Photo Gallery「石仏と野鳥」新版  2023年4月 
 

 
3月 5月



令和5年4月30日 隣町の山にて
センダイムシクイ
 隣町の山のセンダイムシクイです。木の上で鳴いていたのですが、山の尾根道から下にある木にいたので、今までのような腹部が目立つ見上げた写真ではなく、側面からの写真が撮れました。



令和5年4月27日 近く川にて
チョウゲンボウ・イソシギ・イカルチドリ・ホオジロ
 毎年、この川の近くで、チョウゲンボウが巣作りをして、数羽の雛が生まれます。今年もそろそろチョウゲンボウが見られると期待して来てみると、橋の照明灯にチョウゲンボウがとまっていました。
 前回この川へ来た時にコチドリを撮影したので、この日もコチドリが一つのねらいでした。前回にコチドリがいた河原に行ってみるとコチドリらしき鳥がいました。はっきりした金色のアイリンクが目立ったのでコチドリと思って撮影したのですが、後で見直して見るとイカルチドリのようです。
 この川のこの付近で、最もよく見かけるシギはイソシギです。数年前まではキアシシギやハマシギも見たことがあるのですが、最近は見ていません。
ホオジロです。



  
令和5年4月26日 近江の磨崖仏(9)(10)
近江の磨崖仏(9) 車谷不動磨崖仏
滋賀県湖南市岩根 「江戸時代」
 善水寺の周辺には近江を代表する不動磨崖仏が2つある。その一つはここで紹介する岩根山の北西の車谷と呼ばれる谷にはある巨大な車谷不動磨崖仏である。高さ6mあまりもある花崗岩の巨岩に、像高4mの不動磨崖仏立像を半肉彫りしたもので、江戸時代の作である。顔をはじめ衣紋の表現など形式的で写実性に欠けるが、近江では富川磨崖仏につぐ大作で、蔵王権現のように、左足膝を左に張って、右足を大きく踏み込みこんだ姿が動きがあっておもしろい。周囲の自然ととけ合った姿は魅力的で絶好の被写体となっている。   

アクセス
・JR草津線「甲西」駅下車、北東へ徒歩約3㎞。(駅から野洲川にかかる甲西橋を渡って北東へ約2㎞で岩根小学校前。岩根小学校前より花園集落の北の谷沿いの山道を約1㎞で車谷不動磨崖仏。
・JR草津線「甲西」駅下車。甲西駅北口より湖南市コミュニティバス「めぐるくん」ひばりヶ丘線で「花園東口」下車。谷沿いの山道を北へ約1㎞。
自動車・名神「栗東IC」or「栗東湖南IC」より国道1号線を東へ、「国道岩根花園」交差点で左折し、すぐに右折してて岩根小学校前より花園集落へ(約1㎞)。細い集落内の道を通って北の谷沿いの山道を約1㎞で車谷不動磨崖仏。
・名古屋方面からは新名神「土山IC」より西へ約20㎞。( 「土山IC」より県道24号線を経て国道1号線で西へ、「山根西」交差点を右折して、三叉路を左折して花園集落へ。集落の北の谷沿いの道を北へ。)



     
近江の磨崖仏(10) 岩根山不動磨崖仏
滋賀県湖南市岩根 「建武元(1334)年 南北朝時代」
 善水寺への自動車用参道、近くにある不動寺の岩根山不動磨崖仏である。不動寺は無住の寺で、不動磨崖仏を拝礼する拝殿があるのみである。花崗岩の巨岩に高さ約1.6mの不動磨崖仏を半肉彫りする。顔は磨滅しているが、南北朝時代の不動磨崖仏の秀作である(建武元(1334)年の紀年銘)。拝殿があるため、正面からの写真は撮れず、拝殿の下から見上げる写真となった。   

アクセス
・JR草津線「甲西」駅下車。甲西駅北口より湖南市コミュニティバス「めぐるくん」下田線・甲西駅線またはひばりヶ丘線で「岩根」下車。北へ約1㎞へ(岩根集落の北から自動車用参道の林道へ。)
自動車・名神「栗東湖南IC」より栗東水口道路/国道1号線を東へ6.6㎞、「正福寺東」交差点を左折し、十二坊林道に入り「日枝山手台」住宅地南端まで東へ3.1km、右折し南へ林道を南へ1㎞。
・名古屋方面からは新名神「土山IC」より西へ約19.3㎞。( 「土山IC」より県道24号線を経て国道1号線で西へ17.4㎞、「山根」交差点を右折して県道13号線を0.7㎞の交差点を左折して山根集落に入り、案内板にそって集落の北より林道に入り,集落中心地から0.5㎞。)。
・彦根方面からは名神「竜王IC」より国道477号、県道13号経由下田南交差点右折し「日枝山手台」住宅地南端から林道を南へ1㎞。



令和5年4月25日 播磨の石棺仏(11)(12)
播磨の石棺仏(11) 地蔵寺の石棺仏
兵庫県加古川市平荘町池尻1
 
地蔵立像石棺仏
鎌倉後期
  加古川にかかる池尻橋の近くの丘陵裾に、地蔵寺がある。階段を上り山門をくぐったすぐ左側に石棺仏二基が立っている。

 向かって右は、組合式石棺の側石(高さ148cm、幅62cm)を利用したもので、上部に二重光背を彫りくぼめ、右手に錫杖を左手に宝珠もつ延命地蔵立像を薄肉彫りしている。背面には胎蔵界大日如来の種子「アーンク」を薬研彫りしていて、種子の下に弘安四(1281)年四月廿日の銘を刻む。地蔵立像は石棺材を使った板碑の裏に後年彫られたものである。播磨の石棺仏としては珍しい二重光背であることから考えて種子が彫られてからあまり隔てていない鎌倉後期の作と考えられる。
 
