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鹿児島県日置市東市来町湯田中央 「元文4年(1739)」
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湯之元の田の神はメシゲと椀を持った田の神舞型の田の神で、宮内の田とともに県の有形民俗文化財に指定されている。左手で椀を抱えるように持ち、右手で持つメシゲはのワラの編目がていねいに刻まれた笠状のシキの上にのせている。表情豊かに笑っている顔が印象的である。袴は前から見ると裁付袴で後ろから見ると長袴になっている。宮内の田の神より古い「元文4年(1739)」の紀年銘を持つ。 |
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鹿児島県姶良市蒲生町下久徳三池原 「明和五年(1768)」
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自然石の前面を平らにし、舟形などに彫り窪みを作り、浮き彫りや半肉彫りにした田の神像は薩摩地方北部から姶良市にかけてよく見られる。その中でも県の有形民俗文化財に指定されているのが下久徳の田の神である。シキを被り、袂のない上衣に裁付袴を着た農作業姿の田の神である。顔がつぶれているのが惜しい。明和五年(1768)の作。 |
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鹿児島県姶良市宮島町
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姶良市には漆の田の神・触田の田の神・西田の田の神など田の神舞型の田の神が多くある。田の神舞型田の神像には触田の田の神のようなメシゲと椀を持って舞う田の神像と、漆の田の神のように両手でメシゲを持って舞う田の神像と2種類あり、福岡家の田の神は、両手でメシゲをもって踊る田の神像である。 シキをかぶり、タスキ掛けで、一歩踏み出して、両手でメシゲを持ち、空を見上げるように力強く田の神舞を踊っている。元は姶良市木津志の城の口にあった田の神で木津志の上脇家の田の神に作風が似ていて、上脇家の田の神の紀年銘の「文化2(1805)年」前後の製作と考えられる。 |
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久しぶりに古民家のある公園に行きました。ここも台風21号の影響を受けて倒木が多くあり、一部は立ち入り禁止になっています。野鳥の気配は乏しく、帰ろうと思ったときにキビタキ♀を見ました。 | |
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何カ所に飛び移りましたが、最初の2枚以外はすべて木の葉に隠れた写真でした。 |
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タシギを撮影しようといつも行く水田地帯に行ったのですが、休耕田が草に覆われていて、タシギは隠れて見えず、知らずに近づいてしまって、2羽が飛んで行ってしまいました。毎年、ここでは数多くのタシギを見かけるのですが、今年は少なくタシギを撮っていません。結局、別の休耕田にいるいつものクサシギを撮影したのみです。 | |
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クサシギは忙しく水中に嘴を突っ込み採食していました。赤いのはタニシの卵です。 | |
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クサシギはオタマジャクシのようなものを食べようとしていました。 |
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エゾビタキかハイキングコースの途中の電線にとまっていました。逆光で露出補正して撮りました。 | |
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順光側にまわろうとすると飛び立ち木の枝にとまりました。 | |
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鹿児島県姶良市蒲生町漆 「享保3年(1718)」
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漆の田の神は県指定の有形民俗文化財でメシゲを両手で捧げた田の神舞型の像である。享保3年(1718)の紀年銘を持ち、田の舞型の田の神としては最も古い。石材の半分は自然石で、前面に丸彫りに近い厚肉彫りで、両手でメシゲを斜めに持ち、左足を膝を立てるように踏み込み、田の舞をを踊る神職の姿を表している。シキの笠は大きく厚く、胸をはだけてタスキを掛け、長袴を着けている。顔はつぶれてわからないが神職と言うより田の神舞を踊る農民といった風情である。石の持つ量感を活かした重厚感のある田の神像である。 |
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鹿児島県霧島市隼人町内山田 「天明元年(1781)」
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宮内の田の神は漆の田の神とともによく知られた田の神舞型の県指定の有形民俗文化財の田の神像である。大隅国一之宮の鹿児島神宮の神田の奥に祀られていて、五月五日に行われる御田植え祭りにはこの前で田の神舞が行われる。 自然の岩のような台石の上に右足を右足を踏み上げるにして中腰で立ち、右手でメシゲをかかげ持ち、左手で椀を抱えるように持っている。袂の短い上衣に、両膝の丸く膨れた裁着け袴をはく。被った大きなシキは風にあおられて波打っていて、動きがありみごとに田の神舞を踊る姿を表している。顔は顎髭があり翁風の顔立ちである。シキの背後に「天明元辛丑天九月吉日 正八幡宮田神 沢正納右衛門」の刻銘がある。 |
