Photo Gallery「石仏と野鳥」新版  2025年9月
 

 
8月



              
令和7年9月12日撮影 山の上の公園のにて
コサメビタキ
山の上の公園のでコサメビタキを見つけました。前日キビタキ♀を撮った桜園から少し離れた山の上の桜園での撮影です。



    
令和7年9月12日 平群町の石造十三仏2
東勧請十三仏板碑
奈良県生駒郡平群町信貴畑 「天文21(1552)年」
 勧請縄は集落の入口に外から邪悪なものが入らないようにと願って掛けられる綱で、平群町では龍田川にかけられる椣原の勧請地などいくつかの勧請縄をかける勧請地がある。 その中でもよく知られているのが信貴畑の東勧請地である。この勧請の地に覆堂があり、与願印を示す鎌倉後期の座像の石仏(如来or地蔵※)とともに天文21(1552)年の刻銘がある十三仏板碑がある。

 十三仏板碑は高さ119㎝、下幅631㎝の舟形の板碑で蓮華座にのる十三諸仏を半肉彫りしたもので、頂上の虚空蔵菩薩の上部には天蓋が刻まれている。摩滅は進んでいるが秀作である。板碑の左に天文21(1552)年の紀年銘が、左に「為地蔵講人衆逆修施主白水□」の刻銘がある。

  ※平群町教育委員会発行の 「奈良県生駒郡平群町石造文化財 平群谷」では船形如来座像となっているが螺髪らしきものは見当たらず、十三仏を建立した地蔵講信者が拝んでいたことなどから、私には古式の地蔵菩薩に見える。
 
アクセス ・ 近鉄生駒線「平群」駅より平群町コミュニティバス西山間ルート(土日運休)乗車。「信貴畑待合所」下車すぐ。

・ 自動車 第2阪奈道路「壱分」ランプを降りて国道168号線を南へ5㎞「三里」交差点を左折、西へ600m、図書館前の交差点を左折、県道250号線を南西へ2.2㎞
  



櫟原墓地十三仏板碑
奈良県生駒郡平群町櫟原 「享保4(1719)年」
 十三仏板碑の造立は造立者が自己の死後の供養(逆修)を行う旨で行われたため、生駒谷・平群谷の十三仏板碑の多くは墓地の中にある。櫟原墓地の十三仏板碑もそのような板碑で、施主の中川氏が死後の供養のために享保4(1719)年に造立したものである。

 高さ150㎝の将棋の駒の形の石材に上部の三角形を残し、その下に蓮華座にのる虚空蔵菩薩と3列4段て他の十二仏を半肉彫りで彫ったもので、各尊像の面容はみなよく似た素朴なものである。
 
アクセス ・ 近鉄生駒線「東山」駅より平群町コミュニティバス西山間ルート(土日運休)乗車「櫟原」下車。

・ 自動車 第2阪奈道路「壱分」ランプを降りて国道168号線(平群バイパス)を南へ3.1㎞、東山駅前の交差点を右折。西へ信貴フラワーロードを通って2.8㎞。
  



                   
令和7年9月11日撮影 地元の山の上の公園にて
キビタキ♀
山の上の公園の桜園でオリーブ色の野鳥を見つけました。ファインダーを覗いてみるとキビタキ♀でした。


    
令和7年9月10日 大隅の田の神さあ 伊佐市1
大隅の田の神さあ3
(伊佐市)
 伊佐市は平成の大合併よって2008年に大口市と菱刈町が合併して誕生した市である。伊佐市の田の神の中で県の民俗資料有形文化財に指定されているのは旧大口市の「平出水の田の神」のみである。「平出水の田の神」は大日如来を彫って田の神とした珍しい像である。旧大口市には個人持ちや回り田の神を含めて160体ほどの田の神像があるが、旧大口市はほとんど回ることができず「平出水の田の神」を含めて3体の紹介にとどまった。旧菱刈町については近くの宮崎のえびの市をよく訪れていたことや、宮崎県発祥といわれる衣冠束帯姿の神官型の田の神が多くあることなどで数回訪れた。旧菱刈町では「徳辺の田の神」や「堂山の田の神」・「前目の田の神」は宮崎でよくみられる腰掛け神官型の田の神である。他に神官型座像の「湯之尾猶原の田の神」・「本城南方神社の田の神」・「築地下の田の神」や農民型の「湯之尾前田の田の神」・「荒田の田の神」などユニークな田の神がある。



