「フォトギャラリー 石仏と野鳥」 新版  2018年8月
 
7月 9月

2018.8.30撮影             ヒバリの偽傷行動・セッカ        近くの水田にて
 28日にセッカとジシギを見かけた水田へ行きました。ジシギらしき鳥はいたのですが、撮影はできませんでした。その後、近くの畦に腹ばいになったヒバリを見つけました。
コチドリと同じような偽傷行動と思われます。シヤッターを6回ほどききると、向きを少し変えて、飛び立ちました。
セッカが草地で先日と同じようににさえずっていました。

2018.8.28撮影                 セッカ              近くの水田にて
28日、ジシギの撮影中に撮ったセッカです。

 
2018.8.30          続 田の神サア50選(6)   坂下の田の神
鹿児島県いちき串木野市生福 坂下  「延享4年(1747)」
 鹿児島県の日置市やいちき串木野市周辺の特色ある田の神像として神像(神官)型立像の田の神がある。いちき串木野市生福の五反田川に面した段丘上に立つ坂下の田の神はそのような神像型立像の田の神である。県の民俗資料有形文化財に指定されている日置市の元養母の田の神<「神明和6年(1769)」>より古い延享4年(1747)の記銘を持ち、神像型立像の田の神としては初期の頃の田の神である。
 衣冠束帯姿で胸の前で笏を持ち、頭には冠を被り、纓(えい)は背に長く垂れている。顔は摩滅してわからないが顎髭は残っていて、元養母の田の神と同じように忿怒相であったと思われる。元養母の田の神と比べると着衣の線は単純で堅く、伸びやかさに欠けるが、丘の上から五反田川を見下ろすように立つ姿は威厳がある。

 
続 田の神サア50選(7)   川内歴史資料館の田の神
鹿児島県薩摩川内市中郷2-2-6  「文化2年(1805)」
 薩摩川内市立川内歴史資料館の庭には3体の田の神像が並んで展示されている。これらの像は薩摩川内市平佐町の中ノ原地区から寄贈されたものである。中央の一体は船型石材に深い船型の彫り窪みをつくって、神官(神職)型立像を厚肉彫りした田の神像である。
 着物を着て、右手にメシゲを持って、冠をかぶった神官型立像という珍しい田の神像で、神像というより神職像と言える庶民的な雰囲気の像である。冠をとめる簪が大きく表現されているため、頭に十字架をつけているように見える。 

2018.8.27撮影             キアシシギ・ソリハシシギ        三重県の河川の河口にて
 9月になれば多くの旅鳥のシギ類が飛来し、河口付近の砂浜は賑やかになります。まだ少し早いかなと思って三重県の河口付近に来たのですが、最初に行った河川の左岸以外の河口の砂浜にはほとんどシギ・チドリ類はいませんでした。ただ、行った3つの川の河口に1羽か2羽でしたがキアシシギはいました。このキアシシギは最初に行った2つの市の境を流れる川の河口の右岸で撮影したものです。
浅瀬に入って嘴を水の中につけて採食行動をしていました。
2番目に行った川の河口で見かけたキアシシギです。
2番目行った川の河口と最後に行った川の河口の間の広い砂浜で見かけたキアシシギです。
最初に行った川と最後に行った川で見かけたソリハシシギです。

2018.8.27撮影             ハマシギ・キョウジョシギ        三重県の河川の河口にて
 2つの市の境を流れる川の河口の左岸にはメダイチドリ以外に数羽のキョウジョシギとハマシギ・キアシシギがいました。流れ着いた海藻や草の葉などに覆われた砂浜で、砂浜を嘴で突きながら採食をしていました。キョウジョシギとハマシギです。
ハマシギは春や秋には大きな群れで暮らしているのがよく見かけますが、今日は1羽のみでした。
流木のまわりで、数羽のキョウジョシギが採食していました。
黒、茶色、白の派手な色で頭部が白いのが雄で、全体に褐色みが強く、頭部が褐色なのが雌です。

