福島県の磨崖仏3
 
鮭立磨崖仏
(深沙大将)
  江戸時代になると、民間信仰の広がりとともに様々な石仏・石神が造立される。子供の健やかな成長を祈って子安観音が、豊作を願って大黒天や山の神が、子供の冥福を祈り地蔵石仏が各地につくられ、祀られた。その他、病魔退散を願って不動明王、馬の息災祈って馬頭観音、農業の守護神として弁財天、亡くなった人の供養と後世を念じて十三仏、婦人病・安産・浮気封じの神として淡島様と様々な石仏がつくられた。
 月待・庚申講・地蔵講・巳待・淡島講などと人々は集い、供養や祈願するとともに、飲食をし語り合った。その時、祈りの対象になったのが文字碑とともに如意輪観音・青面金剛・地蔵・淡島様の上記の石仏である。
 磨崖仏でも江戸時代になると三十三所観音とともに上記のような、民間信仰の広がりとともに不動・青面金剛・如意輪観音など様々な仏像や神像が造立されることになる。 

羽黒山磨崖
十三仏

1_b2.gif (1021 バイト)福島の石仏地図



 鮭立磨崖仏             江戸時代(天明年間〜天保年間)

・福島県金山町山入字石田山2692

・アクセス
JR只見線「会津横田」駅下車南へ4.6km
(自動車) 常磐自動車道「会津坂下IC」より国道252号線を只見川に沿って南西へ44.8q。金山町横田付近で左折し、352号線を南へ4.4qで鮭立。集落の南西の山麓。
 鮭立集落の南西の山麓の小高いところに凝灰岩の洞窟があり、その壁面に像高14pから60pに至る大小様々な刻像が、交互に40〜50体びっしりと、不動明王を中心に密教系の諸仏・天部や垂迹神像が半肉彫りされている。深沙大将(じんじゃだいしょう)※1や牛頭天王(ごずてんのお)・荼枳尼天(だきにてん)・飯綱権現(いづなごんげん)など石仏としては数少ない像もある。また、一洞窟に、これほど多種多様の像が刻まれているのも珍しい。飯綱権現像や愛染明王像などには彩色の跡が残っていて、もとは、美しく彩色されていたと思われる。 
 この磨崖仏は天明の飢饉や天保の飢饉の惨状を見て、現在の岩淵家の祖先である修験者の法印宥尊とその子の法印賢誉が五穀豊穣と病魔退散を祈って彫ったと伝えられている。
 
 浅く細長い洞窟で3つほどに分かれていて、中央部の壁面は壁全体が奥まった形に掘りこまれていて、その左面と正面に40体ほど像が刻まれている。正面の中央には不動明王と:八大童子が彫られている。不動明王は像高50pほどで、龕を穿ちその中に彫られている。龕の周りは火焔光背になっていて上部は面両側の表壁をつなぎ透かし彫りにしている。八大童子は矜羯羅童子と制た迦童子はともに像高23pで、龕の両側下に彫られている。他の6童子は龕の上部と下部に彫られている。不動明王の向かって右の龕は飯豊山神社を祀る祠になっている。向かって左には龍頭観音・牛頭天王・梵天・釈迦三尊などが並んでいる。
 
 左面には28体の像が彫られている。左端には45p〜53pの比較的大きな像が並んでいて、左から鬼子母神・箱根権現(or湯殿権現)※2・深沙大将・九頭竜権現でこの磨崖仏で最もよくで紹介されている部分である。その右には、風神と雷神が並び、その右は4段に分かれて、荼枳尼天・淡島様・愛染明王・聖観音・渡唐天神・弁財天など諸像が所狭しと彫られている。左面の右端は摩滅が進んだ尊名不明の像(文殊菩薩?)と飯綱権現が上下に並んでいる。

 3つに分かれた右側には青面金剛・大黒天・水神・地天などが彫られているが、中央の諸像よりは摩滅が進んでいる。左側の壁面は彫られた像は見当たらない。小形ながらどの像も儀軌に準じて彫られていて、一種の曼荼羅のようになっていて魅力的である。砂岩も含んだ軟質な凝灰岩のため摩耗がすすみ、顔の細かい表情がわからず、印相や持ち物の識別が困難な像が何体かあるのが惜しい。

※1 深沙大将の磨崖仏としては他に大分県の高瀬石仏・広島県の竜泉寺白滝山磨崖仏がある。
※2 閻魔王という説が一般的であるが、閻魔王の多くは片手で笏を持つ座像であるのが通常で、閻魔王とは思えない。「仏像図彙」(元禄3年に刊行の「仏神霊像図彙」の復刻版)の伊豆箱根権現もしくは出羽湯殿権現にそっくりなことや湯殿権現・箱根権現は修験道に関わる神であることによって湯殿権現(or箱根権現)とした。





 

房又如意輪観音磨崖仏  江戸時代 

・福島県伊達郡川俣町小島字房又                  

・アクセス
福島駅東口より月舘経由「川俣」行きバス乗車。「新開」下車。
自動車  東北自動車道「福島飯坂IC」より国道13号を南へ850m、「福島北警察署入口」で左折、東へ2.9q、「北幹線東入口」で右折。国道4号線を南へ2.8q、「岩谷下」左折。国道115号線を東へ12.8q、右折して国道349号線を南へ11.1q。

