令和7年5月7日撮影 隣町の山にて |
キビタキ |
この日も地元の山の上の桜園でキビタキを撮影しました。5日に撮影した桜園とは数百メートル離れた別の桜園での撮影です。水浴びでもしていたのか、腹部の羽が乱れていました。 |
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5日に撮影した桜園にも行きました。キビタキはいたのですが近づいてくれませんでした。その時、何とか撮影したキビタキです。 |
令和7年5月7日 奈良市内の石仏(3) 新薬師寺の石仏 |
奈良市内の石仏(3) 新薬師寺の石仏 |
奈良市高畑町1352 |
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新薬師寺は天平19年(747)に光明皇后が、聖武天皇の眼病が治るように建立した。かつては七堂伽藍が整った由緒ある寺院であるが、創建当時の建物は本堂(国宝)のみがとなっている。本尊木造薬師如来坐像(国宝)とそれを囲む等身大の奈良時代の塑造十二神将立像(国宝)が有名である。 その新薬師寺の境内の南の端に多くの石仏を集めた覆堂があり、芳山二尊石仏に似た奈良時代後期の如来立像をはじめとして多くの石仏や板碑が安置されている。覆堂の中央には永正3年の造立銘のある地蔵石仏と鎌倉後期の阿弥陀石仏が安置され、地蔵石仏の向かって左に奈良時代後期の如来立像がある。如来立像の向かって左には鎌倉時代の地蔵十王石仏が置かれている。 他に覆堂には名号石や大永5年の地蔵石仏などがある。他に稲荷社の北にも多くの石仏が置かれていて、その中には双仏石や古式の地蔵石仏などがある。。 |
如来立像石仏 |
「奈良時代後期」 |
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地蔵十王石仏の向かって右に芳山二尊石仏と似た如来立像の石仏が安置されている。高さ1.5mほどの不整形の自然石に、高さ138㎝の二重円光背を彫りくぼめ、像高109㎝の蓮華座に立つ如来像を半肉彫りしたもので、右手を胸前に上げて掌を下に、左手は腹のあたりで掌を上にした珍しい印相の石仏である。 薄い納衣をまとった重量感のある体躯、裾前からの円状の衣紋、張りのある厳しい面相など、奈良奥山の芳山二尊石仏と共通する。奈良時代後期の作と考えられる。 |
地蔵十王石仏 |
「鎌倉後期」 |
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芳山二尊石仏に似た如来立像の側に総高90㎝程の地蔵十王石仏が立っている。船型光背を造り、白毫寺と同じく、錫杖を持たない像高75㎝の地蔵で、右手は人差し指を捻じた施無畏印である。摩滅が進んでいるが引き締まった顔で衣紋表現も巧みで鎌倉後期の様式を示す。 光背の左右に5体の十王像を浮き彫りにしている。光背の上部には獄卒と思われる人物や馬や鳥が刻まれていて、地獄に落ちた冥府の世界を表していると思われる。 |
阿弥陀石仏 |
「鎌倉後期」 |
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新薬師寺の境内の南の端の地蔵十王石仏など多くの石仏を集めた覆堂にある。永正三(1506)年の地蔵石仏の向かって右にある阿弥陀石仏である。この覆堂では一番大きな石仏である。 蓮華座下部が土の中に埋まっていて正確な高さはわからないが高さ190㎝以上の船型光背を背負った、厚肉彫りの像高155㎝の来迎印阿弥陀立像である。頭部は丸彫りに近く、鎌倉後期の作風を示す重厚な阿弥陀石仏である。 |
永正三年地蔵石仏 |
「永正3(1525)年 室町時代」 |
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新薬師寺の境内の南の端の地蔵十王石仏など多くの石仏を集めた覆堂にある。高さ180㎝の船型光背を背負った、右手に錫杖、左手に宝珠を持った蓮華座に立つ像高121㎝の地蔵菩薩の半肉彫り像である。 像の左右に「為八万四千大塔婆供養也 永正三年丙寅二月廿四日寺家宗」の刻銘があり、重宗なる人物が、八万四千の塔婆の供養のため造立したことがわかる。(インドの阿育(アショカ)王が八万四千もの仏舎利塔を 各地に建立し仏教を全国に広めた故事に由来する。)室町時代になると庶民の中でも塔婆造立供養が盛んにおこなわれるようになり、そのような供養のためにこの地蔵石仏が造られた。 |
古式の様相の地蔵石仏 |
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境内の南西の土塀に双仏石など多くの石仏が並べられている。その石仏群の中央に円光背を背負った丸彫りの地蔵石仏がある。右手を下げて与願印、左手を胸前に上げて宝珠を持って立つ古式の様相の地蔵菩薩である。 |
令和7年5月5日撮影 隣町の山にて |
キビタキ |
この日もキビタキを撮影しました。撮ったのは地元の山の上の桜園です。2羽の雄が絡みいながら飛んだり、桜の枝にとまって囀っていました。桜の枝が交錯していて撮りにくく、何とか1羽だけ撮影できました。 |
