「フォトギャラリー 石仏と野鳥」 新版  2019年10月

 
9月 11月


2019.10.31               道祖神50体(4)   小室の道祖神
長野県松本市梓川梓6981-2 「文久3(1863)年」
 旧梓川村の小室地区にある道祖神である。高さ100pの自然石に力強い達筆の「道祖」の文字を深く刻み、その下部に扇形の彫り窪みをつくり双神を半肉彫りする。男神は衣冠束帯・女神は小袿姿で坐して互いに肩を組み、女神は提子(ひさげ)を男神は杯を持った祝言像である。みやびで優美な姿の像である。

 碑の側面に「文久三年癸亥九月吉日」、正面左に「温清堂書」と刻銘がある。1863年、江戸末期の作である。


道祖神50体(5)   本村西村の道祖神
長野県安曇野市豊科本村 「弘化3(1846)年」
 松本盆地の北部の扇状地は安曇野と呼ばれ、古代より人々が住みつき開発されてきた。現在、美しい水田が広がる穀倉地帯となっている。そして、この安曇野は道祖神の里でもある。400基を越える双体像道祖神があり、質量ともに、全国有数の道祖神の宝庫となっている。

 特に旧穂高町を中心とした安曇野市は衣冠束帯、十二単姿の整った端正な道祖神や彩色道祖神が多くあり、道祖神を目的に、訪れる観光客も多い。旧穂高町から旧豊科町・旧堀金村にかけ、共通した表現の道祖神が多くある。旧豊科の本村や細菅・中曽根、旧穂高町の柏原や矢原・等々力などの道祖神がそれである。

 これらの道祖神は、男神は衣冠束帯姿で、冠の後から尾のように纓(えい)が垂れていて、女神は十二単姿で、頭上で髪を束ねてから肩先へ垂らしていて、男神の纓と女髪の垂髪が左右対称のようになっているのが特徴である。女神が頭上で髪を束ねることによって、男神との背丈を揃えている。

 これらの道祖神は、内側の手を肩に回し、外側の手で握手をする握手像と、内側の手を肩に回し外側の手で女神が瓢(ふくべ)を持ち、男神が盃を持つ祝言像の2種類がある。握手像の秀作が旧穂高町の等々力の天保12年の道祖神や柏原中下の道祖神であり、祝言像の秀作が旧豊科町本村の弘化3年の2つの道祖神である。

 この像は本村の弘化3年の道祖神の1体で、幅360pの大きな基壇の上に二十三夜塔とともに立っている。碑高150pのお握りの形をした花崗岩に大きな丸い彫り窪みをつくり、杯と瓢を持った男女の神を半肉彫りする。碑のとがった上部には直径24pの大きな菊花紋が彫られている。

 男神は衣冠束帯姿で冠は甲の部分が小さくて巾子(こじ)t\が大きい、垂れた纓は幅広の薙刀のような形である。裾(きょ)は大きく円を描いて後に跳ね上げている。やや内側に向いて右手を女神の肩に回し、内側に向いて左手で杯を持つ。女神は髪を頭の上で高く束ねて、後ろに腰のあたりまで垂らしている。女神も内側に向いて、左手を男神の肩に回し、右手で大きな瓢を持つ。

 像高は69pで豊科では最も大きい像である。整った優美な像で、安曇野の道祖神を代表する一つである。「弘化三年二月吉日 本村西村中 帯代三十両」の刻銘がある。


2019.10.30                     キビタキ・柿とメジロ             古墳のある公園にて
久しぶりにキビタキの雄を撮影できました。黄葉した柿の木にとまりました。
柿の実を食べにきたメジロです。