2018.8.28撮影                 オオジシギ?             近くの水田にて
 先日、セッカを撮影した水田に行きました。セッカのさえずりが聞こえたので、さえずりが聞こえた荒れ地に向かうためあぜ道を歩いていると、ジシギに出会いました。この水田に来たのはこの夏、8回目です。元々は昨年度の夏から秋にかけて見かけたジシギが目的で来ていたのですか、セッカしか撮影できなく、今年は入らないのかと諦めていました。
10回ほどシャッターを押すと、あぜの奥へ言ってしまいました。とりあえず撮影は諦めてセッカのほうに向かいました。
セッカを撮影したあと、ジシギがいたあぜの反対側へ向かいました。すると、読み通り、ジシギがあぜ道の途中で休んでいました。
羽を広げるのを待ったのですが、広げてくれませんでした。従って、オオジシギかチュウジシギかわかりません。
羽の色の具合や大きさからオオジシギと思うのですが。一応、オオジシギとしました。

2018.8.27撮影                メダイチドリ            三重県の河川の河口にて
 久しぶりに遠出です。いつも行く三重県の河口へ行きました。2つの市の境を流れる川の河口の左岸の海藻や木の葉などが流れ着いた砂浜に冬羽のメダイチドリがいました。幼鳥かもしれません。目が光っているメダイチドリを撮ったのは初めてです。初めはシロチドリとも思えたのですか、よく見るとシロチドリ特有の頸を取り巻く明瞭な白い輪がありません。
キョウジョシギか数羽いる場所に移動しました。
そのあと、少し離れた砂浜に移動しました。
飛び上がり海藻や木の葉などが流れ着いた砂浜に戻りました。

 
2018.8.25          続 田の神サア50選(4)   上木田の田の神
鹿児島県姶良市加治木町木田上木田 「明和4年(1767)」 
 上木田の田の神は、宮崎県の神官型の田の神と同じように衣冠束帯姿であるが、腰掛け型でなく安座姿である。像高は65pで宮崎県の神官型の田の神に比べると小形で、両袂が左右にはね上がった両手は前で合わせて笏を持つ孔をつくっている。宮崎県えびの市の梅木の田の神のような力強さに欠けるが、端正な田の神である。県の民俗資料有形文化財に指定されている。

 
続 田の神サア50選(5)   迫の田の神
鹿児島県姶良市加治木町小山田迫下 「安永10年(1781)」
 迫の田の神は上木田の田の神と同じく、衣冠束帯型の安座姿の田の神である。像高は56pで、衣冠束帯姿で、冠の纓は背に長く垂れている。右手に笏を持っていたと思われるが手の先は欠けている。顔は面長で、目は半眼で静かな気品のある表情で、整った美しい田の神像である。

2018.8.24撮影                   セッカ             近くの水田にて
 川の近くの水田ではいつもセッカのさえずりが聞こえるのですが、なかなか姿を見せません。今日は、水田の隣の荒れ地の草の先ににとまってくれました
10分間ほど、草の先で「ヒッヒッヒッ」と澄んだ声でさえずっていました。
時々、羽づくろいをしていました。
開けた口の中は真っ黒です。

 
2018.8.23          続 田の神サア50選(2)   井手上の田の神
宮崎県西諸県郡高原町広原井手上  「享保9年(1724)」
 JR吉都線「広原」駅、西400m、広原小学校の裏手にある王子神社の参道に井手上の田の神はある。新田場の田の神と同じく束帯姿(強装束)の神官像で腰掛け姿の像で、手は両手を前で合わせ孔を作っている。祀る時にそこに笏を持たせるためであると思われる。衣紋等の表現は新田場の田の神や谷川の田の神と比べると直線的で写実性に欠けるが、石の硬さが直線的な表現で生かされ、端正な顔と共に気品のある田の神像となっている。
 北向きの参道の木陰にあるため日が当たらず苔むしている。顔の左面の表面が崩れているのが惜しい。「享保九甲辰閏四月八日 寄進者、森雲平」の記銘がある。