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令和7年5月4日撮影 隣町の山にて |
キビタキ |
隣町の山の5羽のでキビタキを見ました。そのうち撮影できたのは2羽でした。ただ、枝かぶりだったり、逆光の空抜けだったりしてあまり良い写真は撮れませんでした。 |
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令和7年5月2日撮影 近くの水田地帯にて |
セッカ |
ここ10年ほどいつも行く水田地帯では裏作として麦を栽培するようになりました。その麦畑で毎年よくセッカを撮影していました。行ってみるとセッカの鳴き声が数か所で聞こえるのですが、麦畑ではあまり聞こえません。セッカの鳴き声が聞こえてくるのは水害対策のため遊水地などになる予定の耕作放棄地でした。そこで遠くの草叢の枯草にとまったセッカを撮影しました。 |
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令和7年5月3日 さつま町の田の神(3) |
時吉の田の神 |
鹿児島県薩摩郡さつま時吉 「寛政11(1799)年」 |
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左手に大きなメシゲを持ち、矛のようなものを右手に持つた田の神像で、大きな舟形の石に薄肉彫りしたものである。シキを被らず、角髪(みずら)のような髪型をしていて、古事記などに登場する神か、仙人を思わせる珍しい田の神像である。 |
上狩宿の田の神 |
鹿児島県薩摩郡さつま町求名上狩宿 「寛政11(1799)年」 |
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しわ寄せた顔がユニークな丸坊主の僧風の田の神で、右手にメシゲを持ち、左手を輪組または拳にする。被るシキを宝珠光背のように線彫りで表現している。 |
別野の田の神 |
鹿児島県薩摩郡さつま町中津川別野 「昭和54年(1979)」 |
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別野の田の神は「別野」のバス停の北、訳50mの水田のあぜ道に祀られている。あごが大きく面長で垂れ目の顔に特徴のある田の神で、右手にメシゲ、左手にスリコギのようなものを持つ。頭部はシキを被っているように見えず、おかっぱか丸髷の髪のように見える。丸髷だとすると女子像型の田の神となるが? 背面に「昭和五十四年(1979)」の紀年銘がある。 |
令和7年5月1日 近くのため池にて |
キビタキ |
小さなため池でヨシガモを撮影した後、近くにあるカンムリカイツブリが求愛行動をしていた大きなため池に行きました。葭原などカンムリカイツブリが卵を産み、子育てをする場所がない池なので、カンムリカイツブリはやはり姿を消していました。この池にもヨシガモが数羽いたのですが、顔を羽根にうずめて休んでいて、載せるような写真は撮れませんでした。あきらめて帰ろうとした時、ため池の横の竹林からキビタキの囀りが聞こえてきました。なんとか粘ってキビタキを撮影できました。 |
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藤の花とヨシガモ |
近くの小さなため池に行きました。3月までカイツブリやキンクロハジロ・カルガモいたため池です。ねらいはカイツブリの親子でしたが、カイツブリは見られませんでした。いたのは冬鳥のヨシガモでした。岸には藤の木があって、花が咲いた枝が水面近くまで垂れていました。ヨシガモと藤の花の組み合わせは珍しいと思って藤の花とヨシガモの写真をアップしました。 |
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左はヨシガモの雌です。 |
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令和7年4月30日 少し遠くの大きなため池にて |
コアジサシ |
釣り桟橋の残骸に5羽ののコアジサシがとまっていました。他に数羽のコアジサシが飛び回っていました。この日は給餌する場面は見られませんでした。時々、コアジサシは釣り桟橋から飛び立ち、池にダイブして小魚を撮ったり、互いに追いかけあいをしていました。 |
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令和7年4月29日 隣町の山にて |
キビタキ |
隣町の県境近くの山で毎年キビタキを撮影しています。毎年キビタキが姿を見せるポイントが数か所あって、今日はそのうち、2か所でキビタキを撮影しました。 |