六地蔵石棺仏
南北朝時代
 左の石棺仏は家形石棺蓋石(高さ135cm、幅102cm)を利用したもので、三体づつ2段に地蔵菩薩を半肉彫りしている。その下に男女の供養座像が彫られている。右の地蔵立像石棺仏とよく似た作風や二重光背から、地蔵立像石棺仏と同じ頃の造立と考えられる。
アクセス
・JR山陽線加古川駅より神姫バス「都台」行き乗車「本村」下車。北東へ350m。
・または、JR加古川線「神野」駅下車。駅より徒歩約2.2km(西へ約1.2km、池尻橋を渡り、里下新田交差点を越えてすぐに右折し、150m。)または駅よりコミュニティバス「かこバス」広尾東・盤西方面行き乗車(1日4本平日のみ)、「上部」下車。西へ徒歩
自動車・山陽自動車道加古川ICより南南東へ約7.9㎞。(加古川ICより県道43号線を南へ3.6㎞、「投松」交差点を右折して、東へ県道65号線を3㎞。「西山」交差点を右折して、県道79号線を1.7㎞。川を渡って、すぐ左折北西150m。)



播磨の石棺仏(12) 神木阿弥陀石棺仏
兵庫県加古川市平荘町374 「南北朝時代」
 神木公民館の南の小高い丘の上にこの石棺仏がある。地元では「神木(こうぎ)の大日さん」と呼ばれている。高さ177cm、横100cmの家形石棺の蓋石の内側に二重光背の彫りくぼみをつくり像高52cmの阿弥陀座像を薄肉彫りしたもので、蓮華座は線彫りである。

 隣の加西市に多くある阿弥陀座像の石棺仏に比べると写実性に乏しく、簡略化した表現になっている。膝の衣紋は斜め左右に線を流しただけの表現で、光背も同じ二重光背であっても加西市の阿弥陀石棺仏のように凝ったものではなく、単なる彫りくぼめになっている。このような表現は加古川地方の石棺仏に共通したものである。

 玉野阿弥陀石棺仏や春岡寺阿弥陀石棺仏などの加西市の石棺仏に比べると稚拙さは免れず、彫刻としての出来映えは劣るが、簡略化した硬い抽象的な表現が石の生命力を引き出し、石棺という古墳時代の石の世界とマッチしていて、魅力的である。「一結衆十六人 大願衆法蓮」の刻銘がある。
アクセス
・JR山陽線加古川駅より神姫バス「都台」行き乗車「小畑口」下車、交差点から北へ600m。
・またはJR加古川線「神野」駅下車。駅よりコミュニティバス「かこバス」広尾東・盤西方面行き乗車(広尾東行き1日4本・盤西行き1日1本ともに平日のみ)。盤西行きは「神木公民館」下車すぐ。広尾東行きは「小畑口」下車。交差点から北へ600m。
自動車・山陽自動車道加古川ICより南東へ約7.4㎞。(加古川ICより県道43号線を南へ3.6㎞、「投松」交差点を右折して、東へ県道65号線を3.8㎞。「平荘町」交差点を左折して北へ600m。)



令和5年4月24日 近くの広い公園にて
アカハラ・コジュケイ
 ベンチの下に腹部が赤い鳥がいたのでよく見かけるイソヒヨドリと思ってカメラを向けました。ファインダーを覗いて見るとアカハラでした。数年前までアカハラをよく見かけたのですが、最近は見ていませんでした。久しぶりのアカハラです。
近くの林の下でガサガサ、音が鳴ったので覗いて見ると、コジュケイでした。草や落ち葉、小さな木が被って全身を写せませんでした。



        
令和5年4月23日 近江の磨崖仏(5)(6)
近江の磨崖仏(5) 富川磨崖仏
滋賀県大津市大石富川町    「鎌倉時代」
阿弥陀三尊
勢至菩薩
観音菩薩
不動明王
 信楽川沿いの山腹の40mを越える大岩壁に刻まれた阿弥陀三尊磨崖仏である。像高6.3mで線刻彫りの大野寺や笠置寺の磨崖仏を除くと近畿では最大の磨崖仏である。

 一見線彫りのように見えるが、中尊の阿弥陀如来は、像の周りをやや深く彫り沈め、板彫風に線や面を薄肉彫りした陽刻である。そのために、口や目などの表現が不自然になっている。観音と勢至の脇持は普通の手法の薄肉彫りである。

 九州の磨崖仏のほとんどは厚肉彫りか半肉彫り・薄肉彫りで、線刻の像は少ない。中には臼杵磨崖仏や菅尾・元町磨崖仏のように丸彫りに近い磨崖仏もある。それに対して、近畿の磨崖仏は線刻彫りや薄肉彫りの像が多い。それは、技術の違いというよりは素材の違いである。つまり、近畿地方の岩のほとんどが硬質の花崗岩であるのに対して、九州は加工しやすい柔らかい凝灰岩であることが、この違いを作り出したといえる。

