Photo Gallery「石仏と野鳥」新版   2026年1月
 

 
12月


    
令和8年1月11日 竹成大日堂五百羅漢(2)
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竹成大日堂五百羅漢
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 御在所山の麓、湯の山温泉で知られる菰野町の北部、菰野町竹成の大日堂境内に三重県の史跡に指定されている五百羅漢石仏がある。大日堂は文明13(1481)年作の大日如来像(県指定有形文化財)を本尊とする寺で現在本尊を納めた小さなお堂と、前庭築山の五百羅漢石仏が残るのみである。

 五百羅漢石仏は高さ約7mの四角錐の築山をつくり、頂上に金剛界大日如来と四方仏を置き、その周りに如来・菩薩・羅漢をはじめとした500体ほどの石像を安置したもので、七福神や天狗、猿田彦などもあり、大小様々な石仏・石神が林立する様は壮観で、見応えがある。(現在、廃仏毀釈などて一部破損し、468体の石像が遺っている。)

 この石仏群は江戸末期、当地竹成出身の真言僧神瑞が喜捨を求めて完成したもので、神瑞和尚は中興開山照空上人として尊崇されている。発願は嘉永5(1852)年2月で、桑名の石工、藤原長兵衛一門によって慶応2(1866)年に完成した。



築山の頂上付近の石仏
 頂上には金剛五仏が安置されていて周りには釈迦十大弟子や十二天像、稚児姿の文殊菩薩と普賢菩薩像がある。十二天像や稚児文殊・稚児普賢は絵画ではよく見られるが、石仏としては非常に珍しいものである。十二天像は像高1mにも満たない小像であるが、儀軌にのっとって丁寧につくられた秀作である。獅子と象に乗った稚児文殊と稚児普賢は凛々しい端正な顔で頂上付近の石仏では最も目立つ。
不空成就如来(上段向かって左の如来) 稚児普賢(上段中央の膝の上でお経を開いている像)
大日如来(上段向かって右の宝冠を被った如来) 十二天像(大日如来の下に2段で並んでいる天部像)
   四夜叉(4体の鬼)       稚児普賢(獅子に乗って剣を持った稚児姿の文殊)
 
竹成五百羅漢(7)  五智如来・大日如来
 頂上には金剛界の五智如来が安置されている。中央に座しているのが智拳印の金剛界大日如来である。その周りをとり囲むように阿しゅく如来・宝生如来・無量寿如来(阿弥陀如来)・不空成就如来がある。リニューアルにあたって3回訪れた竹成五百羅漢の写真を見直してみると、大日如来以外の四仏をほとんど撮影していなかった。
 
宝生如来・大日如来
 
不空成就如来
 
大日如来
 
竹成五百羅漢(8)  四夜叉(四句文刹鬼)
生滅滅巳…黒色
諸行無常…青色
是生滅法…赤色
寂滅為楽…肉色
 南面と西面は羅漢像が中心で羅漢以外目立った像がないが、南面の頂上付近には、単独像としては非常に珍しい四夜叉(薬叉)像がある。四夜叉は青面金剛の従者で、『仏像図彙』(江戸時代の仏像図版集)では四句文刹鬼(しくもんせっき)として、右手に三叉戟をとる赤色、左手に三叉戟をとる青色、右手に刀を立てて持つ黒色、右手に刀・左手に三羽の小鳥をとる肉色の四夜叉を描いている。若き釈迦が修行中、羅刹に身をかえた帝釈天、あるいは、眷属の四鬼から教えを受けたとされる「四句文の刹鬼」である。

 「諸行無常(しょぎょうむじょう) 是生滅法(ぜしょうめっぽう) 生滅々已(しょうめつめつい) 寂滅為楽(じゃくめついらく)」の4句文は大般涅槃経(涅槃経)の4句の偈で「一切の存在は、無常にして、常に止まることなく川の流れのごとく変化するものである。この娑婆世界は、そういう原理に基づいて成り立っている。」との意味である。

 この四夜叉(四句文刹鬼)はほぼ『仏像図彙』通りの様相であるが、『仏像図彙』の絵に比べる石材という制約があるためか、迫力に欠ける。しかし、石の硬さをうまく生かした愛嬌のある四頭身の像で、この石仏群では最も印象的な石仏である。
 