 
続 田の神サア50選(3)   岩満巣立の田の神
宮崎県都城市岩満町巣立
 神官(神像)型は宮崎から始まったと言われていて、「享保5年(1720)」の刻銘がある新田場の田の神などの腰掛型神官像が始まりとされ、宮崎の享保年間建立の田の神像は腰掛型神官像である。それに対して鹿児島県では神官型田の神の多くは県の有形民俗文化財の上木田の田の神のように安座姿である。

 安座型神官像の田の神は鹿児島より始まったかというと、それも疑問で、小林市の南島田の田の神「享保7年(1722)」・桧坂の田の神「享保10年(1725)」のように腰掛型神官像と同じ享保年間造立のものも見られ、安座型神官像もふくめて、神官型座像の田の神は宮崎県から始まったと言えるのではないだろうか。(霧島市の安座神官型の田の神の紫尾田の田の神の造立が「延享元年(1744)」ではなく「正保元年(1664)」であれば、神官型の田の神は鹿児島県が発祥となる。)

 宮崎県の安座型の田の神像は数は多くあるが新田場の田の神や谷川の田の神のような優れたものは少なく、秀作としてあげるとすれば、宮崎市高岡町にある柚木崎、面早流(もさる)、田之平の田の神像なとである。これらの像は瓜実顔で気品のある顔で冠の巾子(こじ)を表現した田の神像である。同じく宮崎市高岡町の唐崎の田の神も秀作で、両手を膝の上で輪組みする安座像で量感豊かな表現の田の神である。背面に「元文二年五月吉日」(1737年)と刻む。

 都城市岩満町巣立の北の端、木之川内川近くの民家の前に立派な神官型の田の神像がある。それがこの岩満巣立の田の神である。像高75pで両手を膝の上で輪組みして安座する像で、唐崎の田の神とよく似た量感豊かな像である。正面から見た顔は、小林市の新田場の田の神や都城市高岡町の谷川のような端正ではなく、下ぶくれでやや野暮ったい感じである。しかし、横顔は引き締まっていて、力強く迫力があり、宮崎の安座型神官像の田の神を代表する像といえる。

 
2018.8.21          続 田の神サア50選(1)   内竪梅木の田の神
宮崎県えびの市真幸中内竪梅木  「享保10年(1725)」
 田の神サア50選はえびの市の山形家の田の神で終わったが、50選に選ばなかった田の神像にも魅力ある像がたくさんあり、「この像も、あの像も50選に入れて置けばよかった。」と後悔している。そこで、「続 田の神サア50選」として、あと50体を追加して紹介することにした。

 「田の神サア50選」は私が田の神石像に興味を持ったきっかけとなった西田の田の神像から始めたが、「続 田の神サア50選」の1番は私が最初に撮影した田の神像、内竪(うちだて)梅木の田の神とした。この時あまり田の神像に興味はなかったのだが、山に囲まれた田園の中にどっしりと座った重厚感のある田の神像のある風景に魅力を感じて撮影した。その意味では私の田の神像遍歴の最初といえる田の神像である。

  内竪梅木の田の神はえびの市の京町温泉の北西、中内竪の水田の中を通る国道447号線の道端に祀られている。「享保十年(1725)」の刻銘があり、小林市の新田場の田の神・都城市高崎町の谷川の田の神とともに、宮崎県を代表する神官(神像)型の田の神である。円形の台に腰掛けた束帯姿の田の神で、着衣の線は単純であるが厚みとふくらみがあり、引き締まった顔で、石の美しさや力強さを生かした重厚な彫りの像である。西田の田の神で田の神像に興味を持ったあと、この像は何回も撮影した。

2018.8.15.17.19撮影      カルガモ親子・コチドリ若鳥・クサシギ      近くの休耕田・小川にて
 19日、昨年、オオジシギを見かけた田んぼへ行きました。1羽、それらしい鳥を見かけたのですが、飛んでいき撮影できませんでした。結局撮影したのは、カルガモの親子です。
溝から川へ水が流れ落ちる中をカルガモの親子は泳いでいき、草むらに隠れてしまいました。
17日はコチドリの若鳥を撮影したのみです。見かけた鳥はケリ、ダイサギ、ヒバリ、イソシギなどです。
15日は10日と同じ休耕田でクサシギを撮りました。
コチドリとクサシギです。

