| 令和8年4月9日撮影 地元の山にて |
| ニュウナイスズメ |
| 飛んで行ったヒレンジャクを探している時、数本の桜からスズメにしては明るく高い声が聞こえました。カメラを向けるとニュウナイスズメでした。 |
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| まず目につてたのは雌です。 |
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| 雄です。 |
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| オシドリ |
| 山の上の池のオシドリは4月の初めは数多く見られたのですが、この日は一見した時は全く見られませんでした。ヒレンジャクを池の近くで撮影した後、雄と雌各1羽が見られました。また、飛び去ったヒレンジャクをさがして山のもう一つの池に行った時、ここでも雄と雌各1羽を見つけました。 |
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| ヒレンジャク |
| 山の上の池のオシドリがそろそろ旅立つ頃なのでオシドリを撮ろうと地元の山へ行きました。オシドリのいる池に行くと池のそばの高い木にムクドリよりやや小さい大きさの鳥が10羽ほどとまっていました。カメラを向けると大半が飛び立ちましたが、2羽残っていてシャッターを切りました。モニター画面で確かめてみるとヒレンジャクでした。久振りのヒレンジャクです。 |
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| 残っていた1羽も飛び立ちました。 |
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| 飛び立った先は少し離れたより高い木です。そこには10羽以上のヒレンジャクがいました。ほとんど枝被りで遠くてよい写真は撮れませんでした。 |
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| ここからもすぐ飛び立ちました。今度は近くの木に止まらず群れて飛び立っていきました。 |
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| 飛び去った方向へヒレンジャクを探しに行きました。めどを付けていた展望台付近に行ってみるとヒレンジャクの群れがいました。カメラを向けると大半は飛び立ったのですが、この時も2羽残っていて撮影できました。 |
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| このあと撮影していたヒレンジャクの群れは飛び去っていきました。 |
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| もう一度池のほうへ戻ろうとした時、「チリチリ‥‥‥」と聞きなれない鳥の声が近くのコナラの木から聞こえました。コナラの木に行ってみるとまた別の群れのヒレンジャクがいました。 |
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| 令和8年4月11日撮影 地元の山の上の公園の桜園にて |
| ヒレンジャク |
| ヒレンジャクを撮影した翌日は雨で野鳥撮影には行けず、この日は満を持してヒレンジャクの撮影に向かいました。しかし、ヒレンジャクはいませんでした。そこで、3年前にヒレンジャクを撮影した数キロ離れた山の上の公園の桜園に行きました。すると高い木の上にいるヒレンジャクを見つけました。ただ高すぎて遠く、枝かぶりでまともな写真になりませんでした。 その時3年前にキズタ(木蔦)の実を食べにくるヒレンジャクを撮影したことを思い出して、同じ場所に向かいました。すると3年前と同じくヒレンジャクの群れがキズタとキズタの絡まった桜の木にいるのを見つけ、ヒレンジャクを近くで撮影できました。 |
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| 高い木の枝にとまっていたヒレンジャクです。まともに撮れた1枚です |
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| 令和8年4月7日 大隅の田の神さあ 霧島市の田の神5 | |
| 大隅の田の神さあ5 (霧島市Ⅱ 国分地区2・横川地区) |
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| 「大隅の田の神さあ5」では庶民的な笑顔の丸顔で右手でメシゲを立てて持ち、左手で椀を持った中腰の「早鈴神社西の田の神」「埒上の田の神」「森ノ木の田の神」を紹介したが、これらの像はこの地方でよくみられる江戸時代の田の神像の様式を受け継ぎ洗練した昭和期の田の神である。それに対してこの「大隅の田の神さあ6」では伝統を引き継ぎながらも近代彫刻の影響を受けた個性的な田の神像を3体紹介する。そのうち丸顔で庶民的な笑顔がすばらしい「口輪野の田の神」と「鎮守尾橋の田の神」は地元の石工の田畑喜蔵の作で「口輪野の田の神」に「昭和七年」の刻銘がある。「剣之宇都の田の神」は作者はわからないが写実的な穏やかな顔の像で「昭和十一年」の刻銘がある。 他に国分地区の田の神として明治時代の素朴で可愛らしい「上之段の田の神」と弘化4(1847)年の新田開拓時に作られた「小村新田の田の神」を紹介する。国分地区と隼人地区以外にも優れた田の神像ややユニークな田の神があるが、横川地区の正保元年(1644)という田の神像の中で最も古い紀年銘が見つかり話題となった神官型座像の「紫尾田の田の神」以外撮影できていない。 |