 
平出水の田の神
鹿児島県伊佐市大口平出水 「享保6年(1721)」 
 仏像型田の神として地蔵菩薩を田の神として祀った「紫尾の田の神」(宝永2<1705>年)や中組の田の神(宝永八年<1711>)が知られている。これらは最も古い紀年銘を持った田の神である。「平出水の田の神」も仏像型の田の神である。しかし、地蔵菩薩ではなく大日如来像である。石台正面に「大日如来を本地として御田之神を造立した」という意味の言葉が書かれていて、大日如来を彫って田の神としたことは明らかである。
 六角形の台上の反花と蓮弁の蓮台に坐す宝冠をかぶり、両手で胸前で智拳印を結んだ金剛界大日如来像である。穏やか顔立ちの像手で、衣のひだか複雑に重なった精緻な表現の像である。県の民俗資料有形文化財に指定されいる。



岩清水神社の田の神
鹿児島県伊佐市大口小川内(こがわうち)117
 伊佐市役所がある市の中心地から国道268号線を北方に9㎞ほど行くと「小川内関所跡」の案内板がある三叉路に着く。案内板に従って1.5㎞進むと「小川内関所跡」のある小川内前田である。その集落の北の清水神社の社殿の横に「小川内岩清水神社の田の神」が祀られている。像高62㎝の神官型座像の田の神で、右手の先は欠けていて、左手は輪をつくっている。江戸期の作と思われる。竹林の混ざった山が背景に座す田の神像は質素ながら落ち着いた厳粛な趣がある。



                   
令和7年9月8日撮影 近くの水田地帯にて
タシギ
 先日の台風によって休耕田の水かさが増え、台風通過後タカブシギやトウネン・タシギなどが見られなくなりました。この日は水かさも減ったので期待して来たのですが、ケリやコチドリ・イソシギははいたのですがタカブシギやトウネンは見つけられませんでした。タシギは細長い休耕田で見つけました。草の中に隠れていてなかなか写せませんでしたが、何とか撮影できました。



              
令和7年9月7日撮影 近くの桜の林にて
コサメビタキ
 山の上の公園に行く途中の桜の林でコサメビタキを撮影しました。昨年も9月の今頃、この林でコサメビタキやエゾビタキ・キビタキ雌を撮影していました。



      
令和7年9月7日 平群町の石造十三仏1
椣原墓地十三仏板碑
奈良県生駒郡平群町椣原 「天文22(1553)年)」
(上段)虚空蔵 (中段)阿弥陀・大日・阿しゅく (下段)勢至・観音・薬師
(上段)勢至・観音・薬師 (中段)普賢・地蔵・弥勒 (下段)文殊・釈迦・不動
 元山上口駅の東の山手に「かんぽの宿 大和平群」(現在は「亀の井ホテル 大和平群」)があり、その北に椣原墓地ある。この墓地に天理の大念寺十三仏板碑につぐ県では2番目の大きさの優れた十三仏板碑がある。入江泰吉が撮った夕日に映えるこの十三仏板碑の写真がすばらしく印象的である。

 高さ173㎝、下幅65㎝の船型の板碑で蓮華座にのる像容13諸仏を半肉彫りであらわしたもので、天蓋の下面に虚空蔵菩薩をその下に三列四段で他の像を配置する。各像の右には尊名が刻まれている。板碑の右には天文22(1553)年の紀年銘、左には「為造新三郎逆修道阿弥妙泉乃至法界普利」の刻銘がある。
 
アクセス ・ 近鉄生駒線「元山上口」駅より東へ徒歩7分。
・ 自動車 第2阪奈道路「壱分」ランプを降りて国道168号線(平群バイパス)を南へ3.6㎞、焼肉店の手前を右折。西へ320m。                      
  



鳴川十三仏板碑
奈良県生駒郡平群町鳴川 「天文22(1553)年」
 「元山上」と呼ばれ、修験道の行場として知られる千光寺のある集落が鳴川である。「元山上」は「元の山上ヶ岳」という意味で役行者が大峰山を修験の場とする前にこの地で修行したからだという。その鳴川の村の中程の辻堂にゆるぎ地蔵と呼ばれる鎌倉時代の地蔵菩薩と並んで十三仏板碑が安置されている。