令和8年1月10日 大隅の田の神さあ 霧島市1
大隅の田の神さあ5
(霧島市Ⅰ 隼人地区・国分地区1)
 霧島市は平成の大合併よって2005年に国分市・隼人町・福山町・溝辺町・横川町・牧園町・霧島町の1市6町が合併して誕生した。人口及び面積ともに鹿児島県下第2位の自治体である。「大隅の田の神さあ5」は霧島市の隼人地区と国分地区の田の神さあを紹介する。霧島市で唯一、県指定有形民俗文化財それている田の神は隼人町の大隅国一之宮の鹿児島神宮の神田の奥に祀られている「宮内の田の神」である。メシゲと椀を持って田の神舞を踊る田の舞型田の神の代表的な田の神像である。隼人町の「見次の田の神」は両手でメシゲを持った田の舞型の田の神である。国分湊の「湊の田の神」は大隅半島でよく見かける右膝を半ば立てた趺座の田の神で斜めに被った大きなシキと、穏やかに微笑んだ顔が印象的な像である。この地方で特色ある田の神としてあげられるのが昭和期に造られた右手でメシゲを立てて持ち、左手で椀を持って、腰かけているように見える中腰の田の神である。隼人町小浜の「埒上の田の神」・「早鈴神社西の田の神」や国分上小川の「森ノ木の田の神」などである。丸顔で微笑む顔が愛らしい田の神である。



宮内の田の神
鹿児島県霧島市隼人町内山田  「天明元年(1781)」
 宮内の田の神は漆の田の神とともによく知られた田の神舞型の県指定の有形民俗文化財の田の神像である。大隅国一之宮の鹿児島神宮の神田の奥に祀られていて、五月五日に行われる御田植え祭りにはこの前で田の神舞が行われる。
 自然の岩のような台石の上に右足を右足を踏み上げるにして中腰で立ち、右手でメシゲをかかげ持ち、左手で椀を抱えるように持っている。袂の短い上衣に、両膝の丸く膨れた裁着け袴をはく。被った大きなシキは風にあおられて波打っていて、動きがありみごとに田の神舞を踊る姿を表している。顔は顎髭があり翁風の顔立ちである。シキの背後に「天明元辛丑天九月吉日 正八幡宮田神 沢正納右衛門」の刻銘がある。



野久美田の田の神
鹿児島県霧島市隼人町野久美田
 野久美田公民館にある「野久美田の田の神」は像高43㎝の右手てメシゲ、左手で椀を持った田の神立像で、目鼻や持ったメシゲや椀などを板彫り風に彫った素朴な表現の像である。額のシワまではっきりと顔の表情がわかる。


              
令和7年1月9日 近くの大きなため池にて
ハヤブサ
 年末から家庭の事情により、家から長時間出ることができず、野鳥の撮影をしていません。そこで去年撮影した野鳥の写真を載せます。去年の11月5日と11日に撮影した未発表のハヤブサの写真です。
 
11月5日撮影
 
11月11日撮影



令和8年1月7日 大隅の田の神さあ 姶良市加治木町4
上木田の田の神
鹿児島県姶良市加治木町木田上木田 「明和4年(1767)」 
 「上木田の田の神」は、宮崎県の神官型の田の神と同じように衣冠束帯姿であるが、腰掛け型でなく安座姿である。像高は65㎝で宮崎県の神官型の田の神に比べると小型で、両袂が左右にはね上がった両手は前で合わせて笏を持つ孔をつくっている。宮崎県えびの市の梅木の田の神のような力強さに欠けるが、端正な田の神である。県の民俗資料有形文化財に指定されている。



迫の田の神
鹿児島県姶良市加治木町小山田迫下 「安永10年(1781)」
 迫の田の神は上木田の田の神と同じく、衣冠束帯型の安座姿の田の神である。像高は56㎝で、衣冠束帯姿で、冠の纓は背に長く垂れている。右手に笏を持っていたと思われるが手の先は欠けている。顔は面長で、目は半眼で静かな気品のある表情で、整った美しい田の神像である。


             
令和8年1月6日 全国の十三仏Ⅱ 黒滝山十三仏・高井田十三仏
黒滝山十三仏
広島県竹原市忠海町 「昭和5(1930)年」
JR呉線の忠海駅を下車し、北西に10分ほど歩くと地蔵禅院という寺がある。その寺の横手が黒滝山の登山口である。約30分ほどで山頂に達する。この登山道に沿って西国三十三観音磨崖仏が岩肌に彫られている。十三仏は黒滝山中腹の登山道脇にある。山型の自然石の表面を平らにして十三の仏が、一番上の4段目に2体、3段目に5体、2段目と1段目にそれぞれ3体、半肉彫りされている。ふっくらとした願容のかわいらしい十三仏である。(石造十三仏碑は一番上に一体(虚空蔵菩薩)をその下に残りの十二仏を4段に各3体、もしくは3段に4体を配置するのが一般的である。)側面に昭和五年の紀年銘がある。
アクセス ・JR呉線の「忠海駅」より北へ徒歩15分で黒滝山登山口。

