「フォトギャラリー 石仏と野鳥」 新版 2020年10月

 
9月 11月



   
令和2年10月31日撮影  地元の山の桜園と池にて
ジョウビタキ♀・オシドリ
 山の上の桜園ではキビタキ♀1羽とジョウビタキ♀1羽、高鳴きするモズ、メジロ数羽を見ました。夏鳥はキビタキ♀のみで、冬鳥もジョウビタキだけで寂しい桜園です。ジョウビタキ雌は「ヒッ ヒッ ヒッ・・・」と電線にとまって鳴いていました。
桜園から山の上の池に向かいました。オシドリは今日も池の奥の橋から遠く離れた場所にいました。2羽のオシドリが羽ばたきました。
 オシドリは羽ばたいた後、岸の木の下に入ってしまって姿を見せません。20分ほど待ったのですが、動きがありません。あきらめて帰ろうとした時、車の通る橋の方から「クァッ クァッ」とオシドリの鳴き声が聞こえました。車の通る橋に向かうと、橋の下近くに6羽のオシドリがいました。2羽の雄が体をぶつけ合い、その後、追いかけっこをしました。
追いかけっこをしていたオシドリの1羽が突然、羽ばたきました。
 その後、6羽のオシドリは池畔の木の下に入ってしまいました。しばらくすると木の下からオシドリの雄と雌が姿を見せました。木の下の緑色の水面に光が入って金色がかった色になっていて、まるで花鳥画の障壁画のような雰囲気の写真になりました。



   
令和2年10月30日撮影  地元の山の池にて
オシドリ
今年の秋もオシドリが地元の山の池にやってきました。毎年、10月下旬頃から見ることができます。
最初は池の奥の遠く離れた場所にいました。
しばらくすると3羽のオシドリが撮影している端の近くまで来てくれました。



   
令和2年10月29日撮影  古墳のある公園にて
オナガガモ
 今年の2月以来の8ヶ月ぶりの古墳のある公園です。新型コロナウィルス感染の広がりと共に、近隣の山や田んぼ・池・川などほとんど人を見かけない場所しか訪れませんでした。やはりこの公園は人が多く、マスクなしでは歩けません。

 いつも行く大きなため池ではほとんどカモ類は見られなかったのですが、この公園のため池にはすでにマガモ・ヒドリガモ・コガモなどが来ています。特に目立ったのはオナカガモです。この池ではオナカガモはいつでも見られるカモではありません。トモエガモ雌も来ているとのことですが、見ることはできませんでした。
オナカガモは雄2羽、雌2羽いました。
先頭の雄が足をあげて、顔をかくような仕草をしています。
突然1羽の雄が羽ばたきました。



   
令和2年10月28日撮影  近くの川の河川敷と耕作放棄地にて
オオカワラヒワ・ノビタキ
よくノビタキを撮影していた河川敷にはノビタキがいませんでしたが、オオカワラヒワはいました。
セイタカアワダチソウとアキノゲシが目立つもと水田の耕作放棄地には2羽のノビタキがいました。



   
令和2年10月26日撮影  近くの河川敷と大きなため池にて
ノビタキ・オオカワラヒワ・カワセミ・カイツブリ若鳥
前日、ノビタキを撮影した河川敷には2羽のノビタキが葦にとまっていました。この後、2羽は絡むようにして飛び立ちました。
1羽はクズの枯れた蔓にとまりました。
もう1羽は、前日に見たノビタキと同じように、ロープを張るための杭にとまりました。
頭部をひねるようにして上を向きました。このようなポーズをとった鳥を見たのは初めてです。
川の北側のあぜ道のアキノゲシの茎にノビタキがとまっていました。
 アキノゲシの茎にとまっていたノビタキがいた一帯は10数年前までは水田地帯だったのですが、今年は去年まで残っていた一枚の水田も放棄され、すべて耕作放棄地になってます。今は、セイタカアワダチソウとアキノゲシが目立つ広い荒れ地になってます。ノビタキはこの後、あちこちのアキノノゲシとセイタカアワダチソウに飛び移って楽しませてくれました。
 河川敷でノビタキを撮影していると、3羽のカワラヒワらしき小鳥が飛んできました。撮影した写真を見直すと三列風切の白い縁取りが太くはっきりしていました。オオカワラヒワです。
 午後は近くの大きなため池へ行きました。今までよく見かけたノビタキやカモ類は全く見られず、あきらめて帰ろうとしたとき、桜の木の枝にとまっているカワセミを見つけました。
ため池で目立つのはカイツブリでよく鳴き声が聞こえます。多くは若鳥です。