2019.10.28       ノゴマ・クロツグミ♀・アオジ・ムシクイ・ジョウビタキ  大阪府の都市公園にて
 大阪の都市公園にノゴマを撮しに行きました。数人の人がカメラを木の茂みに向けていたので、ノゴマと思って近づいてみるとの雌でした。雌は初めてです。
 ノゴマの雌を撮影した後、戻ろうとすると近く木の茂みを囲むように十人以上のカメラマンがいます。こちらはどうやらノゴマの雄のようです。しばらく待つと姿を現しました。
木の枝の舞台がつくられ、枝の上に餌が載せられています。
 高い木の上でヒヨドリやメジロ・ムシクイなど数種類の鳥が飛び回っています。その中にヒヨドリよりやや小さい黒い鳥を見つけてシャッターを切りました。腹部の黒斑が見えたのでマミジロの♀と期待したのですが、見直してみるとアイリンクは白でなく黄色、白っぽい眉斑もありません、クロツグミの雌です。
梅園で頭部が黄緑色の鳥を見つけました。ノジコと思ったのですが、眉斑があります。アオジのようです。
梅園には他にムシクイやジョウビタキがいました。
ジョウビタキは広い公園の各地で「ヒッ ヒッ」と鳴いています。よく見かけたのは雄ですが、雌もいました。


2019.10.27撮影                        エゾビタキ              山の上の桜園にて
今日もエゾビタキです。あちこちにとまって愛想よく相手をしてくれました。
少し離れた桜園にもエゾビタキがいました。目の大きいエゾビタキです。


2019.10.26撮影         ムシクイ・キビタキ♀・エゾビタキ・ビンズイ       山の上の桜園にて
 ムシクイもいました。今年の秋も昨年同様ムシクイをよく見かけます。オオムシクイかメボソムシクイと思われます。季節的にはオオムシクイの可能性が高いです。キビタキ雌もいました。
 6日ぶりのエゾビタキです。しばらくこの桜園で夏鳥は見ていないのでみんな渡ってしまったのかな思っていたのですが。桜の葉の紅葉が背景になってきれいです。
 胸に黒の縦紋が、見えたのでエゾビタキと思ってカメラを向けたのですが、体形が細長くエゾビタキと少し違います。よく見ると、頭部の色オレンジ色かがった褐色で、エゾビタキと違います。ビンズイです。


2019.10.25             道祖神50体(3)   島立町区の道祖神
長野県松本市島立町区 「天保13(1842)年」
 松本市島立の亀田屋酒造店の前の路傍に立っている道祖神である。高さ110pの表面を磨いた長円形の石に円形の彫り窪みをつくって酒器を持つ女神と杯を持った男神を浮き彫りにした祝言像で、美しく彩色されている。

 碑の左に「天保十三年壬寅三月十二日」の刻銘があり、碑の裏には制作に携わった藤森吉弥と重森文四郎の石工の名前が刻まれている。藤森吉弥は高遠の石工で秩父観音札所31番観音院の石像仁王など多くの名作を残している。

道祖神50体(2)   小坂殿の道祖神
長野県東筑摩郡山形村小坂殿 「寛政8(1796)年」
 下大池の道祖神(筒井筒下大池道祖神)とともに平安朝のみやびやかな宮廷生活を思わせる優れた彫像の道祖神である。碑高130pの自然石風の碑にハートのような形の彫り窪みをつくり、その中に肩を抱き合い握手する男女の神を浮き彫りにして磨き上げている。「ェ成八年丙辰歳二月吉日 殿村中」(1796年)の刻銘がある。碑の上部をひさしにしていることもあり、二百年以上経ても損傷のあとが少ない。

 村のHPではこの像も、伊勢物語の23段「筒井筒」からとって「筒井筒小坂」と名付けている。「筒井筒下大池道祖神」よりは顔は幼く、より幼なじみの恋人同士といった風情である。「筒井筒下大池道祖神」は優美な雛人形を連想させるのに対して、この像は省略して抽象化された衣装と、幼い顔によって御所人形を連想させる。

2019.10.23                     ジョウビタキ・エナガ               山の上の桜園にて
ヒタキ類の地鳴きが聞こえた方に向かうと、ジョウビタキが2羽いました。(ジョウビタキはヒタキ科ではなくツグミ科ですが)
ジョウビタキの雄はこの秋初めてです。
エナガは桜の芽を食べていました。