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毎年、必ずキビタキを撮影しているポイントに行くとキビタキの鳴き声が聞こえてきました。しばらく、カメラを構えて待っていると近くの枝にとまってくれました。 |
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もう1ヶ所で撮影したキビタキは枝被りばかりで、何とか全身を写せたのはこの写真だけでした。 |
令和7年4月26日撮影 地元の山の上の桜園にて |
ビンズイ・キビタキ |
久しぶりに地元の山の上の公園の桜園に行きました。春から秋にかけて夏鳥のキビタキやコサメビタキ・オオルリ・サメビタキ、旅鳥のエゾビタキ・ムギマキなどをよく撮影していた桜園ですが、ここ数年はあまり見られなくなりました。 |
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何とかキビタキぐらいは撮影したいと思っていたのですが、山の上の数か所ある桜園を周ってみてもビンズイしか見られませんでした。 |
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最後に行った数百メートル離れた山の中腹の桜園で、ようやくキビタキに会えました。 |
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令和7年4月24日撮影 少し遠くの大きなため池にて |
コアジサシの求愛給餌 |
今年もこのため池にコアジサシが姿を見せました。10羽ほどのコアジサシがいて釣り用桟橋の残骸がに3羽から5羽ほど休んでいます。また、5羽ほどは鳴きながら飛びまわり、時々、ホバリングして水面に飛び込みます。そして、小魚を咥えて桟橋の残骸にいるコアジサシに小魚を与えます。そのコアジサシの給餌場面を集めて載せました。給餌は雄が雌に餌を与える求愛給餌と思われます。20分間の間に小魚を咥えたコアジサシ雄が釣り桟橋の残骸にいる雌に何回も給餌していました。 |
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令和7年4月22日撮影 隣町の山にて |
センダイムシクイ・ウグイス |
3日連続で隣町の山へ行きました。ねらいはオオルリとキビタキだったのですが、撮影できませんでした(キビタキは2か所で鳴き声を聞いたのですが)。 他にアオゲラの鳴き声も聞きました。センダイムシクイとウグイスはあちこちで鳴いて撮影できました。 |
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コナラの林で撮影したセンダイムシクイです。 |
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センダイムシクイのいたコナラの林にはウグイスがいました。 |
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青虫を捕食したよぅです。 |
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令和7年4月21日撮影 隣町と地元の山にて |
センダイムシクイ・キビタキ |
前日の20日にセンダイムシクイを撮影した隣町のコナラの林でこの日もセンダイムシクイを撮影しました。前日と比べると近くで撮影できたのですが、小枝が邪魔になってなかなか良い写真にはなりませんでした。 |
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地元の山の麓の森によってキビタキを撮りました。暗い森の遠くの木にとまった写真しか撮れませんでした。露出補正して載せました。 |
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令和7年4月20日撮影 隣町の山にて |
オオルリ |
センダイムシクイを見つけて、撮ろうとしていた時、近くでく別の鳥のさえずりを聞いたので、望遠レンズを向けてみるとオオルリでした。久しぶりのオオルリです。 |
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高い木の上で鳴いているので見上げるように撮ったため空抜けの写真になりました。 |
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センダイムシクイ・ソウシチョウ |
地元や隣町の山を周ってセンダイムシクイを撮ろうとしていたのですが、撮影できませんでした。今日、ようや隣町のコナラの林で「チョチョビー チョチョビー」と鳴くセンダイムシクイを見つけて、撮影できました。高いコナラの木の上のほうとまって鳴いていたため、空抜けの写真しか撮れませんでした。 |
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センダイムシクイ以外にウグイス・ソウシチョウの鳴き声があちこちから聞こえました。ウグイスは撮影できませんでしたが、ソウシチョウは何とか撮影できました。 |
