| 大隅の田の神さあ4 (姶良市加治木町) |
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| 加治木町は平成の大合併よって2010年に姶良町・蒲生町と姶良市加治木町となった。その姶良市加治木町には県の民俗資料有形文化財に指定されている「上木田の田の神」がある。衣冠束帯姿の神官型座像の田の神である。他に神官型座像の田の神として「迫の田の神」がある。加治木町で「上木田の田の神」以上によく知られているのが昭和59年の東京での「ほほえみの石仏展」に出品され、話題になった田の神「日木山里の田の神」である。笑みを浮かべて中腰で田の舞を舞っている田の神である。加治木町には「日木山里の田の神」と同じように右手にメシゲを持ち、左手で頭にかぶった甑のシキを押さえて、田の神舞を踊っている田の神が他に5体ほどある。その中でも「上木田の田の神」と一緒に「ほほえみの石仏展」に出品された「西ノ原の田の神」や「新中の田の神(2体ある向かって右の像)」が優れている。その他「西反土の田の神」「新中の田の神(2体ある向かって左の像)」などは個性的で印象に残る田の舞型の田の神である。加治木町の田の神の石材の多くは加治木町内で生産していた二瀬戸石(通称:加治木石)・桃木野石である。二瀬戸石は白石(白色凝灰岩)て墓石や田の神に使われた桃木野石は紫黒色の石である。「日木山里の田の神」は二瀬戸石、「上木田の田の神」は桃木野石である。 |
| 日木山里の田の神 |
| 鹿児島県姶良市加治木町日木山 |
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| 鹿児島県の姶良市加治木町日木山里に昭和59年の東京での「ほほえみの石仏展」に出品され、話題になった田の神がある。「日木山里の田の神」である。頭に甑のシキを被り、右手にメシゲを持ち、左手でシキを押さえて、笑みを浮かべて中腰で田の舞を踊っている姿の像高82pの田の神像で、何回も石仏写真展等で紹介されている。土地の人の伝承では、加治木の石工、名島喜六が彫ったという。制作年代については天保年間説と明治初頭説がある。石材は加治木石ともいわれる加治木町内で生産していた白い二瀬戸石である。 |
| 新中の田の神 |
| 鹿児島県姶良市加治木町木田2762-2 |
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| 姶良市加治木町の新中公民館の前庭に2体の田の神が安置されている。一体は右手で曲がったメシゲを持ち、左でメシゲに添えるようしめたタスキを持つ田の舞姿の田の神である。もう一体が日木山里の田の神と同じ、左手でシキを押さえて、笑みを浮かべて中腰で田の舞を踊っている田の神像である。 |
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| 新中の田の神1 |
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| 向かって左側に立つ田の神像である。像高92pの大型の田の舞型の田の神で、長い袖をタスキでしめ、長い袴をつけている。右手で曲がったメシゲを持ち、左手をタスキにかけてメシゲに添えている。大きな折り笠状のシキをかぶり、垂れ目でシワ面で好々爺のような顔をしている。 江戸時代後半から末期になると田の神舞型の田の神はこのように戯画的な姿の田の神が多くなる。これは田の神が厳粛な神から戯れ神に庶民化しつつある姿と言える。 |
| 新中の田の神2 |
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| 向かって右側に立つ田の神像である。像高80pの田の舞型の田の神で、「日木山里の田の神」と同じく右手にメシゲを持ち、左手で頭にかぶったシキを押さえて中腰で田の神舞を踊っている。 しかし、「日木山里の田の神」と受ける印象は少し違う。「日木山里の田の神」の笑みの浮かべた顔は写実的で、実際にいる人の好い農夫がいかにも微笑んでいるように見えるのに対して、この田の神の笑みの浮かべた顔は大げさで写実的とは言えない。しかし、この大げさな顔の表情や手の動き、胸や腹を出した姿は可愛らしく、「日木山里の田の神」とまた違った魅力がある。 |
| 西ノ原の田の神 |
| 鹿児島県姶良市加治木町木田2924 |
