「フォトギャラリー 石仏と野鳥」 新版  2019年1月
 
12月

2019.1.21撮影                          ベニマシコ                古墳のある公園にて
3日前と同じく、古墳の堀付近に生えているナンキンハゼの木にベニマシコはいて、実を食べていました。
ナンキンハゼの実を食べるベニマシコ雌です。
ナンキンハゼの木からブッシュになった空堀に雄・雌とも移りました。
雌は若鳥のようで鮮やかな赤ではありません。

2019.1.21撮影                          クロジ                古墳のある公園にて
 午前中1、2回、生け垣の茂みから採食のために姿を見せます。今までは来るのが遅く姿をチラッと見ただけで撮ることができませんでした。今日は1時間ほど待ってようやく撮影できました。
クロジは茂みから出てきてしばらく立ち上がるようにして周りを見ていました。
やがて草の実を突き始めました。
黒い実を銜えています。
白い実も食べていました。

2019.1.19撮影                         ミコアイサ                近くのため池にて
 3年間は改修のため、水が半分ほど抜かれて、鴨の数は極端に減り、コガモとカルガモ、ヨシガモが時々見られるくらいで、池は寂しい状態でした。しかし今年は水面は低いままなのですが、ミコアイサか雄雌合わせて30羽以上来ています。

2019.1.19撮影                 ベニマシコ             古墳のある公園にて
今年の冬、初めてまともにベニマシコの雄を撮影することができました。
ナンキンハゼにとまって実を食べていました。
雌と雄のツーショットはピントが雌にあえば雄に、雄にあえば雌にあわず、よい写真になりませんでした
ベニマシコの雌です。

2019.1.18撮影               ニシオジロビタキ      県境近くの大きな池のある自然公園にて
 前に来たときにまともに撮すことができなかったアカゲラとウソを求めてこの公園に来ました。アカゲラは見かけたのですか撮影できませんでした。そんな時、迎えてくれたのは今回も「チッチッチッチッ」とさかんに鳴いていたニシオジロビタキです。
ニシオジロビタキは切り株を舞台に、いろいろなポーズをとってくれました。

2019.1.17撮影                   オオジュリン・タシギ           大阪の大きな川の河川敷にて
 クイナを撮影していたとき、ふと目をそらし見上げると、ツグミがとまっている木にツグミより小さな鳥がとまっているのに気づきました。「ベニマシコかな?」と慌ててシヤッターを切りました。ベニマシコではなくオオジュリンでした。
喉が黒い斑紋で囲まれるいるので雄の冬羽と思われます。
クイナのいた葦原の水たまりにはタシギもいました。

2019.1.17撮影                          クイナ           大阪の大きな川の河川敷にて
河川敷の葦原にクイナがいました。初めは葦原の下で隠れるようにしていました。
しばらくすると葦原の水たまりに姿を現しました。
水の中に顔を繰り返し突っ込んでいました。
やがて葦原の中に入り込み姿を消しました。

 
2019.1.16             磨崖仏100選(23)   元箱根石仏群二十五菩薩
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根     「永仁元年(1293) 鎌倉時代」
西面 阿弥陀如来立像・地蔵菩薩立像
東面右端 地蔵菩薩立像
 精進池沿いの遊歩道に戻り、遊歩道を精進池に沿って進むと「火焚地蔵」と呼ばれる地蔵磨崖仏や宝篋印塔があり、さらに進むと三角状に突き出た高さ3mほどの大きな岩が見えてくる。

 この岩に阿弥陀如来と蓮台を捧げる供養菩薩と21体の地蔵菩薩が厚肉彫りされている。国道を挟んだ岩に彫られた3体の地蔵菩薩と合わせて26体(菩薩は25体)になり、「二十五菩薩」と呼ばれている。

 その中でも、優れているのが、阿弥陀如来や東面の向かって右端の地蔵菩薩やそれに続く東面の大型の地蔵菩薩である。ともに、木彫風の精巧で丁寧な彫りで、衣紋の表現も写実的で、見ごたえがある。岩に舟形を彫りくぼめてそこに厚肉彫りで彫られているため、岩の存在感、生命感が感じられ、磨崖仏としては六道地蔵よりは優れているように思える。

 東面の右から2番目の地蔵菩薩の横に二十人ほどの結縁衆の名前とともに、「永仁元年(1293)癸酉八月十八日 一結衆等敬白 右志者為各□聖霊法界衆生平等利益也」の記銘かあり、地蔵講結縁衆が、先祖の霊を供養し現世の利益を願って造像したものであることがわかる。