| 口輪野の田の神 |
| 鹿児島県霧島市国分川内口輪野 「昭和7(1937)年」 |
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| 昭和になっても、地元の石工によって田の神像は作られた。稚拙な像もあるが、伝統を引き継ぎながら近代的で個性的な田の神像も何体かつくられている。その中でも優れた田の神像が口輪野の田の神である。像高73㎝の長袖の衣を着た、大きな笠のようなシキをかぶり右手にメシゲを下げて持った立像である。丸顔で歯を見せて笑う庶民の顔のすばらしい像である。石工は田端喜蔵で、台座正面に「口輪野部落中 昭和七年四月十六日」刻銘がある。 |
| 鎮守尾橋の田の神 |
| 鹿児島県霧島市国分川内鎮守尾 「昭和初期」 |
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| 国道10号線の「国分鎮守尾」の交差点と県道491号線をつなぐ橋が鎮守尾橋である。この橋の近くにあったため霧島市教育委員会刊の「霧島市の田のかんさぁ」では「鎮守尾橋の田の神」と名付けられている。「霧島市の田のかんさぁ」の写真では半分草むらにうずまった状態であったが、撮影した時は県道491号線脇に移され石碑や水神などとともに丁寧に安置されている。この像も「口輪野の田の神」と同じく石工田端喜蔵の刻銘がある。像高67㎝で「口輪野の田の神」と同じように笠のようなシキをかぶり長袖の衣を着た右手にメシゲ、左手に椀を持った立像である。残念ながら顔は大きく破損していて「口輪野の田の神」のような笑い顔は見られない。昭和期の作なので人為的に破損したとしか考えられない。 |
| 令和8年4月9日 大隅の田の神さあ 霧島市の田の神6 |
| 剣之宇都の田の神 |
| 鹿児島県霧島市国分剣之宇都町 |
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| 野久美田公民館にある「野久美田の田の神」は像高43㎝の右手てメシゲ、左手で椀を持った田の神立像で、目鼻や持ったメシゲや椀などを板彫り風に彫った素朴な表現の像である。額のシワまではっきりと顔の表情がわかる。 |
| 上之段の田の神1・2 |
| 鹿児島県霧島市国分上之段(うえのだん) 「宝暦13(1763)年」・「明治20(1887)年」 |
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| 国分上之段は国分川内から国道10号線は山の中を通って南下し霧島市福山町へ向かう。その山中が上之段(うえのだん)である。その上の段の田の神を霧島市教育委員会刊の「霧島市の田のかんさぁ」では4体紹介している。そのうちの2体がこの田の神である。この田の神を「霧島市の田のかんさぁ」では飯富神社西側の田の神①②と名付けている。 向かって左側の田の神は神官型座像の田の神「田の神1」である。像高66㎝で両手で笏を持っていることは確認できるが大きく風化・破損している。首はセメントでつながれている。「宝暦13(1763)年」の刻銘がある。右側の「田の神2」は右手にメシゲをかかげて左手で椀を持って座す田の神で、稚拙であるが愛らしい素朴な田の神である。背中に「御田神 明治二十年正月十四日」などの刻銘がある。 |
| 令和8年4月5日撮影 隣町の川にて |
| キセキレイ |
| 隣町の川の岸辺の桜のニュウナイスズメを撮影に行ったのですが鳥は全く桜の木にはいませんでした。川の岸にいたキセキレイを撮影しただけでした。 |
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| イモムシを咥えていました。 |
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| 令和8年4月3日撮影 隣町の川の岸辺にて |
| ニュウナイスズメ |
| 隣町の川の岸辺の桜が満開に近づいていました。毎年、ここでニュウナイスズメを撮影しています。今年も3羽のニュウナイスズメがいました。 |
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| 桜のラッパを吹くニュウナイスズメの姿を何回か見たのですが、なかなかうまく撮影できませんでした。 |
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| ニュウナイスズメの雌です。スズメと違って全体に灰褐色で、白っぽい眉紋がある。 |
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| 令和8年4月2日撮影 地元の山の上の池にて |
| オシドリ |
| この日も橋の下近くの岸近くで数羽のオシドリが競うように水に潜り、浮き上がって羽ばたいたり、水を切るように素早く翼を動かして水浴びをしたりしていました。羽繕いをしているオシドリもいました。 |
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