 
2018.8.15          田の神サア50選(50)   中原田 山形家の田の神
宮崎県えびの市大明司 えびの市歴史民俗資料館 「文政13(1830)年」
 田の神サア50選の最後を飾る田の神としてえびの市の山形家の田の神を紹介する。
 えびの市の歴史民俗資料館には4体の田の神が展示されている。その内の一体が中原田の山形家に伝わる田の神で、すばらしい彫りの田の神で、農民型田の神の傑作である。シキをかぶり右手に大きなメシゲをかかげるように持ち、左手にはメシを盛った椀を持って、力強く一歩踏み出して、田の神舞を踊っている様子を表している。めくりあがった袖口や肌けた襟元など写実的な着衣の表現がこの像をより動きのあるものにしている。
 「奉寄進文政十三庚寅閏 三月吉祥日 山形直左衛門」の記銘があり、文政13(1830)年3月に山形直左衛門によって造立されたことがわかる。それ以降、山形家で大切にされ、風雨にさらされることなく今日に至っている。

 
2018.8.14          田の神サア50選(48)   松元の上の田の神
宮崎県小林市堤松元の上 「弘化3年(1846)」
 いかにも農民姿を田の神にしたと言える田の神像が小林市にある。それは松元の上の田の神である。右手にメシゲをかざし、左手に枡を抱いて、野良着を着て、両足を丸出しにして、右足をやや踏み出し、地べたにつきそうなほど、低い姿勢でかがみ田の神舞を踊るユニークな田の神像である。

 
                    田の神サア50選(49)   末永の田の神
宮崎県えびの市末永 「明治21(1888)」年
 えびの市役所のあるえびの市加久藤より、白鳥温泉へ向かう途中にある末永地区にこの田の神がある。この田の神をモデルにした田の神の絵がえびの市やえびの市観光協会ホームページに使われていて、えびのでは最も知られている田の神である。
 近くの東原田大平落の田の神と同じようにシキを被らず光背のように表現している。右手にメシゲを持ち左手に椀を持つ、シキと衣服は赤と白に見事に彩色されいる。顔は白く彩色され、稚拙であるが可愛いい目鼻とおちょぼ口が印象的である。現在、立派な社に祀られているが、毎年、5月4日には社から担ぎ出され、きれいな化粧を施されて、豊作を祈願する田の神祭りが盛大におこなわれる。

 
2018.8.13          田の神サア50選(47)   乙房神社の田の神
宮崎県都城市乙房町馬場    文政九年(1826)
 宮崎では神官型の田の神が多いが、鹿児島のようにメシゲや椀、スリコギなどを持った田の神像も鹿児島県と接する都城市やえびの市・高原町にはかなりの数、見られる。鹿児島の田の神舞神職型やメシゲ持ち僧型の影響で造立されたものと思われるが、服装は僧衣や納衣、袴をはいた像は少なく、農夫のような姿が多い。「宮崎の田の神像」(鉱脈社)の著者、青山幹雄氏はこれらの田の神を農民型と分類されている。
 宮崎の農民型田の神像を代表する一つが乙房神社の田の神である。JR吉都線「日向庄内」駅の北、乙房保育園の向かいの小さな神社(乙房神社)の社殿横に祀られている。体の四分の一を占める、丹念に彫られた縄目が目立つ、大きなシキをかぶり、右手にメシゲ、左手に椀を持つ農民型の田の神である。高さは70cm。左頬の一部がかけているのが目立つほどで、保存状態はよい。メシゲは柄が細く、メシゲと言うよりはお玉杓子か団扇のように見える。椀は真上から見た姿を真正面に彫りつけていて、見た目にはボールを持ったように見える。大きな鼻とにっこり笑った顔が魅力的である。赤い彩色跡が残る。「文政九丙応庚 戌十月廿二日」の記銘が残る。1826年、江戸時代後期の作。