 
磨崖仏100選(24)   元箱根石仏群六地蔵
神奈川県足柄下郡箱根町芦之湯     「正安二(1300)年 鎌倉時代後期」
 箱根山中には多くの石仏があるが、特に知られているのが、芦の湯から元箱根に通じる国道1号線沿いの、精進池の周辺にある元箱根石仏群である。

 精進池周辺は厳しい気候と火山性の荒涼とした景観で、地獄の地として、また賽の河原として、昔から地獄信仰の霊場となっていた。その地に、地蔵講結縁の衆が救済や極楽浄土を願つて、鎌倉時代後期に石塔や地蔵磨崖仏がつきつぎとつくられていったのがこの元箱根石仏群である。

 現在、元箱根石仏群周辺は史跡公園として整備され、六道地蔵の地蔵堂も復元された。駐車場の近くには、立体映像や迫力あるサウンドを駆使し、絵やジオラマで地獄や地蔵の救済を再現する展示施設である僧坊風の木造建築物石仏・石塔群保存整備記念館(ガイダンス棟)もたてられた。

 ガイダンス棟から精進池のまわりの遊歩道におり、国道下のトンネルをくぐり、10mほど上った山裾に、六道地蔵(六地蔵)と呼ばれる元箱根石仏群、最大の地蔵磨崖仏がある。高さ3m余りの蓮華座上に結跏趺座する巨像で、左手に宝珠、候補の右手には鉄で作られた錫杖を持つ(右手と錫杖は地蔵堂とともに鎌倉時代風に作り替えられた)。向かって左の岩面に「奉造立六地蔵本地仏」・「正安二(1300)年八月八日」などの文字が刻まれている。

 厚肉彫りというより丸彫りに近い磨崖仏で、引き締まった端正な表情、薄ものの質感を巧みにとらえた衣紋の襞、胸の華やかな瓔珞など、写実的な表現で木彫仏を思わせる。熊野磨崖仏のような岩の存在感、生命感があまり感じられず、巨像の割に迫力を欠くように思える。



 
2019.1.15             磨崖仏100選(21)   舘ヶ岡阿弥陀磨崖仏
福島県須賀川市舘ヶ岡向山     「鎌倉時代」
 東滑川の南岸、中世須田氏の居城であった向山丘陵の西崖面にある。この地方の中世の磨崖仏の中では最も風化が少なく、後でつけられたと思われるが赤い彩色も残る。 硬い安山岩に彫ってあるため螺髪を省略した大まかな像容であるが、硬いシャープな線のフォルムが魅力的である。像高2.15mの体躯も量感に富み、頼もしい体つきで東北を代表する磨崖仏の1つである。  


 
磨崖仏100選(22)   住吉磨崖仏
福島県いわき市小名浜住吉町     「鎌倉時代」
 小名浜住吉町の遍照院金剛寺の裏山墓地の、第三期砂岩層に彫られた石龕の中に像高190pの厚肉彫りの阿弥陀如来座像がある。地層と像が重なり合って、独特の彫刻美を見せる。近くに阿弥陀座像、20mほど離れたところには阿弥陀三尊像もある。 


2019.1.14撮影      アオバト・弁慶ヤマガラ・ベニマシコ          古墳のある公園にて
 約一年ぶりにこの公園でアオバトを見ました。去年最初にアオバトを見た木と同じ木にアオバトはいました。2羽いたのですが、あまり動かず、同じ枝にとまっていました。枝と木の葉がかぶってなかなかいいアングルが見つかりません。
何とか、全身が撮れる場所を見つけて撮影することができました。
弁慶ヤマガラは撮す人も少なくなり、ポイントに行けばすぐに姿を見せます。
ベニマシコは雄も見たのですか撮影できたのは雌のみです。

2019.1.12・13撮影               ミコアイサ          近くのため池にて
 1月12日、久しぶりに近くの大きなため池に行きました。この池は3年前までは冬場はマガモを初めとしてヨシガモやオナガガモ、オカヨシガモ、ミコアイサなど数多くの鴨やカンムリカイツブリなどがいてよく来たものです。しかし、3年ほど前から池の改修が始まり、池の水が半分ほど抜かれて、ほとんど鴨は見られなくなり、たまにしか来ていません。

 今日はいつも数羽ほどいるヨシガモでも撮ろうと訪れたところ、思いがけずミコアイサの群れがいました。雄雌合わせて30羽以上いるようです。10羽ほどのミコアイサはこの地方の池ではたまに見かけるのですが、これほどの数のミコアイサを見たのは初めてです。