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鹿児島県鹿屋市吾平町上名中大牟礼
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大隅地方で特色ある僧型の田の神として、シキを後に頭巾風に長く垂らして被り、胸に大きな頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを横にして持つ托鉢僧姿の田の神がある(旅僧型)。鹿屋市や肝属郡を中心とした地域では最も多い田の神像である。旅僧型の田の神は肝付町宮下川北の「明和8(1771)年」の像や「安永4(1775)年」の下名真角の田の神などが古く、多くは19世紀以降の作である。 大牟礼の田の神はその中でも比較的古く19世紀初頭の作と思われる。長衣を着たすらっとした僧型立像の田の神と同じくシキを後ろに長くたらして被るが、裁着け袴をはき、胸に宝珠描いた頭陀袋をさげ、スリコギを持つことや、頭が大きく4頭身の体形など僧型立像の田の神とはかなり違っている。右足は左足より少し上げて台座にのせて、托鉢する姿を表している。顔は一見、童顔風であるがよく見ると山伏僧らしい厳しさが感じられる風貌である。数多い旅僧型田の神の中では下名真角の田の神ととも優れた田の神像である。 |
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鹿児島県曽於郡大崎町田中 「文化11年(1814)」
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大崎町田中の水田地帯の道路脇に立派な椿の木があり、その椿の樹の横に田中の田の神は祀られている。シキを後に頭巾風に長く垂らして被り、胸に宝珠を描いた頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを斜めにして持つ旅僧型の田の神で、上衣の袖口やメシゲなどにベンガラで着色した跡が残る。顔も白く化粧した跡が残っている。支え石を使っていないため、やや股を開くように立っている。 稚拙に補修した鼻が気になるが、背後の水田や横の椿の樹・花生けの花瓶などとマッチして風情ある田の神像のある風景となっている。 |
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鹿児島鹿屋市川東町 「昭和31(1956)年」
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川東町の田の神は昭和31年につくられた旅僧型の田の神である。裁着け袴をはき、胸に宝珠描いた頭陀袋をさげ、メシゲとスリコギを持つことや、頭が大きく4頭身の体形など旅僧型の田の神の特徴を備える、ただ、シキは肩までたらした頭巾風のシキではなく、スリコギを左の手に持ち、メシゲを右手で立てて持つことなどは違っている。 メシゲやスリコギを持っ手はカニの足のようで写実性に乏しいが、顔の表情や内股で右足を半歩進める姿勢は独特のものがあり、作者の個性が出た現代の田の神像の秀作である。 |
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20羽ほどのケリが川岸で休んでいて、近づくと一斉に飛び立ちます。ケリはこの川や周辺の水田で最もよく見かける鳥の一つです。 | |
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川沿いの民家の電線にコサメビタキがとまっていました。 |
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古墳のある公園のエゴノキに集まるヤマガラの中にオーストンヤマガラそっくりの弁慶ヤマガラと通称されるレンガ色のヤマガラがまだいます。今日は弁慶ヤマガラは枝かぶりの写真しか撮れませんでした。このヤマガラは別のエゴノキに来たヤマガラです。 | |
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逆さになってエゴの実を採ろうとしています。 | |
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メジロが柿の実を食べていました。 |
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鹿児島県肝属郡肝付町野崎東大園 「明和8年(1771)」
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大隅半島の中部、鹿屋市や肝属郡にはシキを肩に垂らしてかぶり、大きな袖のついた長衣を着たすらりとした女性的な表情の僧型立像の田の神がある。すらりとした女性的な表情の鍬持ちの僧型立像の田の神の最も古い紀年銘を持つ像は肝属郡肝付町野崎東大園にある。2体並んだ田の神の向かって右にある像で、寛保2(1743)年の刻銘がある。残念なことに風化が激しい。 この像は2体並んだ左側の像で。「明和8年(1771)」の刻銘があり、鹿屋市吾平町の中福良の田の神と共にこの地方の鍬持ちの僧型立像の田の神の代表的な像である。黒い凝灰岩の丸彫り像で、克明な藁の編み目を刻んだ肩までたらしたシキや帯紐を前で大きく結んだ、袖の長い着流しの長衣などの精緻な表現と優しい眼差しが印象的な田の神像である。背後にワラヅトを斜めに負い、ツトの上にはメシゲがかざしてある。右の寛保2(1743)年の像と共に県の有形民俗文化財に指定されている。 |
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鹿児島県肝属郡東串良町新川西下伊倉 「文化4年(1807)」
