| Photo Gallery「石仏と野鳥」新版 2026年10月 | ||||
|
|
||||
![]() |
||||
|
| 令和8年10月17日 地元の山の麓にて |
| ムシクイ |
| 地元の山の麓でムシクイを見つけました。オオムシクイかメボソムシクイと思われますが、鳴かなかったので識別できません。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 令和8年10月15日撮影 菊畑にて |
| ノビタキ |
| 菊畑でノビタキを撮影しました。刈り取った後の菊畑の菊の花があちこちで咲き始めました。ようやく咲いた菊の花とノビタキを撮影できました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 令和8年10月13日撮影 近くの水田地帯にて |
| ノビタキ |
| 遊水池の予定地の草原のノビタキです。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 令和8年10月12日撮影 菊畑にて |
| ノビタキ |
| 菊畑でノビタキを撮影しました。刈り取った後の菊畑の菊の花はほとんど咲いていません。出荷直前の菊は蕾なので、結局、今日も咲いた菊の花にとまるノビタキは撮影できませんでした。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 令和8年10月11日撮影 地元の山のハイキングコースにて |
| エゾビタキ |
| 地元の山へ登るハイキングコースの入り口で電線にとまっている2羽のエゾビタキを見つけました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 令和8年10月10日撮影 近くの水田地帯にて |
| ノビタキ |
| 遊水池などの治水施設の予定地の荒れ地のノビタキはいつもいる場所には2羽ほどしか見当たりませんでした。そこで広い荒れ地を捜してまわると今までいなかった場所に数多くいました。結構近い場所でも撮影できました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 令和8年10月10日 串間円立院の石仏 護東寺跡の石仏3 |
| 菩薩立像 文化4年(1807) |
![]() |
![]() |
![]() |
| 階段を上がって右に薬師堂の建設記念碑が建っていてその後に地蔵菩薩像2体と庚申塔(青面金剛像)とこの像が安置されている。菩薩像と思われるが尊名はわからない。右手で胸元で丸い鏡のようなものを持っている。宝鏡と思われるが日輪または月輪かもしれない。 このページの作成に当たって参照している前田博仁著「近世日向の仏師たち」の口絵の円立院作仏の図版では観音菩薩としているが腑に落ちない。同じ図版にはこの像とそっくりな像を弥勒としている。日輪または月輪とすると日光菩薩or月光菩薩や日天or月天が考えられる(ネットで調べてみると胸元で日輪を持った日天の画像も見つけた。ただその日天像は5頭の馬に乗っていた。)。そのため菩薩立像として掲載した。背後に「文化四丁卯年三月 仏師円立院作」の刻銘があり、文化4年(1807)に円立院が彫作し建立したことがわかる。 |
| 令和8年10月8日撮影 菊畑にて |
| ノビタキ |
| 小菊畑でノビタキを撮影しました。小菊は花が咲く直前の蕾状態で出荷されます。毎年、咲いた花にとまっているノビタキは撮影しているのですが、その花は小菊を刈り取った後に咲いた花で、まだほとんど咲いていませんでした。そのため咲いた小菊にとまるノビタキは撮影できませんでした。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 令和8年10月7日撮影 近くの水田地帯にて |
| ノビタキ |
| 落として壊したレンズと同じレンズをネットで注文していたのが届きました。早速、カメラに付けて近くの水田地帯に行ってノビタキを撮影しました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 令和8年10月6日撮影 近くの水田地帯にて |
| ノビタキ |