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| 「西ノ原の田の神」は西之原公民館の玄関の前に祀られている。「新中の田の神2」とよく似た田ノ神で、螺旋状の編み目の大きく厚いシキをかぶり、右手にメシゲを下げて持ち、左手でかぶったシキをおさえていたと思われるが左手は欠損している。丸顔に庶民的な笑顔も「新中の田の神2」と目鼻口の表現は同じであるが、おおざっぱな表現の「新中の田の神2」に比べると巧みな表現でとても愛らしい。この田の神も昭和59年の東京での「ほほえみの石仏展」に出品された。 この田の神は3回訪れたが最初に撮影した時は唇に赤い彩色の後が少し残っているだけで、巧みな愛らしい笑顔の表現がよくわかる写真となった。2回目の時は雑な化粧(彩色)が目立ったので掲載しなすった。2回目の時は白塗りの顔の化粧でつくった笑いになっていた。 |
| 加治木郷土館の田の舞型田の神 |
| 鹿児島県姶良市加治木町仮屋町250 「明治初期」 |
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| 加治木郷土館の庭に置かれている田の神で「日木山里の田の神」や「新中の田の神2」同じく右手にメシゲを持ち、左手で頭にかぶったシキを押さえて中腰で田の神舞を踊っている田の神である。もとは個人宅にあったもので町へ寄贈されたものである。被っているシキは「日木山里の田の神」と同じような笠のような形をしている。明治初期の作とされている。 |
| 西反土の田の神 |
| 鹿児島県姶良市加治木町反土 西反土後 「文政元年(1818)」 |
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| 千鳥橋のほとりの水路の上に金網フェンスで囲みトタン屋根をつけた覆堂の中に「西反土の田の神」が祀られている。シキをかぶりタスキ掛けで、両手でメシゲを持ち、一歩踏み出して、斜め前方を見つめるように田の神舞を踊る田の神像である。顔は丁寧に白く塗られていて、目鼻口の彫りがわかり、優しそうな顔に見える。背面に「文政元年(1818) 奉寄進 三月吉日」の刻銘がある。 |
| 吉原の田の神 |
| 姶良市加治木町反土吉原 |
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| 日木山川の堤防沿いにある「吉原の田の神」はある。両手でメシゲを立てて持ち、シキを頭巾風にかぶり、左足を少し踏み込み、中腰で田の神舞を踊っている。痛みがひどく顔は全く表情がわからない。石材は「日木山里の田の神」と同じ二瀬戸石である。背後に蔵王岳が望める。田の神の少し離れた右側に「加治木八景 蔵王嶽の奇岩 別名 天王山」と刻まれた石碑がある。 |
| 上木田の田の神 |
| 鹿児島県姶良市加治木町木田上木田 「明和4年(1767)」 |
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| 「上木田の田の神」は、宮崎県の神官型の田の神と同じように衣冠束帯姿であるが、腰掛け型でなく安座姿である。像高は65pで宮崎県の神官型の田の神に比べると小型で、両袂が左右にはね上がった両手は前で合わせて笏を持つ孔をつくっている。宮崎県えびの市の梅木の田の神のような力強さに欠けるが、端正な田の神である。県の民俗資料有形文化財に指定されている。 |
| 迫の田の神 |
| 鹿児島県姶良市加治木町小山田迫下 「安永10年(1781)」 |
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| 迫の田の神は上木田の田の神と同じく、衣冠束帯型の安座姿の田の神である。像高は56pで、衣冠束帯姿で、冠の纓は背に長く垂れている。右手に笏を持っていたと思われるが手の先は欠けている。顔は面長で、目は半眼で静かな気品のある表情で、整った美しい田の神像である。 |
| 加治木郷土館の神官型の田の神 |
| 鹿児島県姶良市加治木町仮屋町250 「宝暦12(1762)年」 |
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| 加治木郷土館の庭には田の舞型田の神以外に神官型の田の神があった。像高四十九センチ。桃木野石の丸彫り。前もって古書店で手に入れた「かじきの田の神さあ」(平成5年・加治木町教育委員会刊)には掲載されていない田の神である。像高49p小型の神官型座像の田の神で桃木野石で顎髭があり、長い纓(えい)をたらした衣冠束帯型で、冠をとめる簪が大きく表現されている。膝の上の両手に孔があけられている。笏などを挿したと思われるが、一般に笏は両手で持つものなので、メシゲなどを挿したかもしれない。確認していないが宝暦12(1762)年の作と案内板に記されていた。 |