吉備の石仏1
毘沙門天磨崖仏
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古墳時代、大和や筑紫とともに栄えた吉備王国の地である岡山県南部は、発達した沖積低地である岡山平野と沿岸域に連なる標高100〜300mの小さな山々が連なる小丘陵からなる。 それらの山々には神社や寺院が多くあり、山そのものや巨石や巨岩が磐座として信仰の対象ととなっている。由加権現(由加神社・蓮台寺)で知られる由加山(岡山県倉敷市児島由加)や、平安時代末期、東の叡山に並び称された山岳仏教の聖地、岩屋寺(岡山県総社市岩屋)などがそれである。特に、登竜山の中腹にある岩屋寺には鬼の差し上げ岩をはじめ切付観音や屏風岩・梵字岩などの巨岩が多くあり磐座となっている。 岡山市から倉敷市・総社市・真備町にかけての山々の多くも信仰の対象で、いくつかの山には磐座信仰と毘沙門天信仰が結びつき、巨岩に毘沙門天が彫られている。それらの毘沙門天磨崖仏は近世の作であるが、秀作が多く、備前の近世石仏を代表するもである。(毘沙門天の磨崖仏がないが岩屋寺の本殿も「毘沙門天堂」と称され、毘沙門天を祀っている。) その中でも知られているのは日差寺毘沙門天磨崖仏(岡山県倉敷市山地、日差山)で、日差寺は奈良時代に開かれたと伝えられ、霊験あらたかな毘沙門天として信仰を集めている。他に、庚申山毘沙門天磨崖仏(岡山市新庄上、庚申山)や福山八畳岩毘沙門天磨崖仏(岡山県都窪郡山手村西郡)・石槌山毘沙門天磨崖仏(岡山県吉備郡真備町尾崎石田)・鷲峰山毘沙門天磨崖仏(岡山県小田郡矢掛町東三成、鷲峰山)などがある。 毘沙門天は元来はヒンドゥー教の神で、夜叉を従えて北方を守護し、財宝福徳をつかさどる神として崇拝された。仏教に採り入れられて、須弥山の北、倶盧州(くろしゅう)を守護する天(神)となった。常に仏の道場を守護してその説法を聞くことから、多聞天とも呼ばれる。毘沙門天は福徳と富貴の天(神)として信仰され、わが国ではいわゆる七福神の一員にも数えられる。軍神として武士の間で信仰も見られる。 石槌山毘沙門天磨崖仏は室町後期の作とされているが、戦国時代の作とすれば、武運の守護として、武勇長久を願い作られたものと考えられ。 |
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庚申山毘沙門天磨崖仏 岡山市新庄上、庚申山 |
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日差山毘沙門天磨崖仏 岡山県倉敷市山地、日差山 |
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石槌山毘沙門天磨崖仏 倉敷市真備町尾崎石田、石槌山 |
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福山八畳岩毘沙門天磨崖仏 岡山県総社市西郡 |
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鷲峰山毘沙門天磨崖仏 小田郡矢掛町東三成、鷲峰山 |
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