小林市の田の神
 
 宮崎県の田の神は、鹿児島のようなメシゲを持つ農民型も見られるが、神官が正装して神前に座る姿で表した神官型や、僧衣を着た仏僧型が多いのが特色である。その神官型と仏僧型の最も古い作例が小林市にある。それが「新田場の田の神」(神官型)と「仲間の田の神」(仏僧型)である。ともに享保年間の記銘があり、彫りも優れ、宮崎を代表作する田の神像である。


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新田場の田の神  小林市真方新田場

    享保五年(1720)  高85p   小林市有形文化財
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 小林の中心街から北東5qに昔からよろず生産の神として信仰され、観光地ともなっている「陰陽石」がある。その1qほど手前の新田場(しんでんば)の集落のはずれにこの田の神がある。旧道沿いにありわかりにくいが、国道沿いに案内板が出ているので迷う心配はない。

 木造の覆堂に、牡丹の花が彫られた見事な台座の上に、椅子のようなものに腰かけた衣冠束帯の神官姿の丸彫りの田の神が祀られている。右手は軽く握っていて、指の間にものを差し込むように穴があいている。左も同じような形だと思われるが、手首から先は欠けてしまっている。
 
 田の神の魅力のは農民型に代表される素朴さにあると私は思っていたが。上品で優美な像なこの田の神を見たとき、私のそのような認識を改めざるえなかった。今年の1月に訪れたときには、白塗りの顔とともに、衣服はピンクに台座は水色とピンクにあざやかに彩色されていた。

 背面に「奉造立田御神御躰 施主 本田権兵衛 享保五年天二月初九日」と記銘がある。

アクセス
・宮崎道小林ICより北東へ約9.2q。(小林市街地を経て本町交差点より国道265号線を約3.5q。)
・JR吉都線「小林」駅下車。「小林BC」より「上九瀬」または「上原循環方面」行きバスにのり「新田場」下車。




仲間の田の神  小林市東方仲間

    享保七年(1722)  高120p  
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 国道265線から「陰陽石」に入る道の入口の覆堂にこの田の神がある。向かい合った唐獅子が浮き彫りにされた台座の上に、大きな大黒帽をかぶり袖の長い僧衣を着て、立つ田の神像を丸彫りする。

 手は新田場の田の神と同じように指の間にものを差し込むように穴があいていて、右手には御幣をかざし、左手に竹製のメシゲのような杓子を持っている。衣服と帽子と台座は濃い紅に塗られていて、白塗りにの顔は黒い墨で目鼻が描かれている。顔の彫りは墨で描かれた目鼻口が目立ちわからないが、体躯、台座の彫りはすばらしい。

 背面に「享保七年壬寅三月吉日」の記銘がある。下田場の田の神の記銘は「享保五年天二月初九日」とあり、同じ寅年になっているが、享保七年壬寅が正しい。

アクセス
・宮崎道小林ICより北東へ約10..3q。(小林市街地を経て本町交差点より国道265号線を約4.6q。)
・JR吉都線「小林」駅下車。「小林バスセンター」より「上九瀬」または「上原循環方面」行きバスにのり「陰陽石」下車。




陰陽石と田の神  小林市東方仲間 

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 浜瀬川岸に、高さ17.5mの自然現象で出来た男根の形をした岩と、周囲5.5メートルの女陰の形をした岩があり、「陰陽石」と称されている。

 その陰陽石を正面に見る下手の川岸に覆屋を設けて、田の神石像を100基ほど展示している。ほとんどか高さ30p前後の農民型の田の神である。(その中で気にいった田の神の写真を2点、載せた。)また、他に性を表現した石像も数点、展示している。

 性に関するものを集めた有料の展示室もあり、現在は性を売り物にした観光地といった感があるが、もともと陰陽石も田の神や道祖神と同じく生産、豊穣の神として信仰されたもので、農民の素朴な信仰から生まれたものである。(農民型の田の神の中には後ろから見ると男性のシンボルに見えるものが多い。)

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アクセス
・宮崎道小林ICより北東へ約10..5q。(小林市街地を経て本町交差点より国道265号線を経て4.6q。)
・JR吉都線「小林」駅下車。「小林バスセンター」より「上九瀬」または「上原循環方面」行きバスにのり「陰陽石」下車。

 

 