 特に、この富川磨崖仏のような大規模な磨崖仏となると、花崗岩の岩に半肉彫りをすることは非常に困難なことと思われる。そのため、笠置寺虚空蔵磨崖仏(像高約9m)や大野寺弥勒磨崖仏(像高約11.5m)は線刻彫りである。笠置寺虚空蔵磨崖仏や大野寺弥勒磨崖仏は近畿を代表する磨崖仏として知られているが、私はあまり魅力を感じられない。確かに、線は美しく優美であるが、表現は絵画的で岩の雄大さ、力強さを生かしていないように思える。

 富川磨崖仏は、笠置寺虚空蔵磨崖仏や大野寺弥勒磨崖仏のような優美な表現でないが、薄肉彫りや陽刻の線彫りといった方法で、岩の厳しさに正面から取り組んでいて、大岩壁をうまく生かした力強い表現で、忘れがたい磨崖仏である。

 富川磨崖仏は、右耳の脇から山水がしみ出るので、「耳だれ不動」とよばれ、耳病の人の信仰を集めている。阿弥陀如来の向かって左側には線刻の絵画的な表現の不動磨崖仏がある。この不動磨崖仏も阿弥陀三尊磨崖仏と同じく鎌倉時代の作である。
アクセス
・JR東海道線「石山」「京阪石山」駅前or「京阪石山寺」駅前より大石小学校方面行きバスに乗り「鹿跳橋」下車。東に信楽川に沿って徒歩3.2㎞。
・または「京阪石山寺」駅前or「大石小学校前」バス停より甲賀市コミニュティバス「信楽駅」行きに乗車、「矢筈石倉」下車西へ750m。(「京阪石山寺」発は早朝、夕方の2本・「大石小学校前」発は1日3本)
自動車・京滋バイパス「南郷IC」より東へ6.9㎞。(「南郷IC」を下りて県道3号線を東に3.7㎞、鹿跳橋を渡り、国道422号線を信楽方面へ約3.2㎞。



        
近江の磨崖仏(6) 多羅尾磨崖仏
滋賀県甲賀市信楽町多羅尾    「正中2(1325)年 鎌倉時代」
阿弥陀座像
不動明王
 陶器の町として知られた信楽町の南部、三重県上野市や京都府南山城村にはさまれた県境の山里が多羅尾である。この多羅尾から御斉(おとぎ)峠を越えて上野市へ抜ける街道沿いには磨崖仏が点在している。その中でも、最も古く、多くの石仏が刻まれているのが、多羅尾の集落の東のはずれにあるこの多羅尾磨崖仏である。

 大戸川沿いの細長い花崗岩の巨岩に、像高約60㎝の阿弥陀座像を中心に不動明王など多くの石仏を刻まれている。阿弥陀座像の光背面に鎌倉後期の正中二(1325)年の造立銘がある。他の地方の鎌倉石仏のような写実的な表現ではないが、素朴で暖かみのある磨崖仏である。
アクセス
・信楽高原鉄道「信楽」駅下車。駅前よりより甲賀市コミニュティバス多羅尾方面行きバス乗車、「茶屋出」下車。東へ0.2㎞。
自動車・新名神高速道「信楽IC」より南へ約15㎞。(「信楽IC」を下りて国道307号線を南に6.5㎞、「長野」交差点を直進して県道138号に入り1.3㎞、「江田」交差点を右折して、国道422号/県道138号 に入り150 m、左折して県道138号を南へ7.0㎞、バス停「茶屋出」の交差点を左折して東へ0.2㎞。



令和5年4月22日撮影 隣町の山の上の公園にて
ビンズイ
4月22日に山の上の公園の桜園で撮影したビンズイです。数羽の群れで行動していました。大きなイモムシを咥えたビンズイもいました。



令和5年4月21日撮影 隣町の山にて
ソウシチョウ・センダイムシクイ
笹藪の方から「ギチ ギチ」と鳥の地鳴きが聞こえたので、笹藪の中を覗いてみるとソウシチョウがいました。
前日撮影した同じ場所にセンダイムシクイがいました。



令和5年4月20日 隣町の山にて
キビタキ・センダイムシクイ
 4日ぶりの野鳥の撮影です。センダイムシクイを追いかけている時、見つけたキビタキです。4日前もキビタキをみたのですが、撮影したのは今年初めてです。
トリミングなしです。
 キビタキを撮影した後、センダイムシクイの声は聞こえるが、姿を見つけることができない状況がしばらく続きました。10分ほどして口を開けて鳴くセンダイムシクイを見つけました。見上げる状態からの撮影のため、腹部が目立つ空ぬけ写真ばかりでした。



令和5年4月19日 近江の磨崖仏(3)(4)
近江の磨崖仏(3) 福林寺跡磨崖仏
滋賀県野洲市小篠原
 
三体仏(観音・阿弥陀・阿弥陀)
室町時代
 
地蔵石仏
江戸時代
 野洲中学校の東の裏山の中に福林寺跡磨崖仏がある。野洲中学校の東側の遊歩道に沿って小川があり、その小川にかかる小さな橋を渡り、林道を10mほど進むと、観音と阿弥陀・阿弥陀の3体の磨崖仏がある。ともに、舟形光背を彫り込み、蓮華台に立つ像高30㎝~50㎝の諸尊を半肉彫りする。形式化した室町後期の作風であるが、一番大きな観音菩薩像は端正な作で福林寺跡の磨崖仏群の中では一番の秀作である。

