「フォトギャラリー 石仏と野鳥」 新版  2019年3月
 
2月

 
2019.3.24           磨崖仏100選(61)   赤水岩堂観音磨崖仏
鹿児島県霧島市横川町赤水城ヶ崎岩堂  「建武2(1335)年 南北朝時代」
 天降川の中流域は新川温泉郷で妙見温泉や天降川温泉なと風情ある温泉が多くある。その新川温泉郷の北の端がラムネ温泉と塩浸温泉である。ラムネ温泉から北は天降川沿いの道もなくなり天降川は深い渓谷になる。その渓谷近くの岸壁に岩堂観音磨崖仏がある。岩堂観音磨崖仏へは、谷の北の尾根づたいに細い農道を降りていく。案内板がなければたどり着けない山の中にある。

 秘境を思わせる深い谷の大岸壁に、高さ1.4m、幅3.5m、深さ0.5mの龕を穿ち、阿弥陀三尊を厚肉彫りする。中尊は上品上生の阿弥陀如来で非常に量感のある充実した磨崖仏である。左右に観音・勢至の立像がある。

 阿弥陀如来といえば、定朝作の平等院阿弥陀如来座像に代表されるような情感豊かな優美な仏といったイメージが強い。しかし、この阿弥陀如来は、逞しく力強く、どことなく上野公園の西郷さんの銅像の顔に似ていて、平等院像とは、また違った阿弥陀如来の慈悲の奥深さを感じられる秀作である。  建武2年(1335)の銘があり、南北朝時代初期の作である。 


 
磨崖仏100選(62)   小路磨崖仏 
 鹿児島県薩摩川内市東郷町三ヶ郷小路 「永正14年(1517)  室町時代後期」
 中世の山城、東郷渋谷一族の鶴ヶ丘城跡の岸壁に彫られた磨崖仏である。小像であるが宝冠や衣に赤い着色が残り印象的な磨崖仏である。

  宝冠をかぶっている為、一見して胎蔵界大日如来にみえる。しかし、上部に(キリーク)とあるので阿弥陀如来であることがわかる。

 この像は紅玻璃式阿弥陀如来座像で、大衆に人気のあった阿弥陀如来を密教の最高仏、大日如来に近づけようと、宝冠をかぶらせた上に仏身全体を玻璃(ガラス) 光沢で赤を塗った阿弥陀如来で、高野山櫻池院の絹本図幅に遺存するのから始まったという。石仏ではわが国唯一のものである。永正十四年丁丑(1517年)九月八日の銘がある。


2019.3.23撮影                      桜園のメジロ            地元の山の上の桜園にて
 桜園とその隣の公園では早咲きの桜が3種類咲いています。桜園の早咲きの桜は大寒桜ではないかと思うのですが?。公園の桜は河津桜です。共に、メジロが密を吸いに来ています。
公園の河津桜は散り始め、青い葉が目立つ始めていますが、メジロは満開の時よりはよく来ています。
 桜園の大寒桜と思える桜も散り始めです。ここには、咲き始めの頃からよくメジロが来て密を吸っています。ここのメジロは花粉で嘴のまわりがオレンジ色になっています。

2019.3.23               ミヤマホオジロ           地元の山の上の桜園にて
桜園で今日もミヤマホオジロを撮影しました。今日は雄3羽見ました。

2019.3.22               我が家の庭のジョウビタキ・山の公園のアトリ           
 我が家の裏の空き地には11月頃からジョウビタキがいてよく、朝早くから鳴いています。今日は我が家の庭との境のブロック塀の上で気持ちよさそうに澄んだ声でヒッ、ヒッと鳴いていました。
ジョウビタキを撮影した後、県境近くの山の公園に向かいました。
2日前と同じくアトリを撮しました。
雄は足を顔の所に持ってきて羽づくろいをしています。雌は尾羽を広げていました。
頭部の黒が鮮やかなアトリでした。

