地蔵菩薩(3) 鎌倉時代3

奈良3(奈良市)・京都1(南山城)

 鎌倉時代中期から後期に書けて、地蔵石仏の造立は盛んとなり、旧街道筋や寺の門前の地蔵堂に、鎌倉時代造立の地蔵石仏が多く見られる。奈良市の西部にある尼が辻地蔵石仏二条の辻地蔵石仏はそのよう地蔵の最も古い例である。中でも尼が辻地蔵石仏は鎌倉中期の「文永2(1265)年」の作で、右手を下げて与願印を示す古式像で、大和を代表する地蔵石仏のひとつである。二条の辻地蔵石仏は船型光背を負った厚肉彫りの像で穏やかな表情で丁寧な衣紋表現の地蔵石仏で鎌倉後期の作風を示す。青野共同墓地西入口の地蔵石仏も二条の辻地蔵とよく似た表現の鎌倉後期の地蔵石仏である。

 奈良旧市街地の特色ある地蔵石仏として地蔵十王石仏がある。光背に十王像が浮き彫りにされた地蔵石仏で、たとえ死後、罪の裁判を十王から受けて地獄に落ちることがあっても、地蔵をを深く信仰していれば、地蔵の慈悲によって救われるというので、このような像が造立されたのである。新薬師寺・白毫寺・空海寺に見られる。その中でも白毫寺墓地にあった像新薬師寺の像が最も古く鎌倉時代の作である。

 若草山麓の南の谷沿いの洞には仏頭石とともに薄肉彫りの優れた地蔵石仏がおかれている。建長6(1254)年の刻銘のある鎌倉中期の優れた地蔵石仏である。白毫寺の近くの市営墓地の入口付近にある丸彫りの地蔵石仏も鎌倉時代の作で、右手を下げて与願印を示す古式像である。

 奈良県と隣接する京都府の南山城にも鎌倉時代の地蔵石仏が多くある。石仏の里として知られる当尾の里のある木津川市加茂町には鎌倉時代の地蔵石仏が多くある。岩船寺の里人から厄除け地蔵として信仰されている岩船寺地蔵石仏や岩船寺の裏山にある岩船寺三体地蔵磨崖仏藪の中三尊磨崖仏の地蔵石仏などがあげられる。特に藪の中三尊の地蔵石仏は鎌倉中期の作で引き締まったおおらかな面相の重厚感のある秀作である。他に加茂町には鹿背山の地蔵磨崖仏西念寺地蔵石仏などの鎌倉時代の地蔵石仏がある。

 京都府相楽郡和束町の撰原峠地蔵石仏は南山城の地蔵石仏は南山城の地蔵石仏では最も見ごたえのある像である。石室風に石を組んで、その中に安置されていて、古式の形相の厚肉彫の地蔵立像で、おおらかな古い趣のある石仏である。鎌倉中期の「文永4年(1267)」の作である。    
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