観音石仏

 

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  我が国の仏教尊像の中で最も親しまれているのが観音菩薩で、仏像の中では時代を問わずその作例は最も多い。石仏においても地蔵や阿弥陀とともに数多く造像された。
 「法華経」普門品に、観音を念ずれば、七難(火・水・風・刀・鬼・獄・賊)を避けることができ、四苦(生、老、病、死)からも逃れ、三毒(貪・瞋・痴)を滅し、願う子宝にも恵まれるという、現世利益的功徳が強調され、8世紀には多くの観音像がつくられ観音信仰が盛んになる。
 
 平安時代、六道輪廻思想の発達に伴い、六道抜苦を求めて六観音が形成され、密教の普及とともに貴族社会に六観音の信仰が大いに広まっていく。紀州那智山を観音浄土補陀洛山の霊跡に当て 、各地に観音霊場の寺院を考え、そこに参詣することが盛んになり、平安末期には西国三十三観音霊場巡礼の信仰が成立する。その後、板東・秩父の札所もでき、貴族だけでなく幅広い層に観音霊場巡礼が広がり、室町末期から江戸時代には、大衆化し、民衆の文化・経済の向上に伴い、遊楽的要素さえ兼ねて、観音霊場巡礼は盛行するに至る。

 観音菩薩は梵語では「アヴァローキテーシュヴァラ」と呼ばれ、観世音、観自在などと漢訳されている。一切衆生を観察し、自在にこれを救済し、守護するために、それに応じるように三十三の姿をあらわすという。(法華経、普門品・三十三応身)六観音は全ての観音菩薩の基本形となる聖観音と変化像の千手観音・十一面観音・馬頭観音・如意輪・准胝観音(天台宗では不空羂索観音)をさす。

 石仏では奈良市の滝寺跡磨崖仏の六観音と思われる六体の菩薩像が最も古い作例で、八世紀初期と思われる。しかし、剥落がひどく確認できない。平安時代後期の六観音としては奈良奥山の春日石窟仏があげられるが、これも破損が大きく痛ましい姿となっている。平安後期の観音石仏としては栃木県の大谷観音(千手観音)、大分県の菅尾石仏(千手・十一面)観音、高瀬石仏(如意輪・馬頭観音)などが知られている。平安後期から鎌倉時代の観音石仏としては臼杵石仏のホキ石仏のように阿弥陀三尊の脇持として造像されたものが多い。
  
 室町時代以降、独尊としても多数つくられるようになり、江戸時代になると各地に観音信仰に関わる講がつくられ、多数の観音石仏がつくられた。全国各地に西国三十三観音霊場礼巡りの講がつくられ、西国三十三所観音をミニチュア化して、一寺院や一山に三十三所観音石仏がつくられていった。観音のやさしい姿から女性が多く信仰するようになり、墓碑として、女性を中心とした月待や念仏などの供養塔の主尊として観音石仏が多数見られる。また、牛馬の供養と結びついて関東・中部地方を中心に馬頭観音石仏が多数つくられた。 

 

参照文献

「日本石仏事典」 庚申懇話会遍 雄山閣
「奈良県史7 石造美術」 清水俊明 名著出版
「福島県の磨崖仏」  佐藤俊一 蒼海社 
「ふくしまの磨崖仏」 小林源重  歴史春秋社 
「石仏師守屋貞治」   信濃路出版