 高さ151㎝、下幅50㎝の船型の板碑で蓮華座にのる像容13諸仏を半肉彫りであらわしたもので、天蓋の下面に虚空蔵菩薩をその下に三列四段で他の像を配置する。天文20(1551)年の紀年銘がある。辻堂の横を谷の方へ下ると、清滝八尺地蔵磨崖仏や五尊磨崖仏など鎌倉から室町にかけて彫られた磨崖仏群がある。
 
アクセス ・ 近鉄生駒線「東山」駅より平群町コミュニティバス西山間ルート乗車「鳴川」下車。

・ 自動車 第2阪奈道路「壱分」ランプを降りて国道168号線(平群バイパス)を南へ3.1㎞、東山駅前の交差点を右折。西へ1.74㎞。信貴フラワーロードに入らず斜め右へ約890m。
  



              
令和7年9月4日撮影 近くの水田地帯にて
トウネン
タカブシギを何回か撮影した休耕田から少し離れた休耕田にトウネンが1羽いました。



                   
令和7年9月2日撮影 近くの水田地帯にて
タカブシギ
 前日に引き続き近くの水田地帯に行きました。昨日撮影した休耕田にはタカブシギはいませんでしたが、少し離れた休耕田に1羽いました。



                   
令和7年9月3日撮影 近くの水田地帯にて
タカブシギ・イソシギ
 タカブシギも2羽いました。休耕田の奥にいて「ピィピピ‥‥‥」と鳴いていたのでコチドリと思ってレンズを向けてみるとタカブシギでした。
イソシギもいました。
 
タシギ
前日に引き続き近くの水田地帯に行きました。1日にタカブシギ撮影した休耕田にタシギがいました。



                   
令和7年9月2日撮影 近くの水田地帯にて
タカブシギ
 前日に引き続き近くの水田地帯に行きました。昨日撮影した休耕田にはタカブシギはいませんでしたが、少し離れた休耕田に1羽いました。



    
令和7年9月2日 大隅の田の神さあ 湧水町5
真中馬場(しんちゅうばば)の田の神
鹿児島県姶良郡湧水町北方真中馬場
 旧栗野町の「真中馬場の田の神」は湧水町HPの文化財案内では1700年代の作でお高祖頭巾をかぶった女人像の田の神であるとしている。女性的な美しい顔で、僧衣らしきものを着て、右手でメシゲを掲げ、左手に宝珠または握り飯らしきものを持って座す田の神像である。被っているものは確かにシキというより頭巾にみえる。お高祖頭巾というより僧侶の頭巾ではないだろうか。私には僧衣風の衣装から見て女人像とは思えないが、仮に女性像としたら頭巾はお高祖頭巾ではなく尼僧頭巾といえる。いずれにしても特色ある優れた田の神である。町の有形民俗文化財に指定されている。



水窪の田の神
鹿児島県姶良郡湧水町木場水窪 「寛保4年(1744)」
 「水窪の田の神」は九州自動車道「栗野」ICの南約5㎞にある水窪集落の南東の山の中の畑の中にある。道沿いに「中シ山「田ノ神」入口 五十メートル」の標識がある。右手にメシゲ、左手に杵を持つ田の神で、グリム童話に出てくるこびとのような雰囲気の持つ。背面に「寛保四年(1744)三月一日」の刻銘がある。町の有形民俗文化財に指定されている。



大牟礼の田の神
鹿児島県姶良郡湧水町幸田大牟礼
 「大牟礼の田の神」は幸田地区(日本棚田百選に選ばれた幸田の棚田がで知られている)の大牟礼(伊佐市との市町境にある)の能動三叉路にある。メシゲと椀を持って腰をかがめて田の神舞を踊る姿を表したものである。目じりを下げて、口を大きくあけて笑う姿が印象的である。台座に「大正十二年」の紀年銘がある。



                   
令和7年9月1日 近くの水田地帯にて
タカブシギ
 コチドリ・ケリ・カルガモ・コサギしか見なかった、近くの水田地帯にようやくシギが姿を見せました。水の張った休耕田に4羽のタカブシギがいました。



8月