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シキを肩に垂らしてかぶり、大きな袖のついた長衣を着たすらりとした女性的な表情の僧型立像の田の神はワラヅトを背負い鍬を持つ像以外に、米俵にのりヒョウタンをさげメシゲと宝珠を持つ像がある。肝付町野崎の塚崎の田の神とこの下伊倉の田の神がそれである。 下伊倉の田の神は像高96p、台石の高さ60p(俵も含む)の大型の田の神で、右手にメシゲ、左手に宝珠を持ち、帯紐に大きなヒョウタンと木の葉の形の杯を下げている。正面から見ると塚崎の田の神と同じくすらっとした姿であるが、横から見ると量感がある。顔は端正であるが男性的な相貌である。「文化4年(1807)」の紀年銘があり、県の有形民俗文化財に指定されている。 |
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鹿児島県鹿屋市永野田
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永野田の田の神も大きな袖のついた長衣を着たすらっとした僧型立像の田の神である。他の僧型立像の田の神と違って左手で稲穂を担ぐように持つ、稲穂を担ぐように持つ田の神像はあまり見られないが、19世紀になってあらわれる大黒天像と融合した大黒天型の田の神像には金嚢(袋)のかわりに稲穂を背負う像が見られる。下伊倉の田の神などよりも新しい時代のものと思われる。 |
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公園の北東にある森は多くの木が倒れています。まだ、手付かずで悲惨な状態です。その森にはキビタキの雌がいました。 | |
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コサメビタキもいました。 | |
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公園の北にある森も倒木だらけです。ここは、重機が入って、倒木などの後片付けが始まっていました。この森でもキビタキ♀とコサメビタキを見かけました。 |
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ノスリが石垣の上で佇んでいました。カメラを構えると立ち上がり羽を広げました。その後、羽づくろいを始めました。 | |
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しばらくすると、左右を見回し、飛び立ちました。フェンスが邪魔で飛ぶ姿はとれませんでした。 | |
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梅園にはムシクイがいました。頭央線が見られないのでセンダイムシクイではありません。足がピンク色なのでエゾムシクイと思うのですが?わかりません。 |
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4ヶ月ぶりに大阪の都市公園に行きました。台風21号の影響で多くの木が倒れていて悲惨な状態でした。昨日行った地元の山の比ではありません。それでも多くの野鳥がこの公園には入っています。 空堀の石垣にはチョウゲンボウがいました。ここにはチョウゲンボウがよく来るようで、いつ来ても多くの人かカメラを構えていました。今年の春、撮ろうとして待ったことがあるのですが、チョウゲンボウが簡単に撮影できるポイントが地元にあるので30分ほどでやめてしまいました。久しぶりに訪れるとチョウゲンボウがいました。 |
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チョウゲンボウは石垣の間に挟まった材木や石垣の隙間にとまって、獲物を狙っています。時々、空堀を旋回するように飛び、また元の所へ戻ってきます。 | |
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1時間ほど別の場所で撮影した後、空堀に戻って来たのですが、まだ、チョウゲンボウはいました。 |
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11日にエゾビタキを撮った地元の山のハイキングコースへ行きました。数日前に行ったときは、台風の影響で木がたくさん倒れていて悲惨な状態でした。シルバー人材センターの人が片付けをしておられましたが、まともに歩けませんでした。今日行ってみると所々に倒れた木はありましたが、道の倒木は片付けられ、草も刈られて歩きやすくなっていました。 エゾビタキ・キビタキ♀・ヤマガラ・エナガ・コサメビタキ・コゲラなどを見かけました。エゾビタキ・キビタキ♀は逆光で露出補正に失敗してアップできるような写真は撮れませんでした。高い枝にとまったコサメビタキは露出補正して何とか撮影できました。 |
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コサメビタキは羽づくろいをしたりして数分間、枝にとまっていました。 | |
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コゲラだけは順光できれいな写真を撮れました。 |
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昨日撮ったタカブシキを見に行きましたが、いませんでした。水路のような川にはカルガモの親子がいました。この川には生態系を壊す原因の外来種のアカミミガメが多数います。 | |
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小さな雛の時は10羽近くの雛をつれているカルガモをよく見かけるのですが、この大きさになると2、3羽が普通です。カラスなどに食べられたり、大水に流されたりして減っていくのでは。 | |
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アカミミガメの近くでイソシギが忙しく嘴を水につけて採食していました。 |