   
令和2年10月25日撮影  近くの川の河川敷と山の上の桜園にて
ノビタキ・エゾビタキ・キビタキ♀・モズ
 近くの河川では先日ノビタキを写した河原の対岸の河川敷にノビタキがいました。河川敷の湿地をロープで囲むための杭にじっととまっていました。
山の上の桜園の一番高いところにある桜園にはエゾビタキがまだいて楽しませてくれます。
キビタキの雌はこの桜園ではよく見かけます。
モズが高い木の枝にとまって鳴いていました。



   
令和2年10月23・24日撮影  山の上の桜園にて
キビタキ・ジョウビタキ・エゾビタキ
 23日は天気予報は正午には雨が止むとなっていたのですが、止んだのは3時過ぎでした。どんよりとした曇り空の中、山の上の桜園へ行きました。夕方近くになって桜園は暗く、どうにか撮ったのがこのキビタキの写真です。
 24日は天気が回復し風が強かったですが、良い天気でした。いつもキビタキの雄を見かける桜園は寂しく、キビタキの雌1羽見かけただけでした。
 一番高いところにある桜園にはジョウビタキとエゾビタキがいました。ジョウビタキは枝かぶりのない良い枝にとまってくれて、たっぷりと撮影できました。
エゾビタキはコオロギのような虫をくわえていました。



   
令和2年10月22日撮影  山の上の桜園にて
キビタキ・ジョウビタキ・アトリ
今日はキビタキの雄が、姿を見せました。色々なポーズをして楽しませてくれました。
キビタキの雌もいました。
冬鳥のジョウビタキもいました。この秋初めてです。
同じく冬鳥のアトリです。



   
令和2年10月21日撮影  山の上の桜園にて
キビタキ♀・オオルリ若鳥
キビタキの地鳴きは3カ所ほどで聞いたのですが、キビタキの雄は見ることができませんでした。雌は撮ることができました。
カネタタキのような虫をくわえています。
 2羽のオオルリらしき鳥を見たのですが、動きは素早くなかなか撮れません。やっとのことで撮れたのが枝かぶりのこの写真です。若鳥のようです。



   
令和2年10月20日撮影  古民家のある公園にて
カワセミ・エナガ・キセキレイ・コサメビタキ・エゾビタキ・キビタキ♀
久しぶりに古民家のある公園に行きました。よくカワセミを見る小さな池にカワセミがいました。
池に飛び込み川エビを捕まえました。捕まえた後は飛び込む前の枝には戻らす、枝かぶりの場所の枝にとまりました。
枝かぶりのない場所に移動して撮った、川エビを飲み込む瞬間です。
エナガ・シジュウカラ・メジロの混群にであいました。エナガは苔を巣作りに使うのか、苔むした梅の木の幹にとまりました。
カワセミがいた小さな池の側にはキセキレイもいました。青虫を咥えています。
尾根沿いの遊歩道にはコサメビタキがいました。
公園の北出口付近で撮影したエゾビタキです。
エゾビタキの近くにはキビタキ♀がいました。ムシクイもいたのですが、撮影できませんでした。



   
令和2年10月19日撮影  近くの大きなため池にて
エゾビタキ
 午後2時頃になって、雨が止んだので近くの大きなため池に行きました。池にはカイツブリ以外は見られず、カワセミも姿を見せませんでした。あきらめて帰ろうとした時、ため池入口付近の畑でエゾビタキを見つけました。