2019.3.21               ミヤマホオジロ           地元の山の上の桜園にて
桜園で九日ぶりにミヤマホオジロを撮影しました。
ソメイヨシノの枝にとまったミヤマホオジロです。ソメイヨシノのつぼみが赤く色づいています。
桜園から隣の耕作放棄地に移った3羽のミヤマホオジロが雑木にとまっていました。
羽づくろいをするミヤマホオジロです。
1羽のミヤマホオジロは尾羽を広げていました。

 
2019.3.21    守屋貞治の石仏50体(7)〜(12) 海岸寺百観音、西国三十三所観音石仏
山梨県北杜市須玉町上津金1222 「文化11(1814)年頃〜文政7(1824)年  50歳代」
十一面千手観音観音観音(5番葛井寺) 
十一面観音観音(8番長谷寺) 
不空羂索観音(9番南円堂) 
十一面観音観音(24番中山寺) 
如意輪観音(27番圓教寺) 
如意輪観音(29番松尾寺) 
 八ヶ岳の南、津金山の南腹に構える海岸寺は、行基菩薩が庵をひらいたのが始まりという古刹である。 応安年間(1368〜1375年)に鎌倉・建長寺より石室善玖和尚を招いて、律宗から、臨済宗に改め、海岸寺の開祖としたという。海抜約千mの位置にあり、 南アルプスの連峰と相対する眺望を誇っている。

 その海岸寺にある百観音石仏や地蔵石仏は一部を除いて、全て、守屋貞治が、 願王和尚と親交のあった桃渓和尚の依頼を受け、文化11年頃から10年の歳月をかけて彫ったものである。貞治の代表作といってもよい作品群で、油が乗り切り、気力充実した50代の傑作である。 特に最初に手がけた西国三十所観音の各像は穏やかで引き締まった顔で、精緻な彫りの石仏である。特にここにあげた8番長谷寺十一面観音・27番圓教寺如意輪観音・24番中山寺十一面観音・9番南円堂不空羂索観音などは印象に残る秀作である。

2019.3.20                   アオゲラ・アトリ・ヤマガラ            県境近くの山の公園にて
久しぶりにアオゲラを撮りましたが、逆光の枝かぶりでまともな写真になりませんでした。
ミヤマホオジロのポイントではアトリしか撮影できませんでした。
頭部の黒が鮮やかなアトリでした。
雌のアトリです。
桜の芽を食べるヤマガラです。

2019.3.17・18撮影                  桜園のメジロ            地元の山の上の桜園にて
17日の桜園は早咲きの桜が咲いているところ以外の場所では鳥の姿はなく、桜の密を吸うメジロしか撮れませんでした。
桜園の隣の公園では50本ほどの河津桜が咲いてます。昨日はいなかったメジロが密を吸いに来ていました。(3月18日撮影)

2019.3.18撮影   イカル・シメ・ジョウビタキ・アオジ・ホオジロ     古墳のある公園にて
                            
 イカルはよく行く2つの公園や地元の山では当たり前のように見る鳥だったのですが、今シーズンはイカルをあまり見ていません。撮影したのはいつも、1羽のイカルです。今日も、シメの群れに交ざっていた1羽を撮りました。茂った木の中にいて枝かぶりでまともに撮れませんでした。
今年はシメをよく見かけます。この公園でシメを見なかったことはこの冬はほとんどありません。
ジョウビタキもよく見かけます。今日も梅園にいましたが、残り少ない満開の梅の木にはとまってくれませんでした。
アオジの採食です。
ホオジロとシジュウガラが競うように木の上で鳴いていました。空を見上げるように気持ちよく鳴いているメジロです。

 
2019.3.17            磨崖仏100選(59)   普光寺磨崖仏
大分県豊後大野市朝地町大字上尾塚  「鎌倉時代」
不動三尊磨崖仏
多聞天立像磨崖仏
 普光寺の本堂から谷を隔てた、高さ20m、幅10mの大岸壁に、高さ約8mの巨大な不動明王像と2童子が彫られている。不動は右手剣、左手索の半肉彫り座像である。遠くから見ると扁平な印象を受けるが、近づくとかなり量感が感じられる。線彫りの像をのぞくとわが国の磨崖仏では最大教の巨像である。一面に紫陽花の花が咲いた谷を隔ててこの赤茶色の磨崖仏を見た時の印象は忘れられない。

