柳生街道の石仏tizu.gif (2477 バイト)

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地獄谷聖人窟
 

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夕日観音

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あたや地蔵


 奈良市高畑町から柳生まで続く旧柳生街道には、平安時代後期から室町時代の石仏・磨崖仏が多くあり、石仏に興味ある人にとっては是非とも訪れたいところである。

 高畑町は、志賀直哉をはじめとする多くの文化人が住み、愛した住宅地で、新薬師寺をはじめ、志賀直哉旧居や入江泰吉の作品を展示する奈良市立写真美術館など、観光客にとってもみどころの多い町である。バス停「破石町」から、高畑町の古い町並みを東へ進む道が柳生街道である。

 高畑の町並みを過ぎて、人家か途絶えた所から、能登川の渓流沿いの石畳の道になる。この石畳の道が滝坂の道とよばれ、杉や楓の老木が茂り、最も旧街道の面影を残す道である。また、石仏の道でもある。「夕日観音」・「朝日観音」などと呼ばれている弥勒磨崖仏や滝坂地蔵などの磨崖仏がある。

 能登川の上流は地獄谷新池で、池の周りの紅葉は特に美しい。この池の手前の分かれ道に荒木又衛門が試し切りしたと伝えられる「首切り地蔵」がある。この分かれ道を右へ行き南へ20分ほど歩くと「地獄谷聖人窟」が、左へ進み、柳生街道をしばらくいくと、「春日石窟仏(穴仏)」がある。ともに、平安時代の後期を代表する石仏で国の史跡に指定されている。

 石畳の道をさらに東に進むと、高円山ドライブウェーを経て、誓多林への林道にでる。この林道も旧柳生街道で、峠には江戸時代から続いているという茶屋がある。茶屋の少し先、村の神社の小さな鳥居の見えるところを左におれ、山道を1qほど行った山の尾根に「芳山二尊石仏」がある。この石仏は奈良時代末期の石仏として知られている。

 誓多林から忍辱山までへは東海道自然歩道に指定されたハイキングコースを進む。忍辱山には運慶の若き頃の作である大日如来座像(国宝)で知られた円成寺がある。円成寺と近くの忍辱山墓地には室町時代の石仏が多くある。また、忍辱山の東の白砂川沿いの岩には鎌倉期の阿弥陀磨崖仏が彫られている。

 忍辱山から大柳生を経て阪原までは柳生街道は田畑が広がる田舎道になる。阪原の北出橋の近くの白砂川岸壁には南北朝時代の阿弥陀磨崖仏がある。旧柳生街道は阪原の南明寺からは再び峠越えの山道になる。

 峠を越えて、柳生の村に入る手前の巨岩には、「ほうそう地蔵」称される鎌倉時代の地蔵石仏が彫られている。この石仏の横には正長の土一揆の徳政碑が刻まれていて、有名である。柳生城は現在跡だけが残っていて柳生家が栄えた当時の面影はないが、沢庵和尚が開いた柳生家の菩提寺、芳徳寺や家老屋敷に江戸時代の名ごこりが残る。柳生から笠置へ向かう道の、川向こうの岸壁には「あたい地蔵」と呼ぶ阿弥陀と地蔵の磨崖仏が彫られている。
 

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参照文献
清水俊明  「奈良県史 第7巻 石造美術」    名著出版
清水俊明  「大和の石仏」               創元社
土井実・小川光三 「柳生みち」            飛鳥園