「フォトギャラリー 石仏と野鳥」 新版 2021年1月 

 
12月



   
令和3年1月19日撮影  近くの川と水路にて
タシギ・カワセミ・ジョウビタキ♀
 近くの川の側の水路には多くのタシギがいます。昼間に行くと動かずじっとしているのですが、今日は朝早く行ったため活発に活動していました。
川にはカワセミがいました。写しやすい場所にはとまってくれませんでした。
河原にいたジョウビタキ♀です。



        
令和3年1月18日撮影  近くの大きな公園にて
ニシオジロビタキ・シメ・ルリビタキ
 今年になって初めて、近くの大きな公園に行きました。ニシオジロビタキは昨年と同じ場所にいてくれ、「チッチッチッチッ」鳴きながらあちこちの木々に移動していました。
昨年、ニシオジロビタキを撮影した時と違って紅葉した葉が散ってしまって、美しい背景がなく、寂しい写真になりました。
今シーズン初めて見たシメです。雌のシメです。
 新型コロナが広がる前は週に2回ほどこの公園に来ていたのですが、最近は人が多いこの公園を訪れるのは月に2、3回です。そのためこの公園で、ルリビタキを撮影したのは11月12日以来です。この公園では5年ほど前まではルリビタキはよく見かけたのですが、ここ数年はあまり見られず、見ることができても暗い場所でした。
 今年はこの公園でもよくルリビタキが見られるようです。写した場所はニシオジロビタキかいる近くで、5年前までよくルリビタキを撮った明るい場所です。



        
令和3年1月17日撮影  県境近くの山の中にて
ルリビタキ・コゲラ
ルリビタを撮ろうと県境近くの山の中に行きました。今日もハゼノキにいつもいるルリビタキがいました。
午後3時頃で暗く、逆光気味でルリビタキの青がくすんだ色に見えます。
500mほど離れた場所にあるハゼノキにいたルリビタキ♀です。
ハゼノキのではコゲラもよく見かけます。眉紋の後ろに赤い部分が見られる雄です。



             
令和3年1月15日撮影  近くのため池にて
ミコアイサ・ヨシガモ・マガモ・カンムリカイツブリなど
 近くのため池、3カ所、回りました。最初のため池は12月の中頃、10羽ほどのミコアイサがいた池です。1月になってこの池ではミコアイサを見ることができなかったのですが、今日は3羽の雌がいました。遠く離れた場所にいて、近づくと突然飛び立ちました。
 次に訪れた池は、ヨシガモやマガモ・ハシビロガモなどがよく見られる池です。昨シーズンも見なかったので、あまり期待せずに訪れたのですが、雄2羽、雌1羽のミコアイサがいました。
マガモやキンクロハジロと一緒に泳ぐミコアイサです。
ヨシガモの群れとミコアイサです。
いつも行く大きなため池にはミコアイサの群れは見られず、雄雌1羽いただけです。ミコアイサ♂は羽ばたこうとして途中で止めました。
ミコアイサの雌が離れた場所にいました。
カンムリカイツブリは池の真ん中にいて近づいてくれませんでした。



                  
令和3年1月14日撮影  近所の川とため池にて
カワセミ・ヨシガモ
散歩がてらカメラを持って歩いているとカワセミにであいました。
同じ姿勢でじっとしていたのですが、少し動いて茶色の腹部を見せました。この後、ヨシガモのいるため池に向かいました。
雄雌あわせて20羽ほどのヨシガモがいました。



                            
令和3年1月13日  近くの山の公園と山の斜面にて
クロジ
クロジを撮りに近くの山の公園に行きました。昨年末は雌しか撮れなかったのですが、今日は雄も撮影できました。
しかし、雄は笹の枝が被った写真しか撮れませんでした。
クロジの雌は3羽いて、近くまで来て楽しませてくれました。
クロジ以外にルリビタキも姿を見せ、あちこち移動して楽しませてくれました。
 山の公園以外にチョウゲンボウやノスリがよくみかける山の斜面へも行きました。電信柱の上にとまっているチョウゲンボウをみつけました。
チョウゲンボウはこの電柱をお気に入りのようで、よくとまっているのを見かけます。
この後、急に飛び立ちました。慌てて、シャッターを切ったのですが、すべてピンボケでした。
数分後、突然同じ電柱にチョウゲンボウは戻ってきました。
小鳥の雛のようなものを捕まえてきました。
食らいつくように食べ始めました。