 不動明王像の、向かって右手に、石窟が2カ所あり、その一カ所に護摩堂がはめ込まれるように建てられ、その右窟壁面に高さ3mの多聞天の半肉彫りの磨崖仏がある。不動明王像より古い様式をしめす力強い表現の磨崖仏である。

 普光寺は豊肥本線の朝地駅の南の山中にある。最近、道が整備されて、観光バスも駐車場まで行けるようになった。


 
磨崖仏100選(60)   鹿谷阿弥陀三尊磨崖仏
宮崎県串間市福島鹿谷  「永仁六年(1298) 鎌倉時代後期」
宮崎県の南部、串間市の鹿谷に鎌倉時代の阿弥陀三尊磨崖仏がある。鹿谷の集落の西300m、県道ぞいの、高さ約250p、幅約220pの大きな凝灰岩の岩に阿弥陀三尊を厚肉彫りしたものである。道からやや下がったところにあるためうっかりすると見過ごしてしまう。

 阿弥陀如来像は、摩滅のためか、他の鎌倉時代の磨崖仏と比べると鋭さや厳しさがないが、面長の優しそうな目をした顔がすばらしい。額付近が右から左に斜め帯状に剥落しているため、正面から見ると顔を傾けているように見える。

 三尊像の左に石塔があり、「願以此功徳、普及於一切、我等与衆生、皆共成仏道」の願文と「永仁六年(1298)」の年号が墨で書かれている。また、その横には、一石に彫られた五輪塔があり、これも市指定有形文化財である。

 なお、この磨崖仏には「鉄砲の腕を自慢するため、向かいの飯盛山から三尊に鉄砲を撃ちかけ、観音にあたり、天罰を受け狂い死んだ。」という伝説が残っている。(「串間の民話と伝説」串間市教育委員会参照)


 
2019.3.16             守屋貞治の石仏50体(6)   大聖不動明王
長野県伊那市高遠町勝間  「文政年代 50歳代」
 高遠を流れる三峰川は、たびたび洪水をおこした。その氾濫を鎮めるために、水切り不動として造立したのか、高遠町勝間の 常盤橋西袂にある、全長1.5mの大聖不動明王である。貞司の最高傑作の一つである。大火焔を背に右手で剣を構え、左手に羂索を持った座像で、眼下を流れる三峰川を静めるかのように、憤怒相で見つめている。

2019.3.15撮影             桜にメジロ・ビンズイ・カシラダカ       地元の山の上の桜園にて
 桜園の早咲きの桜は八分咲きになり、ヒヨドリとメジロが密を求めて多数来ています。メジロの嘴の周りが花粉でオレンジ色になっています。
桜園の隣の公園にはビンズイとカシラダカがいました。

 
2019.3.15             磨崖仏100選(56)   元宮磨崖仏
大分県豊後高田市真中字宮田  「鎌倉時代後期」
多聞天
不動明王・矜羯羅童子
 田染郷の総社であった八幡神社の北側の凝灰岩層の岩壁に6体の立像を半肉彫りする。向かって左から地蔵菩薩・持国天・欠損像(セイタカ童子)・不動明王・矜羯羅童子・多聞天である。いずれも穏やかな表情で、鎌倉末期から室町初期の作と思われる。


 
磨崖仏100選(57)   臼杵門前磨崖仏
大分県臼杵市大字前田字大日  「鎌倉時代」
不動明王・矜羯羅童子
 臼杵にはもう一つ平安後期〜鎌倉時代の磨崖仏がある。臼杵磨崖仏の北、臼杵川沿いの小高い丘の麓にある門前(もんぜ)磨崖仏がそれである。臼杵石仏の一部として国の特別史跡に指定されている。2mほどの如来形座像を中心に、不動明王像などが残っている。不動明王以外は破損が甚だしい。