   
令和2年10月18日撮影  山の上の桜園・近く川の河原・自宅前にて
キビタキ・ノビタキ・イソヒヨドリ
午前中は山の上の桜園に行きました。2羽のキビタキ♂を見ました。撮影したのは15日撮影したキビタキではなく、別のキビタキです。
キビタキが地鳴きしているところです。
キビタキの雌です。
 午後は近くの河川の河原にノビタキを撮りに行きました。毎年、秋になるとノビタキがこの河原に入るのですが、ここ数年は数が減り、なかなか写せません。今年も5回訪れ、ようやく1羽のノビタキを見つけました。
青虫を捕まえました。
イソヒヨドリはこの河原でよく見かけます。腹の赤い部分が少なく若鳥と思われます。
 イソヒヨドリは自宅の裏の空き地や自宅の斜め前の建物付近にいつもいて、囀っています。特に斜め前の建物の外階段のガードフェンスとテレビアンテナがお気に入りです。このイソヒヨドリは16日に撮影しました。



   
10月16日撮影  山の中の菊畑にて
ノビタキ
 前日に引き続いて山の中の小菊畑にノビタキを撮りに行きました。ノビタキは2羽でしたが、菊畑を飛び回っていました。前日は少し黄色い花が残っていたのですが、残念ながら黄色の菊の花はほとんど茶色になっていました。



   
令和2年10月15日撮影  山の上の桜園と山の中の菊畑にて
キビタキ・ムシクイ・エゾビタキ・ノビタキ
山の上の桜園のキビタキは今日も愛想よく、羽を広げた姿も撮れました。
 桜園ではムシクイはよく見かけるのですが、桜の枝や葉の間を素早く動くので撮影できませんでした。今日ようやく撮影できました。青虫を咥えていました。
頭央線がないのでセンダイムシクイではなく、オオムシクイかメボソムシクイと思われます。
相変わらずエゾビタキはよく見かけます。
山の上の桜園の後、山の中の菊畑にノビタキの撮影に行きました。
黄色の菊の花は枯れて茶色になっていました。



   
令和2年10月14日撮影  山の上の桜園にて
キビタキ
午後は山の上の桜園に行きました。今日もキビタキは愛想がよく、杉の木と桜の木を何回も飛び移っていました。
雌も姿を見せました。


   
令和2年10月14日  近くの大きなため池にて
エゾビタキ・柿とメジロ・カイツブリ
 ため池の周遊道路のエゾビタキです。このため池でエゾビタキを見たのは今年が初めてです。この秋はエゾビタキを見たことがない場所でもエゾビタキが見られます。
柿の実を食べるメジロです。
3羽のカイツブリが羽づくろいをしていたので、羽ばたくのを待って、カメラを構えていました。すると2羽が羽ばたきました。



   
令和2年10月13日  山の上の桜園にて
キビタキ・コサメビタキ・エゾビタキ
 昨日に引き続いてキビタキです。今日はキビタキは愛想がよく、飛び移っても近くの枝にとまってくれて、この秋で初めてしっかりとキビタキを写すことができました。
久しぶりのコサメビタキです。
昨日は1羽も見なかったエゾビタキが今日は、桜園の隣の大きな公園と桜園の入口付近で何羽も見ることができました。



   
令和2年10月12日  山の上の桜園にて
キビタキ・オオルリ若鳥
 桜園のあちこちにいたエゾビタキ・コサメビタキは全く見られなくなりましたが、キビタキはいました。キビタキ♂は桜の枝にとまっていました。春から夏にかけてのキビタキ♂は囀りの声で見つけることができるのですが、秋のキビタキ♂は囀らないのでしっかり見なければ見つけられません。
ヒタキ類特有の地鳴きが聞こえたので、聞こえた方へ向かうとキビタキの雌がいました。
 キビタキよりやや大きい茶色の鳥が桜の細かい枝が交差する枝にとまっていました。キビタキ♀かなと思いながらシャッターを押したのですが、後から見てみると頭部は茶色で、肩羽などは青い、オオルリの若鳥でした。桜の木々は細かい枝が多くあり、野鳥の全身をきれいになかなか撮れません。
頭部の黄色い部分は陽が当たっているところです。



   
令和2年10月11日  近くの大きなため池にて
カワセミ・キセキレイなど
 いつも池の南の岸付近にいるカワセミです。大きな池にいるカワセミなのでなかなか飛び込んで餌をとる場面などはなかなか撮れません。カワセミは長い間、下を向いたり後ろ向いたりしていました。水面に飛び込むところを撮ろうとしたのですが、結局、飛び込まず、飛び出して遠くへ飛んで行ってしまいました。
7日にキセキレイを撮影した刈り取った後の田んぼに3羽のキセキレイがいました。
野鳥を探して歩いているとよくイタチを見かけます。今日も岸辺でイタチを見かけました。