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令和7年4月19日撮影 地元の山にて |
キビタキ |
3日連続のキビタキの撮影です。この日は近くでとることができました。 |
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令和7年4月19日撮影 地元にて |
チョウゲンボウ |
この日も公共施設のアンテナにチョウゲンボウはとまっていました。 |
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令和7年4月18日撮影 地元の山にて |
キビタキ |
前日に引き続いてキビタキを撮影しました。この日はなかなか近づいてくれませんでした。 |
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令和7年4月17日 地元の山にて |
キビタキ |
地元の山の麓の森でキビタキを見つけました。今年初のキビタキです。 |
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令和7年4月16日撮影 近くの大きな公園にて |
ニュウナイスズメ |
花が咲いたコナラの木から「チュチュ チーチュ チーチュ チュチュ チチョ」と鳴き声が聞こえています。「メジロにしては高い声でテンポが速いなあ」と思いながら目を凝らして黄緑色の若葉と花のコナラの木を見てみるとニュウナイスズメでした。 |
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雌のニュウナイスズメです。 |
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令和7年4月15日撮影 地元と近くの山にて |
クロジ |
15日に近くの山の数本のコナラの木の下で撮影したクロジの雄と雌です。地元や隣町の山を周ってキビタキかセンダイムシクイを撮ろうとしていたのですが、撮影できませんでした。何とかアップできる野鳥を撮ろうと近くの山にいきました。 |
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雄は2回姿を見せたのですが、それぞれ違う個体と思われます。 |
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雌も2回姿を見せました。 |
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令和7年4月14日 さつま町の田の神(2) |
下狩宿の田の神 |
鹿児島県薩摩郡さつま町求名下狩宿 |
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薩摩川内市やさつま町には並立型田の神像から派生したと思われる女子像の田の神が10体以上見られる。女子像型の田の神の分布は並立型の田の神とほぼ一致していて、並立型で明らかに女子像を意識して彫ることが始まり、その女子像型だけが独立してつくられたと考えられる。並立型田の神像の最も古いものは湯原の田の神で寛保3年(1743)、女子像型田の神の最も古いものは出水市の平岩田の田の神(さつま町の宮之城方面からオットッタ<盗んできた>という伝承あり)で「天明4年(1784)」でその説に矛盾はしない。 下狩宿の田の神は女人像の田の神像の中でも特に美しい田の神である。さつま町求名の下狩宿(しもかりじゅく)の比叡神社境内にあり、船型の石材に船型の彫り窪みをつくり、髷を結い長い袖での着物で袴をはき、手鏡のような小さなメシゲを持ってすらっと立つ女子像を半肉彫りしたものである。美しく気品ある顔や姿は印象に残る。 |
柊野下の田の神 |
鹿児島県薩摩郡さつま町柊野柊野下 |
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柊野下の田の神は下狩宿の田の神と同じく髷を結い長い袖での着物で袴をはき、手鏡のような小さなメシゲを持った女子像型の田の神像である。下狩宿の田の神のようなすらっとした姿ではなく4頭身で庶民的な雰囲気の田の神像である。 |
令和7年4月12日撮影 地元の山にて |
ヤマガラ |
地元の山の小さな公園にいたヤマガラです。3羽いました。 |
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アオムシを咥えていました。 |
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アオムシを足で抑えて食べようとしていました。 |
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アオムシをちぎって食べました。 |