 その3体の磨崖仏のある岩の奧にある、木の下の平たい岩の側面には、十三体の地蔵菩薩と思われる小さな像が並べて浮き彫りされている。いずれも両手を胸前に合掌していて、顔はすべて独特の丸顔で、ユーモアあふれる群像である。制作年代は江戸時代のと思われる。稚拙な作品であるが、福林寺跡磨崖仏の中では最も印象に残る石仏である。
アクセス
・JR東海道線「野洲」駅下車東へ約2㎞。野洲中学校の東の裏山。野洲駅前より「野洲中学校前」までバスあり。
自動車・名神「栗東IC」より国道8号線を彦根方面に約7㎞。バス停「野洲中学校前」の交差点を右折し野洲中学校の南側の道をしばらく行くと遊歩道があり、遊歩道前で車を止めて、遊歩道を歩くとすぐに案内板と小さな橋がある。



  
近江の磨崖仏(4) 妙光寺山地蔵磨崖仏
滋賀県野洲市妙光寺 「元亨4年(1324年) 鎌倉後期」
 近江富士と称される三上山の北の尾根づたいの峰が妙光寺山とよばれる山で、その山の北斜面にこの地蔵磨崖仏がある。野洲中学校方面から入るとわかりやすい。現在、案内板がきちんと整備されていて、登山口さえわかれば、迷わずにたどり着ける。

 妙光寺山の北面中腹に露出する岩壁に長方形の彫り込みをつくり、像高約1.6mの地蔵菩薩立像を半肉彫りする。地蔵は柄の短い錫杖と宝珠を持ち、木ぐつをはいている。「元享四(1324)年」の造立銘があり、近江を代表する地蔵磨崖仏である。六頭身から七頭身のすらっとした体躯であるため、力強さはあまり感じられないが、整った写実性豊かな優れた磨崖仏である。
アクセス
・JR東海道線「野洲」駅下車東へ約2㎞で登山口。野洲中学校の南の住宅地の東南端に登山口の案内板。登山口から0.4㎞。
自動車・名神「栗東IC」より国道8号線を彦根方面に約7㎞。バス停「野洲中学校前」の交差点を右折し野洲中学校の南側の住宅地へ、住宅地の東南端の山裾に登山口。



令和5年4月18日 播磨の石棺仏(23)(24)
播磨の石棺仏(23) 真禅寺の石棺仏
兵庫県姫路市別所町北宿255
阿弥陀石棺仏
文永2年(1265) 鎌倉時代
 真禅寺の本堂前の庭の中央に東面して立つ。高さ1mあまり、幅90cmの家型石棺の蓋石を利用し、像の周辺のみを彫りくぼめて、如来座像を薄肉彫りする。膝のあたりは摩滅して手印はあきらかでないが、おそらく定印の阿弥陀如来であろう。

 像の左右に「文永二年乙丑」 「十一月十日」の紀年銘があり、在銘石棺仏としては最古であり、播磨の石棺仏では種子の石棺仏を除けば最も古いものである。

 この石棺仏と座仏の輪郭の彫り方、蓮華座の表現などがそっくりな石棺仏が大阪府柏原市山ノ井町の瑠璃光寺にある。瑠璃光寺石棺仏は藤原時代後期の作なので、真禅寺のこの石棺仏は瑠璃光寺石棺仏を真似たものと思われる。
 
 瑠璃光寺石棺仏
 
 
真禅寺墓地阿弥陀石棺仏
室町時代
 真禅寺境内の西側の墓地の真ん中に立っている。高さ130cm、幅74cmの家型石棺の蓋に、阿弥陀如来座像を薄肉彫りする。著しく抽象化された表現の阿弥陀石棺仏で「室町時代」の石棺仏の典型である。衣紋は等高線のような平行線の表現で、蓮台も幾何学的な模様である。  本堂前の阿弥陀石棺仏や加西市の春岡寺や玉野の阿弥陀座像石棺仏などの鎌倉期の石棺仏はしっかりとした写実的な表現で、薄肉彫りながらボリュームがあり、整った表現になっている。

 これらの石棺仏に比較して室町期のこの石棺仏は、形式化がすすみ、鎌倉期の石仏と較べれば、仏像の表現としては劣っている。しかし、この石棺仏の抽象的・幾何学的表現は、装飾古墳や縄文土器などの原始美術と通じるところがあり、石棺とマッチし、鎌倉期の石棺仏とまた、違った魅力がある。

 宮下忠吉氏は「石棺仏」(木耳社刊)の中で播磨石棺仏についての全体像を明らかにし、石仏表現の変遷をを本堂前の阿弥陀石棺仏などの古典(クラシック)表現からこの阿弥陀石棺仏に代表される抽象(シュール)表現の流れで説明された。そして、このこの阿弥陀石棺仏に代表される抽象(シュール)表現の流れの頂点として「北条羅漢石仏」を位置づけられた。(北条五百羅漢参照)

 確かに、北条羅漢石仏の方柱形の石材に頭部だけ刻みだした「こけし」のような幾何学的・抽象的な表現とこの石仏は通じるところがあるような気がする。
 
 北条羅漢石仏
 
アクセス
・JR山陽線別所駅より東南東へ徒歩1.5㎞(駅より国道2号線を渡り北東に270m、右折して西国街道を南東に400m、左折して「今池」の南側・「瀬戸池」の西側を通って東南東へ750m、左折して50mで真禅寺山門)
自動車・国道2号線姫路バイパス、別所ランプで下りて別所大橋を渡って北東へ1㎞で国道2号線「北宿交差点」。交差点をそのまま北東へ230mで北宿公民館前、右折して「今池」の南側・「瀬戸池」の西側を通って東南東へ650m、左折して50mで真禅寺山門。