・ 月舘から川俣町へ向かう途中の鳴石トンネルの手前、広瀬川を渡った細い農道脇の大きな露頭石に彫られた磨崖仏である。舟形の彫り窪みをつくり、そこに二重頭光を背負った、二臂の半跏思惟の如意輪観音を半肉彫りしたものである。福島県では十九夜塔として多数の如意輪観音石仏が彫られたが、単独の如意輪観音磨崖仏は珍しい(三十三所観音磨崖仏としては多数見られる)。

 


岩上渕大日如来磨崖仏  室町時代〜江戸時代 

・福島県伊達郡川俣町寺前                  

・アクセス
福島駅東口よりJRバス「川俣高校前」行き乗車、「川俣町」下車。
自動車   東北自動車道「福島西IC」より国道115号を東へ3.9q「鳥谷野」で右折、国道4号線をへ1.3q「黒岩」で左折。阿武隈川を渡り、右折して富岡街道を阿武隈川に沿って3.8q。右折して国道115号線を南東へ13.4q。左折して川俣町の市街地に入り、1.1q。

・川俣町の市街地の北、広瀬川沿いの丘陵地の麓の通称岩上渕と呼ばれる場所の駒形をした露頭石に彫られた磨崖仏である。上の角を丸くした四角形の彫り窪みをつくり、蓮台を含めて像高1mの智拳印を結ぶ金剛界大日如来座像を半肉彫りしたもので、室町時代から江戸時代の作と思われる。仏頭の鼻から口にかけて剥落している。彫り込みの上に大日如来と刻まれている。 



銚子の口不動磨崖仏  江戸時代 明和元(1764)年

・福島県福島市飯野町飯野新田       

・アクセス
福島駅東口よりバス「飯野町」行きバス乗車、「後川」下車。南へ2.8q。
自動車  東北自動車道「二本松IC」より国道4号に入り、北へ8.6q。左斜めに進み、右折し県道39号線を北東に5.4q。飯野町明治長根付近で右折。阿武隈川沿いの道を南へ1.6q。

・阿武隈川飯野ダム堰堤公園から 阿武隈川沿いの道を南へ約1qの所、木幡川が阿武隈川に合流する「銚子の口」と呼ばれる所の道路の下の崖の花崗岩の岩に刻まれた磨崖仏である。舟形状に彫り窪みをつくり、左手に宝剣を右手に羂索を持ち頭に蓮華をのせた不動明王立像を半肉彫りする。眉毛をつり上げ両眼を見開いた憤怒相であるが表情はあまり迫力はなく、相撲取りのような風情の不動明王である。向かって右に「元和元申天」の刻銘がある。

 


羽黒山磨崖十三仏          江戸時代    元禄十一(1698)年

・福島県岩瀬郡天栄村大里羽黒山           

・アクセス
 JR「白河」駅または「須賀川」駅よりバス、「大里学校」下車。
 自動車  東北自動車道「矢吹IC」より国道4号線から県道58号線に入り、西へ約5q、右折して国道294号線を北へ3.5q。右折し100mで左折し300m。

・ 羽黒山の西麓の小さな墓地の上段に、細長い龕を設けて、並立に十三仏を厚肉彫りする。向かって右から、不動・釈迦・文殊・普賢・地蔵・弥勒・薬師・観音・勢至・阿弥陀・阿しゅく・大日・虚空蔵の仏像である(十三仏については「山口の石仏」の「岩谷十三仏」を参照)。元禄十一年七月「高山寺」「大方寺」の合同供養として像立された旨の刻銘がある。小像ながら迫力のある磨崖仏である。      

 

上新城阿弥陀三尊磨崖仏      江戸時代    元禄十五年(1702)

・福島県白河市大信上新城           

・アクセス
 JR「白河」駅よりバス、「上新城入口」下車。
 自動車  東北自動車道「矢吹IC」より国道4号線から県道58号線に入り、西へ約5q、右折して国道294号線を北へ0.6q、右折し0.1q。

・ 旧大信村の上新城の集落の北西の山麓にある上新城墓地の上段に彫られた善光寺式阿弥陀三尊の磨崖仏である。
 露出した岩に75p四方、深さ35の仏龕を彫り窪め、龕内に舟形光背を浮き彫りにして、頭光を背負った施無畏与願印の阿弥陀立像(像高60p)と同じく頭光を背負った宝珠を持つ観音・勢至の両脇侍(共に像高55p) を厚肉彫りしたものである。元禄十五年(1702)の紀年銘を持つ。
 同じ元禄期の作の羽黒山十三仏と比べると趣が違う。羽黒山十三仏は4頭身の地方作独特の迫力ある造形なのに対して、この像は中央の木彫仏を思わせる破綻のない端正な造形である。    

 


福島県の磨崖仏1

 福島県の磨崖仏2

福島県の来迎供養塔