  定印如来形座像の左右に菩薩形座像と思われる像があり、三尊形式になっていたと思われる。面相も体躯もいたみが激しいが、堂々たる像で、臼杵の石仏群と通じるところがある。藤原時代の制作と考えられる。

 不動明王は像高150pの厚肉彫りの立像で、石仏には珍しい八頭身のすらっとした姿体である。鼻が欠けているが、保存状態はよく、木彫仏の様な写実的な磨崖仏である。鎌倉時代の作と考えられる。二童子が不動の左手に並んで配されているのが珍しい。


 
磨崖仏100選(58)   犬飼不動磨崖仏
大分県豊後大野市犬飼町田原渡名瀬  「鎌倉時代」
 岩層にさしかけて建てた覆堂の中にある。凝灰岩の岩層に像高約3.8mの不動明王と像高約1.7mの制多迦童子と矜羯羅童子を厚肉彫りしたものである。不動明王は右手に剣、左手に索を持つ結跏趺坐像である。温和な作風であるが、堂内で間近に見ると、押しつぶされるような圧迫感がある。体躯の所々に赤色の彩色が残る。


2019.3.14撮影         河津桜にメジロ・ジョウビタキ        古墳のある公園にて
                   
 去年の今頃、サンシュユの木にとまるカワセミを撮影した池に行きましたが、サンシュユの花は咲いていましたがカワセミは姿を見せませんでした。結局、撮影できたのは10日ほど前と同じはカワヅザクラの花の密を求めてくるメジロとジョウビタキでした。
今日は10羽近いメジロの群れがカワヅザクラに来ました。
ジョウビタキは梅園のはずれにいて、満開の梅の木にはとまってくれませんでした。
廃園以外でも雄・雌それぞれ1羽のジョウビタキを見ました。雌のジョウビタキです。

2019.3.13撮影     ハシビロガモ・ヨシガモ・メジロ     近くのため池・古民家のある公園山の上の桜園にて
近くのため池ではミコアイサは姿を消し、代わりにヨシガモとともにハシビロガモがいました。
山の上の桜園では、昨日に引き続いて桜の花の蜜を吸うメジロを撮影しました。
古民家のある公園の梅園にも花の蜜を求めてメジロが来ていました。

 
2019.3.13             磨崖仏100選(53)   立石観音磨崖仏
佐賀県唐津市相知町相知緑町  「鎌倉時代」
薬師如来
 相知町の中心部から南、平山川の支流に面した、砂岩の断崖の下面の、自然の半洞窟(高さ3m、幅20m、奥行き5m程)のような岩に薬師・阿弥陀・十一面観音の体を薄肉彫りで刻む。

 左端の薬師如来が一番大きく、像高約2mである。薬師如来は丸みを帯びた大きな顔の部分だけ薄肉彫りにして、体は線彫りで簡単に処理しているため、岩の中に仏像がとけ込んでしまったような印象を受ける。阿弥陀如来は体の部分も半肉彫りで、顔もやや細長く、作者や造立年代が違うように思える。

 近くの鵜殿窟磨崖仏と同じように地方色濃厚な石仏である。鵜殿窟磨崖仏に較べると土俗的な怪奇さは少ないが、共通した印象を受ける。平安末期の作と伝えられているが、鎌倉中期以降の制作と思われる。 


 
磨崖仏100選(54)   鵜殿窟磨崖仏
佐賀県唐津市相知町相知和田  「鎌倉時代後期〜室町時代」
持国天
持国天・十一面観音・多聞天
制多迦童子
大きな丘の頂上近くに切り立つ岩壁を穿った石窟に不動明王像など多くの像を半肉彫りする。石窟は現在著しく崩れ、かって窟内にあった磨崖仏はほとんど露出している。現在58体が遺存する。歯を食いしばる形相は怪奇的で、地方色濃厚な磨崖仏である。

 鵜殿窟は、大同元年(806)、唐から帰った空海(弘法大師)によって阿弥陀・薬師・観音の三像が大洞窟にに刻まれたことに始まると伝えられている。天長年間には鵜殿山平等寺が建立され真言密教の寺院として栄え、その後、天文の戦火にあい、衰滅していったという。