播磨の石棺仏(24) 福円寺不動三尊石棺仏
兵庫県姫路市的形町福泊260 「室町時代」
矜羯羅童子
セイタカ童子
福円寺裏山の墓地に立つ。組合せ式家型石棺の底石を利用して、不動三尊像をやや厚く薄肉彫りする。(石棺材の高さ約160cm、不動の像高は約1m)  中尊の不動明王は、異常に肩幅が広く、誇張した表現に見える。しかし、矜羯羅童子とセイタカ童子の両脇侍はしっかりとした写実的表現である。不動明王も鼻や口元など顔の一部が剥落しているために、カリカチュアのように見えるのであって、よく見ると、しっかりとした力強い彫りである。石質が赤みを帯びていることと相まって、不動三尊石仏として出色のできばえの石棺仏である。

 製作年代については、江戸時代説と室町時代説があるが、西山光照寺跡などの越前一乗谷の不動石仏と表現がよく似ているので、室町時代ではないだろうか。

西山光照寺跡セイタカ童子
アクセス
・山陽電鉄的形駅下車。南西に徒歩1.4km。福円寺裏墓地。
自動車・姫路バイパス高砂ランプから国道250線を西南西へ約5km、「的形西」交差点を左折して南南西へ1.0㎞で福泊の福円寺裏墓地。



令和5年4月17日 播磨の石棺仏(8)(9)
播磨の石棺仏(8) 倉谷薬師堂阿弥陀石棺仏
兵庫県加西市倉谷町237 「鎌倉時代」
  倉谷町の北側の林の中に薬師堂があり、堂内厨子の中に石棺仏がまつられている。堂内にあるために、拝観できなかったが、本の写真で見ると丁寧な作風の石棺仏である。

 左の写真は薬師堂の外の崖に立つ石棺仏である。高さ137cm、幅95cmの家型石棺の底石に、線刻の舟形光背を負う如来座像を薄く彫り出している。手印は不明であるが、おそらく定印の阿弥陀如来像であろう。

 この石棺仏は、真禅寺の「文永2年(1265)」の阿弥陀石棺仏と同じように下の結跏趺坐の部分は摩滅しているように見え、はっきりとわからない。意図的にこのような表現にしているのではないだろうか。これによって、石と仏像が一体となり、石の生命か仏像となってあらわれたような印象を受ける。
アクセス
・JR加古川線、神戸電鉄粟生線「粟生」駅で、北条鉄道乗り換え終点「北条町」下車。駅前の「アスティアかさい」より「宝殿駅北口」行きバス乗車、「倉谷」下車。北東へ徒歩750m。
自動車・山陽自動車道加古川北ICより、県道43号線を北へ1.4km、「倉谷西」交差点を斜め右へ曲り県道716号線を0.5㎞、左折し0.1㎞。



播磨の石棺仏(9) 不動の尾地蔵石棺仏
兵庫県加西市網引町2001-35  「鎌倉時代」
 網引町の南の丘陵地帯の広域農道の路傍にこの石棺仏がある。この石棺仏から北へ細い山道を行くと白雉2年(651年)法道仙人が、堂宇を建立したことにはじまるという古刹周遍寺がある(この道は現在、使われていない)。

 高さ180cm、幅95㎝、厚さ35㎝の家型石棺の蓋石の内面に、地蔵菩薩立像をやや厚く薄肉彫りする。左手に宝珠を持つ古式の地蔵で、右手は弥勒式に掌を伏せた印になっている。播磨の石棺仏では珍しく、彫りが深く、半肉彫りに近く、素朴で重量感のある石棺仏である。

 山伏峠や玉野の石棺仏と並ぶ大型石棺仏で、周りの風景にとけ込み石棺の美しさを十分生かした石仏である。
アクセス
・JR加古川線、神戸電鉄粟生線「粟生」駅で、北条鉄道乗り換え終点「網引」下車。徒歩南へ2.1㎞。物流センター付近の南、チェーンが張っていて車の入れない道を270m、草地の中に石棺仏はある。(駅より直線距離約1㎞)。
自動車・山陽自動車道加古川北ICより県道43号線を北へ1.4㎞、「倉谷西」交差点を斜め右へ曲り県道716号線を1.5㎞、「倉谷西」交差点を右折1.8㎞。三叉路になっているが右折する道はチェーンが張っていて車は通行禁止。付近に車を止めて右折する道を徒歩で270m、草地の中に石棺仏はある。



令和5年4月16日 近くの山にて
センダイムシクイ・シメ
 地元や近くの山でよくセンダイムシクイ鳴き声を聞くようになったのですが、まだ撮影できません。今日は高いコナラの木の上から「チョチョビー チョチョビー」とセンダイムシクイの鳴き声が聞こえました。見上げるようにして黄色い花が咲いたコナラの木の中からセンダイムシクイの姿を探そうとしたのですが、すぐには見つけられませんでした。5分程たってようやくセンダイムシクイを見つけました。高いところにいてなかなかピントが合いませんでしたが何とか撮影しました。
コナラの木にはセンダイムシクイ以外にシメもいました。キビタキもいたのですが、ピントが合いませんでした。



   
令和5年4月15日 近江の磨崖仏(1)(2)
近江の磨崖仏
   
   
 近江の国、滋賀県は、大和の国と並ぶ石仏の宝庫である。その代表といえるのが、金勝山にある、わが国屈指の磨崖仏である狛坂磨崖仏である。この磨崖仏は完全な姿で残る本格的な磨崖仏としてはわが国最古(平安初期)のものである。