 残念なことに雨の降りそうな曇り空で天気が悪く、なかなか近づいてくれないのであまりよい写真は撮れませんでした。
 翌日13日、リベンジしようと、同じ池に行ってみると、数は少なくなりましたが、ミコアイサはいました。陽の当たった明るい池で撮影でき、それほど近づいてくれませんでしたが、前日には撮せなかった目も撮すことができました。
上の1羽はエクリプスから第1回夏羽に変わろうとしている雄です
羽ばたく雌です

 
2019.1.12             磨崖仏100選(19)   達谷窟大日如来磨崖仏
岩手県西磐井郡平泉町達谷(西光寺境内)   「鎌倉時代?」
  平泉の西南約6キロ、美しい渓谷美を誇る厳美渓(名勝天然記念物)に至る道路の途中に、達谷窟毘沙門堂(西光寺)がある。

 達谷窟毘沙門堂は坂上田村麻呂が蝦夷平定の際、京の鞍馬寺を模して毘沙門堂を建立し、108体の多門天(毘沙門天)を安置したのが始まりとされてい.る。現在、毘沙門堂は崩れて浅くなった窟の壁面に半ば食い込む形で建てられている。昔は深い大きな窟で、蝦夷の王、悪路王(アテルイ?)や赤頭らがたてこもったともいわれる。

 毘沙門堂の横、高さ40mほどの大岸壁にこの大日如来磨崖仏がある。現在は顔面と肩の線を残すのみであるが、その大きさは十分うかがえる。九州の熊野磨崖仏や普光寺磨崖仏に匹敵する巨像で、日本最北の磨崖仏といわれている。

 顔は下ぶくれの角顔で三角形の大きな鼻と厚い唇の大きな口が特徴である。大まかで上作とは言いがたいが、切り立った岩壁の迫力と無骨な東北人を思わせる顔が印象に残る磨崖仏である。髪は螺髪のようなので、阿弥陀如来であるという説もある。

 永承6(1051)年、源頼義が、安倍貞任を成敗したときの戦死者の供養のため、弓弭で図像を岩面に描いたのを、彫り出したのがこの大日如来であると言い伝えられている。


 
磨崖仏100選(20)   富沢阿弥陀磨崖仏
宮城県柴田郡柴田町富沢岩崎山     「嘉元4(1306)年 鎌倉時代後期」
 東北本線槻木駅の北約3qの柴田町富沢の小さな丘、岩崎山の西面する山裾に通称「富沢大仏」と呼ばれる阿弥陀磨崖仏がある。丘陵端の凝灰岩の岩層を利用して作られた磨崖仏で、堂内に保存されていたため保存状態はよい。

 岩面を1mばかり彫りくぼめ、像高240pの定印の阿弥陀如来座像を厚肉彫りする。ほとんど丸彫りに近く彫られた角張った大きな顔と大粒の螺髪が、「富沢大仏」という通称にふさわしく雄大である。大きな鼻と厚ぼったい唇など達谷窟大日如来磨崖仏と共通する表現で、いかにも東北らしい鈍重であるが素朴な力強さを感じる磨崖仏である。

 像に向かって右壁面に「嘉元4(1306)年」の年とともに恵一坊藤五良なるものが父の供養のために刻んだ旨がかかれた銘文があり、東北地方唯一の在銘磨崖仏として資料的価値も高い。



2019.1.11撮影             アオゲラ・キクイタダキなど         地元の山にて
 久しぶりにアオゲラとキクイタダキを見ました。アオゲラは逆光で枝かぶり、キクイタダキはピンぼけで、まともな写真ではありませんが、この冬初めてなので証拠写真としてアップしました。

2019.1.11撮影                 ミコアイサ          少し遠い場所にあるため池にて
ホシハジロやコガモに混じって5羽のミコアイサがいました。1羽は雌です。
潜った後、羽ばたきをしました。
北の岸から撮影しているため、なかなか目を撮ることができません。

2019.1.10撮影             赤いヤマガラ・アオジなど         古墳のある公園にて
弁慶ヤマガラなどと呼ばれている赤いヤマガラが下に降りてきてくれました。
ヤマガラの近くにはアオジがいました。近づいても逃げません。
いつも梅園付近にくにいるジョウビタキです。
池の畔にはジョウビタキ雌がいました。
この公園ではシメをよく見かけます。

