| 令和7年11月11日 近くの大きなため池にて |
| ハヤブサの水浴び |
| ハヤブサの水浴びを撮影しました。ハヤブサはとまっていた遊歩道のガードフェンスから水辺に飛び降り、水に顔を浸けて何回か水を飲んでいました。そのうち水の中に入って、水浴びを始めました。水の中に体を浸けて、体を激しく震わし、その後、翼を広げます。3回水浴びをしました。 |
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| 令和7年11月10日 近くの大きなため池にて |
| カンムリカイツブリ |
| この日はカンムリカイツブリを岸近くで撮影できました。 |
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| 令和7年11月9日 全国各地の石造十三仏(7) 岩谷十三仏 | ||
| 岩谷十三仏 | ||
| 山口県下関市豊浦町大字川棚中小野岩谷 | ||
| 岩谷(いわや)十三仏は下関の奥座敷として知られる川棚温泉の北東6kmの中小野・岩屋という山あいの集落にある。公園として整理された露出した岩場の所々に1mにも満たない十三の石仏が安置されている。 石仏は不動明王(初七日)・釈迦如来(二七日)・文殊菩薩(三七日)・普賢菩薩(四七日)・地蔵菩薩(五七日)・弥勒菩薩(六七日)・薬師如来(七七日)・観世音菩薩(百ヶ日)・勢至菩薩(一周忌)・阿弥陀如来(三回忌)・阿閃如来(七回忌)・大日如来(十三回忌)・虚空蔵菩薩(三十三回忌)の十三仏である。十三仏とは死者の追善の法事を修めるとき、その年忌に配当された十三の仏菩薩をいう。十三仏信仰は浄土信仰に基づいて、これらの十三仏を信仰して極楽往生を願うものであり、南北朝時代から信仰が始まったといわれている。 岩谷十三仏は、山口を支配した大内義隆が家臣の陶晴賢の叛乱に敗れた時、一時身をひそめたという岩谷が浴八丈岩に納められていたもので、現在、大小の岩が組み合わされた庭園風の公園の、岩の上に並べられている。 大内義隆が八丈岩を脱出する時、村人に大内家秘伝のばんばら楽(大内楽)の巻物一巻をあたえた。陶晴賢が毛利元就に破れた、弘治元年(1555)ごろ、この一帯が大旱魃に襲われ、雨ごいのためにと熊野神社にこのばんばら楽(大内楽)を奉納したところ、すぐに大雨が降り旱魃を免れた。そこで、大内義隆の供養として、八丈岩に十三体の石の仏像を造り奉納したとのがこの十三仏であるという。 一体一体、丁寧に彫られていて、柔和で愛らしい顔の千手観音像やすました穏やかな表情の大日如来や弥勒菩薩、哲学者のような風貌の釈迦如来など魅力的な石仏群である。仙人のような表情の文殊菩薩と普賢菩薩の2体は少し離れた岩の上に安置されている。 |
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| 深谷十三仏と同じく一石一尊仏の十三仏で、露出した岩場の岩の上に一体ずつ置かれている。この写真は十三仏のうち文殊・普賢を除く十一仏である。 | ||
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| 手前は不動明王で、見張り仏として離れた高い岩に安置されているのが、文殊菩薩と普賢菩薩である。 | ||
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| 不動明王 | ||
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| 釈迦如来 | ||
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| 文殊菩薩 | ||
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| 普賢菩薩 | ||
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| 地蔵菩薩 | ||
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| 弥勒菩薩 | ||
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| 薬師如来 | ||
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| 観音菩薩(千手観音) | ||
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| 勢至菩薩 | ||
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| 阿弥陀如来 | ||
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| 阿閃如来 | ||
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| 大日如来 | ||
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| 虚空蔵菩薩 | ||
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| 令和7年11月4日撮影 近くの大きなため池にて |
| カンムリカイツブリ・ハジロカイツブリ |
| 11月4日に撮影したカンムリカイツブリとハジロカイツブリです。前日に見たトモエガモやオナガガモはいませんでした。 |
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| 前日見なかったカンムリカイツブリがいました。ただ、広い池の真ん中にいて岸には近づいてくれませんでした。 |
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| ハジロカイツブリはこの日も岸近くに来てくれました。 |