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この水田地帯の休耕田で今年初めて見たタカブシギです。 | |
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数年前まではこの水田地帯ではよくタカブシギは見かけたのですが、この2年はあまり見られませんでした。 | |
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休耕田の真ん中から休耕田の奥に移動しました。その後、農家の人が近づいたためどこかへ飛んで行ってしまいました。 | |
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7月によくクサシギ見かけた休耕田に行くと、久しぶりにクサシギと出会いました。 | |
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鹿児島県薩摩川内市祁答院町下手 轟
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轟の田の神は頭の光背のように被るシキはそのままに背石となっていて背面を厚く覆い、丸彫りに近い半浮き彫りの田の神像である。大きな袖の上衣と裁着け袴で腰掛けるている。右手でメシゲを持ち、左手は指で輪を作っている。 さつま町などに見られる僧型腰掛け型の田の神と思われるが庶民的な笑いを含んだ顔と胸をはだけ姿は僧と言うより農民そのものである。石の量感さを活かした重厚で力強い表現がこの田の神の魅力である。2回目に訪れたときは赤と白で鮮やかに化粧されていた。ただ、ゴールデンボンバーの樽美酒研二のような白塗りの顔はいただけない。 |
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川面や川の近くの畑や水田をツバメか飛び回っています。また、川の堤防の草むらでも多数のツバメが群がって飛んでいました。背中に白い部分が見えたのでイワツバメかなと思いました。望遠レンズで覗いてみると白ではなく薄茶色でした。コシアカツバメです。 | |
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飛ぶスピードが速くなかなか撮影できません。何とか、草むらすれすれで飛ぶ姿を撮影しました。 | |
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鹿児島市松元町入佐 新村 「享保12(1727)年」
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入佐新村の田の神は山の中の大きな岩の前に安置されている。笠のようなシキをかぶり、肩布のついた中袖の上衣に、長袴を着け、右手にメシゲ、左手にスリコギらしきものを持つた僧型立像の田の神である。白黄色の粗い凝灰岩で彫られていて顔の風化が進んでいるのが惜しい。県の民俗資料有形文化財で「享保12(1727)年」の紀年銘を刻む。 |
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鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名 池頭
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以上に大きな笠状のシキを被った田の神で、水田の中の小さな丘に立つ。袖のついた上衣に裁着け袴で、右足を一歩、前に踏み出して歩く姿を表している。右手にメシゲを下にして持ち、左手は腰に当てている。村々をまわる僧をモデルにした僧型立像の田の神と思われ縷々。頬が膨れた庶民的な顔や大きな笠状のシキ、前へ振りかざすような大きなメシゲなど誇張された表現がこの田の神の魅力である。 |
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古墳のある公園のエゴノキに集まるヤマガラを撮影しました。近くの植木の茂みや背後の林の中からエゴの実を求めて数羽のヤマガラが飛んできます。その中には今日もオーストンヤマガラそっくりの弁慶ヤマガラと通称されるレンガ色のヤマガラもいます。 | |
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エゴの実を銜えました。 | |
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これは普通のヤマガラです。正面から見るととぼけた可愛い顔をしています。。 |
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半年ぶりにマヒワをよく撮影した県境近くの山の公園に行きました。台風21号の影響で、木が倒れ、通れない遊歩道もありましたが、大阪の公園ほどひどくはなかったです。飛び石などを設けた水路付近でキビタキの雌がいました。久しぶりのキビタキ♀の撮影です。 | |
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背はオリーブ色の褐色、腹はオリーブ色がかった淡褐色です。 | |
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ムシクイを見かけましたが、遠くてよい写真は撮れませんでした。声も聞こえず、頭央線も見えないのでムシクイの種類はわかりません。 |
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鹿児島県伊佐市大口平出水 「享保六年(1721)」