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令和7年4月10日撮影 地元と近くの山にて |
クロジ |
近くの山の数本のコナラの木の下にはクロジが、次々と姿を見せました。 |
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最初に姿を見せたのは雌です。2羽いました。 |
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雄は3羽いました。3羽とも肩羽・雨覆・風切などの羽は茶色味が少なくなり夏羽になっています。 |
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チョウゲンボウ・シロハラ・アオジ |
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地元の公共施設でチョウゲンボウを撮ろうといってみると、チョウゲンボウがアンテナにとまっていました。車からカメラを出して三脚をセットしていると飛び立ってしまいました。あきらめて帰ろうとした時、高い上空を旋回しているチョウゲンボウを見つけて、カメラを向けました。何とか小さく見えるチョウゲンボウを撮影しました。それが、大きくトリミングしたこの写真です。 |
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チョウゲンボウが飛び去ってしまったので、クロジやシロハラ、ルリビタキ♀がいる近くの山へ行きました。そこで写したシロハラです。 |
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アオジも姿を見せました。 |
令和7年4月9日撮影 近くの大きなため池にて |
魚を飲み込むカンムリカイツブリ |
池面は寂しくなり数羽のオオバンと3羽ほどのカイツブリずいるだけでした。目当てのカンムリカイツブリも見当たりませんでした。池の周りを半周してようやく1羽のカンムリカイツブリを見つけ、数枚撮影しました。遠くへ去ってしまったので、池を一周して、他の鳥を探したのですが、カイツブリとオオバンしか見ませんでした。一周し終えた時、先ほどのカンムリカイツブリを見つけました。カンムリカイツブリが潜水して浮かび上がった瞬間、カメラを向けてみると大きな魚を咥えていました。カンムリカイツブリはその後数分間、悪戦苦闘しながら大きな魚を飲み込みました。 |
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令和7年4月9日撮影 近くの川にて |
イワツバメ |
近く川のコンクリートの橋の下でイワツバメが巣づくりをしていました。 |
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令和7年4月7日撮影 近くの川にて |
コガモ・コチドリ |
近くの小さな川に行きました。ねらいは川岸の桜のニュウナイスズメとカワセミだったのですがどちらも撮影できず。撮ったのはコガモとコチドリでした。 |
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数日前までヒドリガモもいたのですが、北へ渡ったのかいたのは冬鳥のカモではコガモだけでした。 |
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川岸にコチドリがいました。 |
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令和7年4月7日撮影 地元にて |
チョウゲンボウ |
地元の公共施設の換気口でチョウゲンボウが毎年、巣作りをします。いつも4、5羽の雛が生まれ巣立っていきます。少し早いかなと思いながら期待して訪れてみると、チョウゲンボウが施設の屋上のテレビアンテナにとまっていました。 |
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令和7年4月6日撮影 地元にて |
桜にメジロ・ニュウナイスズメ |
地元の川の近くの桜でメジロとニュウナイスズメを撮影しました。 |
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ニュウナイスズメぱ雌を一羽見つけただけです。あまりいい所にとまってくれませんでした。 |
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令和7年市4月5日撮影 地元の山の上の公園と池にて |
桜にメジロ・コゲラ・オシドリ |
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山の上の桜園の桜は満開です。桜に来たメジロを撮影しました。しかし、曇天で見上げるように撮影した桜の花と空抜けのメジロの逆光の写真はくすんだ色でさえませんでした。 |
