡南大隅町根占川北久保 「享保16年(1731)」 |
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| 「川北の田の神」は享保16(1731)年に建てられたもので、大隅半島では最も古い紀年銘を持つ。台に俵と三つの丸い団子のようなものが彫ってあり、頭巾風にメシゲをかぶり、膨らんだ裁着け袴(たっつけばかま)をはき、メシゲとスリコギを逆八の字に持つ神職立像型の田の神である。県の有形民俗文化財に指定されている。 |