 
2018.8.12           田の神サア50選(46)   桜木横手の田の神
宮崎県都城市高城町桜木   「文政12(1829)年」
 神官型田の神像は宮崎から始まったと言われていて、宮崎には神官型の田の神が非常に多い。小林市の新田場の田の神・都城市高崎町の谷川の田の神、縄瀬三和の田の神・えびの市の梅木の田の神などが古く、すべて享保年間の作で、腰掛け型の神官型田の神である。時代が下ると鹿児島と同じ安座型の神官型田の神が増え、宮崎県全体としては安座型が多い。
 宮崎県の安座型の田の神として優れた像kの一つとしてとして桜木横手の田の神があげられる。都城市高城町桜木横手の東の端、花之木川沿いの菅原天神の入り口にある田の神で、宮崎県の田の神の中で最も見事な彩色がなされている像である。 高さ70pで両手を輪組にし安座し、衣裳は赤と黒、顔や手は白く塗られ、目と眉がくっきりと描かれている。「文政十二(1829)年五月奉建立御田神」の銘文がある。
 田の神像の横に小さなコンクリートの碑があり、平成元年に宮田チカ宅から移転奉納されたことが銘記されている。長い間、室内で祀られていたため、風化や破損がなく目鼻の彫りも完全に残っていて、鮮やかな彩色・化粧とあいまって、みすみずしいほど美男の田の神である。頭髪と冠を黒くぬり、衣裳は襟元と中央部を黒で残りを赤で塗っているため羽織を着た相撲取りのように見える。

2018.8.10撮影           クサシギ・コチドリ若鳥      近くの休耕田にて
いつも行く休耕田は水が少なくなり、クサシギは見かけなくなりましたが、500mほど離れた休耕田には、クサシギが入りました。
この休耕田には毎年、クサシギが来ます。
いつも行く水の少なくなった休耕田にはイソシギ・ケリとともにコチドリの若鳥がいつも数羽います。
金色のアイリンクはまだ色が薄いですが、白いアイリンクの幼鳥は少なくなりました。

 
2018.8.10           田の神サア50選(45)   竪山の田の神
日置市東市来町湯田 竪山 昭和63年(1968)
 田の神の信仰は今でも続いていて、昭和時代には多くの田の神像が造られた。個性的な秀作の田の神も多くあり、そのうちの一つが堅山の田の神である。右手で魚のような形をした大きなメシゲをかかげ、左手で大盛りの飯椀を持った田の神で、野良着のような着衣で、袴をはいていない。大きな手て今までの苦労を噛みしめ静かに笑っている無骨な働き者の農夫という印象の田の神である。昭和63年(1968)の記銘がある。

 
2018.8.9           田の神サア50選(44)   楠元下の田の神
鹿児島県薩摩川内市楠元町  「万延元年(1860)」
 大黒天は音韻や容姿の類似から大国主命と重ねて受け入れられるとともに、農村では豊作の神として信仰を深めていく、そのため田の神信仰は西日本では大黒天と結びついていった。田の神像の中にも、影響を受け田の神像と大黒天を融合させた像が生まれる。薩摩川内市の楠元下の田の神は帽子状のものをかぶり、小槌とメシゲを持って俵の上に立つ田の神で、小槌を持つや俵の上にのることなど大黒天の影響が見られる(「万延元年(1860)」)。

2018.8.8.9撮影           イソヒヨドリ・コチドリ幼鳥       自宅のベランダから、近くの水田にて
8日の朝、自宅の斜め向かいの会社の社宅のベランダにイソヒヨドリがいました。自宅のベランダから写しました。
毎年この社宅付近でイソヒヨドリが巣作りをします。
今日(9日)もイソヒヨドリがいました。
 自宅でイソヒヨドリを撮影したあと、いつも行く休耕田に行きました。いつものようにケリ・イソシギなどがいました。コチドリの幼鳥が可愛らしかったです。

 
2018.8.8            田の神サア50選(42)   鹿子田の田の神
鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名鹿子田   「明和8(1771)年」
 薩摩川内市の入来町には自然石または石碑状の加工石に舟形や四角形の彫りくぼみを作り、右手にメシゲ、左手に閉じた扇子を持つ農民風の田の神を浮き彫りする田の神像が集中してみられる(入来地方石碑型)。鹿子田の田の神は、それらの田の神像の中でも二番目に古い「明和8(1771)年」の紀年銘を持つ。帽子風のシキをかぶり、袖のない仕事着に、裁着け袴をはく素朴な趣の田の神である。