   
令和2年10月10日  近くの大きなため池にて
エゾビタキ・ホオジロ♀・キンクロハジロ・カイツブリ
 大雨警報が出ていたのですが、午後雨が止んだので近くの大きなため池に行きました。ため池の周遊道路のガードパイプにエゾビタキがとまっていました。
ため池の側の畑の竹の杭にホオジロの雌がとまりました。
 近くの小さなため池にはキンクロハジロの雌がいました。顔の前面が白いのでスズガモかとも思ったのですが、野鳥図鑑で調べると顔の前面が白いキンクロハジロの雌もいることがわかりました。
同じため池に3羽のカイツブリの雛と共に第1回冬羽のカイツブリがいました。



   
令和2年10月7日撮影  近くの大きなため池にて
エゾビタキ・エゾビタキ幼鳥?・キセキレイ・ノビタキ・カワセミ・カイツブリ
ため池の近くの畑にエゾビタキがいました。
 竹の杭の上に褐色の小鳥がとまっていました。エゾビタキと思ったのですが、よく見るとエゾビタキよりやや小さく、腹部の縱模様がはっきりしていないので、サメビタキと思いました。後で、見直してみると、下尾筒の暗色軸班がないことや、頭部に白い羽が残っていることからエゾビタキの幼鳥とも思えるのですが、自信はありません。
キセキレイが道路のガードレールにとまっていました。
その後、稲刈りが終わった水田に飛びおり、何かを咥えました。
池畔の周遊道路の側の葛に覆われた丘の葛の葉の上にノビタキがいました。
池に流れ込む水路に昨日と同じくカワセミの雌がいました。遠くてはっきりとした写真にはなりませんでした。
ため池ではカイツブリの鳴き声がよく聞こえます。雛鳥や若鳥もよく見かけます。



   
令和2年10月6日  近くの大きなため池にて
ミサゴ・エゾビタキ・ヒドリガモ♀・カワセミ
 いつも行く山の上の桜園はエゾビタキやコサメビタキの夏鳥がめっきり少なくなりました。今日は全く撮影できませんでした。そこで、冬鳥でも見られないかと近くの大きなため池に行きました。カモ類は1羽しか見られませんでしたが、ミサゴが池の上空を飛んでいました。
急降下して、近づいて来て水面に飛び込もうとしました。慌ててシヤッターを切ったのですが、画面からはみ出してしまいました。
最近整備された池畔の周遊道路の桜の木にエゾビタキがいました。
 ため池で見た1羽のカモはヒドリガモの雌です。最初見たときはくちばしが黒みが多く一部が青灰色に見えオナガガモの雌と思いました。
 岸辺に向かって移動し始めました。くちばしをよく見ると全体が青灰色で先が黒く、目がくりっとして大きくヒドリガモの雌のようです。
岸辺では草を草を切り取り口に入れました。
しばらくすると岸辺を離れました。
池の南の岸にはカワセミがいました。
池の北側の水路にいたカワセミの雌です。



   
令和2年10月5日  山の上の桜園にて
エゾビタキ
 桜園のあちこちにいたエゾビタキはほとんど見られず、ようやく1羽見つけて撮影しました。他にコサメビタキとキビタキの雌も見かけましたが撮影できませんでした。


   
 令和2年10月4日  奈良時代の釈迦・弥勒石仏
弥勒・釈迦石仏50選T
奈良時代・平安時代・鎌倉時代1
 
 インドで現存する仏像は圧倒的に仏教の開祖、釈迦が圧倒的に多い。ガンダーラやマトゥラーで仏像が作り始められると、仏伝に基づいた誕生、出家、苦行、降魔、説法、禅定・涅槃などの重要な場面の釈迦像が作られ、やがて三十二相などの規則によって定形化し、人間的な姿を基本におきながら、人間自体でない、仏教的理想を象徴する形態として仏像が生まれた。

