| 薩摩川内市祁答院町の轟の田の神と菊池田の田の神は祁答院町下手の水田地帯にある像で共に見事に赤と白に化粧(彩色)された田の神である。菊池田の田の神は赤と白の鮮やか彩色と田の神にまとまりついた高フ木と、周りの田んぼが見事に調和している。轟の田の神は庶民的な笑いを含んだ素朴な顔で胸をはだけて、大きな袖の上衣と裁着け袴で腰掛ける姿は迫力があり、石の重厚さを活かした表現となっている。
松下田の田の神(「元文2年(1737)」)・湯之元の田の神(「元文4年(1739)」)・池山の田の神・大川原の田の神(「元文2年(1737)」)は田の神舞型の田の神像で、大きなシキを被り、右手でメシゲをかかげて田の神舞を踊っている像である。左手は湯之元の田の神と大川原の田の神は椀を持ち、池山の田の神はスリコギを持つ。湯之元の田の神はやや厳しい表情であるが他は穏やかな素朴な表情の農民風の田の神である。
笠ヶ野東の田の神は、自然石に舟型の彫り窪みをつくり、大きなメシゲを持つ田の神を半肉彫りにした田の神で、宝暦7(1757)年の紀年銘がある。畠田の田の神はキノコ状に広がった笠(シキ)をかぶり、右手にメシゲを左手に宝珠を持った像で、切れ長の鋭い目で、頭から肩にかけて長い総髪がなびかせている。山で修行をする山伏を思わせる魅力ある像である。元文4(1739)年の作。迫の田の神)(「安永10(1781)年」は、神官(神像)型の田の神での作で、整った美しい田の神像である。
昭和になっても田の神は地元の石工によって造立された、稚拙な作品もあるが、中には伝統を引き継ぎながら近代的で個性的な田の神像も何体かつくられている。その例として霧島市の剣之宇都の田の神・日置市の堅山の田の神)・錦江町の半ヶ石の田の神などあげられる。
えびの市飯野の八幡の小さな墓地の前に化粧(彩色)された2体のかわいらしい田の神像が並んでいる。右の田の神は大きな俵を2つ背負っていて、田の神の里として宣伝しているえびの市でもよく知られている田の神像の一つである。
宮崎市の高岡町や生目地区にはシキを阿弥陀にかぶり、坊主頭でメシゲとスリコギを持ち、着物に袴姿で中腰で立つ田の神が多数ある。その最も古い作例か下倉の田の神で明治十二年像立で、それ以降、昭和30年台までつき次とつくられた。そのような田の神の一つが浮田の田の神である。
|