大丸の田の神    小林市東方大丸 

  東方郵便局の南の田園地帯の農道の交差点に祀られている。像高76pで、片膝をついて座り、右手にメシゲ、左手に碗を同じ高さで持つ。笠のような物をかぶり、裁付袴をはき、蓑のを肩にかけた農民姿の田の神である。おちょぼ口で団子鼻、垂れぎみの切れ長の目と独特の顔をしている。

 建立年は不明。風化や摩滅が見られず、近代の作のように見えるが、田の神像には開田記念として作られることが多いので、大丸地区の開田が始まった弘化年間(1844年〜1847年)の建立かもしれない


アクセス

宮崎道小林ICより北東へ約9.5q。(小林市街地を経て本町交差点より国道265号線を約3.6q。JA東方支所前を右折0.3q
・JR吉都線「小林」駅下車。「小林バスセンター」より「上九瀬」または「上原循環方面」行きバスにのり「東方支所前」下車。南東へ0.3q。

 

 

二原の田の神    小林市東方北二原     大正8年(1722) 

 

 東方二原(にわら)の二原土地改良区事務所の北に小さな祠の中に祀られている。仏僧型の田の神でベレー帽のような丸い頭巾をかぶり、左手で稲穂の束を持ち、右手を受け手にした田の神である。着物と稲穂は朱色に顔と手足、胸元は白に彩色する。稲穂を持つところや丸い頭巾などはキ城市の上東町や山田町浜之段などの大黒天混合の田の神と共通する。しかし、顔は写実的な庶民の顔である。なで肩で穏やか表情が印象的である。

基壇に「二原開田」と、背面に「大正八年四月六日 二原開田 記念祝賀会當日建立 永友繁蔵」と刻まれている。田の神像にはこのように開田記念としてつくられたものがよく見かけられる。(高原町の鷹巣原や並木の田の神など)

 

アクセス
・宮崎道小林ICより北東へ約10.2q。(小林市街地を経て本町交差点より国道265号線を約2.3q。「堂山」を左折、北へ2.1q)
・JR吉都線「小林」駅下車。「小林バスセンター」より「上九瀬」または「上原循環方面」行きバスにのり「新堂山」下車。北へ約2.1q。

 

 

松元の上の田の神    小林市堤松元の上   弘化3年(1846) 


 宮崎県の農民型の田の神の多くは明治以降の作で、動きの少ない棒立ち、もしくは正面を向いた膝をかがめた姿の像がほとんどである。しかし、数少ない宮崎県の江戸時代の農民型の田の神の中にはいかにも田の神舞を踊っているとわかる動きのある像が何体かある。その中でももっとも動きがあるユニークな像がこの松元の上の田の神である。

 シキをかぶり、右手にメシゲをかざし、左手に枡を抱いて、野良着を着て、両足を丸出しにして、右足をやや踏み出し、地べたにつきそうなほど、低い姿勢でかがみ田の神舞を踊る田の神像である。弘化3年(1846)7月の記銘がある。
  

アクセス
宮崎道高原ICより 国道221号線 北西へ0.6km「高原町仲町 」を右折して国道221号線を北へ3.9q。せの内科クリニックのある交差点を左折して木場営農研修館前をとおりすぎて、小さな水路を渡ってすぐ左折、水路沿いに南へ150m。
・JR吉都線「小林」駅下車。「小林バスセンター」より「イオンキ城」行きバスにのり「木場」下車。
 

 

 

柏木ノ上の田の神    小林市堤柏木ノ上


 柏木ノ上の田の神は小林市の南、高原町との境、「下堤」バス停の南西、集落の西の端の小さな祠に祀られている。

 神官型座像の田の神で両手は輪組をする。装束と頭は赤と黒で、手と顔は白で化粧されている。顔は切れ長の目に眉、上品な口で、穏やかな気品のある田の神像である。江戸時代の作と思われるが刻銘もなく由来などは不明である。訪れ時は夕日があたり輝いていた。


アクセス
宮崎道高原ICより 国道221号線 北西へ0.6km「高原町仲町 」を右折して国道221号線を北へ2.4q。左折して農道に入り、100mほどすすみ右折。(松元の上の田の神の南約930m)
・JR吉都線「小林」駅下車。「小林バスセンター」より「イオンキ城」行きバスにのり「下堤」下車。
 