 その他、延暦寺香炉岡弥勒仏や藤尾寂光寺磨崖仏・富川磨崖仏など、平安後期~鎌倉時代の石仏・磨崖仏の秀作が多数ある。また、時代は下るが大津市坂本の西教寺には越前の笏谷石でつくられた、美しい阿弥陀二十五菩薩来迎石仏がある。

 近江の国は、古墳時代以降、朝鮮半島からの渡来人が移り住み、様々な文化を伝えた地で、石棺や石室などの石を扱う技術もこれらの人々によって伝えられたと考えられる。日本の古代の石仏や石塔の石造美術は、朝鮮半島の百済や新羅の国々との交流や渡来人の活躍によって生まれたものである。

 百済人が大挙して移り住んだ近江国蒲生郡にある石塔寺には奈良時代前期の百済式の石造三重塔がある。また、狛坂寺磨崖仏は、韓国の慶州の石仏庵磨崖仏や南山七仏庵磨崖仏との技巧や表現様式の類似や影響が論じられていて、近江の石造美術も渡来人や新羅・百済文化の影響なしでは語れない。

 鎌倉時代以降の近江の石仏の多くは阿弥陀石仏や地蔵石仏・不動石仏で、そこには天台宗や天台宗から生まれた浄土教の影響が考えられる。また、良質の花崗岩が多くあり、素材にもこと欠かない。

 このような文化的歴史的土壌が近江を大和と並ぶ石仏の宝庫としたのである。このページは、近江の石仏を磨崖仏を中心にとりあげた。



近江の磨崖仏(1) 狛坂磨崖仏
滋賀県栗東市荒張 金勝山 「平安初期」
弥勒如来座像?
右脇侍菩薩像
左脇侍菩薩像
別石の三尊仏
 近江アルプスとよばれる金勝連峰は、花崗岩の巨岩が露出した独特の風景を見せ、絶好のハイキングコースとなっている。その金勝連峰には東大寺の良弁僧正がが開いたといわれる金勝寺があり、その金勝寺の西部の山中に狛坂寺跡がある。狛坂寺跡には、現在、この磨崖仏とともに、石垣の跡が残るのみである。狛坂寺は平安初期に興福寺の僧、願安が伽藍を建てたといわれているが、詳細は不明である。

 狛坂磨崖仏は、狛坂寺跡の南側の、北面する巨大な花崗岩石に刻まれている。高さ、約6m幅6mの岩肌に像高約3mの如来座像と像高約2.3mの菩薩立像2体を彫る。

 格狭間入りの基壇の上の須弥座に結跏趺坐する弥勒菩薩と思われる中尊は、たくましい体躯で、威厳があり堂々としている。脇侍はやや腰をひねって、如来側の手を胸に、外側は下げる立像である。三尊とも半肉彫りであるが、立体感のある重厚な像である。この三尊の上部に2組の小さな三尊像と3体の小さな菩薩形立像を浮き彫りする。また、この磨崖仏の向かって左には別石の三尊像もある。

 作風は朝鮮の新羅時代の南山の七仏庵磨崖仏とよく似ていて、花崗岩という硬い岩を加工する技術から考えて、渡来人系の石工の作と考えられている。

 この磨崖仏を初めて見たのは30数年前のことであるが、何回訪れても、大きな感動を与えてくれる磨崖仏である。量感や迫力においては、熊野磨崖仏などに劣るが、威厳と優美さにおいてはこの磨崖仏に匹敵する磨崖仏は日本には見あたらない。 
アクセス
・JR東海道線「草津」駅下車。「草津駅東口」より帝産バス「上桐生」行き乗車「上桐生」下車。上桐生から南谷林道を歩き「出合」からハイキングコースを登る。上桐生より徒歩1時間半~2時間。
自動車・名神「栗東IC」から南へ約13㎞で馬頭観音堂前駐車場(「栗東IC」から県道12号で道の駅「こんぜの里りっとう」まで行き、道の駅の南から林道に入り、金勝寺を経て馬頭観音堂前駐車場)。駐車場から徒歩1時間。
・名古屋方面からは新名神「信楽IC」を下りて県道16号 と 県道12号 経由して道の駅「こんぜの里りっとう」付近の林道入口へ北西へ約11㎞。馬頭観音堂前駐車場まで3.6㎞。



近江の磨崖仏(2) 金勝山の磨崖仏
滋賀県栗東市荒張 金勝山
 
茶沸観音
平安時代
 
重岩
室町時代
  狛坂寺跡より金勝寺へのハイキングコースをたどると、狛坂寺跡磨崖仏と同じ頃の造立と思われる茶沸かし観音磨崖仏がある。また、その途中には重岩とよばれる奇岩の岩肌にも阿弥陀石仏が刻まれている。

 「茶沸かし観音」は尾根道に面した花崗岩の岩肌に、高さ57㎝の小石龕を彫り込み、像高32㎝の立像を厚肉彫りしたもので小像ながら奈良時代前期の小銅仏を思わせる秀作である。「茶沸かし観音」と俗称されているが、観音ではなく、如来である(釈迦如来?)。