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| 令和7年11月5日 近くの大きなため池にて |
| ハヤブサ1 |
| この池に数日通っているのですが、一番の狙いはハヤブサです。去年の今頃、ハヤブサが姿を見せて、2月末までこの池にいました。ただ、ハヤブサが来たのは昨シーズンだけでしたので、あまり期待していませんでした。そのハヤブサが目の前にいました。遊歩道のガードフェンスにとまっていました。この日は小雨が時々降る曇天で、人気がなく飛びたつ気配もありません。角度を変えて何枚も撮影しました。去年のハヤブサは幼鳥で腹部が黒褐色の縦紋でしたが、去年の幼鳥と同じ個体かどうかはわかりませんが今年は成鳥で脇腹は横紋です。 |
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| ハヤブサ2 |
| 昨日アップしたハヤブサの続きです。ハヤブサは遊歩道のガードフェンスにとまっていました。数多く撮影した後、飛び立つのを撮ろうカメラを構えていたのですが、動きがありません。しばらくするといつも遊歩道を歩いている障害者施設の人たちがやってきました。ハヤブサの前を一人が「鳥」と言っただけで、気にせず通り過ぎていきました。空に飛び立つのを期待したのですがハヤブサはフェンスの下の池の岸辺に降り立ちました。そしてハヤブサはそこで羽繕いなどをして10分ほど過ごしていました。 |
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| 令和7年11月3日撮影 近くの大きなため池にて |
| ハジロカイツブリ |
| オナガガモなどと一緒にいたハジロカイツブリが岸近くに姿を見せたので、たっぷりと撮影できました。しばらくすると、ハジロカイツブリは水面に浮いてい毛玉のようになった羽毛の塊にかぶり付きました。 |
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| オナガガモ・トモエガモなど |
| カンムリカイツブリを一昨日撮影したため池に行きました。カンムリカイツブリ見られませんでしたが、オナガガモ・トモエガモ・ハジロカイツブリがいました。 |
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| 池の真ん中に黒い頭部を羽にうずめて休んでいる首回りが白い水鳥が2羽いました。そのうち1羽はコガモより小さい水鳥でした。 |
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| 小さい水鳥が気になってずっと追いかけて撮影していました。(ハジロカイツブリだったのですが、撮影している時はわかりませんでした。)撮影しているうちにもう1羽の黒い頭部を羽にうずめていた水鳥が顔を上げました。オナガガモの雄でした。この池では数年ぶりのオナガガモです。オナガガモはマガモやコガモなどとともに数多くわたってくる渡り鳥なのですが、私の住む地域ではあまり見られません。 |
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| 雌のオナガガモもいました。 |
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| トモエガモが2羽いました。オナガガモは、気になって、黒い頭部を羽にうずめていた水鳥を離れて何枚か撮ったのですが、トモエガモは家へ帰って画像を整理している時に初めて気がつきました。そのため、ピントが甘い写真になりました。 |
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| 令和7年11月2日撮影 地元の山の中のため池にて |
| オシドリ |
| このため池には多くのオシドリがいるのですが、岸で休んでいることが多いことや日があまり当たらず暗いため、なかなか良い写真は撮れません。この日は多くのオシドリが水面にいたので、暗いながらなんとかオシドリを撮影できました。 |
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| 令和7年11月1日撮影 近くの大きなため池にて |
| カンムリカイツブリ |
| ここ数日そろそろカンムリカイツブリやハジロカイツブリが来る頃と思ってこのため池を訪れているたのですが、ようやくカンムリカイツブリが1羽姿を見せました。 |
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| 令和7年11月1日 大隅の田の神さあ 伊佐市5 |
| 本城南方神社の田の神 |
| 鹿児島県伊佐市菱刈南浦3516 「天明元年(1781)」 |
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| 「本城南方神社の田の神」は本城小学校の北東にある南方神社の片隅に田んぼに向かって静かに座している。神官型座像の田の神に見えるが衣冠束帯姿ではなく武士が着る裃姿で膝の上で両手を合わせている。冠の甲らしきものを被ているので武士ではなくやはり神官と思われので神官型座像の田の神として載せる。旧菱刈町の神官型座像の田の神は多くが彩色去れているがこの神は彩色されていない。市指定文化財になっている。 |
| 下名の田の神 |
| 鹿児島県伊佐市菱刈前目下名 |
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| 「前目の田の神」から2㎞ほど北西に「下名の田の神」はある。この像も「前目の田の神」と同じ腰掛け神官型の田の神で、「前目の田の神」とそっくりなベンガラ色の目立つ、彩色である。手は「前目の田の神」と違って膝の上で合わせて輪組する。両袖と背中に丸に十の字の島津家の家紋を刻んでいる。彫った石工は「前目の田の神」と同一人物かどうかはわからないが、化粧(彩色)した人は同じ人と思われる。 |