・ 自動車 山陽自動車道『本郷』ICより南へ約15㎞で黒滝山登山口の駐車場。
  



 
高井田十三仏板碑
大阪府柏原市高井田  「慶安5年(1653)」
 JR大和路線「たかいだ」駅から西へ細い道を200mほど行ったところに、高井寺がある。その寺の南側の塀に接して石仏が数体並んでいる。その中に大きな長方形の平板な石材に彫られた阿弥陀石仏がある。石棺の蓋石、または棺台石を使った藤原時代の石棺仏である。

 その石棺仏の並ぶ石仏の中に江戸時代の十三仏板碑がある。高さ97㎝、幅37㎝の船型の板碑で虚空蔵菩薩と二列六段で十二仏を板碑いっぱいを使って半肉彫りしたものである。「慶安五年十月十五日 高井田村逆修一結衆造立」の銘があり、この村の信徒が、死後の供養のため江戸時代初期の慶安5年(1653)に造立したことがわかる。
 
アクセス ・ JR大和路線「たかいだ」駅下車西200m 
・ 自動車  西名阪高速道路「藤井寺IC」下車、東へ3km、国分本町で左折、国富橋をわたり、国富橋北詰よりすぐ。                      
  



 
令和8年1月5日 大隅の田の神さあ 姶良市加治木町3
西反土の田の神
鹿児島県姶良市加治木町反土 西反土後 「文政元年(1818)」
 千鳥橋のほとりの水路の上に金網フェンスで囲みトタン屋根をつけた覆堂の中に「西反土の田の神」が祀られている。シキをかぶりタスキ掛けで、両手でメシゲを持ち、一歩踏み出して、斜め前方を見つめるように田の神舞を踊る田の神像である。顔は丁寧に白く塗られていて、目鼻口の彫りがわかり、優しそうな顔に見える。背面に「文政元年(1818) 奉寄進 三月吉日」の刻銘がある。



吉原の田の神
姶良市加治木町反土吉原
 日木山川の堤防沿いにある「吉原の田の神」はある。両手でメシゲを立てて持ち、シキを頭巾風にかぶり、左足を少し踏み込み、中腰で田の神舞を踊っている。痛みがひどく顔は全く表情がわからない。石材は「日木山里の田の神」と同じ二瀬戸石である。背後に蔵王岳が望める。田の神の少し離れた右側に「加治木八景 蔵王嶽の奇岩 別名 天王山」と刻まれた石碑がある。



令和8年1月3日 大隅の田の神さあ 姶良市加治木町2
西ノ原の田の神
鹿児島県姶良市加治木町木田2924
 「西ノ原の田の神」は西之原公民館の玄関の前に祀られている。「新中の田の神2」とよく似た田ノ神で、螺旋状の編み目の大きく厚いシキをかぶり、右手にメシゲを下げて持ち、左手でかぶったシキをおさえていたと思われるが左手は欠損している。丸顔に庶民的な笑顔も「新中の田の神2」と目鼻口の表現は同じであるが、おおざっぱな表現の「新中の田の神2」に比べると巧みな表現でとても愛らしい。この田の神も昭和59年の東京での「ほほえみの石仏展」に出品された。

 この田の神は3回訪れたが最初に撮影した時は唇に赤い彩色の後が少し残っているだけで、巧みな愛らしい笑顔の表現がよくわかる写真となった。2回目の時は雑な化粧(彩色)が目立ったので掲載しなすった。2回目の時は白塗りの顔の化粧でつくった笑いになっていた。



加治木郷土館の田の神
鹿児島県姶良市加治木町仮屋町250
 加治木郷土館の庭に置かれている田の神で「日木山里の田の神」や「新中の田の神2」同じく右手にメシゲを持ち、左手で頭にかぶったシキを押さえて中腰で田の神舞を踊っている田の神である。もとは個人宅にあったもので町へ寄贈されたものである。被っているシキは「日木山里の田の神」と同じような笠のような形をしている。



12月