 日本では釈迦の仏像は比較的少ない。特に石仏は少ない。なかでも奈良時代から鎌倉時代にかけての単独の釈迦石仏は数少ない。釈迦如来の像形は、施無畏・与願印か転法輪印を結ぶ説法像が普通であが、奈良や京都では弥勒信仰が盛んで弥勒如来の印相も施無畏・与願印など釈迦と同じのため釈迦とも弥勒とも断言できない像が多い。

 奈良時代の釈迦石仏としては奈良市の頭塔の南面の釈迦三尊と東面の如来及四菩薩二比丘像がある。他に奈良奥山の芳山二尊仏の南面の転法輪印如来像と京都の一乗寺下り松付近の藪里釈迦堂石仏も釈迦如来像と考えられるが弥勒仏などの可能性もあり断言できない。平安時代の釈迦石仏は近畿地方には少なく、単独仏としては比叡山香炉ヶ岡弥勒石仏など弥勒と釈迦ともどちらともいえない石仏と奈良県の桜井市の金屋石仏以外は見あたらない。九州の臼杵石仏には弥勒石仏は見あたらないが、釈迦石仏は4体ある。福島の泉沢大悲山薬師堂磨崖仏は釈迦と弥勒を中心とした磨崖仏である。 



サルナート説法釈迦像(模刻)

 京都の鎌倉時代の釈迦石仏では清涼寺釈迦像を模した善導寺釈迦三尊がよく知られている。化野念仏寺門前の二体仏の1体も釈迦如来である。他に行者の森如来石仏など弥勒仏か釈迦仏か判断できない如来像も何体か見られる。  

 弥勒菩薩は釈迦の次に仏となることが約束された菩薩で、釈迦の入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。それまでは兜率天で修行・説法しているという。将来において過去仏の釈迦の業績を受け継ぐところから、当来仏とされ、弥勒如来とか弥勒仏とも呼ばれ、しばしば如来の姿で表される。平安・鎌倉期の弥勒石仏の多くは弥勒如来である。

  弥勒の信仰は我が国においても早い時代から盛んであったようで、広隆寺像(飛鳥時代・木彫)や中宮寺像(飛鳥時代・木彫)など多くの遺品が残されている。これらの初期の弥勒信仰は、弥勒菩薩の兜率天(天界にある弥勒浄土)に往生しようと願う信仰(上生信仰)から生まれたものである。

 石仏としては1991年、弥勒堂立替に伴う発掘調査で出土した石光寺(奈良県葛城市)の弥勒仏や奈良県宇陀市向淵の飯降磨崖仏などが古く、白鳳時代から奈良時代前期の作と思われる、共に痛みが大きく完全な姿では残っていない。奈良時代の弥勒石仏としては笠置寺の本尊の線彫りの弥勒磨崖仏が知られているが、元弘の乱によって焼かれ弥勒仏の姿は見出せない。

 奈良市の頭塔の北面石仏は、塔四方仏の北方に配されていることから、弥勒仏と考えられる。完全な姿で残っている弥勒石仏としては最古のものである。平安時代前期(奈良時代後期の説もある)の作と思われる滋賀県の狛坂寺跡磨崖仏は朝鮮の新羅時代の南山の七仏庵磨崖仏とよく似た優れた磨崖仏で中尊の如来像は弥勒仏(阿弥陀仏説もあり)と思われる。

 平安後期になると末法思想の広がりと共に、厭世観が強まり、未来への憧れから弥勒の下生を願い、弥勒浄土への往生を願って弥勒信仰が広がる。この時代経塚が多く作られたのも弥勒信仰と関わっている。弥勒が兜率天から下生する際に真っ先に救済してもらおうと、人々は書写した経を筒に納めて山中に埋めたのである。石仏では金屋石仏(説法印弥勒仏)や比叡山香炉ヶ岡弥勒石仏、禅華院にある雲母坂の石仏などが平安後期の作である。信越地方にある「いけ込み式」あるいは、「植え込み式」と表現される地面に直接、植え込んだ新潟県妙高市の関山石仏群や長野県の湯田中弥勒石仏なども平安後期の作である。