 石窟の中心には十一面観音と不動明王、持国天・多聞天を彫る。その中でも、持国天と十一面観音は保存状態も良く、赤や茶、肌色の彩色が遺る。(十一面観音の彩色は後の補作か?)全体的に土俗的な怪奇さが漂う彫刻で、何となく、チベット仏教の仏像に印象が似ている。

  十一面観音や不動明王、持国天がある石窟の向かって左には如来座像を彫った小龕か続き、その左に不動三尊を彫る。そのうち、セイタカ童子は、エジプト絵画のように肩は正面を向き顔は横顔になっていて、手には蛇を握り、オリエント風で、印象的な彫刻である。

 鵜殿窟の諸像は豊後の石仏のような写実性を欠き、姿態・手足はアンバランスで、彫刻の技術自体は低いと思われる。しかし、下手ではあるが、宗教的な情熱が感じられる石仏群である。制作年代は、鎌倉時代末期から室町期と思われる。


 
磨崖仏100選(55)   岩洞窟飛天像
福岡県豊前市岩屋  「鎌倉時代?」
 英彦山とともに修験道の山として知られる求菩提山の山腹の岩洞穴の天井に彫られている。ごく薄い肉付けだか、技巧は優れ、衣の流れも美しい。顔と手は黄白色、衣は朱、雲は青白色に塗られている(着色は近年の補修か)。他に、洞穴の内には薬師堂(御堂)と層塔と近世の妙見菩薩などの石仏がある。薬師堂の薬師如来像が12世紀の作とされているのでこの飛天像も平安後期の作とされているが、鎌倉時代の説もある。


2019.3.12撮影               桜にメジロ・ミヤマホオジロ              地元の山の上の桜園にて
 桜園の一部に早咲きの桜が植えられています。数日前、つぼみがふくらんだと思ったら、もう七歩咲きになっています。その桜の花が揺れるのでよく見るとメジロが花の密を吸っていました。
メジロの嘴の周りが花粉でオレンジ色になっています。
ミヤマホオジロは見かけたのですが、あっという間にブッシュの中に逃げ込んでしまいました。どうにか撮った1羽です。

2019.3.11撮影                 ベニマシコ・カンムリカイツブリ              大きなため池にて
 オシドリを撮影した後、上の池の岸にあるセイタカアワダチソウの草原になっているベニマシコのポイントに向かいました。2月20日にベニマシコの撮影を試みたのですがその時は姿を見せてくれませんでした。今日はポイントについた時、2羽のベニマシコがセイタカアワダチソウの草原から出てき来て、池畔の木にとまりました。木の芽を採食しています。
木の枝が多く撮影に難儀しました。枝かぶりにならないように撮そうとすると下から見上げる映像で、腹ばかりの姿になりました。
もう1羽は雌です。
カンムリカイツブリもいましたが遠くて、よい映像は撮れませんでした。

2019.3.11                            オシドリ              大きなため池にて
 今日は朝から雨模様で昼から晴れると期待したのですが、午後1時になっても小雨が降っていました。ネットで雨雲の動きを見てみると北の方は雨はやんでいそうなので、県北の歴史公園近くの大きなため池へ行きました。ため池に着くと陽も差してきました。ため池の向こう岸を見るとオシドリがたくさんいました。しばらくすると一斉に飛び立ちました。
3羽はかなり近くまで飛んできました。
3羽の内の1羽は雌と思っていたのですが、撮影した後でよく見ると嘴が赤くエクリプスでした。
飛び立った群れはまた戻って来て2つの群れに分かれて泳いでいました。
向こう岸にはまだ多くのオシドリがいで、潜ったり羽ばたいたりしていました。