   
令和3年1月11日  地元の山の上の桜園にて
トラツグミ・モズ♀・アカハラ・シロハラ・アトリ
6日に撮影した同じトラツグミと思われます。6日と同じ桜園にいました。今度は、枝かぶりなく全身を撮影できました。
40分後に別の桜園でトラツグミを撮影しました。最初に撮影したトラツグミと同じ個体と思われます。
飛び立とうと構えたところです。
近くの切り倒された木の幹にとまりました。
モズのさえずりが聞こえたのいってみるとモズの雌でした。この後、モズは地面に飛び降りました。
同じ枝に戻ったモズはミミズを咥えていました。
大きく口を開けてミミズを飲み込もうとした瞬間です。
何とか飲み込みました。
シロハラらしき鳥を見つけてシヤッターを切りました。あとで見るとアカハラです。1月にアカハラを撮ったのは初めてです。
頭部は黒く、オオアカハラと思うのですが、自信はありません。この後、すぐに藪の中に入ってしまい確認できませんでした。
アカハラと期待してシャッターを切ったのですが、今度はシロハラでした。
毎年、ナンキンハゼの実を求めてアトリが群れになってやってきます。ナンキンハゼの木にとまったアトリ♂です。
桜の木にもとまりました。
アトリ♀です。



                  
令和3年1月10日  県境近くの山の中にて
ルリビタキ
県境近くの山の中に行きました。ハゼノキがたくさんあり、ハゼの実を狙って多くの野鳥がやってきます。ねらいはルリビタキです。
昨年、何回かルリビタキ♂を撮影したハゼノキ付近で待っているとルリビタキ♀がハゼノキに飛んできました。
ハゼノキの実に飛びつこうとしているルリビタキ♀です。
ルリビタキ♂も姿を見せました。
黄色い小さな実のようなものを咥えています。
小さな実のようなものを飲み込むのに失敗したようです。
500mほど離れた場所のハゼノキにもルリビタキ♂がいました。
雌も2羽いました。
ハゼノキの実を食べるルリビタキ♀です。



令和3年1月9日  弥勒・釈迦石仏50 近畿の平安時代の弥勒・釈迦石仏
弥勒・釈迦石仏50選(4)   狛坂寺跡磨崖仏
滋賀県栗東市荒張 金勝山  「平安時代初期」
 近江アルプスとよばれる金勝連峰は、花崗岩の巨岩が露出した独特の風景を見せ、絶好のハイキングコースとなっている。その金勝連峰には東大寺の良弁僧正がが開いたといわれる金勝寺があり、その金勝寺の西部の山中に狛坂寺跡がある。狛坂寺跡には、現在、この磨崖仏とともに、石垣の跡が残るのみである。狛坂寺は平安初期に興福寺の僧、願安が伽藍を建てたといわれているが、詳細は不明である。

 狛坂寺跡磨崖仏は、寺跡の南側の、北面する巨大な花崗岩石に刻まれている。高さ、約6m幅6mの岩肌に像高約3mの如来座像と像高約2.3mの菩薩立像2体を彫る。

 格狭間入りの基壇の上の須弥座に結跏趺坐する弥勒仏(阿弥陀仏の説もあり)と思われる中尊は、たくましい体躯で、威厳があり堂々としている。脇侍はやや腰をひねって、如来側の手を胸に、外側は下げる立像である。三尊とも半肉彫りであるが、立体感のある重厚な像である。この三尊の上部に2組の小さな三尊像と3体の小さな菩薩形立像を浮き彫りする。また、この磨崖仏の向かって左には別石の三尊像もある。

 作風は朝鮮の新羅時代の南山の七仏庵磨崖仏とよく似ていて、花崗岩という硬い岩を加工する技術から考えて、渡来人系の石工の作と考えられている。

 この磨崖仏を初めて見たのは30数年前のことであるが、何回訪れても、大きな感動を与えてくれる磨崖仏である。量感や迫力においては、熊野磨崖仏などに劣るが、威厳と優美さにおいてはこの磨崖仏に匹敵する磨崖仏は日本には見あたらない。 



弥勒・釈迦石仏50選(5)  比叡山香炉ヶ岡弥勒石仏
滋賀県大津市坂本本町比叡山西塔    「平安後期」
 香炉ヶ岡弥勒石仏は西塔釈迦堂の背後の山、香炉ヶ岡の笹原の杉木立の中にある。像高2m余りの花崗岩製。下部に別石の反花座もうけ、その上に蓮座・仏身・光背からなる本体を一石でつくられている。右手を伏せて膝の上に、左手を仰げて膝上においた珍しい印相で、弥勒如来・または釈迦如来と思われる。

 丸彫りに近い厚肉彫りで、膝におろした右手と胴のあいだや首と光背とのあいだが彫り抜きになっている。満月相の顔、高い肉髻、ひきしまった体部と流麗な衣紋など藤原時代の特徴をみせる。光背は二重円光式で、左肩の一部欠けていて、6個の月輪内に梵字が陽刻されている。光背の背面には、3つの月輪が彫られ、釈迦三尊の梵字が大きく陽刻され、下には経巻を納めるための四角の彫り込みがある。もとこの付近にあった弥勒堂跡にちなんで弥勒石仏といわれている。