 
2019.10.22                      道祖神50体
 
  村の入口や峠などに祀られている道祖神は、道の神として、村の境を守る神として、また、災厄を払う神として、信仰を集めている。子供たちが道祖神の前でドンド焼(左義長)をすることから、子どもの神でもある。男女の双体像や性をかたどる石を神体として、夫婦和合の神、生産の神としても信仰されている。

 長野県や群馬県などの東日本各地では、男女の双体像で道祖神が表現される。信州安曇野には、肩を寄せ合い握手する双体像や盃と瓢箪の酒器を持つ祝言像の美しい道祖神が多くあり、観光パンフレットや旅行案内書に紹介され多くの人が訪れている。

  安曇野とともにすぐれた双体道祖神が多くあるのが、松本の西にある東筑摩郡山形村である。特に、下大池橋爪東と小坂殿にある寛政7年、8年の道祖神は御所人形風の愛らしい姿で、石仏愛好家の人気を集めている。このページは安曇野市や山形村、松本市の道祖神を中心に石像双体道祖神の秀作や特色ある像を50体選んで紹介する。


道祖神50体(1)   下大池の道祖神
長野県東筑摩郡山形村下大池 「寛政7(1795)年」
 山形村下大池の公民館近くのしだれ桜の下に祀られている道祖神である。碑高120p幅40pの自然石風の碑に舟型の彫り窪みをつくり、その中に肩を抱き合い握手する男女の神を浮き彫りする。みやびやかな宮廷人をしのぼせ、鼻筋の通った優雅な顔立ちである。

 山形村では若さと初々しさを感じさせることから、「幼なじみ」という意味をこめて、伊勢物語の23段「筒井筒」からとって「筒井筒下大池道祖神」と名づけている。ノミで彫ったあとを磨きかけて美しく仕上げられていて、信州を代表する道祖神である。

 「ェ成七年乙卯十一月吉日 大池村中」の刻銘がありェ成7(1795)年の作であることがわかる。この近くには、ェ成7年と8年の記銘のある同じ様式の道祖神が3体ある。

2019.10.21                     アトリ・キビタキ♀               山の上の桜園にて
 今にも雨が降りそうななか桜園に行きました。昨日エゾビタキがいた場所に喉元がオレンジ色の鳥がいて、ムギマキの若鳥と期待したのですが、アトリでした。この秋見た、ジョウビタキにつぐ冬鳥です。
この桜園ではよくキビタキ雌が見られます。


2019.10.20                     エゾビタキ・エナガ               山の上の桜園にて
桜園ではいつものエゾビタキが姿を見せてくれました。すべて空抜けで露出補正が難しかったです。
 キビタキの地鳴きを何カ所かで聞いたのですが、撮影できず、キビタキを求めて山の麓まで下りました。麓でもキビタキの声を聞いたのですが、姿を見ませんでした。麓ではエナガを撮影しました。


2019.10.18撮影                       エゾビタキ               山の上の桜園にて
桜園は鳥影少なく、ヒヨドリ以外、見ませんでした。帰ろうと思った時、先日、エゾビタキを撮った場所でエゾビタキと出会いました。


2019.10.17撮影        コサメビタキ・オオムシクイ・キビタキ♀    古墳のある公園にて
 17日の午前中は前日見たムギマキのいた公園の木に向かいました。前日と同じようにオオムシクイとコサメビタキが枝から枝へと飛び回っていました。
コサメビタキはオオムシクイに合わせるように素早く飛び回っていて、撮るのに難儀しました。
オオムシクイは葉の茂った枝にいてコサメビタキよりも一層、撮影しにくかったです。葉のない枝にとまった一瞬の撮影です。
喉元がオレンジ色に近い茶色の鳥がいました。「ムギマキ若鳥か」と期待したのですが、どうやらキビタキ雌のようです。