 大和では特に弥勒信仰が盛んで、鎌倉時代、多くの弥勒石仏がつくられた。弥勒菩薩への信仰は奈良法相宗の寺、興福寺などで盛んであった。未来世救済の仏としての信仰のほかに、法相宗では第一祖を弥勒とするからでる。鎌倉時代に台頭した新仏教(浄土教など)に対する旧仏教側の代表的な僧として知られる貞慶(解脱上人)は笠置寺に隠棲して弥勒信仰を広めた。その、笠置寺の本尊の大弥勒像を模して、 承元3年 (1209) に完成させたのが奈良県宇陀市の大野寺弥勒磨崖仏で ある。

 大和の鎌倉時代の弥勒石仏は柳生街道沿いの朝日観音・夕日観音と呼ばれる弥勒磨崖仏や月ヶ瀬ののど地蔵・瀧倉神社弥勒石仏などがある。天理市の長岳寺弥勒石棺仏や桜井市の談山神社弥勒石仏も鎌倉時代の優れた弥勒石仏である。鎌倉時代以降は弥勒石仏は大和ではあまり見られなくなり、天理市のみろく丘弥勒石龕仏(南北朝時代)・白毫寺弥勒石仏(江戸初期)などのみである。




弥勒・釈迦石仏50選(1)  芳山二尊仏(南面釈迦如来)
奈良市誓多林町 芳山    「奈良時代」
 仏師であり石仏研究家でもある太田古朴氏によって世に知られることになった、天平後期の様式を示す石仏である。  林の中の急斜面を登った芳山の峰の上に、この芳山二尊石仏は立っている。高さ184p、幅152p、奥行き約1mk自然石風の花崗岩の南面と西面に、説法印の如来立像を半肉彫りしている。両像とも、広い肩幅、がっしりとした腰や、薄い絹衣をまとったような刻みの衣紋など唐招提寺や大安寺の天平後期の木彫仏と共通する表現となっている。

 両像とも形姿はほぼ同一であるが、受ける印象は少し違う。西面像は貞観仏に通じる量感と逞しさが感じられるのに対して、南面像は天平仏の深い精神性を感じさせる顔が魅力的である。印相が同じであるので、尊命は決めにくいが、南面像を釈迦如来、西面像を阿弥陀如来として、このページに掲載した。

 石仏写真家佐藤宗太郎氏は芳山二尊石仏が立石として石が生きている点を高く評価され、「石に対する固有信仰を基礎とした仏像造型の様々な精神性を一個の石像に見事に凝結せしめたものとして、やはり日本の石仏の一つの出発点と考えられる。」(『石仏の美V 古仏への憧れ』木耳社)と述べられている。



弥勒・釈迦石仏50選(2)  頭塔の弥勒・釈迦石仏
奈良県奈良市高畑町921番地    「奈良時代」
 頭塔は、頭塔は方形の7段からなる奈良時代の土の塔で国の史跡になっている。古くより僧玄ムの頭を埋めた墓との伝説があり、その名の由来とされてきたが、本来の土塔「どとう」がなまって頭塔(ずとう)と呼ばれるようになったものと思われる。頭塔の造営については、神護景雲元年(767年)に東大寺の僧で二月堂修二会(お水取り)を創始した実忠が、造った塔であるとされている。

 頭塔の各段には、浮彫の石仏が配置されている。復元前には13基の石仏が露出していていたが、最近の発掘によってあらたに14体と抜き取り痕跡5個所を発見された。東西南北の各面に11基ずつ、計44基設置されていたものと推定される。
 
頭塔北面如来三尊像(弥勒如来)
 七段の階段状の石組みの四方の一段目中央には大型の如来三尊像の浮き彫り像が配置されている。四体とも如来座像の中尊と座像または半跏像・立像の両脇持からなる三尊で、上方に宝相華の天蓋と飛雲を配し、群来のある蓮華座で、宝相華の飾りをつける。中尊下方の左右に合掌する小菩薩(侍者)を刻む。四方の大型如来三尊の中尊はそれぞれ東は多宝如来、西は阿弥陀如来、北は弥勒如来、南は釈迦如来と考えられる。

 北面の一段目中央の如来三尊は中尊如来座像は二重円光背を背負って、左手を上げて掌を開き、右手を垂下して右膝で掌を伏せる印相で弥勒如来と考えられる。頭光を付けた両脇持立像は腰を左右に捻った優美な姿である。
 