 「重岩」は巨岩が上下に二岩重なって立っている。この岩肌の三方に、石仏が刻まれているというが、薄肉彫りの阿弥陀像の一面を除いて、磨滅していてほとんどわからない。室町頃の作と思われる。
アクセス
・JR東海道線「草津」駅下車。「草津駅東口」より帝産バス「上桐生」行き乗車「上桐生」下車。上桐生から林道を経てハイキングコース<水晶谷線> と<天狗岩線>を経て徒歩1時間半~2時間。または上桐生<天狗岩線>を経て徒歩1時間半~2時間。
自動車・名神「栗東IC」から南へ約13㎞で馬頭観音堂前駐車場(「栗東IC」から県道12号で道の駅「こんぜの里りっとう」まで行き、道の駅の南から林道に入り、金勝寺を経て馬頭観音堂前駐車場)。駐車場から徒歩30分で茶沸観音。茶沸観音から15分で重岩。(狛坂磨崖仏から約20分で重岩)
・名古屋方面からは新名神「信楽IC」を下りて県道16号 と 県道12号 経由して道の駅「こんぜの里りっとう」付近の林道入口へ北西へ約11㎞。馬頭観音堂前駐車場まで3.6㎞。



令和5年4月14日 隣町の山にて
シメ
 センダイムシクイ・ソウシチョウの鳴き声があちこちから聞こえるのですが、姿を見ることができませんでした。撮影したのはシメだけでした。



令和5年4月13日 地元の山にて
イカル・イソヒヨドリ♀
夏鳥のキビタキ・オオルリ・センダイムシクイなどがいないかと地元の山のハイキングコースを歩いたのですが、撮影できたのはイカルでした。
イソヒヨドリの雌です。



令和5年4月12日 播磨の石棺仏(15)(16)
播磨の石棺仏(15) 長楽寺石棺仏
兵庫県加古川市平荘町小畑150-1 長楽寺 「南北朝時代」
 加古川市の石棺仏の特色の一つは像自体は小ぶりで、多尊石仏が多いことである。その多尊石棺仏の代表といえるのが「八つ仏」とこの長楽寺石棺仏である。

 高さ185cm、幅118cmの縄掛突起つき家形石棺蓋石の内側に舟形の彫りくぼみを6つつくりそこに像高22cm~30cmの阿弥陀如来と地蔵菩薩を薄肉彫りする。上の2体が阿弥陀如来で、蓮弁を彫っていないお椀のような蓮華座に座っている。後の4体は地蔵菩薩と思われる。3体は立像で中央の向かって右の像は右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。他の2体は合掌しているように見える。印相や持ち物はわかりにくいが、向かって左下は地蔵座像であると思われる。

 他の加古川地方の石棺仏と同じように写実性に欠ける形式的な表現の石棺仏であるが、石棺の合わせ目部分を額縁のようにして、中に6体の半薄肉彫りすることにより、大型の縄掛突起つき家形石棺そのものの迫力を充分に生かしている。加古川の石棺仏を代表する一基といえる。
アクセス
・JR山陽線加古川駅より神姫バス「都台」行き乗車「小畑口」下車、北西へ1.3㎞(長楽寺は小畑集落の北東端)。
・またはJR加古川線「神野」駅下車。駅よりコミュニティバス「かこバス」広尾東行き乗車(広尾東行き1日4本平日のみ)「東小畑」下車。小畑の集落内を北東へ800m。(小畑の集落内を北東へ800m。長楽寺は小畑集落の北東端)
自動車・山陽自動車道加古川ICより南東へ約6.7㎞。(加古川ICより県道43号線を南へ3.6㎞、「投松」交差点を右折して、東へ県道65号線を2.4㎞。小畑の集落内を北東へ700m。)



播磨の石棺仏(16) 八つ仏
兵庫県加古川市平荘町小畑 「南北朝時代」
 長楽寺の西、一本松集落の南東の山麓に、「八つ仏」とよばれる石棺仏がある。野の中に立つこの石棺仏は、佐藤宗太郎氏の写真集「石仏の美」などに取りあげられ、加古川の石棺仏では最も知られた石棺仏である。現在はトタンの波板でかこまれた覆屋の中にあるため昔のような風情はない。

 高さ160cm、幅116cmの家形石棺蓋石の内側に像高20~30cmの6体の仏像を舟形光背の彫りくぼみの中に薄肉彫りする。長楽寺石棺仏の阿弥陀座像と同じように、6体とも蓮弁を彫っていないお椀のような蓮華座に座っている。

 中央下の2体は地蔵で他は定印の阿弥陀である。他の家形石棺蓋石を使った石棺仏と違って、合わせ目部分にも像を刻んでいる。合わせ目部分か広いため内側部分だけでは迫力にかけることを考慮して彫られたのではないだろうか。(長楽寺石棺仏も合わせ目部分か広いが縄掛突起によってバランスがとられている。)作者は長楽寺石棺仏と同じと思われる。
アクセス
・JR山陽線加古川駅より神姫バス「都台」行き乗車「小畑口」下車、北西へ1.3㎞(長楽寺は小畑集落の北東端)。
・またはJR加古川線「神野」駅下車。駅よりコミュニティバス「かこバス」広尾東行き乗車(広尾東行き1日4本平日のみ)「東小畑」下車。小畑の集落内を北東へ800m。(バス停より北西へ250m、小畑の集落内を北東へ800m。長楽寺は小畑集落の北東端)
自動車・山陽自動車道加古川ICより南東へ約6.7㎞。(加古川ICより県道43号線を南へ3.6㎞、「投松」交差点を右折して、東へ県道65号線を2.4㎞。小畑の集落内を北東へ700m。)



