観音石仏(2)九州

 南九州の古い観音石仏としては、宮崎県串間市の鹿谷阿弥陀三尊磨崖仏(鎌倉時代)や岩堂観音磨崖仏阿弥陀三尊(南北朝時代初期)の脇持の観音像などがある。鹿谷阿弥陀三尊観音像は胸の前で合掌する座像で、岩堂観音磨崖仏観音像は蓮台を持つ立像で、ともに厚肉彫りの観音像でローカル色豊かな個性的な像である。

 江戸時代以降、観音石仏は南九州でも多数つくられるようになる。その中でも鹿児島市の茂頭観音磨崖仏梅ヶ渕観音磨崖仏は岩の持つ良さを活かした江戸時代の観音石仏の秀作である。茂頭観音磨崖仏は頭に弥陀の化仏を置いた宝冠をかぶり、左手に開敷の蓮華を持った厚肉彫りで量感豊かな表現の磨崖仏である。梅ヶ渕観音磨崖仏宝冠をかぶり、定印を結び、結跏趺坐する菩薩像を厚肉彫りで刻んだ磨崖仏である。大きく垂れ下がった衣は薄肉彫りで表現していて、衣の部分を含むと高さ2m近い大作である。茂頭観音に比べると量感や力強さにやや欠けるが、繊細で端正な表現の観音像である。

 明治の観音磨崖仏としては、鹿児島県曽於市の岩屋観音の大きな蓮を持った観音磨崖仏清水磨崖仏の十一面観音像などがある。ともに、吉田大名一圓という僧が刻んだもので、岩屋観音には善光寺阿弥陀三尊などの磨崖仏や本尊となっている十一面観音石仏など多くの一圓の彫った像が残っている。清水磨崖仏と岩屋観音本尊の十一面観音像は錫杖を持った長谷寺式観音である。稚拙な作品であるが一圓の宗教的情熱を感じさせ、迫力ある造形となっている。一圓の再興した岩屋観音と同じく、個人の宗教的情熱によってつくられた石仏群として宮崎県の高鍋大師がある。高鍋大師は持田古墳群の古墳に眠る古代の人々の霊を鎮めるために岩岡保吉氏(1889-1977)が約1haの土地を購入、私財を投じ地元の方々と共に半生をかけて建造した約700体の石仏群で、「十一めんくわんのん」と名付けた巨大なトーテムポールを思わせる像などユニークな石仏が多くある。

 熊本県玉名市石貫の横穴群の横穴一つの石室の奥壁に千手観音が薄肉彫りされていて、石貫穴観音横穴群と呼ばれている、平安時代の作と伝えられている。また、その横には千手観音座像石仏(近世の作)が置かれている。

 長崎県諫早市には磨崖三十三観音が二カ所ある。慶巌寺磨崖三十三観音久山磨崖三十三観音である。とも江戸時代、西国三十三ヶ所観音の巡礼巡りの信仰の盛行とともに、西国札所の各寺院の本尊の観音を模した三十三所観音霊場のミニチュアとしてつくられたものである。磨崖仏の三十三所観音は西日本では少なく、広島県竹原市の黒滝山磨崖仏などが知られているのみである。黒滝山磨崖仏のような岩の荒々しさを生かした個性的な磨崖仏ではないが、丁寧な彫りで、彩色された整った端正な磨崖仏である。 
 
 佐賀県の鵜殿窟磨崖仏・立石観音磨崖仏は鎌倉時代から室町初期にかけて制作された磨崖仏で、大分県の磨崖仏のような写実性を欠き、彫刻の技術自体は低いと思われる。しかし、下手ではあるが、宗教的な情熱が感じられる石仏群である。鵜殿窟磨崖仏の十一面観音像は赤や茶、肌色の彩色が遺った厚肉彫りで、全体的に土俗的な怪奇さが漂う像である。立石観音磨崖仏の十一面観音像は半肉彫りで、薬師如来像に比べると迫力に欠ける。

 法安寺は、波多一族の追善供養のため、小野妙安が大正12年に開いた寺院で、法安寺の磨崖仏は昭和27年(1952)、頃から、釈迦涅槃像をはじめとした、四国八十八ケ所霊場の本尊や弘法大師等諸仏像百数十体を大石壁に彫り出したもので、ほとんどが2mを超える量感豊かな厚肉彫りである。四国霊場32番禅師峰寺十一面観音70番本山寺馬頭観音は土俗的な怪奇さを持った独特な表現になっていて、時代は違うが鵜殿窟磨崖仏と共通する雰囲気を持った磨崖仏である。その他、千手観音、聖観音など多数の観音像がある。

   (石の仏  「鹿児島の磨崖仏と隼人塚」 「宮崎県の磨崖仏」 「北九州の磨崖仏と古墳」参照)
観音石仏