2019.1.9撮影             オシドリ・キンクロハジロ         地元の山の池にて
今日は人が少なく、オシドリやキンクロハジロが近くまで来てくれました。
高い橋の上からの撮影なので、近づくと上から見下ろした姿になります。
なるべく見下ろした姿にならないようにやや離れた位置から撮したオシドリです。大きくトリミングしました。
キンクロハジロを上から撮影すると丸くふくよかに見え、印象が変わります。

2019.1.8撮影               ミコアイサ・シメなど    他府県の大きなため池のある公園にて
ようやくミコアイサの雄を撮るることができました。時々、岸に近づいてくれるのですが、1羽づづで群れを撮ることはできませんでした。
近づくと白と黒のコントラストが鮮やかで、可愛い目をしています。
シメの群れが草むらでクサの実を食べていました。
サザンカの花の蜜を食べるメジロです。赤い花の反射光なのか、花の花粉がついたのか首筋が赤く染まっています。
クロガネモチの木にシロハラやツグミが赤い実を食べに来ています。

2019.1.8撮影               ニシオジロビタキ      県境近くの大きな池のある自然公園にて
ニシオジロビタキは1ヶ月以上この公園にいます。
撮影するために餌付けが行われていて、下まで降りてきていました。
餌付けのためか、12月の中頃に撮影したときに比べて太ったようです。
1時間後、まだ、同じ場所にいてさかんに鳴いていました。

 
2019.1.7         磨崖仏100選(18)   大悲山薬師堂磨崖仏
福島県南相馬市小高区泉沢  「平安時代後期」
 泉沢の大悲山には丘陵地の岩層を利用して開いた石窟が3か所現存する。その中で、最も保存状態がいいのが、この薬師堂磨崖仏である。中央に3mを超える高さの如来三尊座像[釈迦・弥勒(薬師)・弥勒(阿弥陀)]と菩薩立像などを厚肉彫りする。側面には如来(薬師)像がある。中央の釈迦如来は蓮台を含めれば5mを越え力強いフォルムである。 覆い堂がかかっているが、岩質がもろく、 相当崩れていて、痛ましいが量感や迫力は少しも失っていない。    


               
2019.1.6撮影               ジョウビタキ・エナガ         古民家のある公園などにて
公園の葦原にいつもよく見る可愛いジョウビダキが葦原の側の通路に降り立ちました。
小さなムカデを捕まえました。
しばらくムカデと悪戦苦闘していました。
葦原のエナガです。

 
2019.1.5         磨崖仏100選(17)   日石寺不動磨崖仏
富山県中新川郡上市町大岩  「平安時代後期」
 不動石仏の中で最も優れ、古いのが、富山県の日石寺不動磨崖仏である。日石寺不動磨崖仏(平安時代後期・重要文化財)は、山から露出する大岩面に半肉彫りされた像高3mの不動明王座像で、頭上に蓮華をのせ両眼を見開いて垂髪を左に下げ、右手に剣、左手に羂索を持ち、両牙は下唇をかむ大憤怒相の力強く豪快な磨崖仏である。本尊の不動明王以外に脇持の矜羯羅童子像・制咤迦童子像、阿弥陀如来像、僧形像が刻まれていて、僧形像(行基菩薩像)は後刻と思われる。


                   
2019.1.5撮影                ジョウビタキ         古墳のある公園などにて
 ベニマシコ・ルリビタキ・イカルを目的で公園に行ったのですが、ツグミとヒヨドリが木々に競うように多数とまっているのと池のオオバンがやたらに目立つだけで、それ以外の野鳥はあまりいませんでした。結局撮影したのはジョウビタキとヨシガモでした。ジョウビタキの雄は公園の柵にとまっていて、あまり動かず、じっくりと撮ることができました。
雌も近くにいました。
ヨシガモは、頭部の光沢ある緑色と褐色が陽の当たり具合で様々に変化していました。
 古墳のある公園に行く前に、丘陵地帯の小さな公園に行ったのですが、ここも野鳥は見当たらず、いつもアトリとカワラヒワがいるモミジバフウ(アメリカフウ)の木にも野鳥はいませんでした。アトリはこの公園から数百メートル離れた古墳の近くのナンキンハゼノキに群がって実を食べていました。
アトリの雌です。

 
2019.1.4         磨崖仏100選(16)   春日石窟仏
奈良市春日野町 春日奥山  「平安時代後期」
東窟(六地蔵)  
西窟(多聞天・阿弥陀座像)  
 奈良奥山ドライブウェーは高円山ドライブウェーと新若草山ドライブウェーにつながっているが、一方通行で高円山ドライブウェー側からは車は入れない。したがって、奈良奥山ドライブウェーの出口が高円山ドライブウェーの終点となる。その終点の場所から南側へ登る細い道があり、その道を50mほど歩くと穴仏と呼ばれる春日石窟仏がある。その穴仏の少し下に旧柳生街道の石畳の道が通っている。