2019.10.17撮影    キセキレイ・キビタキ♀・エゾビタキ・ジョウビタキ♀   山の上の桜園にて
キセキレイが桜の枝にとまっていました。木の枝にとまっているキセキレイを撮ったのは初めてです。
9月頃から桜園ではキビタキ♀はよく見かけます。
一昨日まで撮影していた桜園とは別の桜園で撮影しましたが、同じ個体のエゾビタキと思われます。
この秋初めてのジョウビタキです。雌です。


2019.10.16撮影                キビタキ♀・オオムシクイ          古墳のある公園にて
公園の柿の葉が色づき秋の気配が深くなってきました。柿の紅葉を背景にした枝にとまったキビタキ♀を撮ることができました。
 ムシクイが古墳の空堀の草むらに2羽いました。側胸から脇にかけて黄みがかっているので今の季節によく見られるオオムシクイと思われます。


2019.10.16                  コサメビタキ・ムギマキ・シメ          古墳のある公園にて
カシノキにコサメビタキがいました。
 コサメビタキを撮影していると奥の方の枝に黒と黄色の鳥を見つけました。キビタキと思って連写で3回ほどシヤッターを押しました。あとで見直してみると、前の枝が邪魔になって、すべてまともな写真ではありませんでした。ただ、眉紋は黄色でなく白で、喉元は橙色です。キビタキではなくムギマキです。この公園で初めて見たムギマキです。
この地では冬鳥のシメがいました。


2019.10.14撮影                    エゾビタキ・ムシクイ            地元の山の上の桜園にて
昨日に引き続いてエゾビタキを撮影しました。真っ直ぐに伸びた桜の枝によくとまっていました。
ムシクイもいました。オオムシクイかメボソムシクイと思われます。


2019.10.13撮影                        キビタキ♀             地元の山の上の桜園にて
 エゾビタキを撮影していると2羽の鳥がエゾビタキに絡むように飛んできました。1羽は黄色と黒の姿だったのでキビタキの雄です。ただ、動き素早く結局撮影できませんでした。もう1羽はキビタキの雌です。こちらは近くの枝にとまってくれて何枚も撮影することが出来ました。
エゾビタキを取った場所から少し離れた場所にも違うキビタキの雌がいました。


2019.10.13                           エゾビタキ             地元の山の上の桜園にて
 山の上の桜園にはよく行っていたのですが、この2週間は夏鳥は全く撮影できませんでした(ヒタキ類の地鳴きは聞いたのですが、姿を見られませんでした。)。
 何時も行く桜園の近くの山の頂上部の桜園に行くと、ヒタキ類の地鳴きが聞こえ、鳥の姿が見えました。「キビタキの雌かな」と思って急いでシヤッターを押すとエゾビタキでした。この秋初めてのエゾビタキです。桜の木を飛び移りながらあちこちの枝にとまってくれました。


 
2019.10.12    自由で素朴で個性的な表現の石仏(47)〜(50)  高鍋大師の石仏群
宮崎県児湯郡高鍋町大字持田  「昭和時代」
 個人の宗教的情熱によってつくられた石仏群として宮崎県の高鍋大師がある。高鍋大師は四国八十八ヶ所霊場の勧請と持田古墳群の古墳に眠る古代の人々の霊を鎮めるために岩岡保吉氏(1889-1977)が約1haの土地を購入、私財を投じ地元の方々と共に半生をかけて建造した約700体の石仏群で、「十一めんくわんのん」と名付けた巨大なトーテムポールを思わせる像などユニークな石仏が多くある。
(47) 十一めんくわのん(十一面観音) 
(48) 十二めんやくし 
(49) 火よけみまもり 
(50) 正一いいない大神 (正一位稲荷大神) 

2019.10.9撮影                  コサメビタキ・キビタキ♀             古墳のある公園にて
ムシクイがとまっていた木にはコサメビタキもいました。
キビタキの雌です。


2019.10.9                          メボソムシクイ             古墳のある公園にて
 久しぶりに古墳のある公園に行きました。古墳近く樫の木でムシクイにで合いました。頭央線がないことは確認できたので、センダイムシクイではありません。肉褐色の足の色からオオムシクイかメボソムシクイのどちらかなのですが?。確証は持てませんが、甲高い鳴き声から一応メボソムシクイとしました。