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桜園のコゲラの雄です。頭部の赤い羽が目立たないことが多いのですが、このコゲラは赤い羽がよくわかります。 |
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山の上の公園から山の池に寄り、オシドリを撮影して帰りました。 |
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令和7年4月4日撮影 近くの大きなため池にて |
カンムリカイツブリの求愛行動 |
この日はカンムリカイツブリの求愛行動を2回見ました。 |
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カンムリカイツブリ |
近くの大きなため池の夏羽のカンムリカイツブリです。このまま、この池で過ごしてくれたらいいのですが。 |
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令和7年4月3日 少し遠くの公園にて |
コチドリ・ジョウビタキ♀ |
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葦が刈り取られた湿地でクイナ・ヒクイナの撮影を狙っていたのですがどちらも姿を見せませんでしたが、コチドリを撮ることができました。刈り取られた葦のあとが被り、全身をきれいに撮影できませんでした。 |
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アリスイをよく撮影していた場所でジョウビタキ♀を殺意しました。 |
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キジ |
アリスイ・クイナ・ヒクイナ・タシギなどを撮影しようとしてこの公園に来たのですが、残念ながらこれらの鳥は見ることはできませんでした。その代わり、撮影できたのはキジでした。少し遠かったですが何とか撮影できました。 |
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令和7年4月2日 さつま町の田の神(1) |
薩摩の田の神さぁ1 (さつま町) |
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鹿児島県の中北部に位置するさつま町には、あまり知られていないがシキを被りメシゲを持った田の神の中でありながら端正な姿で静かに立つ「山崎麓の田の神」や美しく気品ある顔や姿の女子像型の田の神の「下狩宿の田の神」など優れた田の神像がある。また、「下狩宿の田の神」以外にも「大角の田の神」などの女子像型の田の神や角髪(みずら)のような髪型をしていて、古事記などに登場する神か、仙人を思わせる田の神像の「時吉の田の神」などユニークで珍しい田の神があり、是非とも田の神探訪に訪れてほしい場所の1つである。 |
山崎麓の田の神 |
鹿児島県薩摩郡さつま町山崎上 「寛政5(1793)」 |
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さつま町山崎上は「地頭仮屋跡」などがあり、麓集落の名残が残る。「山崎麓の田の神」は「地頭仮屋跡」から200mほど離れた、石垣で囲まれた家の前にある。 シキを被りメシゲを持った田の神の中には、端正な姿で静かに立つ、神職をモデルにした田の神が薩摩地方に何体かある。その代表といえるのがこの「山崎麓の田の神」である。着衣は上級公卿の日常着の直衣で、衣冠束帯の神官型立像の田の神が、シキをかぶりメシゲを持ち田の神舞を踊る神官の田の神に変化していった典型的な例である。着衣の袖や裾など膨らみのある写実的な曲線で端正な顔と共に柔和な表現となっている。鹿児島の田の神を代表する像の一つである。背面に「寛政五年(1793)三月吉日」の紀年銘がある。 |
大角の田の神 |
鹿児島県薩摩郡さつま町虎居大角 「文化二年(1805)」 |
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薩摩川内市やさつま町には並立型田の神像から派生したと思われる女子像の田の神が10体以上見られる。女子像型の田の神の分布は並立型の田の神とほぼ一致していて、並立型で明らかに女子像を意識して彫ることが始まり、その女子像型だけが独立してつくられたと考えられる。 女子像の田の神でよく知られてる田の神の一つがさつま町虎居にある大角の田の神である。自然石の前面を平らにして、舟形に彫り窪めて半肉彫りしたもので、髷を結い、その頭部に櫛をさしている。右手に小さなメシゲをたらして持つている。田の神サア50選で紹介した下狩宿の田の神と同じように長い袖での着物であるが袴は裁着け袴のように見え、華やかさはなく農作業姿のように見える。 |