田の神さあ(7) 旅僧型・大黒天型

 鹿屋市周辺で最も多い田の神像は、シキを後に頭巾風に長く垂らして被り、胸に大きな頭陀袋をさげ、右手でスリコギを立てて持ち、左手でメシゲを横にして持つ托鉢僧姿の田の神(旅僧型)である。

 鹿屋市の吾平町の大牟礼の田の神真角の田の神などが旅僧型の代表的な像である。顔はともに童顔風であるが、大牟礼の田の神は厳しい表情、真角の田の神は温和な表情である。同じく旅僧型の中園の田の神田中の田の神は彩色されていて、共に顔は白く、着衣は中園の田の神は黒く・田中の田の神は赤く塗られている。波見下の田の神は柔和な表情の旅僧型の田の神像である。宮下南の田の神もメシゲ・スリコギ持ちの旅僧型の田の神であるが、他の旅僧型の田の神と比べるとシキや着衣の表現が細かいところにとらわれず単純な表現となっていて、それがこの田の神像の魅力になっている。「昭和31(1956)年」の刻銘を持つ川東町の田の神は、右手にメシゲ・左手にスリコキを持つ以外はこの地方の旅僧型の田の神を踏襲してつくられたものであるが、顔の表情などは個性的で、江戸時代の田の神に劣らない秀作である。

 車田の田の神は、メシゲとスリコギを持つ像で、渦巻き模様のシキをアミダにかぶっていてるため、シキが光背のように見える。像の傍らに山水と磨崖仏風の小さな浮き彫り像を刻み添えている。また、頭の上と胸元にも小さな仏像が付けてある。

 大黒天は音韻や容姿の類似から大国主命と重ねて受け入れられるとともに、農村では豊作の神として信仰を深めていく、そのため田の神信仰は西日本では大黒天と結びついていった。田の神像の中にも、影響を受け田の神像と大黒天を融合させた像が生まれる。薩摩川内市の楠元下の田の神は帽子状のものをかぶり、小槌とメシゲを持って俵の上に立つ田の神で、小槌を持つや俵の上にのることなど大黒天の影響が見られる(「万延元年(1860)」)。中村神社の田の神も同じく俵にのり、小槌とメシゲを持つ。

 大黒天型の最も古い作例が、宮崎県の東吉村の田の神である。おおきな頭巾のようなものをかぶり丸顔で、耳は福耳で大きく、まさしく顔は大黒天である。両肩にメシゲ2本を持ち、両手を輪組みして宝珠を持っている。(「天保12(1842)年」)。大黒頭巾を被り小槌を持ち俵の上にのる、霧島市の重久の田の神はより大黒天に近く、大黒天との違いは肩に背負っているのが金嚢(袋)のかわりに、稲穂を背負っていることのみである。小川路の田の神は大黒天像そのものを田の神像としたものである。

 宮崎県の上東の田の神浜之段の田の神は昭和になってつくられたもので、大黒天の姿・容貌でメシゲを持ち、稲穂を背負う。

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