 

 

細野の田の神    小林市細野  脇元・島田前・内田・山中

 JA小林の南出張所の北50mの田の中に瓦葺きの立派な祠があり、その中に脇元の田の神は祀られている。像高85pの神官型座像の田の神で、両手は輪組をする。装束は赤と白、顔は白、頭と笏は黒に化粧されている。笏は胴体部に彫りつけている。「享保乙己」の刻銘があり、享保十年(1725)の作。

 島田前のガソリンスタンドの南隣のブロックで作られた祠に祀られている田の神も江戸時代の神官型座像の田の神である。両手を膝の上ではなく、胸元で輪組みする。装束は赤と黒、面長の顔と手は白で彩色されている。 内田の田の神は市の浄水場の前、県道に面しておかれている。神官型座像の田の神で両手は膝の上で輪組をしていると思われるが、コンクリートで補修しているため確認できない。頭部は体に比べると大きいが、これもコンクリートでの補修である。顔だけが白く塗られている。

 家畜改良センター宮崎牧場の東の細野山中の広域農道沿いに山中の田の神はある。農民型の田の神でシキをかぶり、右手にメシゲ、左手に椀を持ち、中腰ですねから下を丸出しにして立つ。えびの市などでよく見かける姿の田の神である。 
 

アクセス
・宮崎道小林ICより小林市街に向かって、2.9q。下孝ノ子付近で右折、西へ1.5km。左折し北へ100mで島田前の田の神。島田の田の神より、南へ750mで脇元の田の神。
・宮崎道小林ICより小林市街に向かって、2.9q。下孝ノ子付近で右折、西へ1.5km。左折し北へ0.4km。「南島田」を右折し、東へ0.9q。「池ノ原 」を右折し、南へ0.9qで内田の田の神。
・JR吉都線「小林」駅下車。南東1.2qで島田前の田の神。島田の田の神より、750mで脇元の田の神。「小林」駅より南へ1.5qで内田の田の神。「小林BC」よりバス「種畜牧場入口」下車東へ1kmで山中の田の神(バスは1日本)。

 

 

南西方地区の田の神    小林市南西方  

人参場
(字鬼塚)
東大出水
(字芹川山)
西大出水
(字大出水)
上芹川
(字巣の浦)

 南西方の各地区に祀られている田の神像は神官型・農民型・僧侶型などバラエティーに富んでいる。中には、中孝の子の田の神のように僧侶型の胴体に神官型の頭をのせたものもある。中でも、特にユニークなのは東大出水の田の神である。神官腰掛け型の田の神に仁王像の頭を後に継いだもので、帽子のような笠?(冠)をかぶる。田の神像では珍しい厳めしい顔の像である。享保10(1725)年の建立である。

 人参場の田の神はベレー帽のような頭巾(シキ?)をかぶった素朴な表現の農民風の田の神座像で、手は欠損している。昭和3・4年頃の建立という。県道53号線(山麓線)から南へはずれた霧島山系が見える水田の中の畦道にある。着衣に朱塗りの跡が残るが現在は化粧はしていない。

 西大出水の田の神は大出水の集落の北のはずれにコンクリートの祠の中に祀られている。旅僧姿をした田の神座像で、笠のような物をかぶっている。両手は軽く膝の上へのせ、何も持たない。鼻は後世の補作であるが素朴で穏やかな顔が印象に残る。胴体は朱塗りで、顔には白粉を塗ったあとがある。

 上芹川の田の神は芹川の南東のはずれの三叉路のコンクリートブロックの祠の中に祀られている。頭巾のようなシキをかぶり、右手でメシゲをかざし、左手は膝の上に置く。目鼻立ちは風化してわからない。胸の部分に南無阿弥陀仏と彫ってある。

 

アクセス

 

 


 

ballb03.gif (1352 バイト)キ城市の田の神1 ballb03.gif (1352 バイト)高原町の田の神 ballb03.gif (1352 バイト)えびの市の田の神
ballb03.gif (1352 バイト)キ城市の田の神2 ballb03.gif (1352 バイト)野尻町の田の神     ballb03.gif (1352 バイト)えびの市の田の神2
ballb03.gif (1352 バイト)三股町の田の神 ballb03.gif (1352 バイト)宮崎市の田の神

 

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