頭塔東面如来及四菩薩二比丘像(釈迦如来)
 東面の第五段の北にある石仏である。中尊の如来座像の左右に脇持の菩薩座像、その左右に合掌礼拝する小菩薩、中尊の背後に2体の比丘像を浮き彫りしたもので、彩色の跡が残り、1986年から始まった奈良文化財研究所発掘調査で新しく見つかった石仏である。宝樹を背景にして花茎を伸ばした蓮華上に坐す中尊如来は、右手は第一指と第二指を捻じた施無畏印で、左手は掌を上にして膝上に置く。

 宝珠の下、菩薩や比丘像を従えたこれと同じ印相の如来像は、奈良時代に描かれた現在ボストン美術館にある「法華堂根本曼荼羅図」や奈良国立博物館の国宝「刺繍釈迦如来説法図」に見られ、霊鷲山(りょうじゅせん))で釈迦が法華経を説く情景を表わしたものと考えられる。
 
頭塔南面如来三尊像(釈迦如来)
 南面の第一段の中央には東西北面と同じく上方に花蓋と飛雲宝珠を配した大型の如来三尊像の浮き彫り像がある。中尊下方の左右に合掌する小菩薩(侍者)を刻むが、見学路からは土に隠れて確認できない。

 二重円相光背を負う中尊如来座像は、右手は大指と頭指を捻じた施無畏印、左手は掌を開いて与願印を結ぶ。左右に頭光を付けた二菩薩像が腰を軽く捻って立つ。忠尊の印相等は「法華堂根本曼荼羅図」や大仏蓮弁線刻画の釈迦浄土の中尊と一致することから、この石仏は釈迦浄土を表したものと考えられる。



弥勒・釈迦石仏50選(3)  藪里釈迦堂石仏
京都府京都市左京区一乗寺釈迦堂町10    「奈良時代」
 左京区の白川通りの「一乗寺下り松町」バス停から曼珠院道を東へ180mほど行った三叉路にある松が一乗寺下り松である。ここで宮本武蔵と吉岡一門が決闘したという。この下り松より50mほど進み、左に折れる細道に入ると「藪里釈迦堂」の建物がある。この釈迦堂の軒つづきに地蔵堂が設けられ、堂内に「夜泣き地蔵」と呼ばれる大きな石仏か立っている。

 この石仏も芳山二尊仏と同じく仏師であり石仏研究家でもある太田古朴氏によって世に知られることになった、天平後期の様式を示す石仏である。高さ2mほどの船形光背に像高1.5mの如来立像を厚肉彫りで表現した像である。その像容は堂々としている様に見えるが、白・黄・黒・赤と絵の具でどっぷりと塗られていて、本来の姿はわからず、石仏の古さは、しのぶことができない。

 京都では地蔵盆で毎年、町内の人々によってこのように石仏を化粧する習わしはよく見かける。衣紋表現や手足などの表現を見ることができれば、天平彫刻の面影を見ることができるのであろうが、般若心経が書かれた大きな前掛けが奉納されていて、見ることができなかった。仏師で石仏研究家の清水俊明氏は著書の「京都の石仏」で、この石仏を「左手の印相か降魔印(蝕地印)で、弥勒仏の可能性もあるが、釈迦堂町と言う地名から釈迦如来像と考えたい。」としている。



   
令和2年10月3日  山の上の桜園・隣町の古墳のある公園にて
キビタキ・コサメビタキ・エゾビタキ
山の上の桜園でキビタキの雄をようやくまともに撮影することができました。
コサメビタキも桜園ではよく見かけます。
桜園からの帰りに隣町の古墳のある公園に寄りました。ここにもエゾビタキがいました。この秋はあちこちでエゾビタキを見かけます。



   
令和2年10月2日  県境、近くの山の公園にて
キビタキ♀
県境近くの山の公園を2カ所回りました。オオルリ・キビタキ♂ねらいだったのですが、キビタキ♀を1羽見ただけです。



   
令和2年10月1日  山の中の菊畑にて
ノビタキ・ホオジロ
昨日に引き続いて山の中の小菊畑にノビタキを撮りに行きました。今日は菊の花にはとまってくれませんでした。
ノビタキと思ってカメラを向けたのですがホオジロでした。


9月 11月