 
                    田の神サア50選(43)   栗下の田の神
鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名 栗下 「明和6年(1769)」
 栗下の田の神は高さ1mを超える上部を斜めにした大きな板状の石材に、深い枠窓をつくり、右手にメシゲ、左手に閉じた扇子を持つ農民風の田の神を半肉彫りしたもので、鹿子田の田神より古い「明和6年(1769)」紀年銘を持つ。鹿子田の田の神より摩滅がすすんでいるが、化粧(彩色)されていて摩滅していることがわからない。おじさん風の軽妙な化粧で、化粧した人のセンスが光る像である。

2018.8.7撮影               イソシギのカップル           近くの水田にて
イソシギのカップルを見つけました。
1羽がうずくまりました。
 あとの1羽が寄り添ってもう少しで交尾といった雰囲気だったのですが、近くにいたケリが飛び立ち、イソシギも鳴きながら飛んで行ってしまいました。

 
2018.8.6            田の神サア50選(40)   下狩宿の田の神
鹿児島県薩摩郡さつま町求名下狩宿 
 薩摩川内市やさつま町には並立型田の神像から派生したと思われる女子像の田の神が10体以上見られる。女子像型の田の神の分布は並立型の田の神とほぼ一致していて、並立型で明らかに女子像を意識して彫ることが始まり、その女子像型だけが独立してつくられたと考えられる。並立型田の神像の最も古いものは湯原の田の神で寛保3年(1743)、女子像型田の神の最も古いものは出水市の平岩田の田の神(さつま町の宮之城方面からオットッタ<盗んできた>という伝承あり)で「天明4年(1784)」でその説に矛盾はしない。
 下狩宿の田の神は女人像の田の神像の中でも特に美しい田の神である。さつま町求名の下狩宿(しもかりじゅく)の比叡神社境内にあり、船型の石材に船型の彫り窪みをつくり、髷を結い長い袖での着物で袴をはき、手鏡のような小さなメシゲを持ってすらっと立つ女子像を半肉彫りしたものである。美しく気品ある顔や姿は印象に残る。

 
                    田の神サア50選(41)   下手の田の神
鹿児島県薩摩川内市入来町副田下手
 薩摩川内市入来町副田の下手の田の神は立像丸彫りの女人像の田の神で、元禄袖の長衣を着流し、頭巾風に垂らしてシキをかぶっている。右手で手鏡のようにメシゲを持ち、左の袖から可愛い手が少し見える。たおやかな若い女性を表した女人像の田の神の秀作である。別石の台石には「大正15(1926)年」と刻むがこれは新しく石台をつくったときのものと思われ、もっと古いものではないだろうか。

2018.8.6撮影                 コチドリ           近くの水田にて
 毎日37度、36度の猛暑のため、外へ出て野鳥を撮ろうとする意欲がなかなか湧きません。結局、近くの水田や休耕田を短時間で回ることになります。結果、クサシギ・コチドリなどいつも同じ鳥の撮影になります。
今日はクサシギを2ヶ所で見たのですが、撮影できず、コチドリのみです。干上がる直前の休耕田で撮影しました。
 連日の晴天でまた干上がった休耕田が増えてます。この状態では一昨年までよくこの水田地帯で見かけた、タカブシキ・アオアシシギ・セイタカシギ・タマシギなどの鳥は期待できないかもしれません。

 
2018.8.5            田の神サア50選(39)   袴田の田の神
鹿児島県いちき串木野市上名袴田 「文久2年(1862)」 
 袴田の田の神は、丸彫りの二神並列の田の神像で男女並立型浮き彫り像を母体として生まれたものと思われる。二つの像は台石でつながっていて、右が男神で笏を持つ、左は女神でシキをかぶり、メシゲと椀を持った僧形である。右の神もシキをかぶったように見えるが、頭部は後の補ったものと思われる。背後から見ると右の神には下に垂れる纓が胴体部分に残っている。
 稚拙な表現であるが、水田を見守る2体の田の神像は豊作を願う農民の気持ちが込められた印象的な田の神像である。丸彫りの二神並列の田の神像は他に、薩摩川内市網津町井上にも見られる。