| 遊水池予定地の荒地の草原のノビタキです。2日にノビタキを撮影しようとした時、レンズを落として壊してしまいました。そのため翌日から昔使っていたカメラ(Canon EOS 7D MarkⅡ)を持ち出して撮影しました。100~400mmのズームレンズに1.4倍のテレコンをつけての撮影です。3日の日は使い方を忘れていて露出補正に失敗して暗い写真になり、レタッチソフトで補正してノビタキとチョウゲンボウの写真をアップしました。この日はようやく使い方を思い出してまともに撮影できました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 令和8年10月6日 串間円立院の石仏 護東寺跡の石仏2 |
| 阿弥陀如来 享和3年(1803) |
![]() |
![]() |
![]() |
| 階段を上がって左の弘法大師像の隣にある阿弥陀如来坐像である。背後に「享和三年」の紀年銘と「仏師串間円立院作」の刻銘がある。 |
| 令和8年10月5日 串間円立院の石仏 護東寺跡の石仏1 |
| 護東寺跡の石仏 |
| 宮崎市古城町 |
| 護東寺跡へのアクセス |
| 護東寺は日向七堂伽藍の一つ伊満福寺の四十九世住職の法印頼雄によって延宝五年(1677)に開かれた寺院で頼雄のあと弟子の串間南照院が護東寺二世住職となった。その後串間一族が住職を引き継いでいったようである。仏師として活躍した護東寺四世住職が延寿院でその子の円立院が五世住職である。護東寺跡は伊満福寺の南およそ0.5㎞の小高い丘の上にある。現在は薬師堂と阿弥陀堂の小さなお堂が立ち、境内には円立院作の仁王・弘法大師・地蔵・阿弥陀・弥勒などの9体の仏像をはじめ、作者不明の石仏か20数体が安置されている。 |
| 仁王 |
| 阿形 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 吽形 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 護東寺跡を訪れて最初に目につくのが門前跡に屹立する仁王像である。円立院の刻銘がないが円立院が住職であったことや憤怒相の頭部の作風などから円立院の作と考えられる。胸のあばら骨まで表していて他の円立院作の仁王像と較べるとより力強い体躯の表現である。赤い着色が衣装などに残っている。 |
| 弘法大師像 文政12年(1829) |
| Ⅰ |
![]() |
![]() |
| Ⅱ |
![]() |
![]() |
| 仁王像がある門前跡から参道階段を上がると階段の左右に弘法大師像が向かい合って座している。共に右手で金剛杵を胸元で持ち、左手を膝の上に置く。顔や衣装に赤い彩色が残っている。階段を上って右の像Ⅰは眉間の部分が欠けていることもあって顔の表情が左右で少し違う。左の像Ⅱの背後に文政12年(1829)の紀年銘と「大越家円立院 八十ノ作」刻銘がある。 |
| 令和8年10月3日 近くの水田地帯にて |
| ノビタキ |
| 遊水池予定地の荒地の草原のノビタキです。3日前に来た時に比べるとノビタキの数は増えていました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| チョウゲンボウ |
| ノビタキを撮影していた時、電柱にとまっているチョウゲンボウを見つけました。チョウゲンボウは電柱から電柱へと飛び移り楽しませてくれました。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 令和8年10月2日 南九州の磨崖仏と隼人塚 層塔・正国寺跡石仏 | |
| 隼人塚の石仏2 | |
| 層塔 | |
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
![]() |
|
| 最初に訪れた時は層塔は破損していて五重塔の2基は三重目軸部以下、1基(南塔)は一重目屋根以下が落下していた。各塔の初重軸部は四面とも開かれ、蓮華座上に二重光背を背負う如来座像を半肉彫りしている。如来像は南塔と北塔の阿弥陀如来像で、満月相の藤原仏の様式がうかがえる。二重目以降の軸部にも四方仏が刻まれている。2回目に訪れた時は、層塔は埋まっていた石材などを使って復元されていた。 | |
| 正国寺跡石仏 | |
| 霧島市隼人町内山田287-1 隼人塚史跡館 「康治元年(1142) 平安後期」 | |
![]() |
|
| 隼人塚史跡館には内山田宇津山にあった正国寺跡から出土した3体の石仏が展示されている。光背を背負い厚肉彫りに彫り出された如来形坐像と菩薩形立像(観音?)と丸彫り如来座像である。光背を背負った如来像は、手首の部分は風化していて印相はわからないが両手を膝の上に持ってきているので阿弥陀如来と思われる。阿弥陀如来?と菩薩形立像の光背には「康治元年九月四日供養」という銘文が確認さている。 |