令和5年4月11日 地元の山の上の公園などの桜園にて
カワラヒワ・クロジ
 地元の山の上の公園に向かう道の周辺にも桜がたくさん植えられています。ここで、桜が散った後、コムクドリが来たことがあったので期待したのですが、いませんでした。代わりに撮影したのはカワラヒワでした。
山の上の公園の桜園にはクロジがいました。この公園でクロジを見たのは初めてです。



令和5年4月10日・3日 地元の山の上の公園にて
ビンズイ・シロハラ・アトリ
 1週間ぶりに山の上の公園に行きました。桜の花があっという間に散ってしまいましたが、桜園にはまだアトリがいました。しかし、撮った写真は葉や枝がかぶった写真ばかりでした。
桜園て枝かぶりのアトリ以外で撮った鳥はビンズイとシロハラだけでした。
今まで桜の花が散る頃にアカハラをよく見られたので期待したのですが、シロハラしかいませんでした。
載せられるようなアトリの写真はなかったので、一週間前、撮影したアトリを載せました。



令和5年4月9日 隣町の山にて
八重桜にメジロなど
 隣町の山へ行きました。ねらいは毎年4月中頃から見られるキビタキ・オオルリなどの夏鳥です。しかし、やはり早いのかキビタキ・オオルリは見られませんでした。それでも夏鳥のセンダイムシクイはいました。「チョチョビー チョチョビー」と鳴き声が聞こえ姿も見たのですが、ピントが合わず撮影できませんでした。あきらめて帰ろうとした時、満開に近づいた八重桜にいるメジロを見つけました。
ソウシチョウが八重桜にとまったのでカメラを向けたのですが、撮った写真は頭部は桜の花に隠れていました。



令和5年4月8日 播磨の石棺仏(25)(26)
播磨の石棺仏(25) 八幡神社毘沙門天石棺仏
兵庫県加東市下滝野1275-8 兵庫県立播磨中央公園  「室町時代」
  播磨中央公園の中にある八幡神社の裏手の山頂の岩陰にある。小さな石棺底石に、毘沙門天像を半肉彫りする。左手に宝塔、右手に戟(げき)を持つ。四頭身で子どものような、かわいらしい毘沙門天でる。しかし、右足を前に踏み出した下半身は力強い。播磨の石棺仏で毘沙門天を単独で彫ったものは加西市周遍寺山奥の毘沙門洞の毘沙門天とこの2つだけである。
アクセス
・JR加古川線「滝野駅」下車、南西へ2.6kmで播磨中央公園第5駐車場。駐車場の北西直線距離200mに八幡神宮。八幡神社の裏手の山頂。
自動車・ 中国自動車道「滝野社IC」から西へ2.4㎞で播磨中央公園第5駐車場。(「滝野社IC」から176号線に入り「滝野インター入口」交差点を右折し県道17号線を北西へ1.3㎞、県道145号線を経てJR加古川線を越えて、「みどり大橋西詰」交差点へ。交差点を左折し県道349線を南西へ1.1㎞。)駐車場の北西直線距離200mに八幡神宮。八幡神社の裏手の山頂。



播磨の石棺仏(26) 家原阿弥陀石棺仏
兵庫県加東市家原  「鎌倉後期」
 滝野社インターチェンジの南1.5kmの社町赤岸の交差点の西の道路下の用水路脇にこの阿弥陀石棺仏が立っている。高さ130cm、幅72cmの家形石棺蓋石に、光背として舟形の彫り窪みをつくり、像高95cmの来迎印の阿弥陀立像をやや薄肉彫りしたものである。

 来迎印の阿弥陀立像石仏は大和ではよくみられるが、播磨の鎌倉時代の石棺仏の中では唯一の来迎印阿弥陀立像である。手や衣紋にやや硬さは見られるが、顔は満月相で、鎌倉後期らしい風格をそなえた石棺仏である。
アクセス
・JR加古川線「滝野駅」下車、南へ2.6km。赤岸の交差点の西の道路下の用水路脇。
自動車・ 中国自動車道「滝野社IC」から国道176号線に入り南へ1.3㎞、「家原」交差点を左折し0.5㎞。赤岸の交差点の西の道路下の用水路脇。



令和5年4月4日撮影 近くの山にて
クロジ
 近くの山へクロジを撮影に行きました。そろそろ姿を消して高い山に行く時期だと思ったのですが、雌はいませんでしたがこの日もバラエティーに富んだクロジ♂がいました。



令和5年4月3日撮影 近くの川にて
ニュウナイスズメ
 桜の花が散り始めました。この日は花見客も少なく、ニュウナイスズメはすぐに見つかりました。10羽ほどののニュウナイスズメが桜の花に集まっていました。
ニュウナイスズメの花ラッパを撮りたかったのですが、撮れたのはこれだけでした。
ニュウナイスズメの雌です。



令和5年4月1日撮影 近くの川にて
ニュウナイスズメ・アオジ・マガモ
 川岸の桜が満開で多くの人が花見に来ていました。人が多くて目的のニュウナイスズメはなかなか見られませんでした。川岸の公共施設の庭の桜でようやくニュウナイスズメを見つけました。ニュウナイスズメの雄は枝がかぶってよい写真は撮れませんでした。
ニュウナイスズメの雌です。
黄色い鳥もいたのでカメラを向けると、アオジの雌でした。
川にはまだコガモやヒドリガモ、マガモなどの冬鳥のカモがいました。マガモは気持ちよさそうに羽ばたいて水浴びをしていました。



3月 5月