 
2018.8.4            田の神サア50選(37)   本川白谷の田の神
鹿児島県薩摩川内市陽成町本川
 旧川内市から旧串木野市にかけて見られる特色ある田の神像として一石双体の並立の田の神像があげられる。両市で44基確認されている(川内歴史資料館「川内の田の神」参照)。一石双体の並立の田の神像は烏帽子被り袴着けが男像、シキ被り着流しが女像が一般的であるが、持ち物は杵・メシゲ・扇子・おにぎり・振り鈴などいろいろあり、複雑な変化が見られる。
 本川白谷の田の神は高さ94p、幅90p、奥行き53pの石材に上をドーム状にした方形の彫り窪みをつくって、男女の神を半肉彫りした田の神像である。向かって左の男像は烏帽子・裃袴姿で扇子と椀を持ち、向かって右の女像はシキを被り着物姿で両手でメシゲを持つ。

 
                    田の神サア50選(38)   一条殿の田の神
鹿児島薩摩川内市陽成町一条殿  「天保12年(1841)」
 一石双体の男女並立の田の神像の最も古い作例は、薩摩川内市水引町の湯原の田の神で寛保3(1743)の紀年銘がある。それ以外で18世紀の作例は見られない。私の見た一石双体田の神像では文化141817)年の宮内橋の田の神が次に古い作例である。天保年間の田の神はかなり見られ、薩摩川内市陽成町には天保12年(1841)の刻銘を持つよく似た表現の一石双体田の神像が3体ある。この一条殿の田の神と宮田橋の田の神・中麦の田の神である。
 一条殿の田の神は先を三角形にした高さ118p横101pの五角形の板状の石材に窪みをつくり、その中に右に陣笠のようなものを被り、裃・袴姿で右手にスリコギを持つ男神とシキをかぶり右手でメシゲを持つ女神を浮き彫りしたものである。深い窪みに浮き出すような彫りであるが、本川白谷の田の神のような立体感はなく絵画的な表現に特色があり、絵馬のように見える。

2018.8.4撮影             クサシギ・コチドリ・チュウサギ           近くの水田にて
 昨日トウネンを撮影した近くの水田に行きました。トウネンはいませんでしたが、あぜ道にクサシギらしい鳥がいて、近づくと休耕田の端まで飛んでいきました。どうにか撮ったのですが尾や背の部分はとれませんでした。白い眉紋が目立つのでタカブシキとも思えるのですが。
しばらく、他の休耕田を見に行って戻ってくると先日見たクサシギらしい鳥がいました。
 他の休耕田の多くも、水が入っていました。先日来たときは台風後水が入った休耕田には鳥は見られませんでしたが、今日はコチドリがいました。
チュウサギです。水田や休耕田にはアオサギやダイサギだけでなく、コサギやチュウサギも見かけるようになりました。

2018.8.3撮影                トウネン           近くの水田にて
 いつも行く近くの休耕田に行きました。今日はクサシギではなく、一回り小形のシギがいました。ハマシギかなと思ったのですが腹か黒くなく、夏羽のトウネンでした。
 この休耕田では昨年は見ることができなかったのですが、8月から9月にかけてトウネンはよく見かけます。ただし、いつも冬羽で夏羽は始めてです。

 
2018.8.2          田の神サア50選(36)   日木山里の田の神
鹿児島県姶良市加治木町日木山 
 鹿児島県の姶良市加治木町日木山里に昭和59年の東京での「ほほえみの石仏展」に出品され、話題になった田の神がある。頭に甑のシキを被り、右手にメシゲを持ち、左手でシキを押さえて、笑みを浮かべて中腰で田の舞を踊っている姿の田の神で、何回も石仏写真展等で紹介されている。土地の人の伝承では、加治木の石工、名島喜六が彫ったという。制作年代については天保年間説と明治初頭説がある

7月 9月