 
2019.3.11      守屋貞治の石仏50体(2)〜(5)   温泉寺西国三十三所観音石仏
長野県諏訪市湯の脇 1-21-1 「天保2年(1831) 67歳」
十一面観音 
千手観音 
如意輪観音 
馬頭観音 
 温泉寺の旧参道沿いの覆屋には西国三十三所観音石仏が安置されている。貞治は若い頃の美濃土岐の禅躰寺を第一作に、生涯4ヶ所へ西国三十三ヶ所観音を彫像した。温泉寺が最後の作で、貞治が亡くなる前年の天保2年(1831)に完成している。師の願王和尚代、藩主忠粛公の発願によると寺の縁起に記されている。

 これらの像は貞治の最晩年67歳に制作されたもので眼病悪化のため弟子たちの協力を得て彫られた。貞治が書き残した「石仏菩薩細工」には33体のうち23体を彫ったと記している。しかし、どれが弟子の作か判別しがたく、残りの10体も貞治が関わっていたと思われる。最後の磨きをかけずノミの跡す手法を採っていて、海岸寺百観音に比べるとシャープで気品のある観音像となっている。25番清水寺千手観音などは少女のような清らかなやさしい姿で印象に残る。5体ある如意輪観音もすばらしく、各像それぞれ表情が違う。


2019.3.9撮影               ミヤマホオジロ            地元の山の上の桜園にて
山の上の桜園ではミヤマホオジロが10羽ほどいて、桜園のあちこちを飛び回っていました。
素早く飛び移るので何羽いたのか確認できませんでした。雌は1羽確認できただけです。

2019.3.8撮影           梅にルリビタキ・ミヤマホオジロ      博物館のある公園にて
夏羽のカンムリカイツブリを撮影した後、ルリビタキとミヤマホオジロを目的に博物館のある公園に寄りました。
ルリビタキは梅の木の近くにいて、ねらい通り梅の木にとまってくれました。
白梅の木の上の絶好の位置にとまりました。
紅梅にもとまりましたが、花が少なく、枝かぶりや影になってあまりよい写真は撮れませんでした。
ミヤマホオジロも梅の木の近くにいたのですが、梅の木にはとまってくれませんでした。

2019.3.8              夏羽のカンムリカイツブリ           大阪府の大きなため池にて
夏羽のカンムリカイツブリを撮影に大阪府の大きなため池に行きました。
地元の池などで、カンムリカイツブリはよく撮影しているのですが、夏羽のカンムリカイツブリはまだ見たことがありませんでした。
2羽のカンムリカイツプリがいました。
大きな池なので遠くて撮影しにくいと思っていたのですが、けっこう岸に近い所にいました。

2019.3.6撮影            ミヤマホオジロ・メジロ           地元の山の上の桜園にて
 山の上の桜園にウソを求めて通っているのですが、このシーズンは11月にチラッと見ただけでそれ以降ウソを見ることができません。今まで3年間、2月・3月になれば幾度となくウソを撮影していたのですが、今年はウソを撮影できそうにないです。その代わり、今までこの桜園で見たことがない、ミヤマホオジロは昨年の11月から姿を見せてくれています。今日も5羽ほどのミヤマホオジロが桜園で見かけました。
早咲きの桜がちらほらと花を咲かせ、メジロが密を吸いに来ています。
満開の白梅には3羽のメジロが来ていました。

2019.3.5撮影             梅にジョウビタキ・シメ          古墳のある公園にて
                   
梅園のはずれにジョウビタキはいました。
咲きかけの梅の木にはとまってくれるのですが、人が多く集まっている満開の梅の咲く場所には行ってくれませんでした。
馬酔木の木の近くにシメがいました。
馬酔木の花とツーショットを撮りたかったのですかなかなか近づいてくれませんでした。
これほど近くでシメを撮影したのは今年初めてです。
別の場所で撮したシメです。

 
2019.3.6               磨崖仏100選(52)   弥谷寺阿弥陀三尊磨崖仏
香川県三豊郡三野町大見70  「鎌倉時代」
 標高382mの弥谷山は、死者の霊が帰る「仏の山」として昔から信仰を集めている。その弥谷山の中腹にある四国霊場第71番札所弥谷寺は本堂まで急勾配の階段が続き、遍路泣かせの難所であるが、いかにも密教の修行の場に相応しいところである。