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仏像型田の神として地蔵菩薩を田の神として祀った紫尾の田の神「宝永2(1705)年」や中組の田の神「宝永八年(1711)」が知られている。これらは最も古い紀年銘を持った田の神である。平出水の田の神も仏像型の田の神である。しかし、地蔵菩薩ではなく大日如来像である。石台正面に「大日如来を本地として御田之神を造立した」という意味の言葉が書かれていて、大日如来を彫って田の神としたことは明らかである。 六角形の台上の反花と蓮弁の蓮台に坐す宝冠をかぶり、両手で胸前で智拳印を結んだ金剛界大日如来像である。穏やか顔立ちの像手で、衣のひだか複雑に重なった精緻な表現の像である。県の民俗資料有形文化財に指定されいる。 |
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鹿児島県薩摩川内市樋脇町塔之原岩元 本庵
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薩摩川内市樋脇町塔之原の本庵の田の神は鎧甲を着けた武人の田の神である。持ち物は破損していてわからないが、左手に杖状のもの(鉾?)を持ち右手に宝棒のような物をもつ。右手の持ち物は見ようによればメシゲにも見え、メシゲとすればはじめから田の神として作られたものといえるが、おそらくもとは広目天や持国天などの天部像であったのではないだろうか。市の民俗資料有形文化財に指定されていて、正徳4年(1714)の紀年銘がある。 |
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古墳のある公園ではヤマガラをよく見かけます。公園入り口を入って池へ向かう道にはエゴノキが多くあり、いつもヤマガラがエゴの実を目当に集まっています。 前日、この公園のヤマガラのブログをチラッと見たのですかが、気にもとめませんでした。8日、田んぼでセッカを撮影していると知り合いに会い、公園のヤマガラがオーストンヤマガラのようなレンガ色のヤマガラであると知り、急いで公園に駆けつけました。20人以上の人かカメラを構えていました。ほとんどか他府県の人でした。居心地が悪くてこの日は諦めました。9日に公園に行くとカメラマンもやや少なくなっていて、落ち着いて目当てのヤマガラを撮影できました。 |
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額から頬、頸側、背の上部、体面下はレンガ色で図鑑で見たオーストンヤマガラとそっくりです。ただ、喉元のの黒い部分は色は薄く褐色に近く、少し違うような気がします。時々見られる通称「愛染ヤマガラ」とか「弁慶ヤマガラ」と呼ばれるヤマガラのようです。 | |
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亜種オーストンヤマガラぱ三宅島など伊豆諸島にいるヤマガラです。 | |
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エゴの実を銜えました。 | |
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田んぼの畦の奥にヒクイナらしきものがいました。遠くてわかりにくかったので田んぼの反対側にまわり撮影しました。ヒクイナではなくバンの幼鳥でした。 | |
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セッカが畦の奥の草にとまって鳴いていました。遠くてあまりよい写真は撮れませんでした。大きくトリミングした写真です。 |
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3日に1回ほどの割合でセッカとジシギを目的にこの水田地帯に通っています。セッカは毎回「ヒッヒッヒッ」と澄んだ声が聞こえ、時たま、草の先にとまってくれて今まで3回撮影できました。ジシギは毎回のように見かけるのですか、7月28日に1回撮影したのみです。いつも田んぼの畦にいるのですが、歩いている農道のほん近くにいて、気がついたときにはいつも飛び立っています。今日は田んぼの畦の奥にいてむ、撮影することができました。 | |
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田んぼの畦を歩いていました。 | |
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7月28日に撮影した同じ個体と思われます。。 | |
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7月28日のアップ時にはオオジシギとしたのですが、自信はありません。 | |
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タシギやハリオシギでないことは確実ですが、チュウジシギかもわかりません。ムシクイとジシギの識別は私には難しいです。 | |
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鹿児島県鹿屋市上高隈町鶴
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鹿屋市の特色ある田の神像の一つは神職神舞型で、高隈地方に7体ほどある、烏帽子を被り、神舞を舞う神職を彫ったもので、手には振り鈴を持つ。鶴の田の神はその中の1体で、両手は欠けていて、振り鈴などは確認できないが、烏帽子を被り、やや前屈みで中腰で神舞(かんめ)を舞う姿を表した田の神である。鹿屋市の山中の小さな集落の外れの棚田の上の畑に祀られていて、下の棚田や水田を見下ろしている姿は絶好の被写体である。 |
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鹿児島県鹿屋市上野町芝原 「文政12年(1829)」