弥勒・釈迦石仏50選(6)  雲母坂の石仏
京都市左京区修学院烏丸町20 禅華院 「大治2年(1125)年 平安後期」
 「修学院」駅より、音羽川にそって東へ800mほどすすみ、後安堂橋を渡り、修学院総門に向かって50mほどいくと、左手に石垣と特色ある鐘楼門が見えてくる。臨済宗大徳寺派の一院「禅華院」である。風雅な鐘楼門を入った右側に、鎌倉後期の地蔵石仏や阿弥陀石仏など多くの石仏が並んでいる。その中に雲母(きらら)坂にあった小さな風化した石仏が2体あり、その内の一体が弥勒菩薩で、背後には平安時代の大治2年(1125)年の刻銘がある。

 雲母坂は修学院離宮や林丘寺の南の音羽川沿いを少し上ったところにある坂で比叡山へ向かう古道である。登り口は雲母寺の旧跡である。この登山道の登り口に小さな摩滅した2体の小さな石仏が雲母坂の石仏である。1体は二十輪光背を負った定印の像高53pの厚肉彫り像、もう1体が像高66pの厚肉彫りこの如来像である。船形光背を負った右手を胸前によせて施無畏印、左手は風化してわからないが下に向けている様に見えるので降魔印(蝕地印)と思われ、弥勒仏と考えられる。

 京都では白川石と呼ばれる花崗岩を使った石仏が多く、「岩倉目なし地蔵」や「行者の森釈迦石仏」のように面相がわからないほど摩滅した鎌倉〜室町時代の石仏が多くある。そのため、この2体も大治2年(1125)年の刻銘が無ければ注目されることはなかったと思われる。昭和52年にこの石仏背面に大治元(1125)年五月八日」と刻まれていることが発見されて注目されることになった。京都では京都国立博物館にある今宮四面石仏の天治2(1125)年に次ぐ古銘である。昭和52年以降、近くの禅華院に移されて現在に至っている。




弥勒・釈迦石仏50選(7)  安楽寿院釈迦三尊石仏 
京都市伏見区竹田中内畑町74 「平安後期」
 安楽寿院は鳥羽上皇により、阿弥陀三尊を祀るために、保延3年(1137)、鳥羽離宮の東殿に、、建てられた御堂を起源とする寺院である。その後、本御塔、九躰阿弥陀堂、閻魔堂、不動堂などの諸堂が建てられ、全国に広大な寺領を持つ寺院となったが、中世以降衰え、現在は江戸時代の大師堂や書院などが残のみで、本尊の阿弥陀如来などに当時の面影をとどめる。

 三尊石仏は大師堂の西側の三宝荒神社の参道ぞいに仮堂がもうけられて2基安置されている。江戸時代に、安楽寿院の西の聖菩提院跡から掘り出されたものである。凝灰岩の高さ1mあまり、幅1.1m〜1.2m、厚さ0.4mの方形の切石に釈迦三尊と薬師三尊を厚肉彫りしたものである。軟質の凝灰岩のため痛みがひどく当時の面相が残るのは釈迦三尊の蓮華をささげた右の脇侍のみである。

 三尊石仏はもう一基、出土していて、現在、京都国立博物館の西の庭に安置されている。阿弥陀三尊像で最も保存状態がよく、豊満な顔、丸みのある体躯など、平安時代後期の様式がよく残る。



弥勒・釈迦石仏50選(8)   地獄谷聖人窟
奈良市白毫寺町 地獄谷  「奈良時代〜鎌倉時代」
 首切り地蔵の分かれ道を左に行くと、地獄谷に通じる。地獄谷の名は、昔この付近に屍をすてたところからでた地名とも、春日山中の地中に地獄があると考えられたところから生まれた地名ともいわれる。その地獄谷の山中の凝灰岩層の露出した岩場に石窟が彫られていて、壁面に数体の線刻像が刻まれ彩色されている。それが、通称聖人窟と呼ばれる、線刻の磨崖仏の傑作である。

 現在、はっきりと残っているのが3体で、奥壁の中央には、座高1mあまりの施無畏・与願印の如来像が彫られている。胸には卍が刻まれているとのことであるが、金網で保護されていて近づけないので確認できなかった。尊名は弥勒・釈迦・盧遮那仏など諸説がある。のびのびとした流麗な線で衣紋を描き、顔は東大寺大仏の蓮弁に刻まれた如来像によく似ていて、豊かな気品のある顔である。造立年代は天平から鎌倉まで諸説がある。