 この弥谷寺に四国で唯一といってもよい、鎌倉時代の磨崖仏がある。比丘尼谷と呼ばれる崖の面に彫り窪めた舟形光背の中に阿弥陀三尊像を半肉彫りする。摩滅がひどく、脇持の観音・勢至菩薩は顔がほとんどわからない。舟形光背の彫り込みの上にコンクリートで補強されたひさしが興ざめるが、端正な顔の阿弥陀如来は四国の石仏の中でも傑作といってよい。


2019.3.5           河津桜にメジロ・水浴びするビンズイ     古墳のある公園にて
                            
 この公園にはカワヅザクラ・カンヒザクラ・ヨウコウザクラと早咲きの桜が植えられています。まず最初に咲くのはこのカワヅザクラです。これらの桜にはいつもメジロが密を求めて飛んできます。
近くの木ではメジロの鳴き声が聞こえるのですが。なかなか飛んできてくれません。
30分ほどの待つとようやく1羽のメジロやってきました。
ビンズイが1羽、水溜まりで水浴びしていました。
水浴しているような感じて水の中でじっとしていました。
しばらくすると水溜まりから出ましたが、羽は濡れていました。
その後、頭を回すようにして体を震わせました。そして、小さく羽ばたいて羽の水を切りました。

2019.3.3撮影            梅にメジロ・ルリビタキ♀           地元の山の上の桜園にて
桜園に桜の木に混じって一本だけ白梅の木があり、3羽のメジロが花の蜜を吸っていました。
小雨が時々降る曇り空で、鮮やかな色の写真は撮れませんでした。
ルリビタキの雌もいましたが、見たのは一瞬でした。連写で2シーンだけ撮れました。

2019.3.2撮影           イソヒヨドリ♀・ホオジロなど           近くの河川にて
 この川付近では3ヶ所ほどイソヒヨドリがをよく見かける場所があるのですが、その内2ヶ所でイソヒヨドリを見かけました。ただ、2ヶ所とも雌でした。1ヶ所目のイソヒヨドリ♀は尾から下腹と雨覆や肩羽の一部が雄と同じように青い色が目立ちました。
2ヶ所目のイソヒヨドリ♀はチョウゲンボウがいる水門付近で撮影しました。
こちらの雌は尾や肩羽などは青と言うよりは灰青色でした。
毎年、この川ではホオアカを撮影しているのですか、今年は見ることができません。ホオアカと期待して撮したのですが、ホオジロでした。
イタチです。この川ではよく見かけます。

2019.3.3                 守屋貞治の石仏50体
 
  江戸時代の石仏の魅力は修那羅の石神仏や因島白滝山の石仏に代表されるような、教典や儀軌にとらわれない自由奔放な表現にある。もちろん、江戸時代の石仏が全て教典・儀軌にとらわれず、制作されたわけではない、多くは儀軌に則りつくられた、地蔵や観音などの石仏である。しかし、教典・儀軌にとらわれているがゆえに、形式化して非個性的なものになってしまっている。

 そのような江戸時代の石仏の中で、教典・儀軌に基づいて写実的な表現で制作し、しかも、形式化に陥らず、個性的である種の精神性を感じられる石仏がここに紹介する、高遠の石工である守屋貞治の彫った石仏である。
守屋貞治(1765〜1832年)は、 長野県の高遠町に生まれ、十四、五歳の頃から石工の修行に励み、 二十代で自立して以来、 六十八歳で大往生するまでの間に、三百四十体余の石仏を残した。

 貞治に大きな影響を与えたのは上諏訪の温泉寺の住職・願王和尚で、貞治の彫技と人物を深く愛し、彼の大作には偈や讃を書き与えて彫りつけさせ、布教の先々では彼を推薦紹介した。貞治は仏門に帰依し、香を炊き、念仏を唱えながら、ひたすら彫像に励んだという。そのような貞治の姿勢が、彼の天性の素質と培われた彫技とあいまって、次々と傑作を生みだしたのである。