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鹿屋市の特色ある田の神像のもう一つは、メシゲと振り鈴を持ち、上衣の衿から胸にかけて可憐な飾りがついている田の神舞を踊る田の神像である。その代表的な像が野里の田の神(県指定民俗資料有形文化財)とこの芝原の田の神である。共に八角柱台石の上の角台石の上に立つ赤い凝灰岩に彫られた田の神像である。大きなシキを肩にたらし、襟元に波形の飾りのついた上衣で、腹を大きく膨らましている。大きく膨れた裁着け袴を着け、メシゲを右手でたらして持ち、左手に振り鈴を持っている。 像高は野里の田の神よりやや小さい65pで、顔つきは野里の田の神より庶民的で、野里の田の神のような伸びやかさにやや欠ける。野里の田の神より78年新しい「文政12年(1829)」の建立である。野里の田の神の撮影時と同じく背後の空にはさば雲が広がっていた。 |
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鹿児島県曽於市大隅町月野広津田 「弘化4年(1847)」頃
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大隅半島に多く見られる田の神像として神職型座像の田の神が上げられる。頭には冠や烏帽子の代わりにシキをかぶり、手には笏ではなくメシゲとスリコギを持つ。大隅半島の神職型座像の田の神は豊原の田の神など右膝を半ば立てた趺座の形で組む像が多いが、安座する像も見られる。 曽於市大隅町の広津田の田の神は安座姿の神職型座像の田の神としては最もよく知られている像である。高さ140pの大型の田の神で、単純明快な簡略な表現に特徴がある。案内板は造立年を「弘化4年(1847)」頃としている。 |
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鹿児島県志布志市志布志町内之倉森山 「弘化4年(1847)」
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志布志市志布志町の森山の田の神は高さ118pの安座姿の神職型座像の大型の田の神で、曽於市の広津田の田の神と同じくシキの笠を被り、スリコギとメシゲを持つた、単純明快な表現の田の神である。着衣は広津田の田の田の神の垂領(たりくび)<左右の襟を低くたれさげ、引き合わせに着用すること>の衣装に対して狩衣(かりぎぬ)姿である。 |
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鹿児島県いちき串木野市川上 「天保7年(1836)」
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いちき串木野市にある川上の田の神は、神職姿で、シキをかぶりメシゲと椀を持った像で、顔が小さく袴が大きく広がり安定した姿に特徴がある。 シキはあご紐でくくり、メシゲは右手でやや斜めにして立てて持ち、左手で椀を 右手と同じ位置で持つ。この姿は近くの鏑楠(てきなん)の田の神や福薗の田の神などの一石双体の田の神の向かって右の像と共通する。 |
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鹿児島県いちき串木野市川上中組 「明治7(1874)年」
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川上の田の神から2qほと南の水田のはずれに中組の田の神はある。川上の田の神と同じく顔が小さく袴が大きく広がり安定した姿である。シキをあご紐でくくり、右手にメシゲ、左手に椀を持つ。 「明治7(1874)年」の記銘があり、川上の田の神などを参考にして造立されたものと思われる。川上の田の神に比べると顔は小さく、衣装も直線的で写実性に乏しく、こけし人形のようである。しかしそのこけし人形のような表現が、石の持つ素材の力を引き出し、この田の神の魅力となっている。 |
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コサメビタキでも入っていないかと久しぶりに地元の山のハイキングコースへ行きました。地元の山ではナラ枯れが進み、ナラ類やシイ・カシ類の木が次々と枯れました。ハイキングコースでは枯れた木は多くが切り出されましたが、まだ一部枯れた木が残っています。大きな枯れ枝が電線や他の木に引っかかって、危険な状態です。その枯れた木を見上げているとエゾビタキが枯れ枝にとまっているのを見つけました。 | |
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シヤッターを数回きると、小さな枝に、飛び移りました。 | |
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このハイキングコースでは初めて見たエゾビタキです。 | |
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エゾビタキは毎年10月に古墳のある公園で見ているのですが、旅鳥のエゾビタキを9月の初めに見られるとは思っていませんでした。 | |
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しばらくする飛び立ち遠くへ行ってしまいました。 | |
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鹿児島市上福町 木之下 「宝暦6(1756)年」
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木之下の田の神は笠状のシキをかぶり、右手にメシゲ・左手に椀を持った田の神で狩衣風の上衣をきた神職型の田の神で、石工の腕のさえが感じられる田の神像である。背部に「宝暦六子天二月吉日 奉供養田之上」と刻む。直衣または狩衣姿でメシゲを持った神職型立像の田の神としては、山崎麓の田の神とならぶ秀作である。山崎麓の田の神の端正な顔に対して、この田の神は庶民的で味わいのある顔である。 |
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