2019.10.7撮影              イソシギ・ホオジロ・イソヒヨドリ             近くの川の河川敷にて
イソシギはこの川では四季を通じて当たり前のように見られるシギです。
ノビタキと思って撮ったのですが、よく見るとホオジロの雌でした。
イソヒヨドリもこの川で四季を通じてよく見られるツグミ科の鳥です。
イソヒヨドリの雌です。6日に撮影しました。


2019.10.7                             ノビタキ             近くの川の河川敷にて
 昨日に引き続いて近くの川の河川敷に行きました。今日は昨日ノビタキを撮った場所の対岸で4羽のノビタを見ました。それぞれいろいろな所にとまって、様々なポーズをとり楽しませてくれました。青虫を捕まえたノビタキもいます。


2019.10.6                             ノビタキ             近くの川の河川敷にて
 川の両岸の河川敷にゴムチップ舗装のジョギングコースなどができ、草の刈り取りもよく行われるようになり、秋になると数多く見られたノビタキはこの数年はほとんどり見られなくなりました。今年はまだ草刈りが、行われていないので、もしかしてノビタキに会えるかなと、河川敷をまわりました。すると、2羽のノビタキに出会えました。
スズキの穂にとまっている1羽のノビタキを見つけました。まだ、目の周りなどに黒い部分が残っている雄です。
近くのセイバンモロコシの茎には雌のノビタキもとまっていました。
先ほどの雄がセイバンモロコシの茎にとまりました。


2019.10.5                    ノビタキとイカルチドリ若鳥    近くのため池とその近くの水田にて
今年の1月にミコアイサの群れがいた大きなため池に行きました。岸にはイカルチドリの若鳥がいました。
 近くの水田地帯の中のコスモス畑に行ってノビタキを撮そうとしたのですが、今年はコスモスがまだあまり咲いていません。稲穂が実り始めた水田でノビタキの若鳥が鳴いていました。


 
2019.10.4      自由で素朴で個性的な表現の石仏(43)〜(46)   竜王山の石仏群
広島県尾道市潮見町   「明治時代〜昭和時代」
 尾道は林芙美子や志賀直哉が住んだ 「文学の街」として、小津安二郎の「東京物語」や大林宣彦の「転校生」「ふたり」など映画の舞台となった街として、多くの観光客を引きつけている。大林宣彦監督の尾道の三部作の「さびしんぼう」で主人公の橘百合子が通う明海女子高等学校のロケ地が市立日比崎中学校である。その日比崎中学校の北にある山が竜王山である。千光寺や済法寺のある千光寺山と栗原川を隔てた西側にある山である。

 日比崎中学校校舎の東の道を北へ進むと大きな石門があり、そこからしばらくすすんだ尾根沿いの広場が竜王山の霊場となっている。(この地も「さびしんぼう」のロケ地となった。)竜王山は、四国の石鎚山を信仰する人々の修験道場であった。竜王山の霊場の石垣の上には石造りの石鎚社があり、その周りには石鎚権現や修験道に関わる蔵王権現などの石仏や石祠・石碑などが林立する。(石鎚山は役行者が開いたされる神仏習合の修験の道場で、石鎚権現として全国で信仰を集めている。)竜王山には他にも天狗や不動明王・弘法大使像・五大明王像など修験道や密教に関わるの石仏が林立している。

 竜王山の石仏は因島の白滝山の石仏や済法寺十六羅漢磨崖仏と同じく尾道の石工によって彫られたものである。竜王山の石仏は明治から昭和にかけて造立されたと考えられる。天狗を彫った石柱の裏には「明治三十年酉六月二十八日」「願主 光現院 石鎚 森造」とある。石祠にも「明治十二年六月一日」や「願主 石鎚光現院 石鎚森造」の刻銘がある。