 春日石窟仏は東西2窟から成り立っていて、凝灰岩層を深く削りくぼめて、つくられた石窟で、全面はかなり崩壊していて、造立当初の様子は知ることはできないが、平安時代後期の保元二年(1157)の墨書銘が残る、わが国では珍しい本格的な石窟仏である。

 東窟は中央に層塔としてつくられたと思われる石柱があり、塔身にあたる部分には、四仏が彫られている。東窟の西壁には、頭光背を背負った厚肉彫りの像高90pほどの地蔵立像が4体残っている(もとは六地蔵だと思われる)。左端の一体は右手は与願印で、左手に宝珠を持つ。残りの三体は両手を胸前に上げ、何かを捧げる形であらわしている。一体一体、表情は異なるが顔は引き締まった中に穏やかさをみせている。東窟には、他に観音菩薩と思われる像が3体(もとは六観音)、天部像が2体残っているが破損が大きく痛ましい姿となっている。

 西窟は金剛界の五智如来座像が彫られていて、左端の阿弥陀如来と思われる一体と多聞天のみがほぼ完全な姿で残っている。阿弥陀如来は像高94pで、穏やかな満月相で、なだらかな丸みを持った肩や流麗な衣紋など典型的な藤原様式となっている。 多聞天は顔の部分は痛んでいるが、火焔光背を背負い邪鬼を踏み、右手に矛、左手に宝塔を捧げ持つ姿が鮮やかに残っている。 


       
2019.1.3撮影                ミヤマホオジロ         地元の山の上の桜園にて
 地元の山の麓から少し険しい山道を30分ほど歩いて山の上の桜園に行きました。途中の展望台付近ではルリビタキを見たのですが撮影できませんでした。ウソが目的だったのですが、いませんでした。結局、今年最初に撮影したのはミヤマホオジロです。ミヤマホオジロが10羽ほど群がっていたのですが、桜園の隣の林の中にいてなかなかうまく撮影できませんでした。
どうにか撮影したヤマホオジロです。

 
2019.1.3         磨崖仏100選(14)   大門仏谷磨崖仏
京都府木津川市加茂町北大門  「平安時代後期」
  他の当尾石仏群から一体だけ離れているため、訪れる人も少なく、「笑い仏」とくらべるとあまり知られていない。 しかし、当尾石仏中、最古最大の磨崖仏であり、堂々たる体躯や幅のある丸い厳しい顔の表情など、近畿地方を代表する磨崖仏の一つである。

 二重光背形を浅く彫り、 その中をさらに彫りくぼめて、裳懸座に座る如来形を半肉彫りしている。 手の部分の一部が不明瞭で印相がわからず、 像名は阿弥陀・釈迦・弥勒など諸説がある。造立年代については奈良時代後期・鎌倉時代など諸説があるが、幅広い丸顔や豊満な仏身の表現から平安後期造立説が有力である。


 
磨崖仏100選(15)   地獄谷聖人窟
奈良市白毫寺町 地獄谷  「奈良時代〜鎌倉時代」
 首切り地蔵の分かれ道を左に行くと、地獄谷に通じる。地獄谷の名は、昔この付近に屍をすてたところからでた地名とも、春日山中の地中に地獄があると考えられたところから生まれた地名ともいわれる。その地獄谷の山中の凝灰岩層の露出した岩場に石窟が彫られていて、壁面に数体の線刻像が刻まれ彩色されている。それが、通称聖人窟と呼ばれる、線刻の磨崖仏の傑作である。

 現在、はっきりと残っているのが3体で、奥壁の中央には、座高1mあまりの施無畏・与願印の如来像が彫られている。胸には卍が刻まれているとのことであるが、金網で保護されていて近づけないので確認できなかった。尊名は弥勒・釈迦・盧遮那仏など諸説がある。のびのびとした流麗な線で衣紋を描き、顔は東大寺大仏の蓮弁に刻まれた如来像によく似ていて、豊かな気品のある顔である。造立年代は天平から鎌倉まで諸説がある。

 如来像の向かって左側には、二重円光背を背負った施無畏・与願印の如来立像(吉祥薬師像という説がある。)が、右側には同じく二重円光背を背負った十一面観音が彫られている。中尊に比べると線は伸びやかさに欠け時代は下ると思われる。東壁面には妙見菩薩が刻まれているとのことであるが金網の外からは確認できなかった。 


12月