 如来像の向かって左側には、二重円光背を背負った施無畏・与願印の如来立像(吉祥薬師像という説がある。)が、右側には同じく二重円光背を背負った十一面観音が彫られている。中尊に比べると線は伸びやかさに欠け時代は下ると思われる。東壁面には妙見菩薩が刻まれているとのことであるが金網の外からは確認できなかった。 



弥勒・釈迦石仏50選(9)   金屋石仏
奈良県桜井市金屋  「平安時代後期」 
弥勒如来
釈迦如来
 大神神社から南へと山辺の道は続いていて、大神神社から300m進むと大神神社の廃仏毀釈が起こるまで神宮寺として栄え、昭和52年3月に復興された平等寺がある。そこから細い道を250mほど歩くと金屋石仏がある。金屋石仏は元々、三輪山の南の「みろく谷」にあったもので、廃仏毀釈後ここに移されたと言う。初めて金屋石仏を見た、50年ほど前は木造の覆屋に入っていたが、現在はコンクリートで造られた立派な収蔵庫に安置されている。

 金屋石仏は2枚の高さ213pと215p、幅82pと88p、厚さ約20pの板石に、各1体の如来形立像が薄肉彫りされたもので、向かって右が釈迦如来、左が弥勒如来と伝えられている。共に線を陽刻した二重円光背を背負って、蓮華座に立つ如来形像の薄肉彫りで、右の釈迦如来像は像高164pで、両手を上げて指を捻じる説法印、左の弥勒如来は像高163pで、右手をあげて施無畏印、左手は与願印を示す。幾筋の衣紋線を省略せずに彫り出している。面相は重厚で、肩幅の広い堂々とした体部で、複雑な説法印も違和感なく見事に彫りあげていて、浮き彫り像の傑作である。

 各板石とも片方にはめ込み用の浅い作り出しがあり、下面にほぞがあり、「みろく谷」にあった石厨子の扉と扉だという説がある。しかし、現在でははめ込み用の浅い作り出しは、組み立て式石棺に見られる技法として、古墳石棺材を利用したものと考えられている。造立年代については平安後期以外に平安初期や鎌倉初期の説もある。 



             
令和3年1月6日撮影  地元の山の桜園にて
トラツグミ・ルリビタキ♀
今シーズン初めてトラツグミを見たのですが、警戒心が強く、証拠写真しか撮れませんでした。
ルリビタキ♀は桜園の隣の葡萄畑にいました。



                                                     
令和3年1月5日撮影  地元のハイキングコース・山の池・近所の大きなため池にて
ハヤブサ・オシドリ・ミコアイサ
 ハイキングコースを登って地元の山の上の池に行きました。ハイキングコースでは年末の28日で撮ったアカゲラ・ウソがねらいです。アカゲラは鳴き声は聞こえましたが姿を見ることができませんでした。アカゲラを探そうと木の上見ていた時、遠くの送電線の鉄塔に鷹のような鳥がとまっているのを見つけました。
 写した後、モニターでアップして見ると腹部が白くハヤブサのようです。地元の山で初めて撮影したハヤブサなので何とかトリミングして4画像載せました。
 地元の山の池に架かる橋から見下ろすと、キンクロハジロが10羽ほど泳いでるだけで、オシドリは見られませんでした。しばらく待っていると、岸辺の木の下から数羽のオシドリが姿を見せました。1羽の雄が突然、羽ばたきました。
 この後、オシドリは木の下や岸に隠れてしまいました。そこで、オシドリの声が聞こえていた入り江に面した駐車場に回り、駐車場からオシドリを撮りました。
入り江でもオシドリは羽ばたいていました。
 橋の上に戻り、年末にいたトモエガモを探したのですが、見られませんでした。1羽のオシドリが橋の下まで近づいて来ました。
 午前中は大きなため池に行きました。カンムリカイツブリは見られませんでしたが、ミコアイサは滞在しています。広いため池のためなかなか近くでは撮影できません。
大きなため池の隣のため池にもミコアイサがいました。時々、羽ばたきます。
人が近づいたため、突然、数羽のミコアイサが飛び立ちました。
カメラで飛び出したミコアイサを追うと、隣の大きなため池に降りました。



                            
令和3年1月4日撮影  山の上の桜園と近くの川にて
ルリビタキ♀・ジョウビタキ・タシギ・ホオジロ♀
山の上の桜園でルリビタキ♀やジョウビタキを撮りました。久しぶりのこの桜園での野鳥の撮影です。
山の桜園からの帰りに近くの川に寄りました。川の横の水路にはタシギがいました。
この水路にはよくタシギがいるのですが、今日は6羽いました。群れにならず数メートル離れて単独でいました。
河川敷にいたジョウビタキ♀です。
ホオジロ♀です。


12月