 石仏の一つには「尾道石工角田丈平作」の銘がある。尾道市教育委員会の発行する電子書籍「尾道の石造物と石工」によると角田丈平の作品は「明治 12 年(1879)から昭和 11 年(1936)までで 12 点が確認されている。」とある。(なお、竜王山の角田丈平の刻銘のある石仏は教育委員会の調査から抜けている。)また、昭和59年発行の「日本の石仏 山陰・山陽篇」(図書刊行会)では、尊名を墨で黒々と塗られた三十六童子石仏の写真が載せられ、最近の作であると記されている。
(43) 蔵王権現 
 蔵王権現は、修験道の本尊で奈良県県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られ、竜王山には多くの蔵王権現石仏がある。蔵王権現は三目二臂か二目二臂で、右手を高く上げて独鈷または三鈷を持ち、左手を腰に当て、右足を高く蹴り上げ、左足で立つ、憤怒相が一般的である。石仏は全国的に見ると珍しく、南北朝時代から江戸時代の造立で知られているものは奈良県の三郷町と大淀町の各1基、国東半島の数基などである。明治以降の作としては修那羅や霊諍山の2基か知られている。

 石鎚社の石垣の下に大きな丸彫りの4体の蔵王権現石仏がある。それぞれよく似た像で、二目二臂で右手をあげて杵のような独鈷を持ち、右足を高く蹴り上げ、左足で立つ。テイァラのような冠をかぶり、髪の毛を逆立てた像であるが、顔は太い眉毛であるが憤怒相とは言いがたい独特の顔をしていて、猿回しの猿のようなユーモラスな蔵王権現像である。冠と逆立てた髪が猿回しの猿の帽子のように見える。蔵王権現は石鎚権現として祀られているようで、石造りの祠には蔵王権現が石鎚権現として安置されている。

 参道の石祠には小像ながら憤怒相の迫力のある蔵王権現像がある。また、石垣の片隅にある蔵王権現像の小像は力強く可愛らしい像で、竜王山の蔵王権現の中でも最も印象に残る像である。
(44) 五大明王 
不動明王・降三世明王 
降三世明王 
軍荼利明王 
金剛夜叉明王 
 竜王山には蔵王権現石仏を初めとして他の地ではあまり見られない石仏が多くある。その一つが五大明王像である。五大明王は不動明王を中心として、東西南北のそれぞれに降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の四明王を配置したもので、木造では立体曼荼羅として知られる東寺講堂の国宝五大明王像がよく知られている。石仏では関東や信州などでみられるが、西日本ではあまり見られない。

 竜王山の五大明王は浮き彫り像で、不動明王は上部を浅い山型にした板状の石材を使い半肉彫りする。他の明王は船型の半肉彫りである。降三世明王は大自在天とその妃、烏摩を踏みつけて立つ三面八臂像で、軍荼利明王は一面十臂像、金剛夜叉明王は三面八臂像で、それぞれ火焔光背を負う。細部まで丁寧に彫られた明王像である。大威徳明王は不動明王と降三世明王の後ろに隠れるように置かれていて写真を撮れなかったのが残念である。
(45) 摩利四尊天(摩利支天) 
 竜王山には珍しい尊容の石仏も多くある。摩利四尊天と刻銘のある石仏は摩利支天(摩利支尊天)と考えられるが、三面六臂の猪にのる通常の摩利支天像とは違い、一面で手を智拳印のような印(智拳印とは左右の手が逆)を組む二臂の像となっている。
(46) 弘法大師像 
 等身大に近い2体の弘法大師像は石仏と言うより近代肖像彫刻と言ってもよい魅力的で個性的な大師像である。一体は太い眉毛で目を開いて前をしっかり見つめる力強い弘法大師像で、もう一体は穏やかな目で静かに振り返る優しい姿の見返り弘法大師像である。

2019.10.1撮影                       イソヒヨドリ♀           古民家のある公園にて
公園の広い道路の真ん中でイソヒヨドリ雌が蝶or蛾の幼虫を見つけました。
銜えた蝶か蛾の幼虫はアゲハチョウの幼虫ぐらいの大きさです。
この後、人が近づいたので飛び立ち木にとまりました。


9月 11月