 そのような貞治の石仏の中で特に優れた石仏や私の気に入った石仏を50体んで紹介します。


 
守屋貞治の石仏50体(1)   温泉寺願王地蔵大菩薩
長野県諏訪市湯の脇 1-21-1 「文政12(1829)年 65歳」
 温泉寺は臨済宗妙心寺の末寺で高島藩の二代藩主・諏訪忠恒によって慶安2年(1649)に創建された。忠恒からの諏訪氏歴代の墓がある。この温泉寺の住職であったのが、守屋貞治が師として仰いだ願王和尚である。若き貞治は、温泉寺で願王和尚に仕え、雲水として仏道修行に励んだと伝えられている。

 願王地蔵大菩薩は、本堂の裏山、歴代住職の墓所にひっそりとたたずむ。願王和尚の墓標として、貞治が全精魂を傾けて彫った貞治の最高傑作である。願王和尚の慈悲に満ちた姿を彷彿とさせる地蔵菩薩である。文政12年(1829)、貞治65歳の時の作である。

 
2019.3.2            磨崖仏100選(50)   三谷阿弥陀・地蔵磨崖仏
奈良県桜井市三谷小字下の佛  「延慶2年(1309) 鎌倉時代後期」
阿弥陀磨崖仏
三谷寝地蔵(地蔵磨崖仏)
  都祁村藺生から三谷に抜ける旧道の藺生峠に、この地蔵磨崖仏と阿弥陀磨崖仏がある。

  三谷阿弥陀磨崖仏はもとは、 寝地蔵と呼ばれる横向きに転落している地蔵磨崖仏と2体の対になった磨崖仏であった。 高さ約60cmの二重光背を彫りくぼめ蓮華座に座す定印阿弥陀如来を半肉彫りする。端正な表情の整った石仏である。

  三谷寝地蔵(地蔵磨崖仏)は120cmの船形を彫りくぼめ、錫杖と宝珠を持つ端正な地蔵菩薩立像を半肉彫りする。 石が割れて地蔵のほうだけが転落し、地蔵は横になったままで、「ネンゾ(寝地蔵)」と呼ばれている。三谷寝地蔵の左右の岩面に藺生(いう)の住人祐禅浄覚房が延慶2年(1309)造立した旨が刻まれている。


 
磨崖仏100選(51)   清滝八尺地蔵磨崖仏
奈良県生駒郡平群町鳴川  「鎌倉時代」
  平群町鳴川にある千光寺は役行者の開いたと伝えられる寺で、役行者が大峰山を修験の場とする前にここで修行していたため、「元の山上ヶ岳」という意味で「元山上」とも呼ばれている。行者の母親も入山修行してたと伝えられ、「女人山上」ともいわれていて、女性にも山内が開放された修験道の霊場である。千光寺の周りは修験道の行場となっていて、清滝八尺地蔵磨崖仏のある清の滝も行場の一つである。

 鳴川集落は千光寺の参道に沿った山道にあり、その中程にゆるぎ地蔵と呼ばれる地蔵を安置した辻堂がある。その辻堂から細い道を下ると川の流れ沿いに巨岩が露出するところがあり、鎌倉時代から室町時代にかけての多くの磨崖仏が彫られている。その中でも特に優れているのが八尺地蔵磨崖仏で、清滝という小さな滝の岩肌に彫られている。

 八尺地蔵磨崖仏は地蔵菩薩立像の薄肉彫りで、蓮華座から頭光背まで337pもある大きな磨崖仏である。やや体を斜めに向け、錫杖を体から離して、右手で錫杖の柄を持つ。左手で持つ宝珠は大きく立派である。銘はないが鎌倉中期の造立と考えられる優れた磨崖仏である。現在、苔が生えて、昔の面影がなくなりつつあるのが残念である。


2019.3.1撮影               シメ・ジョウビタキ♀・ヨシガモ           古墳のある公園にて
この冬はいつ来てもこの公園でシメは見られます。2ヶ所で見ました。
シメとともににジョウビタキもよく見かける鳥です。
ヨシガモが岸辺近くまで来ていました。

2月